三十二 足跡
三十二 足跡
鍛冶はすぐに私服警官に見つかった。私服警官は、旧式の機動隊用ヘルメットをかぶっている。半そでポロシャツの上に防弾チョッキのようなものを着けている。タブロイド判の新聞ほどの小さな透明の盾を手にしている。
「ここでなにをしている」
盾と反対の左手に持つマグライトで、顔を照らされた。
「弾に当たらないよう隠れてる」
「どこの社だ」
「あんたはどこの署?」
鍛冶も私服警官の顔にマグライトの光を当てた。
「退去しろ。ここは立ち入りを規制する」
「拒否したら」
「現行犯で身柄を捕る」
「容疑は」
「公務執行妨害」
新聞記者になって何度繰り返したか分からないやり取りを、鍛冶はこの日も展開した。いつもと同じ結果だったから、大型車両の陰から出た。
現場の民家は、鍛冶が到着した時と同じように明るく照らされている。人影はまったく見えない。警察関係者は物陰に隠れ、報道関係者は山道を下ろされていた。山道をふさいでいた黄色いテープもなくなっている。
私服警官は、鍛冶が山道入り口に出るまで付いてきた。山道入り口には新しい規制線が張られ、その外側に人だかりができている。黄色いテープに沿ってテレビカメラが横に並ぶ。鍛冶と私服警官が近づくと一斉にまばゆいライトを浴びせられたが、二人が記者と警察官と分かったようでライトはすぐに消えた。
「鍛冶さん」
テレビカメラの後ろに脚立を据えそれに載った大木が手を振っている。大木を動かすとせっかく確保した撮影の足場が他社に奪われてしまうから鍛冶が大木の元に行こうとしたが、満員電車の中のようにテレビ、新聞各社のカメラマンが固まっていて近づけない。鍛冶は大木に携帯電話を振って見せ、それを視認した大木が自分の携帯電話を取り出したのを見てから大木の番号を鳴らした。
「排除された。もう上に報道はいない。剣城はどうした」
〈荷物を減らすって言って車に戻りました。もう原稿は入らないだろうからって。その後に着信があったんですけど取れませんでした。コールバックしても剣城は出ません〉
「分かった。そこで引き続き頼む」
〈鍛冶さんは〉
「剣城と合流する」
電話を切って、鍛冶にも早苗から着信があったことに気付いた。伝言メッセージは入っていない。鍛冶もコールバックしたが、早苗は出ない。
山道入り口を先頭に並ぶ報道機関の車の前から五台目ほどに早苗の車が止まっているのは、鍛冶が到着した時に確認している。現地の支局を守る記者だから現場到着も早かったようだ。
車内は無人だ。周囲を見わたしたが、早苗の姿はない。鍛冶は嫌な予感がした。どこかで用を足しているのであってほしいと願った。
車列の後方に向かい歩いた。歩道には所々のり面から長いツタが伸びている。規制線の黄色いテープがのり面に沿って張られている。一定区間ごとに制服警官が規制線を守るように立っている。
早苗の車の二十台ほど後ろに止めてある自分の車に鍛冶は到達した。車列はずっと後方までつながっており、その途中に、大きな傘のようなアンテナを上空に向かって広げたテレビ局の中継車が何台か見える。
自分の車に乗り込み、鍛冶は携帯電話を確認した。新しい着信はない。早苗を呼んだ。出ない。
《反応しろ》
ショートメッセージを送った。しばらく待った。早苗からの反応はない。大木の携帯電話を鳴らした。すぐに出た。
「車に剣城はいない。おれは自分の車に戻った。その後なにか連絡はあったか」
〈ありません〉
「おまえが取れなかったっていう着信にメッセージは」
〈入ってません。捕まらないんですか。こっちからも剣城にコールしましょうか〉
「いや、するな。剣城が混乱する」
会社の社会部デスク席に鍛冶は電話をした。デスクが出た。
〈ああ、お疲れさん。版は降りたよ。動きがあればウェブの速報に載せるから朝までおれが不寝番で――〉
「――デスク、剣城からなにか言ってきてないですか」
〈電話があったな。版は降りたのかって。いや、もう締め切ったのか、だったかな〉
「姿が見えないんです。電話も取らない」
〈なんだって。こっちから呼び出してみるか〉
「やめてください。バッテリーが落ちると通信手段がなくなる。それに、音が鳴るとまずい場所にいるかもしれない」
〈まずい場所ってどういうことだ〉
「現場で規制線をめぐってお巡りともめてるんです。ついさっきも大幅に後退させられました。あいつ、規制線を踏み越えたかもしれない」
