家を探そう
屋敷の中から飛び出して来た人物は、カーシン・サンキーライという名前らしく、この国の貴族であり男爵の爵位を持つ人物らしい。ここに来るまでにカーシンという人物について、辰巳はカルセドニアから簡単な説明を聞いていた。
そのカーシンはと言えば、満面の笑みを浮かべながらへこへことカルセドニアに頭を下げている。
最下位の階級である男爵とはいえ、れっきとした貴族には違いないカーシンが何の躊躇いもなく頭を下げているのを見て、辰巳は改めてこの国におけるカルセドニアの立場を実感した。
「この度はおめでとうございます! しかし、《聖女》とまで呼ばれたカルセドニア様も遂にご結婚ですか。いやはや、この話を聞けば一体何人のあなた様の信奉者が悔しがることやら。かく言うこのわたくしもまた、今回の話を聞いた時には涙を流した一人ですぞ?」
「あ、あのー、サンキーライ様? 私はまだ結婚すると決まったわけではありませんが……」
困ったような表情を浮かべつつも、カルセドニアはちらりと意味深な視線を背後の辰巳へと送った。
その視線には気づいていながらも、あえて辰巳は黙ってカルセドニアたちのやり取りを眺めている。なんせ、カルセドニアの前にいるのは貴族なのだ。庶民でしかない辰巳が何か不都合なことをしでかして、カーシンの機嫌を損ねるのは拙い。
「おや? そうでございましたか? ですが、神官であるあなた様が神殿より出て家を構えるということは、遠くない未来にご結婚されるということでしょう?」
「ま、まあ……そうなるといいな、とは思っていますが……」
ちらちら。またもや辰巳に視線を送るカルセドニア。しかも、今度の視線にはどこか嬉しげな成分が含まれている……ような気が辰巳はした。
「何をおっしゃいますやら! あなた様を妻に迎えたくないなどと考える男は一人もおりませんとも! ところで……」
カーシンは、きょろきょろと辺りを見回した。
「本日はカルセドニア様のご主人となられる方は、ご一緒ではないのですかな?」
「いえ、あちらに……」
今度こそ、カルセドニアは辰巳の方へと振り返った。この時になって、ようやくカーシンも辰巳の存在に気づいたようだ。
「ん? あの男は……」
「はい、あちらにおみえなのが……」
「おお、なるほど! 新たに雇った使用人ですな!」
「は……はあっ!? あ、あちらの方は使用人などではなく────」
カルセドニアの美しい眉が、きゅっと中央に寄せられる。彼女のそんな様子に気づくことなく、カーシンは彼女の言葉を遮ってべらべらと言葉を続けた。
「ですが、男の使用人一人だけでは、家の中のこと全てに手が廻らないでしょう。どうです? よろしければ、侍女などの使用人の手配もお引き受け致しますぞ?」
「いいえ! 結構ですっ!!」
語気も荒く、カーシンの申し出を拒否するカルセドニア。彼女の明らかに気分を害した雰囲気に、カーシンはどうして彼女が怒っているのか分からず、おろおろとするばかりだった。
「と、とりあえず、ご紹介する屋敷を見に参りませんかな? ご依頼にあった通り、いくつかの屋敷を見繕ってあります。ささ、どうぞこちらへ……おお、そうだ。今すぐに馬車を用意させましょう。少々お待ち────」
「いいえ、徒歩で構いません! それよりも早く案内してください!」
じろり、と剣呑な目でカルセドニアはカーシンを睨み付けた。
「さ、左様でございますか。で、では、こちらへ……」
カルセドニアが全身から放つ迫力のようなものに押され、カーシンは慌てて歩き出す。
その彼の背中を睨み付けていたカルセドニアだったが、辰巳に向き直るとぺこりと頭を下げた。その際、彼女の頭上のアホ毛もひょこんと揺れる。
「申し訳ありません。ご主人様のことを使用人などと……」
「あ、ああ、気にすることはないさ。確かに俺の見てくれなんて平凡だから、そう勘違いされるのも無理はないって」
辰巳の容姿はごく普通だ。どうやらこちらの世界も美的基準はそれほど違いはないようで、《聖女》とまで呼ばれ、貴族でさえも丁寧な態度で接するカルセドニアに比べれば、辰巳などは「市民A」と呼ばれる程度のものだろう。
「さ、それよりも、俺たちも行こう。実を言うとさ、どんな家なのかちょっと興味があるんだ」
カルセドニアの気分を向上させるためか、ちょっと戯けたように言う辰巳。そんな彼を見て、カルセドニアもくすりと笑う。
「うふふ。ちょっと安心しました」
「え? 何が?」
