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ただの、ニート→時間稼ぎ

 多々野(ただの)弦仁(げんじ)には、おおよそ人として生きていくために大事な何かがひとかけらもなかった。

 それは忍耐力であったり、体力や知力であったり、うまく人と付き合う能力であったりと、学生生活は元より、社会の一員としてやっていくには必要不可欠な能力である。

 残念なことに、多々野にはそれらの、集団の中で生き抜く必須能力(サバイバリティ)が欠落していた。

 おまけに運もなく、才能もなかった。ついでに性格も悪く、自分を振り返り、俯瞰し、反省する能力も乏しかった。

 しかし、それでいて承認欲求は人一倍強く、「まだ俺の実力出してねぇから!」が彼の口癖だった。

 人付き合いの下手さから学校に通いたくなくなり、不登校となり、めでたく高校中退になった時も、多々野は「こんなのは俺の実力じゃねえし! まわりがわかってねえだけだからよ!」と居丈高に吠えた。

 コンビニのバイトでレジ打ちが覚えられず、レジ打ちどころか公共料金の払い方も、荷物の宅配方法も、おでんの作り方も覚えられず、何度怒られても改善できずに、事実上のクビを言い渡された時も、「コンビニのバイトごときで俺の何がわかるんだよ!」と獰猛さをアピールしていた。

 牛丼屋を三日でクビになった時も、スマイルがウリのハンバーガー屋を三時間でクビになった時も、低価格がウリの大衆居酒屋で客と大げんかしてクビになった時も、多々野は「俺の実力を周囲が理解しねえのが悪ぃんだよ! クソが!」と牙を剥いた。

 通信制の高校を薦める両親の申し出を拒否し、事実上の中卒で、あらゆるバイトをクビになって行き場もなくなった多々野は、肥大化した自己承認欲求の吐き出し場を探した。

 そして彼が布団から徒歩二歩のパソコンの中に居場所を探すのには時間はかからなかった。

 しかし、彼には残念ながら人として生きていくために大事な何かがごっそりと抜けている。

 文字だけの世界においても、彼の肥大化した承認欲求を受け入れてくれる存在は誰もいなかった。

 彼がブログで書いた持論は相手にされず、見向きもされなかった。彼のつぶやきには嘲笑と共に投げやりな煽りが返される以外、何一つとして彼に対しての返答はなかった。掲示板で彼が書いたことには十もレスがついたことがなかった。

 徹頭徹尾、世界が丸ごと多々野を無視していた。そう、多々野は感じていた。

 しかし、人格や知識が要求されるわけでなしに、ただただクリックを繰り返すだけでレベルが上がるタイプのゲームにおいて、無限に近しい垂れ流せる時間を持つ多々野は、アドバンテージを有していた。

 のめり込んだ。寝食を惜しんでというより、元より布団から出ることなしに衣食住のすべては提供され、動く必要すらない多々野は、寝る以外ほぼ全ての時間をゲームにつぎ込めたから、全部つぎ込んだ。

 その結果、多々野はそのゲーム、プルガトリオオンラインにおいて押しも押されぬ有名プレイヤーとなった。

 もっとも、本来いかに運営会社が儲けるかということに主眼が置かれているために、たいていのゲームの場合、大枚を叩いてお金を出せば、それに見合ったアイテムを手に入れられ、そのアイテムを持っていると大幅に有利になる、というイベントを繰り返すのが常となっている。

 しかし、プルガトリオオンラインは違った。既に採算ライン到達はおろか、ゲーム開始から十年近くの年数が経過し、ゲームとしての消費期限がとっくのとうに過ぎ去ったゲーム、それがプルガトリオオンラインだった。既に閑古鳥が声の限り鳴き続け、一部の熱狂的ファンが買い支え続けているという、半ば放置されたゲームだった。

