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四 動機

   四  動機


 帰宅して寝たらすぐに起こされたと、鍛冶は思った。すっかり寝坊していた。携帯電話が鳴っていて、発信元は栗坂だ。

〈妊婦殺しのマルヒが逮捕されました。これから北署に向かいます〉

「報道メモは出てるのか」

〈出てます。被害者の結婚前の交際相手だった男です。人定、読み上げますか〉

「職業は」

〈不詳となってます〉

逮捕容疑(フダ)は」

〈殺人です〉

「死体遺棄じゃないんだな」

〈ありません〉

「分かった。おれもクラブに行く」

 鍛冶が県警クラブに到着すると、いつもの半分ほどの人数の記者がいた。朝刊各紙を確認したが、交際相手だった男の存在に触れた社はない。

 あけぼの北署の無味乾燥な報道メモは確かに出ていた。九階の捜査一課に上がってみた。畠山は席にいない。

「『タイムス』の鍛冶ですが、管理官は」

 捜査一課の庶務の職員に声を掛けた。

「見ての通り、離席中」

「登庁なさってますか」

「わたしらからそんなの教えられないよ。よく知ってるでしょ」

 よく知っているから鍛冶はあきらめて記者クラブに戻り、あけぼの北署に行っているはずの栗坂からの連絡を待った。


「鍛冶さん、おはようございます」

 栗坂がクラブに入ってきた。

「北署から直接ここに来たのか」

「はい」

「北署を出る時になぜ電話を寄越さない」

「まだお休みだと申し訳ないと思って」

「おれはクラブに行くと言ったはずだ。おれは、取材中だとまずいと思っておまえの電話を鳴らさなかった。場所を移動する時はちゃんと連絡しろ」

「一応メールには入れといたんですが」

 確かに、鍛冶の携帯電話は栗坂からのショートメッセージを受信していた。鍛冶は受信に気付かなかった。

「ん、分かった。収穫はあったか。副署長だったか」

「はい。徹夜だって言ってました。ひげが伸びたままでした」

「じゃ、あっちで」

 県警記者クラブは、ブースといっても各社の机が並んでいて、机ごとの仕切りに、コロナ対策の透明アクリル板が申し訳程度に設置されただけだ。東京の警視庁などの記者クラブには各社ごとに小部屋がありそれをブースと称しているらしいのだが、鍛冶は見たことがないから、想像の範囲でしか理解できない。

 情報が筒抜けにならぬよう、鍛冶は、他社の記者がクラブにいる昼間に栗坂と作戦会議をする際には、話しの内容を誰にも聴かれない場所を選んでいる。

「おれの車でいいか」

「はい」

 報道用駐車スペースに止めてある鍛冶の車の運転席に鍛冶が、助手席に栗坂が乗り込んだ。

「管理官がいなくてな、おれは情報を持ってない。知ってるのは、報道メモの内容と、他社から漏れ伝わる話だけだ」

「分かりました。ぼくも北署の副署長からしかまだ取材できてないんですけど、まず、マルヒと被害者は、結婚後も不倫関係にあったと北署はみてます。それから――」

「――途中ですまん。報道メモで気になることがあったんだ。逮捕日時、けさの4時だが、間違いないか」

「はい」

通常逮捕(つうたい)だな」

「そうです」

「令状の執行場所は」

「南署の取調しらべ室内です」

「南署? あけぼの南署か」

「北署の副署長の話ではそうです」

「なぜだか聴いたか」

「聴きましたが答えません」

「取材のかく乱だな。おれたちを欺くためだ。きのうの、いや、けさか。一課の管理官の取材対応で、関係者を呼んでるのは警察の関連施設だってぼかしてた。すまん。続けてくれ」

「容疑事実の認否ですが、北署は明らかにしません」

「理由は」

「答えません」

「否認か黙秘だな」

「そうでしょうか」

「令状執行の時刻が不自然過ぎる。それに、逮捕容疑が死体遺棄じゃなくていきなり殺人だ」

 慎重を期して先に死体遺棄容疑で逮捕すれば、殺人容疑で再逮捕することで聴取の時間が二倍に延ばせる。本来なら警察はそちらを選択するはずだ。それをしなかった。できなかった。容疑者が死体を遺棄したとでも口を割らなければ、そういう不確かな小手先の技に裁判所は令状を発行しない。

「動機についても、解明中としか言いません」

「否認なら動機もへったくれもない。北署の見立ては」

「分かりません」

「うん。ほかには」

「身柄は南署の留置所です」

「南署には寄ったか」

「寄ってません」

「早いうちに行け。いや、おれが行くかもしれん。ちょっと考える。ほかには」

「報道メモでは不詳だったマルヒの職業ですが、自称フリーターです。親がマンションをいくつも持ってて、家賃収入で潤ってます。働きには出ていません。実態はニートですね」

