四十六 保身
四十六 保身
「なんてこった…」
「森口の現場に入ってる岸浜さんと情報交換して、一緒に立てた仮説です。裏は完全には取れてません。別の説もあります。でも、こう考えるとつじつまが合います。ストーリーがまとまります」
「県警庁舎での総対本部はまったく機能しなかったのか。出向組の本部長と警務部長が愛知県警からの支援を主張して、地元採用組の部長連中が反発する。刑事部長は上も横も敵に回して手柄を独り占めしようとして、警備部長が足を引っ張る。交通、地域、生活安全の部長は高みの見物ってことか」
「そうでしょうね。それで剣城さんが犠牲になりました。剣城さんを死なせたのは警察です」
「他紙は。他紙はどこまで知ってる」
「ぼくがつかんでるくらいですから、もっと知ってると思います」
「県警と取り引きしてるのか。これで脅してもっとでかいネタを引っ張ろうとしてるんだな」
「そんなところでしょう。県警は県警で、保身しなければなりません。剣城さんを死なせたことの瑕疵を認めるわけにはいきません。でかいネタでもこまいネタでも、自分たちの落ち度が報道されるのを食い止めるのに必死です。あくまでも、剣城さんが規制線を越えて現場に近づいたことが問題だった、それだけが原因だったって報道に刷り込ませなきゃなりません」
「だとしたら、剣城の写真は、県警にとっちゃ一度だけ使える切り札だな」
「どういうことですか」
立て板に水だった栗坂の話が止まった。
「おれも鍛冶の言う通りだと思う」
腕を組んで二人のやり取りを聴いていた轟が言った。轟は続ける。
「ある社が県警にとって都合の悪い記事を書こうとしたら、写真をリークして交換条件で記事を食い止める。その技を使うまでは、写真を寝かしておく」
「うちが出せば、県警はもはやその切り札を使えなくなる。写真の利用価値はなくなる。だが、剣城が規制線を越えたと認めていないからうちは、この写真を出せない。県警はそのことを知ってる」
デスクがそう付け加えた。
「うちが率先して今すぐに剣城さんの写真を出せば、県警の情報統制を切り崩せるってことでしょうか。県警と他社との取り引きをつぶして、他社に県警の落ち度をもっとストレートに報道させられる、今のうちじゃ書けないネタを書いてもらえるんでしょうか。だとしたらむしろその方が。うちで書けなくても、他社に吐き出させた方が。写真がどこかの社の手に渡った方が」
轟に迫る栗坂の悲痛な訴えは、県警の瑕疵とその隠蔽をペンの力で追及できない『県民タイムス』を、そして轟を責めているように鍛冶には感じられる。
腕を組んだまま轟は目をつむっている。しばらく閉じていた目とマスク越しの口を、轟は開いた。
「鍛冶。剣城の写真を公表したいか」
早苗が死んだ日の夜、早苗の最期の決定的ショットを載せろと強固に主張したのに受け入れない轟の姿を鍛冶は思い起こした。
「今さら公表したくありません。あれは剣城の形見です。カメラと一緒に、ぼくが生涯守り抜きます」
轟は再び目をつむった。長い間目を閉じていた。閉じたまま口を開いた。
「デスク、鍛冶、栗坂。よく聴いてくれ」
そこまで言って、轟は目を開いた。
「剣城は、政争の具にされた。二度も続けてだ。最初は社会部と政経部の、いや、おれと五十嵐の間でだ。おれが剣城を体よく利用して、五十嵐は剣城を見せしめに使った。剣城は社内で徹底的に痛めつけられた。二度目は県警の刑事部と警備部の、そしてうちの県警と愛知県警の間でだ。それで死んだ。撃ち殺された。このことは、おれたちが検証して発表しなけりゃならん。規制線を越えたことも含めてだ。警察が自己を正当化しようとしていることもだ。検証記事を載せる。全紙面を使って、長期にわたって連載する。それが剣城のためにおれたちができる唯一の弔いだ」
「政経部がなんて言いますか。社長が許しますか。とうてい現実味がある話とは思えません」
轟の話を、鍛冶は信用することができない。
「うちの紙面に載せられなかったら、よそに書け。『県民タイムス』記者の肩書きで堂々と書け。おれも書く。需要はいくらだってある。本も出せる。剣城がなぜ死ななければならなかったのか。所属するちっぽけな県紙のちっぽけな権力抗争に巻き込まれて、結果的に警察という巨大組織に翻弄されて命を落とすことになったと書くんだ。上司の社会部長に死の道を歩まされたと書くんだ」
轟は覚悟を決めたのだと鍛冶は理解した。
「部長、準備が必要です。すぐには始められません」
鍛冶は迫った。
「分かってる。マルヒが最終的に起訴される日をターゲットに置く。このことは当面、四人のみの極秘事項とする。栗坂は取材を続けろ。鍛冶はこれまでに知り得た事実から記事をまとめろ。おれにも会社にも遠慮するな。おれを、会社を、警察を徹底的に批判しろ。いいな。なにか意見があったら言ってくれ」
轟は、三人の顔を交互に見た。
「鍛冶も栗坂も、やばい記事はまだ送ってくるな。自分のところで止めておけ。社内で誰の目に触れるか分からん。社外への漏えいも心配せにゃならん。部長、それでいいですか」
デスクの問い掛けに轟は、そうしてくれと言った。鍛冶の外部との接触禁止は解除されないままだった。
(「四十七 絶縁」に続く)




