4、その意図
4、その意図
私は自分の名前が嫌い。真白だなんて、何も無い白紙のようで嫌。
私はその名の通り真っ白で昔から自分が無い。いつもすぐに流されてすぐに誰かの色に染まってしまう。それで痛い思いも沢山した。
だからもう、誰かに染まる事はしない。そう決めた。
そんな私の名前を、6年もの間ずっと呼び続けた人がいる。
私には付き合って3年になる彼氏がいる。友達に半ば無理やり入れられた大学の園芸サークル。そこで彼と出会った、2つ年下の木原 葵。
彼はいわば観葉植物。草食を通り越して、自力で光合成しているかのような人だった。
その彼が突然、自分は吸血鬼だと言い出した。
「それって、吸血鬼だから付き合えないって事?」
「やっぱりそう思うよね?」
私はルームシェアしている友達に相談した。高校生の時からの友達、優理とチエ。
優理は黒髪にボブヘアのお姉さん的存在。チエは茶髪に少しクセのあるショートヘアで妹的存在。自らを稲高三姉妹と言って、大人になった今でも三人でいる。
今夜もチエの手料理とワインで、女子会と称してリビングで晩酌をした。
「何か他に意図があるのか……はたまた本気か」
「まさか!」
吸血鬼なんているわけが無い。私があと10歳若かったら多少は信じたかもしれない。だけど、今の私にはそんな話とてもじゃないけど信じられない。
「何で……葵君と付き合うのOKしちゃったんだろう……全然タイプじゃないのに……」
葵君は地味な非リアを装ってるけど、女顔の柔らかい雰囲気で実はそれなりにモテる。大学の時にも何人か狙っている女の子はいた。でも本人はそれに全然気がつかない所が可愛い。
正直言って、私にとって葵君の優先順位は低い。本当は私自身、葵君と3年も続くとは思わなかった。まぁ、葵君とは付き合うというより時間が空いた時の遊び相手?親戚の弟?そんな感覚。一応、夜は誘えばしてくれるけど葵君からは絶対に手を出して来ない。むしろそれってセフレって言うんじゃない?
「葵君、いい人じゃない。なんて言うか……無害?とにかく無害?」
「今までが酷かったもんねぇ……」
そう、今まで付き合った人が酷かった。薬中、オカルト信者、DV、モラハラ……その中では、葵君はダントツで一番マシ。
「うん、一番マシなだけ」
マシというだけで、本当に好きかどうかと訊かれると疑問すら覚える。
「でも、プロポーズされなくて凹んでるんじゃないの?」
「そりゃあね、私だっていよいよかなって覚悟するじゃない?プロポーズって心構えが必要でしょ?」
「いや、そこは普通サプライズじゃないの?」
チエは私に美味しそうなラタトゥイユを小皿に取って渡してくれた。
「目の前の物を出されるより、見た事無いものの方がいいんじゃない?」
「ありがとう。そんな事無い。事前にわかってた方が安心。安心第一。私結婚するならチエと結婚したいよ」
チエの料理はめちゃくちゃ美味しい。このためなら頑張って働けそう。
「残念~チエには彼氏ができました~」
「嘘!どこの誰?」
詳しく話を聞くと、同じレストランで働くシェフと付き合う事になったらしい。チエはランチタイムの終わりに行った時に少し話をした人だと嬉しそうに教えてくれた。
「チエ、良かったね~おめでとう~!」
「ありがと~!」
チエの彼の印象は、地味だけど誠実で真面目そうな人だった。チエとは息もピッタリで、同じ料理人同士有益な関係だ。
私達とは違って、お互いを尊敬し合える仲で羨ましい。
「とうとうフリーは私だけか~焦る~!出会いが無いんだよねぇ」
「SNSに気になる人がいるって言ってなかった?」
「ああ、あの人?」
そう言って優理は携帯をいじり始めた。
「葵君ともこれまでかな……」
「何言ってんのシロちゃん、ちゃんと話し合ったら意外とうまくいくって」
「そうかな~?」
冷静になって、葵君の言葉を少し考えればわかる。
自分が吸血鬼である事を信じて欲しい。それが、葵君を信じる事になる。
つまりは、自分を信じて欲しい。
信じるって何?
