裂空
身体を内側から破壊される激痛に、飛竜は空中で苦しそうに身悶えた。
一部空間を渡っているとはいえ、辰巳と飛竜は『アマリリス』の鎖で直結されている状態である。この状態で飛竜が激しく動けば、質量の軽い辰巳はどうしたって振り回されてしまう。
途轍もない力で身体が引っ張られ、辰巳は慌てて飛竜の身体から鎖を引き抜いて手元に回収する。
彼の意志に従って手元へと戻ってきた鎖は、しゃららんと心地よい音を立てつつ籠手に巻き付く。
『アマリリス』は飛竜の外殻をも容易く貫き、辰巳の《魔力撃》は確かに飛竜を内部から破壊する。だが、辰巳は飛竜に比べるとあまりにも小さく、《魔力撃》の一撃で飛竜の身体を破壊し尽くすことは不可能だ。
大きな肉の塊に小さな針を刺し、その針から伝わる熱だけで肉の塊全体を焼き上げるには、どれだけの時間が必要なのか。そう考えると理解しやすいのではないだろうか。
このまま『アマリリス』の鎖を利用した《魔力撃》で内側から破壊を行えば、いつかは飛竜に勝利できるだろう。だが、果たしてそれまで辰巳の方が保つかどうかが分からない。
魔力の方は心配ない。外素使いである彼は現在も周囲の魔力を吸収し続けているため、どれだけ魔法を行使しようとも魔力が尽きることはない。
だが、体力の方はそうもいかないのだ。
《飛翔》に《加速》、そして《瞬間転移》と《魔力撃》。これらの魔法を使い続けてきたことで、辰巳の体力もそろそろ限界が近い。
ブガランクの元に戻れば、魔法で体力を回復してくれるだろう。だが、できればこのまま勝負を決めたいのが辰巳の心境である。
今ここで、飛竜を自由にしてしまうのだけは、絶対に避けなければならない。
辰巳が飛竜の傍から離れても、カルセドニアやジャドックたちが全力で牽制を加えてくれるだろう。だが、彼らでも飛竜を完全に足止めすることは不可能である。
空を自由に移動できる飛竜がその気になれば、この場から逃げ出すことは実に容易だ。
飛竜とて生物であり、命の危機に瀕すれば本能的に逃亡を選ぶかもしれない。辰巳によって深刻なダメージを受けた飛竜が、逃亡を選択したとしても不思議ではないだろう。
だが、もしもこの場で飛竜を逃がせば、王都ではないどこかの町や村が襲われるかもしれない。
──やはり、この場で仕留めるしかないか。
改めて決断を下した辰巳の姿が、ふっとその場から消え去った。
次に辰巳が現れたのは、いまだに空中で身体を激しくのたうたせている飛竜の上。
この場での決着を望んだ辰巳が選んだ手段は、実に分かりやすいものだった。
すなわち、飛竜の頭部の破壊である。
どれだけ強靭な生命力を宿していようとも、飛竜も生物である以上は頭を潰せば生きてはいられないだろう。
飛竜の身体全体を《魔力撃》で破壊することは難しくても、頭部だけならばまだなんとかなりそうだ。
地球のトンボで言えば、頭と胸の境の部分。細く括れたその部分に出現した辰巳は、すぐに全身を使って飛竜にしがみついた。
そして、『アマリリス』の鎖を利用して自分の身体を飛竜に固定する。
辰巳と飛竜の身体に巻き付いた鎖は、再び飛竜の体内へ──巨大な複眼と複眼の、境目となっている部分へとその鋭い先端を埋め込ませた。
これでもう、飛竜がどれだけ激しく暴れようとも、鎖が切れない限り辰巳を振り解くことは不可能に近い。
「さあ、飛竜。俺の体力とおまえの頭、どちらが先に潰れるか────」
辰巳は一呼吸大きく息を吸い込むと、その双眸に決意の光を浮かべる。
「────勝負だ!」
辰巳の身体から鎖を通して、飛竜の頭部へと黄金の光が流れ込んでいき、飛竜にしがみつく辰巳の身体に、どしんどしんと何かが破裂する震動が伝わってくる。
飛竜は苦しげな咆哮を上げながら、なおも空中で激しく暴れ回る。だが、朱金鉱で作られた鎖は決して切れることはなく、辰巳も必死に飛竜にしがみつきながら魔力を飛竜の内部へと流し続けた。
その間も、休みなく何かが破裂する震動は絶えることなく伝わってくる。
『アマリリス』の鎖で固定されているとはいえ、空中で暴れ回る飛竜にしがみつくのはやはり体力を消耗する。しかも、同時に《魔力撃》によって飛竜の頭部を破壊し続けているのだ。
もしもゲームのように辰巳の体力がゲージによって視覚化されていたとすれば、がんがんと減っていくそのゲージを見ることができただろう。
やがて辰巳の「体力ゲージ」がレッドゾーン直前まで減少する。急激な体力の消耗に、辰巳は眩暈さえ覚え始めていた。
──くそ……やっぱり俺の体力が尽きる方が先か……?
