二話~銀の獅子~
獅子がその巨体からは想像もできない速度で兎達の群れへ襲い掛かる。
見れば見るほどその図体はカズモリの常識とはかけ離れている。
全身を覆う思わず目を奪われるほど綺麗な銀色の体毛もさることながら、五メートルを超える巨躯もまた圧巻だ。四本の脚からはそれぞれ三本の指と鋭利な爪が生えており、触れただけで簡単に生き物の体など切り裂けるであろうことは容易に存在できる。
だが何よりも、その二つの頭が異様さを際立てていた。
(おいおい、なんだよあれ!? 冗談じゃないぞ!)
口に出して叫びたい衝動と恐怖の余り崩れそうになる足を必死に抑え、通路へと逃げる。
その間にも目先で繰り広げられるライオンと兎の戦い、いや、虐殺と表現した方が適切であろう光景からカズモリは目を離すことが出来なかった。
無抵抗で喰われてたまるかとその自慢の角で獅子を突き刺そうとする兎を、ゴミを払うように前足で薙ぐ。それだけで兎の命はあっさりと失われた。
双頭はそれぞれが素早く兎を一匹ずつ喰らい、口周りを血で真っ赤に染め上げる。
意外と知恵が回るのか、獅子の背後に回り込んだ兎をも後ろ足で器用に切り裂き、異様なほど長い尾で掴み取り口まで運ぶ。
(そうか、さっきの死体はこの化け物に……!)
恐らく先程の冒険者はこの獅子に襲われ、逃げることには成功したもののあの部屋で力尽きたのだと推測した。
カズモリが思考を巡らせている間にも虐殺は続けられており、一分もかからずに兎達は残さずライオンの胃袋へと送り込まれた。
(ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ!)
その様子を逃げながら肩越しに見ていたカズモリの視線と、獅子の双頭に備えられた見る者全てを圧倒する鋭すぎる四つの視線が、交差した。
――ッ!!――
気付かれた。
そう悟った瞬間、前だけ見て全速力で走った。
しかしその直後、背後の気配が圧迫感を急速に増したのを感じる。
逃げられない。そう直感したカズモリはあえて足を止め、振り向く。
時速にしたら百キロ以上は確実に出ているであろう速度で瞬く間に距離を詰める獅子に対して、恐怖の余り足を震わせながらもショートソードを抜き、構える。
「大丈夫、俺は死なない、死なない!」
自らを奮い立たせるように言葉を紡ぐカズモリに対して、獅子は容赦なく双頭でその体を喰らわんと巨体に比例したサイズの馬鹿でかい牙が生えている大口を開けて飛び掛かる。
同時に、向かって右側の開いた口目掛けてショートソードを突き刺す。
ずぶり、という音と共に刃は下顎に突き刺さった。瞬間、カズモリは手を放し、ライオンの下を転がり抜ける。
自分でも驚くほどのアクロバティックな動きをしてみせたカズモリは起き上がると同時に後ろを振り返る。
「ゥウルルルル……」
忌々しいと言わんばかりの表情でカズモリを睨む獅子は、器用にもその長い尾で自らに刺さったショートソ-ドを引き抜いた。
次の瞬間、尾と共にショートソードの姿がかき消えた。
どす、とカズモリは自分の胸に何かが刺さるのと同時に体が後方に吹き飛ぶのを認識した。
それが、獅子が目にも止まらぬ長さでショートソードを自身の胴体目掛けて投げ飛ばしたということを脳が理解したのは、勢いに負けて遥か後方へ串刺しにされたまま吹き飛んでいく最中だった。
「あ、がっ!? うぐぅ!」
受け身も取れず床を転がる。
「ああ、クソッ、この野郎!」
ようやく勢いが殺されたところでカズモリは悪態を吐きながらも立ち上がり、胸に刺さったショートソードを引き抜く。自身と獅子の血液がブレンドされたそれからは、やたら濃厚な鉄の臭いがした。
すると獅子の様子が先程までとどこか違うのを感じた。