「親と同居か」

「いいえ。親の所有するマンションのうちの一室で独居です」

「不倫関係だって言ったな。マルヒと被害者がいつどこで知り合って、これまでの付き合いの変遷はどうなっている」

「すみません。聴けてません」

「現場周辺ではそういう話、結婚前の交際相手とか、不倫にまつわる話は拾えなかったのか」

「まったく引っかかりませんでした。すみません」

「いや、どこの朝刊でも触れてないからまだ大丈夫だ」

 鍛冶は頭をフル回転させた。これまで警察担当の事件記者として取材に当たった経験や、文献で得た知識を思い出そうとした。殺された妊婦の心情をくみ取ろうと考えた。妊婦の夫、妊婦を殺したとされる不倫相手、事件の全容解明に当たる捜査員、ライバル社の記者の立場になろうと試みた。それが鍛冶の平常運転だ。

「栗坂、(きも)は動機だ。おまえに見立てがあったら聴かせてくれ」

「痴情のもつれでしょうか」

「そうかもしれん。今、分かってる範囲でのおれの仮説を聴け」

「はい、お願いします」

「まず、発生からの報道メモの出方だ。出る間隔が短すぎる。警察(さつ)は、情報を小出し小出しにしておれたちを振り回そうとした節がある。管理官の取材対応もそうだ。新聞の締め切り時刻を過ぎてからに設定した。つまり、警察は早い段階でマルヒを特定し、南署に呼んで任意で事情を聴いていた。ここまででなにか意見はあるか」

「いいえ、ぼくも同感です」

「よし、続きだ。マルヒは容疑を否認している。だから、拘留期限の二十三日間で落とせないと警察は判断して、マルヒを留め置くことができずいったん帰宅させるつもりだった。帰宅した後で詳細な報道内容をネットか新聞かテレビで見てしまうと、マルヒは追い詰められて自殺やら逃亡やら証拠隠滅やらを図る恐れがある。それを防ぐために、報道を抑えるところまでうまくいった。ところが、マルヒを帰宅させられない不測の事態が発生した。どうだ」

「逮捕時刻の不自然さからはその通りだと思います。でも、マルヒを帰宅させられない不測の事態って例えばどういう」

「どこかの社がかぎつけマルヒのやさを張っていた。警察はマルヒをおれたち報道に接触させるわけにはいかない。それに、マルヒが報道にマークされている以上、朝刊か朝のニュースで打たれる可能性を検討しなければならない。ホテルに泊まらせることも無意味だ」

「やさが割れてたんでしょうか。どこの社が」

「やさを張っていたとは限らん。こいつがマルヒだろって、締め切りが過ぎた時間帯にどこかの社が警察に当てたのかもしれん。朝刊に載るとも載らないとも言わずに当てた。警察は、載るという前提で捜査方針の変更を迫られた。これが警察の事情だ。ほかになにか疑問は」

「ありません。筋が通っています」

「次にマルヒの事情だ。被害者の腹の子は、実は夫の子ではない。マルヒの子だ。そうでないとしても、マルヒにそう思わせる理由があった。飛躍し過ぎているか」

「あり得ると思います」

「この仮説が成立すれば、動機なんていくらでも挙げられる。マルヒは、被害者が懐妊した自分の子をなきものにしたかった。被害者からゆすられていたのかもしれん」

「ゆすりですか。なにを材料に」

「無理やり関係を強要されたって吹聴すると脅したり、実際にそういう関係強要の事実があったのかもしれん」

 鍛冶の仮説を聴いて、栗坂は考え込んでいる様子だ。

「どうだ。ほかになにか考えられることはあるか」

「ありません」

「よし、それで動こう。おまえはまず所轄にそれを当てろ。箸にも棒にも掛からんかったら軌道修正する。全否定されない限り、その線で、マルヒ、被害者の交友関係を当たれ。被害者がかかってた産婦人科も洗え。素人には子どもの父親うんぬんの話はするな。刺激が強すぎる。他社にも漏れる」

「分かりました」

「おれは科捜研に知り合いがいるから行ってみる。県警本部と科捜研以外は、全部おまえに任せる。作戦会議は適宜行う。夕刊は必ずチェックしろ」

「はい」

「きょう一日、妊婦殺し以外の取材は一切しない。会社からくだらん注文が来たら、おれからそう言われたで通せ」

 栗坂は県警庁舎に戻らず、報道用駐車スペースに止めていた自分の車に乗り換えそのまま出掛けた。鍛冶は記者クラブに戻った。九階の捜査一課をのぞいてみたが、管理官席に畠山の姿はなかった。


(「五 供述」に続く)


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