32、重い
32、重い
『その半分にどうか、僕達を入れてくれないかな?』
葵君の言葉とりっちゃんの涙に、未来をちゃんと見よう、そう思った。
恋をしたら盲目になる。それは良くも悪くも自分を見失う。だけど、自分が自分でいられなくなるのは未来を見ていないからだった。
私の今までの失敗は、今しか見ていなかった事。
誰と付き合っても、未来は見えなかった。見ようとしてなかった。
私はこの先、葵君とどうなっているんだろう?どうなりたいんだろう?そう考えた。
窓から暖かい光が差し込んでいた。その光に、透明な石のついた指輪をはめて、窓から見える冬の空にかざして眺めた。青い空にその指輪はキラキラと光輝いていた。
もしかして、これが幸せという正解なのかな?
「おはよう、真白さん」
「おはよう、葵君」
葵君がいつもの笑顔で私を起こしてくれた。
「ねぇ、お正月……私の実家に一緒に行かない?」
「え……それって……それって……」
それからあっという間にお正月が来て、葵君と実家へ挨拶に行った。葵君は、もうギャグかと思うほどきっちりして、緊張しまくっていた。
葵君が来る。そう聞き付けた親族が次々とやって来て、葵君はその1人1人に私への想いを語っていた。その想いの重さに両親は軽く引いていた。
重い……。重過ぎるよこの印鑑。
「この契約書、クーリングオフはできますか?」
「その時は離婚届けを提出してください」
「真白さん、何今さら迷ってるんですか?」
そりゃ迷うでしょ?結婚は一生の事なんだよ?
とうとう私は……私、高岡真白は葵君と結婚する事となりました。
挙式の日取りも決まり、トントン拍子に進むとはこの事で、怖いくらいだった。そんな中、葵君の両親のお墓参りと、唯一の親族のおばあ様にご挨拶へ行った。
緊張しつつ、古い洋館のお家を訪ねると……杖をついた老婆が出迎えてくれた。それは正に……魔女。
そう思える風体だった。
「初めまして。高岡真白です」
そして、そのおばあ様が私に、最初にかけた一声がこうだった。
「雪女か……」
えぇっ!?
「おばあちゃんいきなり冗談はやめてよ。真白さんが驚くよ」
あ、冗談なんだ……
「冗談だよ。あんまり肌が白いからそう思っただけだよ。吸血鬼と雪女の夫婦なら魔力の強い子が生まれそうだねぇ」
また冗談?それ冗談だよね?どう反応すればいいの?
「おばあちゃん、今日はヘルパーさんは?」
「もうすぐ来るだろうよ」
「僕、お茶入れて来るね。真白さんその辺座ってて」
私は軽く会釈をして古いソファーに座った。どこもかしこも古く、本物のアンティークに囲まれたお家だった。写真でしか見た事の無い、昔のお金持ちの家という感じ。実は葵君資産家の孫?いや、でも本人は苦労人って感じだし……そんな事を考えつつ、何か話さなければと思っていたら、おばあ様が口を開いた。
「名前……なんて言ったかい?」
「真白です」
「真白さん……やっと会えた。会えて良かった」
それはまるで、私がここに来るのがわかっていたような口調だった。
「葵は明るいけど、暗い部分も多い。あんたの存在は……あの子がやっとみつけた希望。どうか葵を大事にしてやっておくれ」
そんな風に言われたら、こう答えるしかない。
「はい」
私は誓いの言葉のようにしっかりと返事をした。
「大事にします。大事にするので、葵君をください。お願いします」
すると、おばあ様は本棚から一冊の古い本を出そうとしていた。私がそれを手伝おうとすると、おばあ様の手が私に触れた。その瞬間、おばあ様は固まった。
あ……見えたんだ。そう思った。葵君と同じ。触れた瞬間一瞬固まる。おばあ様は『見えた』反応をした。
我に返ったおばあ様は手に取った本を私に渡してくれた。
「これは?」
葵君のアルバム?……とも違う感じだった。
「持っておゆき。必ず役に立つものだから」
「え?これを?いいえ!いただけません!だって私、これ少しも読めないし……」
表紙の文字は何語かさえわからなかった。
「いいんだよ。この言葉を教えよう」
『デビルイリス、その契約に基づき、姿を現したまえ』
すると、どこから?どこから来たの?