五メートルほど離れた場所でまるでクラウチングスタートを思わせる姿勢でじっとカズモリを凝視している。
それが力を溜めているようだと感じた瞬間、獅子の姿が消失した。
同時に、凄まじい力で地面に叩き付けられる。
「――っ!?」
声を上げる間もなく仰向けに倒された自身の体を見つめると、胸に置かれた巨大な銀色が見えた。
獅子は目にも止まらぬ速度で一息にカズモリとの距離を詰め、その前足で体を地面に押さえつけたのだと判明した時には、既に目と鼻の先まで双頭が接近していた。
「こ、のぉっ!!」
このまま喰われてなるものかと右手で握っていたショートソードを獅子の左頭部へと反射的に突き刺した。
下顎を突き刺した時よりも硬い――恐らくは頭蓋骨に刺さったのだろう――感覚の直後にずぶり、という音を立てて根元まで深く刺さる。
予想外の反撃に四つの目が大きく見開かれた。その内左頭部の目はそのまま光を失い、瞼を落とすがもう半分の目はより一層憎悪の色を深くする。
「ガァアアアア!!」
怒りか、それとも相棒を失った悲しみか、右頭部は威嚇するときとは違うどこか感情を含ませたような咆哮を上げる。
(――今だ!)
その隙にショートソードを引き抜くと、カズモリの喉笛を食い千切らんと迫ってくる獅子の右頭部へと渾身の力を込めて差し込んだ。
その獅子の牙がカズモリの喉笛に届くのとその脳まで刃が到達するのはほぼ同時だった。
獅子は、自らの半身の仇を取ったと言わんばかりに口角を吊り上げた。
勝ったのはこちらだと確信し。
負けたのはお前だと見下すように。
勝利を確信した表情のまま、しかしその眼は既に光を失っていた。
「はっ、はぁっ、勝った、のか? はははは――」
力無く笑うカズモリの首には牙が深く突き刺さっており、百人が見れば百人が手遅れだと断言する姿となっていた。
その喉に刺さる牙にも既に力強さは感じられず、カズモリは簡単に引き抜くことが出来た。
その拍子にぐらり、と獅子の体が揺れ、倒れこんできた。
「ぐえっ」
下敷きになったカズモリは何とか抜け出そうとするが、余りの重さに全くその場から動けない。
「ちょっと、これは洒落になってないって! 重い……って、え?」
すると、獅子の体が光の粒子となって少しづつ消えてゆく。
それは幻想的とすら思える光景であった。
「…………」
その淡い光にカズモリは思わず見とれていた。
ただただ綺麗だった。まるで本来あるべき形になったように宙を漂う粒子はまるでカズモリを誘うように通路の奥に流れていく。
それを追いかけようとして慌てて起き上がったカズモリは、足元に拳程のサイズの銀色の石が落ちているのを発見した。
「これ、あいつの?」
手に取った石からは不思議な力を感じた。まるで先程の獅子がこの中で生きているような、そんな錯覚をしたカズモリはその石を持って進むことにした。
道中、血塗れになった服装を改めて確認したカズモリは、内心で俺の姿を客観的に見たら相当やばいんじゃないか? と考えたが解決策も思い浮かばなかったので諦めて進むことにした。
三十分ほど粒子が流れていった方向へ進んでいたカズモリは他の魔物に遭遇することもなく、小さな空間に出た。
それは例えるなら魔法陣だろうか。
どこか安心感を覚える青い光を放っているそれは部屋の中心に設置されていた。
まさかここから魔物が湧いているのでは? と思い五分ほど警戒しながら観察していたが、魔法陣は青く輝いたまま何も呼び出すことはなかった。
それどころか、上に乗れと急かしているような気分にまでなってくる。
「……ま、考えても仕方ないか」
これは大丈夫だ。根拠はないがどこか確信を得たような口調でカズモリは光の中に足を踏み入れた。
この先が出口でありますようにと、そう願いながら。