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三 任務

   三  任務


「一課が開きました。管理官が対応します」

 広報室長がクラブに来て告げた時、『県民タイムス』を含め新聞各社とも締め切り時刻を過ぎていた。広報室に詰めていた記者は少し前に全員追い出されたから、間もなくなにか動きがあるだろうと鍛冶はその時を待っていた。

「幹事社はいますか。鍛冶ちゃんとこね。うちからは入らないから、『タイムス』さんに任せたよ」

 正式な記者会見の場を除いて、県警幹部による取材対応に広報室のメンバーは同席しない。広報室が担当幹部の発言にストップをかけたり、各記者の質問内容と紙面の内容を逐一チェックしたりするのを排除するためだと、鍛冶はずっと以前に先輩記者から聴かされた。

「また電話番ですか」

 早苗は不満そうな表情だ。

「いや、喜べ。おまえはおれの伝令係だ。おれに付いて一課に入る。そして、おれの指示通りに動く。幹事社の大事な務めだ。分かったか」

「はい。持ち物は」

「紙、ペン、電話、名刺」

 鍛冶に言われ、早苗はやっとブースの席から腰を上げた。


 エレベーターホールにはすでに記者十人以上が集まっている。降りてきた空のかごに乗ると、すし詰めに近い状態だ。最後に『極東通信』の、ちょっとなよなよしたキャップが、携帯電話でどこかと通話しながら駆け込んできた。

「エレベーターに乗っちゃうんでかけ直しまあす。あ、切れちゃった」

 なよなよとした口調だ。

「えええ、なんでえ。新幹線でだってスマホ通じるじゃん」

 鍛冶は耳を疑った。クラブ員でもない自社の一年生記者である早苗が、他社の、早苗にとっては年上かつ先輩に当たる記者に向かって吐いた言葉だと信じたくなかった。『極東通信』キャップは驚いた顔で早苗を見下ろす。ほかの記者も、なにが起こったか分からない様子だ。

「おまえ、ちょっとしばらく黙ってろ」

 鍛冶の指示に早苗は、訳が分からないといった表情で鍛冶の顔を見上げた。

「だって、新幹線だと発車のベルが鳴ってドアが閉まっても」

「うるさい。しゃべるな」

 凶悪犯罪とみられる事件の取材に向かうというのに、上昇するかごの中の記者は、怒った鍛冶と怒られた早苗以外、全員が苦笑しているようだった。


 捜査一課で報道対応に当たるのは、この春、刑事部の別の部署から異動してきた、畠山(はたけやま)という警視の管理官だ。記者の出入りが許される扉を開けると、真正面に机をこちらに向け座っている。その前に、ソファセットがある。報道機関は捜査一課には、同時に一社一人しか入れないルールがある。幹事当番の会社だけは、連絡要員として一人随行できる。

 警察官人生の大半を刑事畑で過ごしてきたという精悍な表情の畠山は、机の上に両肘をつき、両手を鼻の前で組むいつもの姿勢で鍛冶たち記者を待ち構えていた。

 ソファには年齢やクラブ所属歴の古い者から順に座る権利が与えられる。鍛冶は座った。早苗は立たせた。

「発生から時間が経過しているから、まず時系列で概略を説明する。いいか」

 畠山は集まった記者を見わたす。

「お願いします」

 幹事の鍛冶が答えた。

 第一発見者かつ通報者は、被害者である妻と連絡が取れないから心配し職場を早退した、団体職員の夫だ。現場は夫婦二人で暮らすアパート二階の一室で、妻は妊娠八カ月。胎児は腹の中でこと切れていた。死因は腹部を中心に複数認められる刺創による出血性ショック。回収済みの刃物は、被害者宅で使用されている物ではない。刃物から指紋は採取できない。死亡推定時刻は不明。夫婦仲は悪くなかった。複数の関係者を呼んで任意で事情を聴いている。

