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出立

 レバンティスの街のサヴァイヴ神殿。

 その一室に現れたのは、今回の旅の主役とも言うべき査察官の男性である。

 見たところ三十代の後半だろうか。濃い焦げ茶色の髪と同色の瞳を持った、線の細いひょろっとした印象の人物だった。

「お初にお目にかかります、《天翔》殿、《聖女》殿。私が今回の査察を国王陛下より命じられました、イエリマオ・トゥーラルと申します。侯爵家の出身ではありますが、私自身はまだ家督を継いではいませんので、どうかイエリマオ、とお気軽にお呼びください」

 慇懃に一礼したイエリマオに対し、辰巳とカルセドニアもそれぞれ改めて名乗る。

 聞けばこのイエリマオという人物、先程の言葉通りトゥーラル侯爵家の次代の当主ではあるものの、現在はまだ彼の父親が現役らしい。

 更には、現王太子にしてジョルトの父であるアルジェントとは幼馴染みであり、アルジェントが即位した暁には彼の側近となることが既に決定しているらしい。

「イエリマオのおっちゃんはとっても有能でさ、今回も直々に俺の爺ちゃんから声がかかったんだぜ」

 どうやらイエリマオ氏は、単に王太子の幼馴染みというだけではなく、将来の国王の側近に見合った実力の持ち主のようだ。

「いや、昔から数字や計算に強いのだけが取り柄でして。その代り、身体を動かすのは苦手なんですよ」

 コンピューターや電卓の類が存在しないこの世界において、計算が早くて正確ということはそれだけで立派な才能なのである。

 その後、顔を合わせた四人で改めて今後の道程を検討する。

 今回は旅慣れないイエリマオとジョルトがいるということで、極力野営は避けて宿場町を利用することにした。

 辰巳とてそれほど旅慣れているとは言えないが、それでも王族であるジョルトや生粋の文官であるイエリマオよりはましである。

「えー、一度ぐらいは野営しない? 俺、野営ってしたことないからやってみたいんだよね」

「いやいや、ジョルト様。私としては、安宿でもいいのでしっかりと寝台の上で眠りたいのですが」

 二人の意見は別れたものの、辰巳とカルセドニアはイエリマオの意見を採用することにした。

 道中の護衛を受け持つ以上、危険を避けるに越したことはないからだ。

 ジョルトはちょっと不満そうだったが、それでも辰巳たちの意見に反対することはない。

「さて、ではジョルト様。ここからはあなたは私の教え子で、下級貴族出身の文官見習いとして扱います。よろしいですね?」

「うん、いいよ……じゃないや、分かりました、イエリマオ先生」

「そういうことですので、《天翔》殿も《聖女》殿も、ジョルトくんのことは王族扱いは避けてください」

「あ、どうせならタツミたちのことも《天翔》とか《聖女》って二つ名で呼ぶのも止めない? 短い期間とはいえ、一緒に行動する仲間なんだし」

「ふむ、ジョルトくんの言う通りかも知れませんね。では、今後は『タツミくん』と『カルセドニアさん』と呼ばせていただきますが、構いませんか?」

 もちろん、辰巳たちもそれに文句はなく、今回の旅の間はそれぞれ名前で呼び合うことで決定した。




 サヴァイヴ神殿の庭から出て、それぞれがパーロゥに騎乗してゆっくりと街の中へと進んでいく。

 ジョルトはともかく、生粋の文官だと言う割にはイエリマオもしっかりとパーロゥを乗りこなしている。もしかすると、一般的な貴族の教育の中にはパーロゥの騎乗も含まれているのかもしれない。