「夢の中で見たご主人様は……それはもう、すごく暗い雰囲気で、ずっと気落ちした様子でした。でも、今はこうして笑っていらっしゃいますから」
カルセドニアにそう言われて、ようやく辰巳も自分が笑っていることを自覚した。
昨日から今日にかけて、久しぶりにたくさんの会話をした。相手はカルセドニアとジュゼッペだけだったが、それでもこれだけ誰かと話すのは、少なくともオカメインコだったチーコがいなくなってからは初めてだろう。
そして、彼は気づいていた。こうして今、自分が笑っていられるのはチーコと再会できたからだということに。
カルセドニアと初めて出会ってからまだ一日しか経っていない。だけど彼女の雰囲気や仕草の端々から、かつて何年も一緒に暮らしたチーコと同じものを確かに感じるのだ。
既に辰巳の中ではカルセドニアはチーコであり、そしてチーコである以上、辰巳にとっては既に大切な家族なのだった。
かつて一緒に暮らしていた時のように、彼女が傍にいてくれることが凄く嬉しくて凄く楽しい。
だから、辰巳はカルセドニアに……彼のチーコにはっきりと告げたのだ。
「そうだな。俺がこうして笑っていられるのは、やっぱりチーコがいてくれるからだよ」
「ご……ご主人様……」
熱の篭もった、潤んだ紅玉のような真紅の瞳。そんな瞳で間近から見つめられて、辰巳もまた頬を赤らめた。
そして、少し離れた所ではカーシンが首を傾げて、見つめ合う二人を不思議そうに眺めていた。
まず辰巳たちが案内されたのは、カーシンの屋敷から歩いて15分ほどの、とりわけ大きな屋敷が集まる一角だった。
「この辺りは貴族の中でも、侯爵などのより身分の高い方の屋敷が集まる区画ですな。もちろん、カルセドニア様ならば、その中に入られても誰も文句は言いますまい」
相変わらずにへらにへらと愛想笑いを浮かべるカーシン。
だが、辰巳はカーシンの愛想笑いよりも、周囲の建物を見る方に専念していた。
どの屋敷も大きく、また庭も広くてしっかりと手入れされている。しかも、外からその庭を見られることを前提にしているようで、どの屋敷も植え込みの剪定などに意匠を凝らしている様子がよく見えた。
そういや日本では庭などの敷地の内側は隠すもので、ヨーロッパの方では庭は誰かに見てもらうもの、って考えだったっけ?
など、どこかで聞きかじった知識を思い浮かべながら、周囲に立ち並んでいる屋敷や庭を眺めていた。
「さて、こちらでございます」
カーシンが指し示したのは、そんな高級住宅街──いや、貴族街の中でもかなり大きくて立派な屋敷だった。
「この屋敷は元々、数年前まではかなり羽振りの良かったとある侯爵のものでしたが、どうやらその侯爵、極秘裏に奴隷の密売に手を出していたようでしてな。それが王国に露見して、その侯爵家はお取り潰し。当主以下、家族全員が斬首されました。それ以後、この屋敷は空き家となっておりまして」
「か、家族全員斬首……っ!?」
さらりととんでもないことを言うカーシンに、辰巳は思わずぎょっとなる。
だがカーシンはともかく、カルセドニアまでもがそれに対しては大して驚いた様子はない。となれば、こちらの世界、もしくはこの国では妥当な処罰なのだろう。
「────それで、屋敷のお値段ですが、ここはカルセドニア様がお客様ということで、精一杯勉強させていただきまして────」
カーシンは屋敷の値段を口にするが、こちらの物価などの相場が分からない辰巳には、それが高いのか安いのか判断がつかない。
まあ、これだけの屋敷なのだから安いはずがないとは思うものの、それ以上に彼には気になることがあった。
「ちょっと、チーコ……いいかな?」
会話が途切れたころを見計らい、つんつんとカルセドニアの袖をひっぱって、カーシンから少し離れたところへと彼女を連れてくる。
「なあ、この屋敷……そ、その……俺とチーコの二人で住むんだよな? ジュゼッペさんは一緒じゃないよな?」
「はい。お祖父様は既に邸宅を所持されていますから」
「……だったら……いくら何でも広すぎるだろ、この屋敷……」
改めて目の前の屋敷を見上げる辰巳。ざっと見ても、部屋数は十以上はありそうだ。そんな屋敷で二人で暮らすなど、日本人の庶民の感覚では考えられない。
これだけ大きな屋敷だと、状態を維持するのも大変だろう。掃除などしたら、それだけで一日が終わりそうだ。
「それとも、さっきあのカーシンって人が言ったように、使用人とか雇うつもりか?」
