エクス3
そして、それからも二人の逢瀬は続いた。一月ほどの間、二人は人間界を巡り、魔界を巡った。
そして、二人の中にある共通する思いが生まれた。
そこは大きな月を遙か天に頂く、断崖絶壁の上だった。
「なあエクス。私は思う」
「なんだ魔王閣下」
「私は魔王だ。膨らむ領土問題、人口過多による不平等感から歴代の魔王は人間界にそのはけ口を求めた。だから、人間は家畜同然だと思っていた」
「それは人間界もそうだ。敵となる魔界の兵士は知性のかけらもない獰猛な獣だ、とされている」
「だが、どうやらそれは違うようだ。それぞれの意志を持ち、日々を暮らすために精一杯働き、自分が愛おしいと思うもののために戦う。その在り方に人間も魔界もないのだ」
「それに気づいたとして、どうする? この世界に生きる人々のほとんどはその事実を知らない。仮にうすうす気づいていたとしても、認めようとしないだろう。自分の今までを否定することになるからだ。たとえそれを言ったところで、もの狂いと思われるだろうな」
「だが、それでも私は、お互いがお互いを知り、共存する道があると思っている」
エクスはイオタの目をじっと見つめた。
「本気なんだな?」
「ああ」
「それがどんなに困難か、わかっているか?」
「当たり前だ」
「命を賭すことになるかもしれない」
「承知の上だ」
「戦をせねばならないかもしれない」
「無論だ」
「それでも、為すに値することか?」
「その通りだ」
「ならば、僕はこの命を捧げる。君と、君のその思いに。話は早いほうがいい。話のわかる人間に、まず話そう」
「誰にだ?」
「神聖女王、アトリスだ」
イオタが驚きに目を見開いた。
「人間界の最高権力者に、最初から話をすると言うのか……」
「結局は超えねばならない最大の難関だ。遅いか早いか、それだけの違いだよ」
「確かにそうだが……」
「最高権力者同士が真っ先に手を組む。それが可能なら、最も近道だろう?」
むしろ、イオタの方が気圧されていた。
そして、エクスはあっさりと幽閉から自分を解き放ち、正装に着替え、イオタを連れて神聖女王アトリスの元へと赴いた。
神聖王国ニュクニル。人間界屈指の大国であり、統治面積やそこに住まう人々の数も一番多い。エクスの魔王討伐にはずいぶんと力を貸してくれ、同時に理解者でもある。
その理由は、アトリス自身が身分を偽り、エクスと共に魔王ハルリート討伐に赴いたためである。
ハルリート討伐後は、神聖王国ニュクニルを王として統治し、二度の魔王侵攻に関しても尽力してくれた。
エクスとも仲が良かったが、エクスはニュクニルではなく、ヴァールトンにとどまった。
それはなぜか。
王のいる玉座の間にエクスとイオタは通された。
玉座には青い長髪の女王が鎮座している。宝石がちりばめられた冠をかぶり、煌びやかなドレスを身に纏い、優しく微笑んでいる。
そして、よく通る声で言った。
「込み入った話があります。兵よ、この場から席を外してください」
そして、兵はエクスの顔を見て合点がいったようで、軽く会釈するとその場を後にした。
人払いがなされた瞬間、アトリスはエクスめがけて恐ろしい程の速度で走り出した。
そして、抱きつく。
「久しぶりだなエクス! 何で顔を出さなかったんだ? ええ? オレの元で働けという申し出も断り続けやがって!」
アトリスは、エクスの前でだけは冒険者時代そのままの様子で振る舞っていた。
そして、今までにアトリスはエクスの申し出をどんなことでも全て飲んできた。
そのため、逆にエクスはここぞという時以外、アトリスに頼み事はしない。大国を自分の意で動かすのはエクスが望むところではないからだ。だからこそ距離をあえて取っていた。
「すまないな、アトリス。ただ、僕も古巣に戻りたい気持ちが強かったんだ」
「そういうことにしておいてやるよ。で、またやっかいごとなんだろう? 何だ?」
そこで、はたとアトリスは止まる。
「……牝臭い。まさか、その従者は?」
アトリスは親の仇のように憎悪の籠もった視線をイオタに注いだ。
「アトリス。魔界と和平を締結するつもりはないか?」