 辰巳はそんなことを考えながらも、隣を行くカルセドニアのことをちらりと伺う。

 どうやら先日までの憂鬱は完全に払拭されたようで、晴れ晴れとした表情で鳥上の人となっていた。

 そんなカルセドニアの今日の出で立ちは、魔封具である灰色の装飾のないローブの上から、旅用の外套を着込んでいる。

 その手足には艶のない黒い籠手や具足。これらはもちろん、以前に辰巳が倒した飛竜の素材から作られたものだ。

 そして辰巳はと言えば、その装備を一新させていた。

 これまでは煮固めた革鎧を愛用していた彼だったが、今はカルセドニアの手足の防具と同じ素材の鎧でほぼ全身を覆っている。

 胸と背中を守る漆黒の防具。

 太股と膝から下を覆う防具と、肩と肘から先を守る防具。

 頭部はまるでバイクのジェットタイプのヘルメットのようで、バイクのヘルメットならば風防に当たる部分は、飛竜の複眼部分の素材を透明に磨いて用いられている。

 腰にはもちろん、飛竜素材の漆黒の剣。

 そんな全身黒一色の中で、右手の『アマリリス』だけが異彩を放っていた。

 辰巳に言わせれば、全身黒一色というのはちょっと引っかかるものがないでもない。

 だが、飛竜の素材が基本的に黒一色なので、こればかりは抗うことはできないのだ。

 そんな漆黒の飛竜素材の防具の上から旅用の外套を羽織っているため、それほど目立たないのがまだ救いである。

 やがて一行はレバンティスの門を抜け、街道へと出る。このまま街道を北上すれば、夕方頃には最初の宿場町に到着するだろう。

 辰巳も愛騎であるポルシェの羽毛の柔らかな感触に心癒されつつ、のんびりと周囲の風景を楽しみながらポルシェを進めていった。




 やがて日が傾き始めた頃。

 一行は最初の宿場町に到着する。

 まだまだ明るい時間に余裕はあるが、ここでこの宿場町を通りすぎてしまうとそれこそ野営をしなくてはならない。

 宿場町は徒歩で旅する人の旅程に合わせて点在するので、パーロゥに騎乗している辰巳たちはやや早めの到着となったのだ。

「予定通り、今日はここまでにしよう」

 一行の先頭を進んでいた辰巳は、背後を振り返ってそう告げると、皆揃って頷いた。

「カルセ。この宿場町に来たことはあるか?」

「はい。以前に何度か」

 辰巳も魔獣狩りとして王都周辺へは何度か出かけたことがあるが、今回のような北方面は初めてだったため、一行の中で一番旅の経験の多いカルセに尋ねてみたのだ。

「じゃあ、手頃な宿屋の心当たりも?」

「お任せください」

 カルセドニアが笑顔で頷いた。どうやら、辰巳に頼りにされたことが嬉しいらしい。

 笑顔を崩すことなく、カルセドニアが先頭に立って馴染みの宿屋へと案内する。

 パーロゥに騎乗したまま宿場町を進むことしばし。カルセドニアがとある宿屋の前で停止した。

「ここか?」

「はい。この宿屋は以前にも何度も利用したことがありますので、宿の方とも知り合いなのです」

 カルセドニアは、店先に出てきた宿の店員に一行のパーロゥを厩舎に入れるように頼むと、辰巳たちを案内するように宿屋の中へと入っていった。




「おや、カルセドニアさんじゃないか! 久しぶりだね!」

 辰巳たちが宿屋の中に入ると、彼らに気づいた店主らしき中年の男性が顔を上げ、先頭にいたカルセドニアに気づいてその顔を綻ばせた。

「久しぶりですね、ご主人」

 カルセドニアと言葉を交わした店主は、ちらりと背後の辰巳たちを見て少し不思議そうな顔をした。

「いつもと違う顔ぶれだね。今日は《自由騎士》の旦那とは一緒じゃないのかい?」

 カルセドニアが以前にこの宿屋を利用したのは、まだ彼女がモルガーナイクと組んでいた頃のようだ。

 カルセドニアとモルガーナイクが一緒だった頃を知る店主としては、彼女がモルガーナイク以外の者と同行しているのが不思議だったのだろう。

「ええ、最近はモルガーとは一緒に行動していませんから」

「何だい、何だい? 《自由騎士》の旦那と喧嘩でもしたのかい?」

「ご主人? 前から何度も言っていますが、私とモルガーはそのような関係ではありませんよ?」

 カルセドニアがやや厳しい表情を浮かべる。

