一話~出口を求めて~
パチパチという木が燃える音で意識が覚醒した。
目を開けると間の前には石造りの屋根が見えた。恐らく自分が落ちてきたであろう部分にはぽっかりと穴が開いており、崖の先端が遥か先に見える。そのまま視点をずらしていくと、同じように石造りの壁、そこに掛けられた松明が見えた。
どうやら自分は助かり、どこかの建物まで落ちたのだとカズモリが理解した瞬間、彼は自分が本当に不死になったのだと確信した。
「あんな底が見えないほどの高さから落ちて死なないとは、我ながら恐ろしいな」
と、どこか他人事のように感じると同時に、これならあのゴブリン共と戦っても問題は無かったのでは? という考えが頭の中に浮かぶ。
「突然だったし、そんなこと欠片も思わなかったもんなあ……怖かったし、武器も無いし」
とぼやいた瞬間、カラン、という乾いた音が響いた。
「――っ!?」
すぐさま警戒し、音のした方向を見ると、そこには人が倒れていた。
心臓の鼓動が高鳴るのを感じながらも近づくと、それは既に事切れている男だった。年は三十才程だろうか、その風貌はどことなく「冒険者」という雰囲気を纏っている。
胴体には鎧のような装備を身に着けているが、鎧には三本の切り傷があった。
余程鋭利な刃物で裂かれたのか防具であるそれを超えて肉体にも深い傷を残していることから、この傷が致命傷であったことが見て取れる。
どうやら先ほどの音はその人物が握っていた年季の入った剣――ショートソードと呼ばれる程の大きさが――床に落ちた音だったようだ。
初めて目にする生の死体に、しかしカズモリは嫌悪感のようなものを大して感じなかった自分に驚いていた。
――俺はこんなに薄情な奴だったか?――そんな疑問が出てきたが、今の自分には武器が必要だと思い、死体の相棒だったであろうショートソ-ドを手に取る。
このような格好をしている人物が死亡しているということはつまり、死に追いやった存在もまたこの建物の中に居るという可能性が高い。もしもその予想が正しいのならば丸腰で歩き回ればどうなるかは想像に難くない。
死なない体とはいえ、身に降りかかる危険は少ないに越したことはないだろう。
「申し訳ありませんが、これは頂いていきます」
死体は他にも、鎧や剣を収める鞘を巻いたベルトなどを身に着けていた。ファンタジーのお約束でもあるポーションなどの回復薬も期待したが、そのような物は持っていなかったので、使い切ったのだろうとカズモリは推測した。
死体が身に着けていた装備の内、鎧はとてもじゃないが装備できる重さではなかったのでベルトだけを拝借し、腰に巻いた。
それからカズモリは改めて部屋を見渡す。すると松明の先に通路が見えた。その反対側にも同じような通路が見え、恐らくどちらかが出口なのだろうと直感する。
「うーん、よし、こっちだ」
そう言ってカズモリは、壁に掛けられていた松明の一つを左手で掴むと比較的死体の近くに見えた通路の方に歩いて行った。完全に勘であるが、もし違っても自分の体質なら大丈夫だろうという楽観的な考えがあった。
歩いている最中、カズモリはこの建物について考えていた。
断崖絶壁の遥か底という立地条件、そして死亡していた男、男を死に至らせた何か、これらの情報からカズモリは、ここが所謂ダンジョンと呼ばれるものではないかと考えていた。
そしてその予測が正しければ、ここには――
「と、さっそくお出ましか」
そんなことを考えながら五分程歩いていると、自分の予想が間違いで無いことを悟った。
視線の奥に見えた通路の奥の曲がり角から、ぽよん、ぽよんと跳ねながら水色のスライムのような魔物が姿を現した。
スライムはカズモリの方を認識したのかピタリと動きを止めると、打って変わって地面を這うように高速で移動して向かってきた。
「ちょっ、早いって!」
予想外の速度に驚くカズモリだが、すぐさま腰に掛けたショートソードを抜くと、顔面に向けて跳躍してきたスライムの動きに合わせて力任せに振った。
スパッ という効果音が聞こえそうなほどあっさりと、ショートソードはスライムのゼリー状の体を真っ二つに切り裂いた。
二つに分かれたまま地面にべちゃりと落下したスライムは少しの間プルプルと震えていたが、まるで溶けるように地面に溶けていった。
「倒した、のか……?」
どうやらこのスライムは物語でよくある二つに分かれたまま襲ってきたり、再生したりするタイプの「強い」スライムではなかった事を理解し、ホッと息をつき、先へと進む。
途中同じようなスライムが数匹出てきたが、特に意に介さず切り倒していると、広い空間にたどり着いた。最初にカズモリがいた部屋よりも少し大きく、四方の幅は十五メートル程もある。カズモリが出てきた通路の他にも左右に二つの道が見えたが、その奥はどちらも松明の明かりが届いておらず、闇に包まれていた。
その部屋の中央に、スライムとは別の生物が数匹見えた。
それは兎だった。第一印象は地球の兎と変わらないが、体長がカズモリの膝下くらいの大きさな点と、額から伸びた体と同じくらいの長さの立派な角が生えている点が異なる。
「あの角が何のためにあるのかってのは考えるまでもないよなぁ……」
とカズモリがぼやいた瞬間、兎達は体ごと振り向いた。
だがその視線はカズモリとはてんで別の方向、カズモリから見て右の通路の奥へ向けられていることを疑問に思い、そちらを確認する。
そして気付く。視線を向けた方向、通路の奥の松明の光すら届かない闇から気配が近づいてくる。
その気配が強くなっていくと同時にカズモリは凄まじい悪寒と吐き気を感じた。
―― あれは不味い、逃げろ、にげろ、ニゲロ! ――
本能が警鐘を鳴らし、脳が信号を送り、肉体がそれを受信した瞬間カズモリは松明を投げ捨て左の通路へと全力で駆け出していた。
同時に、「ガルァアアア!!」という脳を揺さぶられるような咆哮が聞こえた。
反射的にそちらを振り向く。
そこには規格外の存在がいた。
薄暗い中でも光り輝く銀の毛皮に覆われた巨体。
地球に存在するであろう最大サイズを軽く超えたその胴体の先には、本来は一つしか存在しない筈の頭部が二つ生えている。
それは見る者全てを美しさと風格で圧倒する百獣の王。奴にとってこのダンジョンに生息する他の魔物達など餌に過ぎないのだろう。
事実、数匹の一角兎は一匹残らず身動きが出来ずにただ震えている。
まさしく「獅子」と呼ぶに相応しい異形が、眼前の餌を喰らうべく駆け出した。