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その4

サバイバルの基本は「水」「火」「食料」「基地」。

この4つが揃えば生きていける。逆に言えば、揃わないうちは何もできないってことだ。

いま、アイヴィーとシンに欠けているのは…基地以外の全て。その基地だって、家賃が払えなければいずれ追い出される。

待っていても何も手に入らない。

頭と身体を使って、外に出て獲得するしかないんだ。


「並ばないで。これ完全予約制です。順番に用意しますから、ここに名前と連絡先を書いていってね。次回からは、お店のSNSからメッセージで連絡をいただいても大丈夫です。…はい、ありがとう!じゃあ、20分後ね。」

高円寺エトワール通り。

スーパーマーケットのちょうど前あたりに、アイヴィーが上京した時からお世話になっているスープカレー屋がある。

食事どき。店の前に机を並べて、簡易屋台のできあがり。

どのお店も、損失を最小限に抑えたいと必死だ。

スープカレー屋のテイクアウトは大人気だった。

徹底して行列させないシステムを作っているので、混乱も密集もない。お客さんが続々とやってきては、ほかほかのスープカレーが入った容器をビニール袋に入れて帰っていく。

「マスター、もうすぐ完売?」

アイヴィーが店の奥に声をかけた。マスクをして、パッチでカスタムしたいつもの黒いパーカーに借り物のエプロン姿。赤い髪は束ねて頭の上でまとめてある。

高円寺に溶け込んでいるといえば溶け込んでいるけど、見る人が見たらそれがアイヴィーだとは一目瞭然だ。

普段はニヒルなマスターが、清々しい笑顔を見せながら彼女に向かって親指を立てた。

奥さんによれば、ここ数日はかなり落ち込んでいたんだって。

お客さんが来ない。売上も、もちろん厳しい。

けど、一番つらいのは「みんなの役に立ってない」と自分が感じることなんだ。


子供の世話で店頭に立てない奥さんに代わって、アイヴィーがテイクアウト担当を買って出た。一日ほんの2時間のバイトだけど、何もしないよりずっといい。

マスターが新しい容器を持って、外に出てきた。

「アイヴィーの言う通りだったな。」

「でしょ。みんなが求めてるのは“普段のマスターの味”なんだからさ。こんな時だからって、アタシがいつもの歌を歌わなかったら変でしょ?それと同じ。」

「まったくだ。」

数日前まで「持ち帰ってすぐ食べるのに便利だから」と、普通のカレーや唐揚げ弁当を店頭販売していたマスターに「いつものスープカレーを出しなよ。多少持ち帰りが大変だって、関係ないから」と進言したのはアイヴィーだった。

弁当の時は1日に5個売るのがやっとだった。今日は用意するのが追いつかなくなる勢いだ。アイヴィーもSNSで告知をして、仲間たちが買いに来てくれた。まさに大逆転。

「まあ、でも今日はご祝儀ってこともあるからね。今は地元の人しか来ないから、だんだん飽きられたりもするし。たまにメニューを変えたり、常に考えながらやらないとダメだよ。」

「ああ、その通りだな。こういう時期だと、どうしても消極的になるし、頭も回らなくて。アイヴィーの大胆な意見が、俺の目を覚ましてくれたよ。ありがとな。」

「なに、言ってんの。マスターにはさんざん世話になってるんだし、ここはアタシたちのホームなんだから。潰れてもらっちゃ、困るもんね。」


ロックっぽいファッションでキメた若い二人組が、チラッとこっちを見ながら目の前を通り過ぎた。通り過ぎると振り返り、こそこそ話しながらアイヴィーを指さして笑っている。マスターはそれを見逃さなかった。

「アイヴィー。お前、いいのか?」

「なにが?」

アイヴィーはいっときマスクを外し、額から流れる汗をタオルで吹いた。久々の労働、やっぱり心地いいな!

「お前がここでカレーの販売なんかしてたら、“落ちぶれた”って思われるんじゃないのか?何たってお前は…。」

「なんだ、そんなこと。」

アイヴィーは事もなげに笑い飛ばした。

「マスターは、アタシが昔メジャーにいたから、そこと比べての話をしてるんでしょ?」

「…ああ、そうだな。」

「メジャーの方が飲食業やアルバイトより偉いとか上だとか、何の根拠もないし意味もないよね。そりゃ、人とは違う経験をさせてもらったとは思ってるよ。でも労働の価値は、それがどんな仕事であっても変わらないでしょ。」

「そりゃそうだが…。」

「いま自分にできることを、精いっぱいやる。アタシはその繰り返しで生きてきたんだ。今はカレーを一生懸命売るのが仕事で、誇りを持ってやってるよ。気持ちで言ったら、メジャーの時よりずっと健全かもね。」

そう言って、彼女はケタケタと笑った。

「そうだな、お前はずっとそうやってきたよな。俺たちや周りのみんなも、そんなお前にパワーをもらえるんだ。」

「まあ、アタシは歌を聴いてもらえたら、それ以上は影響力とかは望んでないんだけど…日々こうやっていればさ、アタシの歌が好きで応援してくれる人も“アイヴィーががんばってるから、自分もがんばろう“って、思ってくれるんじゃない?それで元気になってくれれば、嬉しいよね。」

「間違いないな。」

「みんなで、がんばればいいんだよ。今の状況もそうだし、普段からだってそうだよ。」

アイヴィーはPAL商店街の方に目をやった。

「ほら、また来たよ。」

遠くから「ズギューン!」のドラマー・ショージが、マスクをずりさげたまま走ってくるのが見えた。

「アイヴィィィィ~!買いに来たぞぉぉぉ~!」

「ショージ、ツバ飛ばすな!アンタ、何のためのマスクよ!」

いつも通りの、漫才みたいな掛け合い。

マスターは頭をかいた。

“やっぱり、かなわねえなあ”


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