「あはは、相変わらずだね、カルセドニアさんも。そういや、サヴァイヴ神殿の《聖女》様が遂に結婚したって話を聞いたぜ? 遅ればせながら、おめでとうと言わせてくれ」

「ありがとうございます。それで、部屋は空いていますか?」

「おう、空いているぜ? 部屋はいくつ必要だい?」

「では、二つで」

 カルセドニアが指を二本立てると、店主は首を傾げた。

「カルセドニアさんも知っている通り、ウチは二人部屋の他は大部屋しかないぜ? だったら、部屋は三つ必要じゃないのかい?」

 店主はカルセドニアと、その背後にいる辰巳たち三人を見比べながら言う。

「いえ、私と私の旦那様で一部屋、残る一部屋はイエリマオさんとジョルトさんで……それでいいですよね?」

 カルセドニアがジョルトとイエリマオを振り向けば、二人は承知したとばかりに頷いている。

 辰巳もその部屋割りに異存はなかったが、店の店主はそうではないようだった。

「い、いや、ちょっと待ってくれ! カルセドニアさんの旦那さん? って、あれ? カルセドニアさんが結婚した相手って、《自由騎士》の旦那じゃなかったのかい? 俺はカルセドニアさんが結婚したと聞いた時、てっきり《自由騎士》の旦那が相手なのだと……」

 かつてのカルセドニアとモルガーナイクを知る店主は、《聖女》が結婚したと聞いてすっかりカルセドニアとモルガーナイクが結婚したとばかり思い込んでいたらしい。

 しかも、その後に《聖女》の亭主となった人物が王都を襲った飛竜を撃退したという噂を聞き、《自由騎士》ならば飛竜だって倒せるだろうと、店主の思い込みは尚更だったのだ。

「いいえ、違います。私の旦那様はこちらの────」

 カルセドニアは辰巳の腕を取ると、嬉しそうに微笑みながらその腕に自らの腕を絡めた。

「────飛竜を倒し《天翔》の称号を得た、タツミ・ヤマガタ様ですわ」

「え? ほ、本当に? いや、こう言っちゃなんだが、《自由騎士》の旦那に比べると見劣りすると言うか何と言うか……」

 あけすけな店主の言葉に、辰巳は苦笑を浮かべた。

 彼自身、見た目はもちろんのこと、魔獣狩りとしてもまだまだモルガーナイクには及ばないと思っているので、店主の気持ちも理解できる。

 だが、カルセドニアはそうではなかったようだ。

「何を言うのですか? 私の旦那様はモルガーよりも遥かに素晴らしい方なのですよ?」

 彼女の柳眉がゆっくりと逆立つ。

 それを知ってか知らずか、背後にいたジョルトとイエリマオが暢気に言葉を交わした。

「へえ、王都から一日の距離しかないのに、もう噂に歪みが生じているんだ。いやー、怖いね、噂って」

「いや、ジョルトくん。この場合は噂が歪んだのではなく、この宿の店主殿の単なる思い違いでしょう。どうも、以前のカルセドニアさんと《自由騎士》殿のことをよくご存知のようですし、過去のお二人をよく知るからこそ、店主殿もカルセドニアさんの結婚相手が《自由騎士》殿だと勘違いをしたのだと思いますよ」

 そんな二人の言葉に、店主もこくこくと必死に頷いている。どうやら、カルセドニアの眉が逆立っていくことの危険性に気づいているようだ。

「あ、あー、その……済まなかったな、カルセドニアさん。部屋の方は準備できているから、すぐに案内させるよ」

「そうですか。では、今後はおかしな誤解をしないよう、お願いしますね」

「わ、分かっているって。あ、そっちのカルセドニアさんのご亭主……えっと、タツミさんだったかい? あんたにも謝らないとね。別に悪気があったわけじゃないだ。許してくれ」

「いえ、気にしないでください。俺も自分がモルガーさんに及ばないのは承知していますから。ほら、店主さんもそう言っていることだし、カルセも機嫌直して」

 辰巳が柔らかく笑いかければ、それまで厳しかったカルセドニアの表情が一気に柔和なものへと変化する。

 そして、それを見たジョルトが盛大な溜め息を吐き、呆れたように呟いた。


「今更だけど、カルセって本当にちょろ過ぎだよね。タツミ限定だけどさ」


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