六話~二度目の邂逅~
夕焼けが赤く照らす森の中をガタガタと揺れながら一つの影が走る。
それは例えるなら馬車の車体だろうか。
だが本来なら前方で車体を引く馬がいる筈の空間には何もない。
ただの車輪が付いた箱だけが最低限整備された道を時速20kmほどで通っている。
その内部、大人が数人乗っても余裕がある空間ではカズモリとハルカが話し合っていた。
「しかし凄いな。こんなサイズまでアイテムボックスに収納できるのか」
「うん、冒険者に普及してる種類だとこれくらいのサイズは普通に入るよ。『魔導馬車』がないと長距離の移動は不便だからね」
「ちなみに価格は?」
「市販されてるタイプならサイズによるけど平均で300万Gくらいかな。本格的な工房で作ったオーダーメイド品は1,000万G以上するって聞いたけど」
「よし、俺にとっては遥か雲の上の存在だということが良く分かったよ」
現状では手が届かない物だと知ったカズモリは苦笑しながらこの乗り物の便利さを実感していた。
二人が乗っている車体は『魔導馬車』と呼ばれるこの世界では割とメジャーな乗り物である。
普通の馬車と違い、馬の代わりに乗車している人物の魔力を消費して駆動するように改良を施したという代物だ。
内部で流した魔力を車輪に伝導させることで動かしており、速度や乗り心地は流し込む魔力量や質である程度は融通が利く。
「こんな物があるなら馬車なんてもう必要ないんじゃないか?」
「そうだね。馬車自体は今でも貴族の送迎や伝統的な催し物とかで使用されているけど、旅をするのに馬車を使う人は殆どいないみたい。私も見たことないしね」
そう答えながらハルカは自分の白いアイテムボックスから得物を取り出し、整備を始めた。
それは刀だった。
カズモリの目に最初に映ったのは持ち主の髪色と同じ薄い桜色の鍔。
日本刀特有の反り返った刃は鞘に収まっておらず、三尺以上あるだろう鈍い銀色の刀身を剥き出しにしている。
「カズ? どうしたの?」
「――ああ、珍しい武器だなと思ってさ」
「これ? まあ確かに刀なんて獲物にしてる人は珍しいかもね。私も殆ど見かけないなあ」
そう他人事の様に言いながらも入念に手入れをする眼は真剣そのものだ。
余談だがリバイブの街を出た直ぐ後にハルカはカズモリの事を「カズ」と呼び始めた。
一瞬戸惑ったカズモリだが、目の前の美少女に「カズモリって呼びにくいからカズでいいかな?」と聞かれて「ノー」と答える選択肢は存在しなかったので即座に了承した。
「そういえばカズの獲物は?」
「ああ……いや、俺には魔法があるからいらないな」
そういえばアイテムボックスにはショートソードが入ってたなあと思いながらも、あの獅子が複数相手では出番もないだろうと思ったカズモリはそう答える。
「魔法か……私は得意じゃないから少し羨ましいなあ。ねえ、カズはどの魔法に適性があるの?」
「あ~、代償、魔法、かな……」
カズモリは僅かに躊躇ったものの、結局は真実を話すことにした。
今回の依頼はこの世界初日のカズモリですら危険度が高いということが理解できるものだ。
依頼の成否に関わらず、魔法適正と不死の両方を隠し通すことは不可能だということは分かっていた。
膨大な種類の魔法を駆使すれば誤魔化せるのかもしれないが、この短時間で上手く嘘を貫けるだけの良いアイディアは浮かばなかった。
それに何より、彼女に嘘を吐くということに抵抗があった。
流石に不死だということまでは隠しておきたいが、魔法適正くらいなら教えても罰は当たらないだろうとカズモリは考えていた。
カズモリの適性を聞いたハルカは目を見開き、整備していた手を止めてカズモリを見る。
何故か、カズモリにはその顔が酷く悲しそうに見えた。
「――そっか」
それだけ言うと、刀をアイテムボックスに収納し、外に視線を向ける。
相変わらずガタガタと揺れる車内で、その沈黙はカズモリにとって居心地が悪くなるものだった。
「……あ、あのさ、ハルカの適性ってどの魔法なんだ?」
その沈黙に耐えられなくなったカズモリはまだ聞いていなかったハルカの魔法適正について質問をしてみた。
ぎくっ、と聞こえそうなほど分かりやすく体を硬直させたハルカは酷く言いずらそうに口を開く。
「え、えぇと……『切断』と『治療』、『再生』だよ……」