気がつくと、目の前には燕尾服を着た痩せた男の人が立っていた。
「お呼びですか?椿様」
「イリス、これからこの本の持ち主ははこの子になった。仕えておやり」
はぁ?!
「かしこまりました。椿様の命により、今からあなた様の使い魔となりました。イリスと申します。以後、何なりとお申し付けください」
「今日はもう下がっていいよ」
そう言うと、その人は煙になって姿を消した。え?何これ?ファンタジー?どうゆう事?
「驚いたかい?うちは代々そうゆう家系でね。あの悪魔は女にしか使えないんだよ。だから、葵が嫁になる子を連れて来たら、是非とも受け継いでもらおうと葵の母親と話していたんだよ」
おばあ様は紙にさっきの言葉を書き留めて、本に挟んだ。
「真白さん、これはもうあなたの物。使おうが捨てようがあなたの自由だ」
「でも……」
「あの子は血が薄いから魔力は無い。だけど、私の血を受け継いで過去や未来、他人の時が見える。見える者は他人を寄せ付けない。だから、いつも孤独でね。だから、どうか命の限りあの子の側にいてやっておくれ」
命の限り……?
それは、すべて悟ったような、深い深い慈悲深い微笑みだった。
そんなおばあ様の笑顔が重圧で……そんな変な物をいただいてしまった重圧もあり……
印鑑を押すべきかどうかを迷いに迷っている。
印鑑を押すのはトラウマ。押せと強要された事が何度もある。役所の片隅で、婚姻届けを眺めていると、葵君が呆れて言った。
「ねぇ、僕が病気になって手術って事になってもそこまで悩むの?」
「悩むよ!余計悩むよ!」
「でも、それ出さなきゃ同意書も書く事はないけどね」
そっか……じゃあ、提出しよう。
たとえ、その同意書を葵君に書かせる事になっても……
あの後、お茶を運んで来た葵君に、おばあ様が車椅子を取って来て欲しいと葵君にお願いしていた。
「悪いねぇ……いつもはヘルパーさんに取りに行ってもらうんだけど」
ふと、使い魔の事を思い出した。
「あの、もしかしてあの人がおばあ様の身の回りのお世話をしていたんじゃないんですか?それなら尚更これ、いただけません。」
「それなら大丈夫。使い魔は他にもいるんだよ。でもね、……どんなに使い魔がいようと、ふれ合うなら人間の方がよっぽどいい」
人とふれ合って生きたいという所は葵君と同じだった。それなら、何が見えたのか聞きたい。
「じゃあ、さっき……何が見えたんですか?」
私に触れた後から、何だかおばあ様の雰囲気が暗くなった気がした。きっと、私の悪い所が浮き彫りになったはず。
「病気になる未来が見えた。毎年検診に行くんだよ?」
そうなんだ……。
「それでも、私は葵君の側にいてもいいんですか?」
迷走した過去に、葵君を置いて先に死ぬ未来でも、それでも側にいてもいいの?
「元々我々一族は長寿なんだ。真白さんの方が先に逝くのは当然な事だよ。それに……人の一生は、いつまで生きたかじゃなく、どう生きたかだよ」
おばあ様の重い重い一言が、私の背中を押した。
『この手で愛する人に何ができるのか』
私はその手で婚姻届に判を押した。
「できた。葵君、これからもよろしくお願いします」
「真白さん……こちらこそ。よろしくお願いします」
お互いに深々と頭を下げた。二人で提出すると「おめでとうございます」そう言われて、何だか嬉しかった。その重みが、何だか心地よかった。
これから長いか短いかわからない未来。私の望みは、その未来に葵君が隣にいる事。




