大納言殿
2010年。砂賀家について、新たな事実がわかった。
それは公家で大臣家のひとつ、郁芳家との繋がりが判明したということである。
今まで伝承の域を出なかったものの、郁芳家に伝わる古文書を解読してみた結果、砂賀家の初代当主の名前が出てきたのだ。
郁芳家は、京都の郁芳門そばに家を構えたことから、そのように称するようになった。
家紋は下りカズラで、京都市内、洛中に今も家を構えている。
代々、大納言の正官となったことから、大納言殿と呼ばれることもあった。
京都にある本宅は、今は西郁芳家が所有している。
明治新政府となり、天皇が東京へ奠都することに伴って郁芳家も移住することを決意。
だが、家から離れることや、将来のことについて不安もあった。
そのため、家を別けることとし、庶流となる西郁芳家、嫡流となる東郁芳家と別れることとなった。
なお、東郁芳家は伯爵がこのときに授けられることとなった一方、西郁芳家は庶流ということもあり、男爵となった。
郁芳氏は、2010年に判明して以来、総本家と呼ばれるようになる東郁芳家の伯爵、西郁芳家の男爵に続き、砂賀家の子爵、手野家の男爵の4つの爵位をもつ氏となるようになった。
特に東郁芳家は2010年来春雷会の名誉会長として遇されるようになり、西郁芳家は手野財団の理事の一席を任されるようになった。