バースとナナゥの門出
辰巳とカルセドニアは、久しぶりに〔エルフの憩い亭〕を訪れた。
店に入るといつものようにエルが笑顔で迎え入れてくれ、すっかり馴染みとなった酒場を見回せば、そこによく知った顔もあった。
カルセドニアを背後に従えた形でそのテーブルへと辰巳が向かうと、向こうも辰巳に気づいたようでにこやかに手を振ってくれる。
「あらン、久しぶりね、タツミちゃん。神殿の方のお仕事はもういいの?」
「タツミも飛竜討伐以来、すっかり有名人になっちゃったわねぇ」
「まったくだよ。神殿での仕事に加えて、貴族の夜会にまで引っ張り出されたりしたしな」
肩を竦めて見せながら、辰巳とカルセドニアがジャドックとミルイルがいたテーブルの椅子へと腰を下ろした。
「え? タツミたちって、貴族の夜会にまで招かれたの?」
「まあな。一応、俺たちは神官だってことでほとんどは断ったんだけど……どうしても断りきれない誘いもあってさ」
《天翔》の称号を得た辰巳の名前は、既に王都中に広まっていると言っていい。
そんな辰巳との間に何とかしてパイプを築き上げようと、貴族や豪商たちはあれこれと彼にちょっかいをかけてくる。
その多くは夜会などへの招待で、飛竜を倒した辰巳を夜会に招くことができれば、それだけでちょっとした箔が付くのだろう。
また、辰巳と親しいということをアピールして、周囲を牽制するという意味もあるのかもしれない。
中には辰巳に「妾」を勧める貴族などもいたが、そんな考えなしの貴族らは、ジュゼッペに睨まれる──「妾」の斡旋自体は辰巳本人へと告げられたのだが、その辰巳がしっかりとジュゼッペに密告……もとい、報告した──という悲惨な結果を招いただけだった。
招待された夜会のほとんどを神官という身分を盾にして断った辰巳だが、それでもその全てを断ることはできなかったのだ。
さすがの辰巳も、身内の紹介ともなれば断るわけにもいかない。
今の辰巳の身内と言えば、それはカルセドニアを含めたジュゼッペの家族たちである。
ジュゼッペの家族は彼を始めとして、そのほとんどが俗世を離れた聖職者の立場にいる。だが唯一人、俗世に所属する者がいた。
「タウロード義兄さんに頼まれたら、断るわけにはいかなくてさ」
王国の騎士団に所属する、ジュゼッペの長男であるタウロード。彼が紹介した夜会ともなれば、さすがに無視するわけにはいかなかったのだ。
「義兄さんにも、あれこれと付き合いがあるだろうしね」
幸いにも、タウロードが口利きをした夜会は彼と親しい同僚たちばかりだったので、辰巳もそれほど堅苦しい思いはしなくて済んだのだが。
「ああいう煌びやかな世界は、俺には場違いもいいところだったよ」
「ふぅん。でも、私も一度ぐらいは貴族の夜会って奴を覗いてみたいものね。ねえ、タツミ? 今度機会があったら、私も連れて行ってよ。カルセと私を連れて行けば、まさに月と星を総取りじゃない?」
「アラ、それならアタシも一緒に行こうかしら? そうしたら、タツミちゃんの周囲は常に月と星で輝くばかりよン?」
ミルイルとジャドックの冗談に、辰巳たちは声を出して笑い合う。
ちなみに、ミルイルが言った「月と星を総取り」とは、日本語なら「両手に花」に該当する言葉である。
「え? 狩りに出かける?」
「ええ。しばらくはタツミちゃんは神殿のお仕事が忙しいでしょ? その間、アタシたちも遊んでいるわけにはいかないもの」
「折角タツミが飛竜の素材を少し分けてくれたけど……今の懐事情だと、その素材を加工する費用が足りないのよね。加工費用までタツミの世話になるわけにはいかないし」
魔獣を狩り、それを売って糧を得るのが魔獣狩りである。