 だから、運営が放置されたからこそに、多々野はあることに気付いてしまった。

 それは、このプルガトリオオンラインは、チートが黙認されている、ということであった。

 チートとはゲーム上のメモリを書き換え、本来の挙動とは異なる特定の挙動を自分の意志で行う行為だ。

 簡単に言ってしまえば生命値が無限にできたり、技や魔法を無限に使えたりと、本来行えばゲームバランスを著しく損ねるために行えないことが簡単にできてしまう状態になっていた。

 多々野はそのチートを駆使し、最強のキャラクタを作り上げた。

 そのキャラクタ、GENJIは、魔法力は無限大、一撃は天を貫き、地を割り、海を裂くほどであり、さらに生命力も無限大、防御力も並外れて高く、どんな敵の一撃も装甲を砕くことは敵わなかった。そんな並外れた能力の持ち主ではあったが、既にゲームバランスは崩壊しており、彼に比する相手は誰もいなかった。彼を褒め称えたり、承認をしてくれる人間は誰一人いなかった。

 誰もいない楽園の王様。それが多々野がどっぷりと浸かった自己満足の泥濘の姿であった。

 さて、その日も多々野は何の意味もない自己満足のため、既に五桁近くなったレベル上げの作業を行っていた。

 その様子は討伐やレベル上げというよりも、天地創造や畑作、漁に似ていた。

 周囲数十キロの範囲を選択し、その範囲全てにあらゆる物を滅ぼす魔力による暴力の嵐を吹き荒らす。もしくは鍛え抜かれた剣技により、一瞬で数十キロの範囲を斬撃の渦中にたたき込んだ。

 ワンクリックで二万以上のモンスターが経験値とお金を捧げ、死体と化した。仮にその中に冒険者がいても、お構いなしに多々野はあらゆるものを殺戮した。

 むしろそれによる抗議の声や、罵詈雑言こそが心地よかった。世界が少しでも自分に目を向けている、そんな感じがした。

 しかし、現実の多々野といえば、布団から身を乗り出し、マウスとキーボードを時折押すのみ。もちろん腹も減るわけがない。寝転がり、延々と同じ所作を繰り返すのみだ。

 そして、飽きればただ布団にくるまって惰眠を貪る。昼も夜も関係なかった。ある意味で常在戦場、ある意味で常に多々野は愚鈍の極みの最中にいた。

 そして、いつの間にか多々野は眠りについており、ふと目を覚ますとここが布団の中ではないことに気付いた。

 いくら動きもしないとはいえ、汗はかく。とは言っても始終多々野は布団を根城にしているために、シーツも替えなければ外に布団を干すなどするわけがない。

 自然、布団は汗を吸い、異様な臭いを放ってはいたが、自分の臭いなため、多々野はその悪臭に気がついていなかった。

 しかし、その慣れきった布団の肌触りもなければ、臭いもない。

 そればかりか、そこは清潔なシーツが敷かれたベッドの上だった。ベッドは清掃が行き届いており、日向の香りとぬくもりが感じられた。

 さて。汗染みた引きこもりの布団から、一体全体どうしてこうなったというのか。

 寝ぼけ眼をこすってみても、多々野には皆目見当がつかなかった。

 着古したTシャツに半ズボンでベッドから起き上がると、足下がこれまた豪奢な絨毯であることに気付く。ふかふかとした柔らかな毛が、厚みを持って足裏を刺激し、いよいよここが自分の家ではないことを多々野は確信した。

「へへへ、ずいぶんとリアルな夢だな。つーか、こうやって家以外のとこに出る夢とか、一年ばかし見たこともねえよ……」

 ぶつくさと独語しつつ、裸足で多々野は高級な赤い絨毯の上を歩いた。

 フロアはベッドが一つに、簡素な物入れがあるばかりで、エアコンの類いなど見当たらない。

 カーテンはあるものの、プラスチックのカーテンレールなどではなく、鉄製の棒にカーテンが通されている。

 外を見れば、そこは日差しが照っており、白い石壁で作られた家々が遙か遠くまで見える。見慣れた建築方法ではなく、昔ながらの石から組み立てる建築法で築かれた建造物ばかりで、アパートやマンション、ビルの類いは見えなかった。