 栗坂が現場から上げてきた断片的な報告と合致する。

「死体の発見場所はどこですか」

「居間として使っている部屋だ」

「刺された場所も居間ですか」

「何者かに刺されたとして、そこから大きく移動した形跡はない」

「胎児が腹から引きずり出されたりなどは」

「腹の中のまま」

「夫は警察と消防のどちらに先に通報したんですか」

「消防が先」

現場到着(げんちゃく)したのはどちらが先ですか」

「同じく消防」

「消防到着時の被害者の状況は」

「母体は心肺停止、胎児は不明」

「胎児の生死が分からないまま消防は病院に搬送したという解釈でいいですか」

「それでいい」

 机に両肘をついたままの畠山は、姿勢も表情もまったく変えない。卓上のノートパソコンは閉じたままで、なにかのメモのようなものを確認している様子もない。

「マルヒは単独犯ということでいいですか」

「不明。事件性があるとして、単独の場合と複数の場合の両面で捜査している。事故か自殺の可能性もまだ捨てていない」

「聴取に呼んでいるのは誰と誰ですか」

「関係者だとさっき言ったろ」

「なん人呼んでるんですか」

「順次対象者が増えているから、今なん人目なのか分からん」

「これまでに呼んだ関係者の中にマルヒはいますか」

「いる可能性といない可能性の両面で調べている」

「夫による自作自演ということは」

「全ての可能性を検討している」

「部屋を荒らされた様子は。なくなっている物は」

「真犯人による秘密の暴露が意味をなさなくなるから答えられない。記者なら分かるな」

 早苗には分からないだろうと鍛冶は思った。

 真犯人と警察しか知らないはずのことが報道されると、容疑者が、新聞やテレビで見たことや接見の弁護士から聴いたことをしゃべっただけだと後になって供述をひるがえす恐れがあるという理由で、警察は「真犯人による秘密の暴露」を重用し、それを伝家の宝刀のように持ち出し情報の流出を食い止める。

「夫からも聴取してますね」

「している」

「夫の身柄はどこですか」

「警察の関連施設に呼んだ。今どこにいるかは言えない」

「北署ですね」

「呼んだのは警察の関連施設ということだ」

 記者から質問がばらばらと乱れ飛ぶ。しかし、どの社も朝刊の締め切り時刻を過ぎているから、殺伐とした雰囲気はない。

「マルヒの侵入経路と逃走経路は」

「いるとすれば、いずれも玄関と見ている」

「玄関の扉の施錠の状態は」

「普段は施錠している。夫の帰宅時は開いていたと夫は記憶している」

「チェーンロックのような二重のかぎは」

(ユー)字型のドアガードが設置されている」

「夫の帰宅時にはそれもかかっていなかったんですね」

「構造上、ドアの外からは操作できない。かかっていなかった」

「死体に防御痕は」

「秘密の暴露」

「刺し傷以外の受傷は」

「同じく秘密の暴露」

 質問が捜査の核心に差し掛かると、畠山は「秘密の暴露」を連発する。

「一課からなん人出てるんですか」

「強行犯係の一班七人」

捜査本部(ちょうば)は」

「北署に置いた」

「専従捜査員の陣容は」

「うちからの七人と、北署の刑事課を中心に十人強。合わせて概算二十人」

 少ない。

 鍛冶は首をひねった。警察はこういう質問には、大風呂敷を広げて多めに答えるはずだ。多めに答えて二十人というのは、胎児を含め二人が死んだ事件としては小規模過ぎる。容疑者の目星は付いているのであろうと鍛冶は推量した。ほかの会社の記者も陣容の薄さに疑問を抱いたはずだか、誰もそのことを口に出さない。