ジャドックやミルイルなどの飛竜討伐に参加した魔獣狩りには、辰巳ほどではないものの報奨金が支払われている。だが、それだけでいつまでも遊んでいられるわけがない。
「季節的にも今が一番狩りに向いているし、今のうちに稼いでおきたいのよ。そこでちょっとタツミちゃんにお願いがあるんだけど……」
ジャドックが、その逞しい身体をずいっとテーブルの上へと乗り出した。
「今度の狩りはちょっと遠出しようと思っているの。そこで、パジェロちゃんとその猪車を貸してくれない? もちろん、借りている間のパジェロちゃんの餌代はアタシたちが持つから」
遠くまで狩りに行こうと思えば、食糧などを多量に用意する必要があるし、狩った獲物を運ぶ必要もある。
猪車があれば、必要な物資や狩った獲物を運ぶのが楽になるのは考えるまでもないだろう。
「ああ、別に構わないぞ。しばらくは俺も使う予定はないし、移動手段ならポルシェとフェラーリもいるしさ」
「じゃあ、明日の朝にでもタツミちゃんの家まで受け取りに行くわ」
それだけ約束すると、後は四人で他愛のない会話を楽しんだ。
途中、仕事が一区切りついたらしいエルも加わって賑やかに過ごしていると、誰かが店に入って来たことに辰巳が気づいた。
その来客は店の中をぐるりと見回すと、辰巳の存在に気づいてぱっと破顔する。
「あれ? バース?」
「よう、タツミ。やっぱりここだったか」
にこやかにしゅたっと片手を挙げたその人物──バースが辰巳たちの傍まで歩み寄って来た。
だが、バースは椅子に座ることもなく、店の中をぐるぐると見回す。
「ああ、ナナゥさんなら今は奥で休憩中ですよ? 何でしたら、呼んで来ましょうか?」
「じゃあ女将さん、申し訳ないけどお願いできます?」
「はい。それでは少し待っていてくださいね」
立ち上がったエルが、カウンターの奥へと入っていく。そしてしばらくすると、この店の従業員にしてバースの恋人であるゴブリンの少女と一緒に戻って来た。
「バースくんっ!!」
ゴブリンの少女──ナナゥは、嬉しそうに微笑むと一直線にバースへと駆け寄り、そのまま抱き着く。
「バースさんとナナゥさん、相変わらず仲がいいんですね」
「いやいや、タツミとカルセドニア様の仲ほどじゃありませんよ」
カルセドニアが楽しそうに微笑めば、バースとナナゥも照れたような笑みを浮かべた。
「それで今日はどうしたんだ? 俺に用があるみたいだけど」
「おう、それそれ。正確には用があるのはタツミじゃなくて、カルセドニア様の方だけどな」
バースは一度ナナゥと顔を見合わせ、そして二人とも真っ赤な顔でカルセドニアへと向き直った。
「よ、ようやく細々とした準備が整い……そ、その……お、俺とナナゥは結婚することにしましたっ!!」
「つ、つきましては以前にお願いしたように……か、カルセドニア様に……わ、私とバースくんの婚姻の儀の立会人をお願いしたいんですっ!!」
二人揃ってカルセドニアに向かって頭を下げるバースとナナゥ。
この二人が遠からず結婚することは、以前から辰巳たちも知っていた。どうやら、遂にその日を迎えることになったらしい。
「あらン、おめでとう。とうとうアナタたちも結婚するのねぇ」
「……なぜかしら? 知り合いがどんどんと結婚していくと、何となく焦りを覚えるのよね……」
「ホントねぇ。はぁー、アタシも結婚したいわ。誰かアタシをお嫁にもらってくれないかしら?」
「さすがにそれは難しいんじゃない?」
「ひ、酷いわ、ミルイルちゃんったらっ!! アタシみたいな絶世の美女に向かってっ!!」
仲間内で一通り冗談を言い合った後、辰巳たちは大声で笑い合う。
冗談を言い合っている間にバースとナナゥの緊張も解れたようで、顔はまだ赤いものの二人も楽しそうに笑っていた。