「……どこだってんだ、ここは」

 多々野は見慣れない光景に自嘲気味に笑みを浮かべた。

 ずいぶんと自分が想像力豊かだな、と自嘲したのだ。

 そして、十畳ほどもある部屋の、木製のドアを開こうとノブを回した。

 途端、向こう側から入ってくる人影がある。

 白い装束を身につけ、顎髭は胸元にまで伸ばされ、金属の装飾物を頭に付け、大きな緑色の宝石がはめ込まれた杖を持った老人が多々野の目の前にいた。

「気がついたか、ゲンジよ」

「アンタ誰だよ。まー、俺の夢だから、んー何の影響なんだろうな……。たぶん、あの映画の登場人物だろうけどよー」

 老人は苦笑した。

「ははは、ゲンジよ、ここはお前の夢ではない。我が名はナタディル。この世界、エル・ダ・ラバーナにお前を呼んだ者だ」

「……ありがちだなー。ってか、アンタが賢者っつー展開? もうちょっとひねろうぜ。幼女の賢者とかよー」

 多々野はため息をついた。

「わかっているのか? 私はお前を元の世界より、この世界に召喚したのだ。お前の力を借りたくてな」

「うっわ来た! んで、俺は何の力に目覚めて世界救うわけよ?」

 多々野は小馬鹿にした様子でナタディルに話しかけた。

「いいかゲンジ。お前の役割は、ただの、時間稼ぎだ」

「は?」

 耳を疑った。

 異世界に召喚されたなら、それは活躍するためだろう。神託とか伝説とかで活躍がそもそも定義されていて、失敗などせずに、異世界産のチート能力を十二分に発揮し、元の世界とは違う自分の力でモテて、たくさんの承認を受ける。

 そうじゃないのか。そうでなくてはいけないはずだ。

 しかし、ナタディルは時間稼ぎ、と言った。

「意味がわからなかったか?」

「わからねえよ。だいたい、召喚って大がかりなモンだろう? 大がかりな賭けに出なきゃならない以上、召喚する相手ってのはあらかじめ能力がわかってて、明らかにオーバーパワーの持ち主とかじゃねえのか?」

「召喚が大がかりなのはそうだ。お前を呼び出すために甚大な魔法力を費やす必要があった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 多々野は、バイト先で教えられたことが思い出せずに頭が煮え、焦るあの気持ちを思いだしていた。

 どうしようもない無力感。投げやりな言葉で糊塗することでしか自分を守れない、絶望的な劣等感。

 それをわざわざ自分の夢ですら味わうという、これ以上ないほどの屈辱。

「……なんだってんだ! ふっざけんな! 時間稼ぎだって? 何でそんなことしなくちゃなんねぇんだよ!」

「ではゲンジよ、お前を失うことで、お前の世界は二度と立ち直れないほどの傷を負うか?」

「どういう意味だよ……! オイ!」

 怒りの声をあげる多々野に対し、ナタディルは冷静に返答する。

「そのままの意味だよ。つまり、お前という存在はお前の世界において、重要な価値を占めていたのか? という話だ」

 くらくら、とめまいがし始めた。

 なんだって、自分の夢で自己否定をされなくちゃならない。どうして、逃げた現実を突きつけられなければならない。

「返答がないな。ゲンジ、お前はいわゆるニート、と呼ばれる存在であったようだな。学業もせず、職に就く意欲もない。ただ日々を怠惰に過ごす特権階級。羨ましい限りだ。そんな人間が一人こっちに来たとて、お前の世界は揺らぐというのか?」

「……うるせえよ! だからなんだってんだよ!」

「私は、お前という人間を有効活用しようとしているのだ、ゲンジよ。お前はどうやら、プルガトリオという世界においては英雄だったようだな」

「それがどうした……」

 このナタディルという老人、知っている。多々野弦仁という人間がどんな人間かを知った上で呼び出したのだ。

「ゲンジよ、お前は今、その世界においての力をすべて身につけている。よって、英雄たる自分の力を存分に発揮できよう」

 多々野は笑った。

 なるほど。プルガトリオオンラインでの自分はチート能力の塊だ。生命力、魔法力は無限に近いし、攻撃力や防御力もあり得ない数値になっている。もちろん、技や魔法もすべて習得済みだ。敵などいない。