「あしたから、いや、もうきょうですね。今後の捜査の主眼は」

「必要な捜査を適切な方法で行う」


《報道メモはまだ出るか 広報室長に聴け》


 管理官対応に幕を引くような質問が出てきたから、鍛冶はあわてて取材用の大学ノートにメモしてページを破り取り、早苗に「急げ」と言って渡した。

「もういいか。そろそろ帰らせてくれよ」

「ちょっと待ってください。凶器の刃物はどういう状態で見つかったんですか」

 他社の記者によけいなヒントを与えてしまう危険を、鍛冶は冒さざるを得ない。他社の記者も、全体取材でのこの手の質問はあえて控えているはずだ。

 あけぼの北署の副署長名義で出ている報道メモが打ち止めになり捜査一課の管理官にも帰宅されてしまうと、取材の公式な窓口がなくなる。そうすれば、幹事として各社からの矢面に立たされよけいな仕事が増えることになりかねない。幹事として参画しなければならぬ全体取材は、この一度だけで終わらせたい。

 一斉に鍛冶に集まった各記者の視線は、すぐに畠山に戻った。

「刺さっていた」

「救急隊員が抜いたんですか」

「刺さったまま搬送され、病院で回収した」

 各社の記者の目の色が変わった。本来なら個別取材で聴き出すべき内容だ。鍛冶は、手中を明かさなければならない幹事当番であることを恨んだ。他社の記者にも恨まれたであろう。幹事の役回りとはそんなものだ。

「刺さっていた部位は」

「腹」

「胎児を狙った様子ですか」

「分からない」

「被害者が妊婦だと知っての犯行ですか」

「分からない」

「被害者の体型は。一目で妊婦と分かりますか」

「中肉中背。一般的な妊娠八カ月の女性の体型だ」

「複数の刺された跡は、いずれも同じ刃物によるものですか」

「調べている段階」

「刺さっていた刃は上を向いていましたか、下を向いていましたか」

「秘密の暴露」

「救急隊員も病院関係者も見てますよ。秘密の暴露には当たらない」

「そうか、そうだな。下だ」

 鍛冶が取っているノートの上に、横から紙切れが差し出された。早苗のメモだ。


《現在のところ続報の予定なし 管理官対応後 広報室を閉める 室長》


 女性らしい整った速記だ。鍛冶は早苗の手書き文字を初めて見た。

「刺してえぐった痕跡は」

「秘密の暴露」

 報道メモが打ち止めになった以上、この場で聴けることは全て聴かなければならない。自分しか気づいていないであろうことをおくびにも出さぬよう細心の注意を払いながら、幹事としてのよけいな仕事を増やさないために、鍛冶は取材を引き延ばし、管理官の退庁と広報室が閉まるのを遅らせた。

「刃物の特徴は。刃渡りは」

「秘密の暴露」

「刃物からマルヒの指紋は採取されていないんですね。血痕は、汗は、DNA(ディーエヌエー)は」

科学捜査研究所(かそうけん)に鑑定を依頼してる。そんなのすぐには出ないってことくらい、ここにいる記者なら分かるだろ」

 冷静沈着な畠山に疲れの色が見えだした。鍛冶は潮時だと悟った。自ら質問を繰り出すのをやめた。

 その後、いくつかのどうでもいい質問が出て、畠山はどうでもいい回答をした。ソファに座る年長者ばかりで顔を見合わせた。全員、鍛冶に向かってうなずいた。

「管理官、遅くまで申し訳ありません。ありがとうございました」

「うちらもあんたたちを締め出してたからね。お互いさまだ」

 幹事の鍛冶がわびると、畠山はゆるりとした口調で答えた。畠山の最後の一言で、鍛冶は確信した。容疑者はもう警察の手のひらの上だ。

 鍛冶はソファから立ち上がった。各社の記者は、急く様子もなく部屋の出入り口に向かう。

「管理官、名刺だけ受け取ってやってください。クラブ員じゃないんですけど、うちが幹事なんで応援に呼びました」

「ああそう」

「『県民タイムス』の剣城早苗です。警察のことはなにも分かりませんが、よろしくお願いいたします」

「はいはい。早く鍛冶さんと交代してこっちにおいでなさい」

 畠山は机の引き出しを開けて名刺を一枚取り出し、早苗のものと交換した。

 捜査一課の広いフロアを、鍛冶は見わたした。所々照明が消えている。ともっている明かりの下では、花形捜査員が、いつ終わるとも知れないデスクワークに忙殺されている。午前2時半を回っていた。