〈なんでそんなことに…〉
「詳しいことは後で話します。最後に剣城と会社の間でコンタクトがあった正確な時刻を調べてください。話の内容をよく思い出してください。いったん切りますよ」
鍛冶は荷物を最少限にして、車を離れた。山道入り口に向かって歩いた。
いてくれ――。
祈ったが、早苗の車は無人のままだ。
マグライトで車内を照らしてみた。早苗の抱いていたトートバッグが助手席にあって、開いた口からノートパソコンがのぞいている。一度は車に戻ったということだ。運転席の床に、かかとの低いミュールのような履き物が雑に脱ぎ捨てられている。会社のデスク席に電話した。デスクが出た。
〈最後と思われる電話は固定で受けてるから、正確な時刻は分からん。記憶の限りだが、社会面の締め切りより後、降版より前だ。それ以降に電話もメールも受けた者は地方部を含めおらん〉
「なんて言ってましたか。なるべく詳細に思い出してください」
〈すまん、分からん。さっき話した通りだ。ただ、これからなにかをしようっていうような印象だった。原稿はもう入らんということを確認するような感じだ。規制線を踏み越えてそうか〉
「可能性はあります」
〈トイレとかだといいんだが〉
「時間がかかり過ぎます。とにかく探します」
辺りののり面をマグライトで照らした。黄色いテープはたわんで横たわっている。右からも左からも制服警官に見られているのが分かる。小柄な若い女性記者を見なかったかとは、怪しまれ監視対象になるから聴けない。鍛冶はのり面を照らしながら、規制線伝いに山道入り口から離れていった。
再び自分の車までたどり着いた。トランクから軍手を取り出し両手にはめた。規制線伝いにさらに歩いた。大木の四輪駆動横を通過した。テレビ局の中継車を一台通過した。中継車は県内ナンバーだ。
規制線は延々と続いている。立ち番の制服警官の姿がまばらになった。報道の車列の最後尾は見えない。
ぬかるんだのり面に新しい靴跡が残っているのを見つけた。地域課の制服警官が履く革靴のものでも機動隊のブーツのものでもない。鍛冶は、大木の携帯電話を鳴らした。
「その後、変化はないな」
〈ありません。剣城、見つかりましたか〉
「いない。規制線を越えたかもしれん。どう思う」
〈越えた形跡があるんですか〉
「のり面に新しい靴跡がある。大きさから剣城のものじゃない。ただ、踏み越えたか、踏み越えようとした人間がいたのは間違いない。お巡りの警備も薄い」
〈そんな。勝手に行くとは思えないんですが〉
「おれは一度電話を受けてる。出られなかった。社会部デスクも電話を受けてる。締め切りか降版かの時刻を気にしてたらしい。踏み越えたのが剣城だけとは限らん。流れで他社に付いてった可能性もある。いったん踏み越えたから連絡が付けられないのかもしれん」
〈鍛冶さん、申し訳ありません。他社に付いていったかもしれないって話で今、思い出しました〉
「なんだ」
〈警官隊がぼくたちを山道から排除してた時、テレビの連中が、強行突入の絵が絶対必要だって話してました。剣城はそれを気にしてました〉
「おまえとはその話題でやり取りしなかったのか」
〈しました。強行突入の絵はそんなに大事なのかって聴かれました。テレビだとそうだって軽い気持ちで答えてしまいました。警察はなんで撮らせないのかって聴くから、特殊部隊の活動の様子を世間に知られると警察が手の内を明かすことになって犯罪者の利益につながるからだって答えました〉
「それで剣城は納得したか。よく思い出してくれ」
〈納得はしてました。でも、剣城はぼくがここの入り口から動けないのを知ってます。鍛冶さんはまだ山道にいると思ってます。他社が入ったとすれば、剣城も付いていってます。絵が動かない新聞じゃ突入のショットはいらないって、ぼくは剣城に教えられなかったかもしれません〉
「分かった。おれも入る。おまえはそこにいろ」
〈ちょっと待ってください。ぼくも行きます、入ります〉
「おまえが動いたら誰がそこを守るんだ。そこに張り付け。張り付いて剣城の帰りを待て。帰ってきたらおれに知らせろ。いいな」
踏み越えで失敗は許されない。一度失敗すると警官にマークされ、二度と挑めなくなる。鍛冶は、制服警官の目が届かない場所を選んで、ビニール製の黄色いテープを踏みつけのり面を駆け上がった。
(「三十三 閃光」に続く)