俯いて何かを諦めたような表情をしたハルカは小さな声でそう告げた。
「へえ、三つもあるのか、凄いなハルカは」
「――え?」
「……?」
カズモリが率直な感想を告げると、キョトンとした顔でハルカは逆に質問をしてきた。
「それだけ?」
「それだけって?」
「――あ~うん。なんでもない! ごめんね、変なこと聞いちゃった」
そういって明らかに誤魔化した様子のハルカを多少訝しんだカズモリだが、その疑問を口に出すことはなかった。
その直後、ハルカが進行方向に突如として視線を向けて呟いた。
「……! カズ、もうすぐ着くみたい」
先程とは打って変わって険しい顔つきで前方を見るハルカと同じく目を向けるカズモリ。
その視線の先には森が未だ続いており、何も見えない。
そこでカズモリは血液を代償に『感覚強化』の魔法を行使した。
実戦で無駄のない動きが出来るよう、町の外で魔導馬車に乗り込んでから今までの間、ステータスに表示されていた魔法の全てを自身の内臓と骨の一部を代償にした『記憶魔法』により、完璧に覚えていたので迷うことなくカズモリは視力、嗅覚、聴覚を格段に上昇させる。
流石に代償が大きく再生には時間がかかったものの、今は完全に元通りだ。
「――!?」
その結果カズモリの脳が認識したのは、人生で初めて体感する濃厚な血の臭いと、既に一度脳裏に刻み込まれている獣の唸り声だった。
「左右から近づいて来てるぞ!」
カズモリの言葉と同時にハルカは馬車から飛び出した。
遅れて飛び出したカズモリの目に映ったのは既に馬車の右側から迫ってきた獅子の双頭を一刀で切り落とすハルカの姿だった。
「カズ! 反対から三頭来てる!」
思わず見惚れていたカズモリが反対側に目を向けると確かに森の奥から凄まじい速度で接近する銀色の影が見えた。
「分かった!」
即座に予め組み立てていた計画通りに『強化魔法』により格段に上昇した脚力で先頭を走る獅子に肉薄する。
容赦なく獅子は爪を振りかぶるが、ステータスが上昇しているせいか初戦に比べると脅威が半減しているとカズモリは感じていた。
獅子の爪よりも速くカズモリの右足が獅子の腹部に突き刺さった。
そのまま『火魔法:イグニッションヘル』を発動させる。
対象地点から発動者の意思に沿った規模の炎を生み出し、自在に操れる火属性の最上位版である
直径二メートル以上の炎は高速でうねりながら正確に獅子の頭部を蒸発させた。
崩れ落ちる獅子に巻き込まれまいと横に跳ねたカズモリはさらにもう一頭を倒そうと炎を操る。
「――ッ! ぐぅっ!?」
しかし獅子は炎よりも速くカズモリに肉薄し、そのまま右腕に喰らいついた。
しかしカズモリは強化された身体能力をもってして喰われた右腕を引き千切ると、その右腕を代償に『爆発魔法:イクスノヴァ』を発動させる。
獅子の口内で起きた凄まじい爆発は巨大なクレーターを作り出し、傍にいたカズモリを遥か遠くに吹き飛ばした。
「がふっ!?」
大木に激突する形で止まったカズモリに残った一頭が襲い掛かる。
ふらつく視界で獅子を捉えたカズモリは『光魔法:フラッシュ』による閃光を放った。
眼前で強烈な光を喰らった獅子はその巨体を怯ませる。
「ガァゥウ!?」
その隙を狙いカズモリはアイテムボックスからショートソードを取り出し、前回より遥かに強化された身体能力を利用して脳天に付き刺した。
視力が回復しきっていない獅子は無抵抗で刃を刺し込まれ、残った頭も直後に切り落とされその活動を停止した。
「ふう、勝ったか。――クソ、また貧血に……」
先の魔法に対しての代償として血液を大量に消費したため強烈な眩暈と耳鳴りがカズモリを襲う。
「それよりも、早く腕を、何とかしないと……」
右腕は徐々に粒子が集まり再生しつつあるが、ハルカに気付かれる前には元通りにしなければこの体質を怪しまれてしまうという気持ちがカズモリを焦らせる。
代償魔法の事は説明したが、この世界において不死という体質がどのように認識されているか分かっていないのだ。
少なくてもそれが判明するまでは不死については隠しておきたいというのがカズモリの出した結論だった。
急いで肋骨の一本を代償に『再生魔法』を行使する。
すると、右腕に集まっていた粒子の速度が格段に上がった。