「はい、承知しました。お祖父様にお窺いして、神殿の礼拝堂の空いている日を抑えておきますね」
「お願いします、カルセドニア様」
「しかし、バースたちが結婚するとなると……家はどうするんだ?」
サヴァイヴ神殿の神官は、結婚する際に家を構えることが多い。
特に神殿の宿舎で暮らしている神官は、結婚を機に神殿を出ることがほとんどだ。
「それならもう決めてあるんだ。さすがにタツミたちみたいにいきなりぽーんと購入することはできないから、しばらくは借家暮らしだけどな」
だけどいつかは自分たちの家を持ちたいな、とバースは嬉しそうに続けた。
「なら、引っ越しの時は手伝うよ。俺の時もバースには手伝ってもらったし」
「おう。期待しているぜ? 特にタツミの魔法は引っ越しには重宝しそうだしな」
その後改めて注文をし、皆の前に酒で満たされた木製のジョッキが揃う。
それを確認した辰巳は立ち上がると、手にしたジョッキを高々と掲げた。
「では、改めて……バースとナナゥさんの結婚のお祝いと、これからの二人の幸せを願って……乾杯っ!!」
辰巳の音頭に合わせて、皆でジョッキをぶつけ合う。
ここん、という心地良い音が周囲に響く。
辰巳とカルセドニアには、その音がバースとナナゥの前途を祝福する鐘の音に聞こえ、どちらからともなく顔を見合わせた二人は、そっと微笑み合うのだった。
それから十日ほどの時が流れた後。
サヴァイヴ神殿の礼拝堂に、新たな門出を迎える一組の男女の姿があった。
男性が身に着けているのは、サヴァイヴ神の上級神官を示す儀礼用の神官服。
そして女性の方は、ドレープとレースを多用した純白のドレス──ウエディングドレスである。
辰巳とカルセドニアの婚姻の儀以来、こうして女性がウエディングドレスを着て婚姻の儀を挙げることが少しずつ広まってきている。
本日の花嫁であるナナゥもまた、辰巳たちの婚姻の儀の時にカルセドニアのウエディングドレス姿を見て、自分の時も絶対に着るのだと心に決めていたそうだ。
そのため、ナナゥはウエディングドレスについて、以前からあれこれとエルに相談していたらしい。
二人の儀式の進行を司るのは、この結婚の立会人のカルセドニアである。
彼女もまた、儀礼用の神官服に身を包み、粛々と婚姻の儀を進めていく。
そんな彼女の背後には、補佐役として辰巳もいる。彼もこの神殿の司祭なので、この場に立つ資格は充分にあるのだ。
儀式は順調に進んでいき、やがてクライマックスを迎える。
バースは真っ赤に顔を染めながら、それでも嬉しそうに懐から小さな小箱を取り出した。
もちろん、その小箱の中味は指輪である。
これもまた、辰巳たちの結婚を機に少しずつ広まりつつあるものだった。
バースはややぎこちなく、ナナゥの小さな左手を取り、その薬指へと指輪をゆっくりと通していく。
そして、自分の指に嵌った指輪を見て、ナナゥはヴェールの奥でその目を幸せそうに細めた。
「じゃあ……次はバースくんの番だね」
「ああ。頼むぜ、ナナゥ」
バースが差し出した左手に、ナナゥが指輪をしっかりと通した。
「これを以て、二人を夫婦と認めるものなり! これは結婚の守護神たるサヴァイヴ様が認めたものであり、何人であってもこれを覆すことは適わず!」
カルセドニアの宣言と共に、礼拝堂に詰めかけた人々から歓声と拍手が巻き起こる。
同時に、頭上では祝福の鐘が鳴らされ、二人の結婚を祝福する。
バースの同僚であるニーズ、サーゴ、シーロを始めとしたこの神殿の神官や神官戦士たち。
ナナゥの知人であるエルを筆頭にした〔エルフの憩い亭〕の従業員たち。
ジャドックとミルイルも、狩りに出かける予定をずらしてこの場にいる。
礼拝堂に詰めかけた人々は、若い二人の門出を祝って、いつまでも拍手を打ち鳴らすのだった。