「なるほど。一応は活躍の余地がありそうだな」

 しかし、それに対しナタディルは首を横に振った。

「ゲンジ、私は言ったぞ、お前の役割は時間稼ぎだと。まあ、今にわかる」

 そう言ってナタディルは扉を開けた。

「付いてくるがいい。そのみすぼらしい格好では時間稼ぎ役にすらならん」

 ナタディルの後ろを多々野はとぼとぼとついていく。

 なるほど、ここは巨大な城の内部であるようだ。

 到底日本の建築では見られないほどの高い天井、石壁を築き上げられて作られた壁。磨き抜かれた大理石で作られた床。中世の城に行ったことはないが、こういったものなのだろうな、と多々野はただただ感心した。

 そして大広間にたどり着く。おそらく謁見の間という場所だろう。

 そこには玉座に王と見える人が座っていた。青い長髪で、宝石がちりばめられた冠をかぶり、煌びやかなドレスを身に纏い、優しく微笑んでいた。

「ナタディル、それがエクスの代わりか?」

「はい。彼の名はゲンジ。能力としては申し分のない人間です」

 なんだか含みのある言い方をされたな、と思って多々野はムッとした。

 と同時に、女王の横にいる女性を見ておお、と驚いた。

 緑色の長い髪に、尖った耳。白銀の鎧を身に纏い、眉目秀麗ながらその目は鋭い女性だ。

 俺の脳みそはこんな美女を作り出せるのか、と多々野は自分の脳に感謝した。

「そちらの女性は?」

 どうせ夢だ。王らしき人が相手だろうと物怖じする必要などない。

 ゲンジはたぶん自分の作り上げたこの物語のヒロインであろうその女性のことを一刻も早く知りたかった。

「こちらの女性は……」

 紹介しようとした王の言葉を遮り、女性はゲンジの方を見ながら女性は言った。

「我が名は颶風のイオタ。このエル・ダ・ラバーナに仇なす、魔界を統べる王だ」

「イオタ……そのような物言いは……」

「構わんだろう? 何よりわかりやすい。そこの唐変木が私をこの国の王女か何かかと勘違いされては困るからな」

 そう言って歯噛みするようにイオタは多々野を睨み付けた。その視線の鋭さは、野生の獣のそれだった。多々野は背筋が凍った。確実に自分は捕食される側の存在だ。

「悪ぃけどよー、俺は全然状況が飲み込めてねえんだよ。この世界に現われた魔王を倒すために俺が呼ばれたっていう、そういうシンプルな話じゃねえのか?」

 イオタは多々野の発言を鼻で笑った。

「そうだな。それで事が済めばいい。しかし、私がここにいて、神聖王国ニュクニルのアトリス王の隣にいるという時点で、それは違うのだ」

「どう違うんだよ」

 ナタディルが応えた。

「ゲンジ、お前は勇者エクスの代わりにここにいる。エクスは来られぬのだ」

 多々野は意味がわからなかった。

「はあ? 勇者様がいるんだったらそいつがどうにかすりゃいい話じゃねぇか。何で来られねぇんだ?」

「彼は魔界にいるのだ。魔界にてその力を封されている」

 イオタがそう言うと、王とナタディルは気色ばんだ。

「単刀直入すぎます!」

「事実だろう。勇者エクスは、私と契りを結んだ咎で、その力を封さねば生きてはいけぬ。そういうことになってしまったのだ」

 話の展開が突飛すぎてついていけなかった。

「え? アンタ結婚してんの?」

「ああ。私はエクスと契りを交わした。そして、それがお前を呼び出す原因だ」

 イオタは目を伏せた。

「私とあいつが出会わなければ、あいつがあんなにも苦しむことはなかったのだ……」

 イオタはつぶやくように語り始めた。

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