「い、いえ……できれば私としても……ご、ご主人様と二人きりがいいなぁ、なんて……」
真っ赤に染めた頬を両手で覆いつつ、カルセドニアは少し上目使いに辰巳に告げた。
「だ、だったらもっと小さい家で充分だろ? それに貴族たちが住んでいる場所なんて、堅苦しいというか何というか……正直、落ち着かない」
「分かりましたっ!! ご主人様の意向をサンキーライ様にお伝えしますねっ!!」
にっこりと微笑んだカルセドニアは、再びカーシンと話し出す。
どうやらカーシンはカルセドニアに大きな屋敷を勧めているようだが、カルセドニアは辰巳の意向に従って首を縦に振ろうとはしない。
やがて根負けしたカーシンが、とぼとぼと歩き出す。その後を辰巳はカルセドニアと肩を並べて歩いていった。
その後、数軒の家をカーシンは案内したが、どれも辰巳とカルセドニアが求めるような家ではなかった。
カーシンがカルセドニアに熱心に勧めるのは、すべてが家というよりは屋敷と呼ぶものばかりで、建っている場所も貴族街の中ばかり。
それら全てをカルセドニアが──カーシンの視点では──気に入らないので、カーシンもほとほと困っているようだった。
「い、一体、カルセドニア様はどのような屋敷をご所望なので……?」
それでも愛想笑いだけは浮かべ続けるカーシンに、辰巳は別の意味で感心する。
「私のご主人様は、もっと小さくて庶民向けの家がいいとおっしゃっています」
「しょ、庶民用ですかっ!? ですが、カルセドニア様とモルガーナイク様ほどご高名な方がお暮らしになるとすれば、どうしたって大きな屋敷が必要なのではありませんかな? 将来的にはご自宅で夜会などを開くこともあるでしょうし、そうすると、庶民の家では……」
「あの、サンキーライ様? どうしてそこでモルガーの名前が出てくるのです? 私はモルガーと一緒に暮らすわけではありませんが?」
カルセドニアのこの言葉に、カーシンは思わずぽかんとした間抜けな表情を浮かべた。
「い、いえ、あ、あれ? で、ですが、カルセドニア様がご結婚される相手となれば、噂になっている《自由騎士》様では……?」
「いいえ、違います。私がけっこ……い、いえ、一緒に暮らす相手はモルガーではなく────」
カルセドニアはとことこと辰巳の元に近寄ると、彼の腕をその豊かな胸に埋めるようにかき抱く。
「────こちらのタツミ・ヤマガタ様です。この方こそ、私のご主人様なのですから」
と、カルセドニアは幸せそうに辰巳の顔を見上げる。
そしてカーシンはといえば、そんな二人をあんぐりと口を開け放ったまま見つめていた。
カーシンはカルセドニアの結婚相手は、てっきり世間の噂通り《自由騎士》モルガーナイク・タイコールスだとばかり思っていた。
《聖女》と《自由騎士》は、世間ではこれまでずっと恋仲であると噂されていた。カーシンもその噂を聞き及んでおり、今回カルセドニアが家を探していると知り、噂の二人がついに婚姻を結ぶとばかり思っていたのだ。
だが、そのカルセドニアの相手が、これまで見たこともなければ噂にも聞いたこともない、てっきり使用人だとばかり思っていたごく普通の男だったとは。
確かに黒い髪と目はこの国では珍しい。着ている服も見たことのないものだ。
だが、背丈は男にしては決して高くはない。現にカルセドニアと並んでいる今も、彼女よりは高いがそれほどの差はない。そして容姿もごく平凡で、《自由騎士》と比べるべくもない。
《自由騎士》と言えば、サヴァイヴ神殿の神官戦士の中でもその強さは随一とまで言われている人物である。剣と槍の腕に秀でて各種の魔法も使いこなし、弱者に優しく強者と自分に極めて厳しいと言われており、その整った容貌とすらりとした身体つきから、国中の若い女性の人気を一身に集めている人物だ。
カーシンも《聖女》と《自由騎士》が並んでいるところを神殿でみかけたことがあり、なんて絵になる二人だろうと思わず見蕩れた覚えがある。
だが、噂は所詮は噂に過ぎなかったようだ。今、彼の目の前でカルセドニアは、自ら主人と呼んだ男を惚けるような表情で実に幸せそうに見つめている。その姿はどこから見ても恋する乙女そのもので、とても演技などではありえない。
このことが新たな噂として広まるのはあっという間だろう。ならばここは、カルセドニアの夫となる人物の情報を少しでも入手しておけば、後々何かの役に立つかもしれない。
カーシンは再び愛想笑いを顔に貼り付けると、掌を擦り合わせながら《聖女》の夫となる人物の元へと近づいていった。