目に見えて再生していく右腕はものの数秒で服の袖ごと完全に元通りになった。
「よし、これで何とかなるかな」
少し治まってきた貧血の症状に耐えながら周囲に意識を向けると、向こうも片付いたのだろう。ハルカがカズモリに向けて駆け寄ってくるのが見えた。
「カズ! 大丈夫? 凄い音がしたけど」
そう心配そうに聞いてくるハルカは返り血が幾らか服に付いているものの、特に怪我をしている様子はない。
聞くともう一頭獅子がいたらしいが問題なく倒せたとハルカはカズモリを安心されるように笑った。
「そうか、安心した。こっちも何とか終わったよ。三頭もいたから骨が折れたけど」
カズモリの言葉にハルカもホッとした表情を浮かべる。
「良かった。とても大きな代償を払ったんじゃないかと思って心配だったんだけど……どこか持って行かれても私なら再生魔法で何とかなるから」
頼りにしてね。と笑うハルカと一緒に獅子の魔石を回収しつつ、二人は魔導馬車に戻っていった。
「村を襲った群れってのはあれで全部かね」
「そうだと思う。確かツインバロンはバラバラに行動することはまずない魔物だから」
「となると後はアンデッド化した村民だけか」
「……うん」
再び馬車の中で揺られながら村を目指す二人は周囲を警戒しながら体を休めていた。
本当に体は大丈夫なのかと聞いてくるハルカに貧血気味だということを告げると、慌てて再生魔法をカズモリに行使したり、自分も使えるから大丈夫だとカズモリが言うと「それで何かを代償にしたら解決できてないでしょ」と逆に諭されたりといった微笑ましい出来事を挟みつつも、これといった問題も無く至って順調だった。
そんな中、ツインバロンの群れが片付いたならば残るはアンデッドだけ、という話題になった途端ハルカの表情が陰る。
「なあ、ハルカ。ひょっとして今から行く村の人たちと知り合いだったりするのか?」
出発前の慌て様や今の表情からカズモリはハルカが村民たちと友好関係にあったのではと思い尋ねてみたが。
「……ううん。行ったことはないし、知り合いもいない」
「じゃあ何で――」
「――人が死んだから」
と、カズモリの質問を遮るように呟いたハルカにカズモリは言葉を失った。
「……え?」
「私もね、馬鹿だって分かってるんだけどさ。昔から放っておけないんだよね。目の前で困ってる人がいると」
「……」
「他の冒険者を見てるとね、実感するんだ。やっぱり私はどこかおかしいんだって」
そう自虐するような笑みを浮かべて語るハルカからカズモリは目を離すことが出来なかった。
彼女はこう言ったのだ。
損得勘定ではなく、利害が一致したわけでもなく、ただ目の前に助けを求めている人がいたから。
そんな英雄みたいな、傍から見れば偽善とも、自己満足とも言われても仕方ないとカズモリですら思う動機は彼女にとって命を懸けて依頼を受けるには十分過ぎるのだろう。
まだ出会って数時間も経っていないが、カズモリにはそれが胸が痛くなるほど理解できた。
「もし、もしもそれで自分が死んだらって、考えないのか?」
「考えたよ、何度も何度も。でもね、仕方ないかなって」
(仕方ないだって?)
そんな無茶をして死んだらどうする。
他人の為に自分を犠牲にしようなんて間違ってる。
そんな台詞はハルカの言葉を聞いたら言えなくなってしまった。
「誰かを守ったり助けたりした結果として死ぬなら、私はそれでいい」
そんな馬鹿げたことを照れ臭そうに言うハルカを見てしまったから。
自己満足だとも思った。
そんな行動に意味があるのかどうかすら分からない。
それでも、確かにこの瞬間。
カズモリはハルカを『尊い』と思ってしまっていた。
他人の為に命を懸けられる彼女を『美しい』と感じてしまった。
そんな彼女を『死なせたくない』と思ってしまった。
だからだろうか。
「大丈夫だ。俺が死なせない」
そんな、らしくない言葉が出てきたのは。
「馬鹿なんかじゃないだろ。ハルカの気持ちは間違ってなんかいない」
キョトンとした顔でハルカはカズモリを見ている。
そんな視線に恥ずかしさが込み上げてきたカズモリは誤魔化すように外を見る。
「――ああ、着いたみたいだ』
いつの間にか森は開け、家々が見えてきていた。
少し前まで日常を送っていたであろう痕跡が残っているそこは。
既に地獄と化していた。