私が今まで付き合って来た人は、俺に従え!俺色に染まれ!そうゆう人ばかりだった。だからもう、私は自分の概念や思想を変えられたくない。男を信じて報われた事なんか1度も無い。
葵君を吸血鬼だと信じる事が、葵君の隣にいる条件なら…………それならもう…………
せっかく無害な葵君と付き合ったのに……。逆を言えば、葵君だから3年も続いた。それは、全部葵君の努力が故。葵君が全部私に合わせてくれただけ。そんなのわかってる。
私が折れた事なんか1度も無い。見たい映画も行きたい場所も、食べたい物もして欲しい事も。
葵君はただ、黙って隣にいた。きっと我慢の限界が来たんだよね……。
すると、突然優理が携帯を見て微妙な顔をした。
「あ……」
「え?どうしたの?」
「葵って案外浮気者だったりして……ほら、ここ」
私はあまりSNSをやらない。一応登録だけはしたものの、ほとんど手をつけていなかった。優理は葵君と友達登録していて、望んでいなくても葵君の動向を教えてくれる。
優理は『大竹 律子』という人の投稿を見つけた。
「幼なじみの叔母さんの畑の手伝いだって」
「本当だ。これ葵君だね。優ちゃんよく見つけたね~これ、葵君の幼なじみ?幼なじみいたんだね~シロちゃん知ってた?」
私は首を横に振った。
幼なじみ?そんな人、全然知らない。
葵君に幼なじみがいるなんて事を聞いた事もないし、ましてや紹介された事もない。
優理の見つけた投稿の写真には、何枚もの畑の写真と葵君らしき人が小さく写っていた。
そこには、私の知らない葵が写っていた。それが何だか急に……葵君を遠く感じた。
3年も付き合って初めて、葵君の幼なじみの存在を知った。
キッチンでトースターの終わる音した。チエはキッチンへ行くと焼きたてのキッシュを持って来てくれた。
「大丈夫だよきっと。葵君に限ってそんな事ないよ」
「そぉ?人は見かけによらないでしょ?葵君みたいな爽やか笑顔青年とか逆に中身真っ黒でしょ」
「優ちゃんそれ偏見!」
葵君の中身って…………何だろう?私には、あの笑顔から何も見えて来ない。
「あれ?シロ、嫉妬?」
「はぁ?嫉妬?そんなのする訳ないじゃん」
私に嫉妬する資格なんか無い。
私はキッチンから台拭きを持って来て、テーブルを拭いた。
「嘘。絶対幼なじみの存在にかなり動揺してるよね?」
「シロちゃんってわかりやすいよね。不安になるとすぐテーブル拭きたがるから」
「え?嘘……」
思わずテーブルを拭いていた手が止まった。
「い、いやこれは、その、ここ、ここが汚れてたから……」
「まぁまぁ、飲め飲め」
「えのきのバター醤油炒め取ってあげようか?」
「キッシュがいい」
二人はワインを注いだり、料理を取ってくれたりしてくれた。チエのキッシュはほかほかで温かくて、ベーコンの塩味とほうれん草がふわふわ卵と合ってすごく美味しかった。
「案外すぐにプロポーズされたりしてね~え?じゃあ私だけ1人!?それはマズイ!」
「元彼は?連絡あったって言ってたよね?」
「シロちゃんそれ禁句……」
優理の元彼からの連絡は、結婚したという報告だった。え?それ本当なの?知らなくてごめん……。
「あいつ、別れてすぐ結婚って絶対二股だった!最っ低!」
「まぁまぁ、もっといい人見つけよ?」
私も優理にワインを注いだ。優理はワイングラスを置くとソファーの下に座り足を伸ばした。
「でもさ~この3年はずっと平和だったよね~」
「確かに~あっという間に3年経ってて怖い」
「違うよ。シロが殴られて帰って来ないし逆に監禁されたりしないし、泣いて帰って来ないって話」
3年前までは二人には迷惑かけっぱなしだった。
「その節はご迷惑をおかけしました。二人とも、あの時はありがとう。あと……いつも、ありがとう」
「も~!可愛いな~シロ!その甘い顔、葵君にもしてあげなよ?」
「それ……無理……」
今思えば、葵君と付き合いだしてから辛い事も悲しい事も無くて、すごく平和で幸せだって事に気がついた。




