狂気の長谷川
寒い。
どうやら布団が跳ね除けられたらしい。
「ちょっと、大丈夫?
目覚まし時計も仕掛けずに寝るなんて、本当に珍しいね」
俺の布団を引っぺがした犯人が、俺の肩を揺さぶる。
「おーい。
生きてるー?」
「今生き返る。
少し待ってくれ」
目を開けると、薄いピンクのパジャマを着た瑠衣と目があった。
「本当に大丈夫?
体調悪かったりしない?」
「そんなに酷い顔してるのか、俺」
「いや、まあいつもの仏頂面だけどさ、君があたしより遅く起きるなんてこと、今迄無かったから……」
そういえば昨晩は、かつて無い程の眠気に襲われながら、ベッドに倒れこんだ記憶がある。
やはりあのゲームによる影響なのだろうか?
ゲームの開始時刻は午後6時。
終了しこの世界にやって来た時の時刻も、あの時はそれどころではなくあまり気にしなかったが、午後6時付近だった気がする。
間違い無く体感時間では、30分以上は向こうにいたので、その差が生活リズムの乱れを生み出したのかもしれない。
いつもより急いで朝食を掻き込み、家を出た。
柳本高等学校の特徴である、緑色の屋根が見えてきた辺りで、瑠衣が俺の服の袖を引っ張った。
「あのさ、今日はちょっと、一緒に学校入るのは止めにしない?」
「急にどうした?
今更そんな事を気にする間柄じゃないだろ。
周囲認識的に」
瑠衣がそれなりな見た目をしている事もあり、初日こそ妙な視線を送られたりもしたが、今ではもう俺達は、学校公認の夫婦だ。
いや、実際のところはただの義兄妹なのだが、誤解を解くのも面倒になったしまった。
「でもそれは、こっちでの話で、私達は本当は昨日会ったばっかりで、ええと兎に角、恥ずかしいから別々に行こう!」
破局の噂を囁かれて、変に気を使われるのも面倒な気がするが、まあ優先すべきは瑠衣の感情だろう。
女子高生というのは、とても繊細な生き物らしいからな。
瑠衣はそのまま走りだした。
受身の対応を基本とする俺としては、あの身軽さは羨ましい。
「おい、正義、おはよう!」
校門前に差し掛かって、長谷川と遭遇した。
桜の花びらがクルクルと跳ねる髪の毛の上に乗っている。
「長谷川か。
お前……大丈夫か?」
「何がさ?
僕は至って健康だよ」
引き攣った笑顔を不気味に浮かべた長谷川は、クマで縁取られた右目を瞑って見せた。
俺は周囲を警戒する。
今のこいつを警察に見られたら、薬物乱用の疑いをかけられる恐れがある。
「それよりちょっと見てくれよ正義。
昨日の奇妙な現象に対する、僕の考察さ」
長谷川がその場で地面に膝をついて、カバンの中身を漁り始める。
登校中の生徒の視線が、長谷川に集まって来ているのがわかる。
「教室に入ってからにしてくれ。
その方が色々とその……捗るだろう」
「そうかい。
じゃあ一刻も早く教室に行かないとねぇ」
カバンのファスナーも閉めぬまま、長谷川は昇降口に向かって一目散に走り出した。
女子生徒達が、それを横目にヒソヒソと会話をする。
俺は一つ咳払いをした。