アトリスは一瞬何を言われたか理解できなかった様子だった。
「……何の冗談だそりゃ」
そう言って、アトリスは踵を返し玉座にとって返した。
「冗談ではないよ。本気だ」
エクスが語るも、アトリスは聞く耳を持たなかった。
そればかりか、傍らにあった長剣を抜き放ち、エクスに突きつけた。
「その台詞、道半ばに倒れた魔剣士ルヴィアや、カイラス、前王ウィレムの最期を思い出してなお言うのだな? オレは彼らがどんな思いで戦ったのか、彼らを死なせない術がなかったか、今でも慚愧の念に捕われる。彼らの壮烈な最期は、魔族を憎むのに十分値することだとオレは思っている」
「……確かにな」
「エクス、お前は強く、優しい。そんなお前がなぜそんな世迷い言を口にする?」
すると、イオタが一歩前に出て、フードから顔を見せた。
「私が提案したことだ。初めてお会いする、神聖女王アトリス殿」
「……貴様は!」
「我が名は颶風のイオタ。魔王をやっている」
アトリスは長剣をイオタに向けた。
「月影剣ラ・カーリアの切れ味、その身で味わうか、魔王!」
「遠慮しておこう。私は言葉通り、和睦を望んでいる」
アトリスは眦をイオタに向けた。
「信用できると思っているのか? いくら丸腰とはいえ、正式な手続きを踏まずに土足で上がり込むのは無礼以外の何物でもないぞ」
「……だが、和睦を交わすのにアトリス、お前以上の存在を僕は思い付かなかった。無礼であることは当然承知だ。しかし、こうする以外招き入れてくれる手段は考えられなかった」
アトリスは驚愕した。
「オレはエクス、お前が魔王にそそのかされたのだとばかり思っていた。しかし、どうやらそうではないのだな」
「ああ。僕はイオタが望む和睦に、この命を賭す覚悟だ」
ふう、とため息をつくとアトリスは剣を鞘に収めた。
「エクス、お前まさか、その女に惚れたのか?」
「ああ、その通りだ」
今度はイオタが狼狽する番だった。
「ちょ、ちょっと待て。なぜそんな話になる」
アトリスは嬉しそうに笑った。
「逆に聞くが、なぜそういう話にならないと思ったんだ?」
「私は真面目に和睦を申し入れに来たのだ! 色恋など今関係ないだろう!」
激高し、頭から湯気をあげそうなイオタと真逆に、アトリスは手をたたいて喜んだ。
「何がおかしいんだ!」
そこでアトリスは神妙な顔に戻した。
「一つはお前たち二人だけの間でしか成立していない魔界と人間界の和睦が、真剣に成立すると考えている姿勢だ。イオタ、お前は特に気性が穏やかで、冷静になって歪みなく物事を判断できる魔王なのだろう。しかし、世に生きる人々、そして魔界の住人は往々にしてそうではない。必ずすさまじい反感と、お前を排斥しようとする動きが出てくるだろう。エクスが受けた罰とて軽すぎるほどだと我々は思っている。本来なら死でも贖えないほどの罪だと、人間界のほとんどは思っている」
「確かに道は険しいと思っているさ」
「その上で、お互いにそこまでお互いを思いあっているのなら、それを利用できると思わないのか? なぜそれに気づかない?」
「どういうことだ」
アトリスはもう一度声をあげて笑った。
「つまり、大々的にお前たちが結婚式を挙げることにより、これ以上ないほど二つの世界にどでかい風穴が開くぞ、と言っているのだ」
イオタは狼狽した。
「な、な、なにを馬鹿な!」
「お前なぁ。古来からいくらでもあるだろう、婚姻の政治利用なんか。後天的にこれ以上ないほど濃い結びつきを結ぶ方法なのだから、枷にも制約にも同盟にもなるシンプルかつ強力な物だろう? 利用しない手はない」
「しかし……」
イオタは口ごもった。
そこに、エクスが言葉を返した。
「よし、結婚しようイオタ」
「オレが人間界をとりまとめよう。この結婚式に出なかった、あるいは形式上だけでも賛成しない場合はひどい目に遭うことを理解させた上で、あらゆる国家に飲ませる。楽しくなってきたな!」
確かに一番手っ取り早く、強力な協力者を得ることはできた。しかし、イオタにとってこうなることは誤算だった。
イオタは頭を抱えた。
「人間界にも魔王がいたのだな……」
それを聞き、アトリスが大爆笑したのは言うまでもない。