三十三 閃光
三十三 閃光
月明りだけが頼りだ。自らの気配を消さなければならないから、照明器具は使えない。
上空にヘリコプターなど航空機の姿はない。それらしき音も聴こえない。
辺りは背丈ほどのやぶに囲まれている。方向感覚を失わぬよう、鍛冶は月の方角を確認しながら、猟銃男が立てこもる民家を目指した。
山道の起伏から考えれば、現場は国道よりやや標高が高いはずだ。しかし、山肌は険しく、上っているのか下りているのかさえ分からない。女の脚ではとうてい前に進めないような荒れ地だ。
早苗がこの荒れ地に入り込んでいないのであれば、それは幸いなことだ。だが、鍛冶には見つけられない獣道のような進路があるのかもしれない。侵入口をもっと慎重に検討するべきだったかと鍛冶は後悔した。
汗で全身がびしょぬれだ。靴下の底に汗がたまっていくのが分かる。肌を露出している顔から首にかけて、ひどく虫に刺された。
やがて前方に、ほのかな明かりが見えてきた。二階建て民家は鍛冶のいる裏手からも照らされている。正面よりずっと暗い。
光を放っているのは、山道から侵入したとみられる二台の装甲車の屋根に取り付けられた投光器だった。
二台の装甲車は三十メートルほどの間隔で止まっている。やぶが視界を遮り、鍛冶からは車体屋根付近しか見えない。しかし、車体側面の窓がふさがれているようだから、県警機動隊の装甲車であることは明らかだ。
装甲車から民家までの距離は、民家の表で弧を描いていた現対本部があるらしい大型車両と民家の間の距離よりずっと遠い。五十メートル以上離れているように見える。
装甲車の周辺に人影は確認できない。
鍛冶は不審に思った。規制線を越えてからずっと、鍛冶の行く手をはばむのは背丈ほどまで生長したやぶだけだ。鍛冶は、装甲車の投光器が放つ光に当たらないよう山道とは反対側の左に大きく迂回し、装甲車を避け民家に近づいた。
誰からも足止めを食らわず民家間近まで到達した。やぶが途切れ、急に視界が開けた。そこが民家敷地の境界線なのかもしれない。
やぶの端から民家までは十メートルほどで、民家の母屋の手前に、物置小屋のような建物がある。やぶの陰になって投光器の光は母屋の上半分にしか届いていない。手前の小屋は、屋根の一部にしか光が当たっていない。
母屋は下半分が暗くて見えず、小屋はほとんど見えない。母屋二階に窓が確認できるが、カーテンが閉まっているようだ。一階からも二階からも明かりは漏れていない。
鍛冶は、やぶの端から一歩だけ後ずさりした。やぶから出て民家に近づくと、誰かに目視されてしまうと恐れた。警察関係者に見つかるにしてもスラッグ弾を所持しているらしい猟銃男に見つかるにしても、鍛冶にとって絶体絶命だ。
早苗の脚でここまで到達できるかどうか。鍛冶は考えた。考えたが、判断が付かない。
なんの前触れもなく、辺りが真っ暗になった。投光器が明かりを落とした。明かりを落としたのが鍛冶のいる民家裏手の装甲車だけなのか民家正面もそうなのか、考える間もなかった。
「ワン、ツー、スリー」
低い男の掛け声が聴こえた。合唱のような、二人以上の声だ。どこから聴こえたのか分からない。とても近くから聴こえたように感じた。声と同時に、ガラスの割れる音がした。何枚ものガラスが一斉に割られている。音は明らかに民家の方から聴こえる。暗闇の中で鍛冶は目を凝らした。
四角いオレンジ色の閃光が走った。光と同時に、ボンという鈍い爆発音が響く。四角く見えたのは母屋の窓だった。
閃光と爆発音は、一秒より短い間に連続して四回ほど続いた。毎回、違う窓が光った。一階の窓も二階の窓も光った。鍛冶は目がくらんだ。なにが起こったのか理解した。警察が強行突入したのだ。猟銃男を制圧し人質を救出するのだ。
鍛冶の網膜に四角い残像が残った。閃光弾を投げ入れられまだオレンジ色の光を放つ窓には、黒い大きな虫のような生き物が、まるで穴から虫がわらわらと出てくる映像を逆回転しているように吸い込まれていく。二階の窓には、はしごを掛けて突入したようだ。母屋で怒号が飛び交う。なにを言っているのか鍛冶には聴き取れない。
目がやられて気付かなかったが、投光器の光がいつの間にか復活していた。そして、母屋の手前にある物置小屋のような建物からも、閃光が走り爆発音が鳴った。強行突入作戦が続いているのだと鍛冶は思った。
小屋の方は、白い閃光だ。母屋のように四角い光ではない。ガラスが割れる音もしない。爆発音は、母屋から聴こえたものよりずっととがっている。
「撃たれたぞお」
大きな黒い虫が、小屋の横でマグライトのもののような明かりを振り回している。
「南無三」
それまで使っこともない言葉が鍛冶の口を突いて出た。ライトを振り回している黒い虫に駆け寄った。
「女だ」
鍛冶より先に集まった虫たちによる見分に、鍛冶は心臓の止まる思いがした。
(違っていてくれ)
祈った。
「マルヒは」
「逃げた。そっちだ」
「捕まえた、押さえたぞ」
後ろから罵声が聴こえる。
「盾持ってこい、救急車を回せ」
虫に見えたのは、全身黒ずくめの突入隊であろう数人の男だった。後ろの罵声は、機動隊の出動服を着た警官だった。
「足持て。いくぞ。いち、に、さん」
撃たれて倒れた標的は、機動隊員によって担架代わりの盾に載せられた。機動隊員のマグライトの光が、担架の上の標的をちらちらと照らす。マグライトでは明るすぎる。投光器では暗すぎる。少女のような体躯の標的は、体中に植物の種子のような物を付着させている。『ニコン』のストラップをけさ懸けしている。登山靴を履いている。早苗だった。
「剣城っ。剣城っ」
運ばれる早苗に鍛冶は大声で呼びかけたが、聴こえているのか聴こえていないのか分からない。
盾は全長が短く、小柄な早苗でも膝から下が余って直角に曲がり垂れている。早苗は盾の上で揺すぶられ、苦しそうに顔をゆがめている。きつく目を閉じている。白いブルゾンの腹の辺りが血で赤く染まる。紺色のパンツにも、色は分からないが血がにじんでいるようだ。
早苗を運ぶ機動隊員に付いて鍛冶は民家の正面に回り込んだ。民家正面では救急車が方向転換している。
「撃たれたんだ。こっちを優先しろ」
機動隊員を先導する虫が怒鳴った。救急車は後部の扉をはね上げ、救急隊員がストレッチャーを降ろした。
「移すぞ。いち、に、さん」
早苗を載せたストレッチャーは、すぐに車内に戻った。鍛冶は救急車の後扉開口部に手を掛けた。
「どこの病院だ」
鍛冶の問いに隊長らしい年配の男は答えず、逆に鍛冶に聴き返した。
「関係者?」
「同僚だ。『タイムス』の記者だ」
「付き添える?」
「連れてってくれ」
鍛冶は開口部に足を掛け車に乗り込んだ。
胸に消防司令補の階級章を付ける隊長が鍛冶の前から手を伸ばし、後部扉を引いて閉じた。
(「三十四 丸腰」に続く)