 記者クラブに戻ると、事件現場や所轄のあけぼの北署に出ていたらしい各社の記者が戻っていた。栗坂の姿はない。

「ありゃ、栗坂のこと忘れてた。あいつまだ現場にいるのかな」

 鍛冶は、ズボンのポケットから携帯電話を取り出し栗坂の番号にかけた。

「まっさかあ。締め切りなんてとっくに過ぎてるんだから、もう自分の判断で戻ってるでしょ」

 早苗は笑うが、クラブにいないということは指示に忠実に従い現場にいるとしか鍛冶には考えられない。

「栗坂、今どこだ」

〈現場のアパートが見える位置に車を移動して、車内です〉

「そうか。どんな様子だ」

 任務でこの時間まで居残らせているのだと、鍛冶は栗坂をうまく口車に乗せなければならない。

〈警察関係者以外の出入りはありません。その警察関係者も、もうほとんど姿を消しました。現場は規制線が張られたままで、北署の地域課のパトが一台いるだけです〉

「他社はいるか」

 答えが分かっていることを、鍛冶は尋ねなければならない。

〈いませんねえ。車も止まってませんし〉

「よし、戻ってこい」

 あけぼの北署に遣わせた社会部の「できる方」の記者は、デスクの許可をもらって早々に署を引き上げていた。

 早苗は、現場から戻ったらしい『エヌ』の女性記者に誘われたようで、共用机の端に並んで座り、クラブの共用湯飲みで茶をすすっている。鍛冶は二人の会話に耳を傾けてみた。新幹線車両内とエレベーター内の、携帯電話の電波事情について論じ合っているようだ。ファクシミリを持ってこさせた時の早苗は『エヌ』の女性記者に気後れしているように見えたが、もはやその片りんはなく、鍛冶が心配になるほど堂々とした態度に豹変している。

「こら、剣城。おまえまだそんなこと言ってるのか。そういう恥ずかしいことをよそさまの前で口にするなってさっき優しく指導してやったろ。おまえの論理だと、エレベーターで東京から博多まで行けるのか。ちりんちりん鈴鳴らして弁当売りやらアイスクリーム売りやらが巡回してくるのか。グリーン席もあるのか」

「そんなの鍛冶さんの屁理屈ですよ。透明なガラスの小窓が付いたエレベーターだって、全面ガラス張りのエレベーターだってあるじゃないですか。ああいうのも乗ったら電波が届かないんですか」

「知るか。あ、それからおまえ、『極東通信』のキャップにタメ口利いてたな。なんでえとか通じるじゃんとか」

「鍛冶さん、いいんですよ」

 なよなよした『極東通信』キャップが、鍛冶のいつもの冗談と分かっている様子で、鍛冶をなだめるふりをする。

「いやいや、こういうことはしっかり教育せんといかんのです。甘い顔してるとつけ上がりますからね。エレベーターのことを『極東通信』にわびろ。新幹線のことはおれに謝れ」

 早苗は同じ一年生である『エヌ』の女性記者と、「ねええ」などと言って幼い子ども同士がよくやる、同調を確認し顔を傾け合う仕草をそろってした。そして、冗談と誰もが割り切っている鍛冶の叱責を、当然のごとく受け流した。

 新聞は朝刊の締め切り時刻を過ぎ、テレビは事前収録の深夜番組を垂れ流している時間帯だから、記者クラブに緊張感はない。二十四時間連続でニュースを放送する衛星チャンネルを持つ在京民放テレビ局も一地方の殺人事件程度には時間を割かないし、事件が進展しなければ、テレビ局も新聞社も、インターネットで速報を発信することはない。

 鍛冶を含め各社の記者は、未明まで続いた激しい取材と出稿合戦を終え、疲れで心身ともに弛緩していた。


(「四 動機」に続く)

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