絶望の長谷川
数学教師横山の縦ステップが最高潮に達した時、チャイムが昼休みの到来を告げた。
「よし今日はここで終わり。
腹減ったなぁ」
そりゃあんだけ動けば腹減るよなぁ。
そんな呟きがどこからか聞こえてくる。
それを皮切りに、教室が喧騒に包まれる。
周囲を見渡してみる。
瑠衣はクラスメイトの女子に、何やら恋愛事のアドバイスを
しているようだ。
何故か瑠衣は、その方面では達人の様な扱いを受ける事が多い。
問題の長谷川はというと、ノートをペラペラと捲っては、此方に視線を送って来ていた。
さて、どうしたものか。
瑠衣と長谷川の間に信頼関係を築かせるにはどうすれば良いのか。
そのヒントは、きっと鬼瓦家の母が握っている。
即ち、所謂ゴリ押しだ。
先ず長谷川の手からノートを強奪する手法を考える。
正面から盗み取るのは、俺の身体能力を鑑みるに不可能だ。
他の手段となると……すぐには思い付きそうに無い。
取り敢えずの所、長谷川と二人でノートの情報を共有し、後から瑠衣にリークするのはどうか?
いや、あの二人には、水面下での探りあいでは無く、正面からの殴り合いをして欲しい。
却下だ、何よりつまらん。
空腹で、頭が働かなくなっているのだろう。
俺は取り敢えず腹拵えをするべく、弁当の包みを広げる。
「あ、しまった」
長谷川の呟きが、ふと耳に飛び込んできた。
何やら絶望の色を含む声音だ。
長谷川は俺をチラチラと見ていた。
俺が弁当を広げた途端、何かに気がついた。
つまり……。
「どうした?弁当でも忘れて来たのか?」
長谷川に声をかける。
頷きだけが返ってきた。
長谷川は食べ物の好き嫌いが多く、特に蛸や烏賊等の無脊椎動物を口にすると、かなり極端な拒否反応を起こす。
そして今朝の鬼瓦家の朝食には、蛸のマリネが含まれていた。
「ちょっと待ってろ」
「ま、正義、君って奴は最高だな!」
長谷川に背を向け、弁当の包みを開ける。
中身を見せないように、慎重に立ち位置を調整し、俺は内容物を確認した。
お握り三つ、卵焼き二つ、タコ足ウインナーの隣に蛸の切り身……。
お握りを包むラップを解く。
箸を構え、お握りを半分に割く。
その内側に蛸を可能な限りぶち込む。
最後にラップを戻し、元の三角形に可能な限り近づける。
「正義?」
「ちょっと、お握りの形が崩れていてな」
「そんなの気にしないって。
早くおくれよ」
長谷川が手を伸ばす。
その上に、ポンとお握りを置いた。
「やったぜ!」
「ああ、やったぞ」
長谷川の絶叫が教室中に響き渡るまで、然程時間はかからなかった。
長谷川が激しく俯く。
俺は手を伸ばし、机の上に置いてあるノートをひったくった。
周囲の視線が、痛い程俺たちに集まっているが、誰も俺を咎める者はいなかった。
俺が長谷川を嵌めるのは、半ばこのクラスの見世物と化しているのだ。
「ど、どうした、長谷川?」
なるべく自然に、かつハッキリと吃る。
「お、おに、おにぎりに、タコぐぁ」
目視せずとも口に入れただけで、それが蛸である事を特定するとは、流石は生粋の軟体嫌いだ。
「すまない、先に中身を確認しておくべきだったな。
保健室に行こう。
悪いが瑠衣も付き合ってくれないか?」
「え、あたし?
まあ良いけど」
長谷川の腕を引っ張り、肩に担ぐ。
これで状況は整った。