飛竜を仕留めきれないかもしれない悔しさのあまり、思わず奥歯は激しく噛みしめた時。唐突にそれは生じた。
飛竜の巨大な複眼。
その片方が内部から弾けるように吹き飛び、飛竜の身体がびくりと激しく震えた。
空中で無茶苦茶に暴れ回っていた飛竜の巨体が、突然びくんと大きく痙攣した。
それは城壁の上でその戦いを固唾を飲んで見守っていた者たちにも、また、王都のあちこちから空を見上げていた者たちにもはっきりと見ることができた。
そして一瞬の後、空を飛ぶ飛竜の身体がゆっくりと降下し始める。
その光景を見た時、人々は確信した。
「空の王者」とまで呼ばれる飛竜。その飛竜の領域である空中での戦いで、青年の方が勝利したのだ、と。
城壁から。王城から。各神殿から。そして、王都のあちこちから。
飛竜を倒した青年に対する歓声が一斉に湧き上がる。
だが。
その歓声はすぐに静まり返ることとなる。
なぜならば、空から飛竜が落ちるということは、その巨体が王都に落下するという意味でもあるからだ。
辰巳によって、その強靭な生命力を断たれた飛竜は、空を舞う力を失ってゆっくりと降下を始めた。
彼らが戦っていたのは、王都を囲む城壁の外側。だが、辰巳の《魔力撃》によってダメージを受け、その苦痛のあまりに空を出鱈目に飛び回っていた飛竜は、いつの間にか王都の上空に至っていたのだ。
その飛竜に必死にしがみつき、飛竜の頭部を破壊することだけに専念していた辰巳も、自分たちが王都の上空にいたことに気づけなかった。
空を飛ぶ力を失った飛竜の巨体が、ゆっくりと降下を始める。
自分がいる位置をようやく把握した辰巳は、すぐに鎖を操作して自分の身体を飛竜から離した。
幸い、辰巳たちがいるのは王都の上空でも、それなりに高度のある位置であった。そのため、真下に落下したとして地上に到達するには僅かだが時間がある。
辰巳は飛竜が眼下の王都に墜落する前に、その身体を転移で別の場所に移動させようとした。
落下する飛竜に再び『アマリリス』の鎖を突き刺し、《瞬間転移》を発動させる辰巳。
だが、転移は発動することはなく、ただ、辰巳の身体から魔力だけが消費された。
「え……? どうして……って、そうか! 飛竜が大きすぎて転移させるには魔力が足りないのか!」
飛竜の身体は巨大だ。この巨体を転移させるには、辰巳が内包する魔力では不足だったのだ。
今回の飛竜との戦いで、辰巳は周囲の魔力を吸収し続けながら魔法を発動することができるようになった。
しかし、それにも制限は存在する。
《飛翔》や《加速》のような常時魔力を消費して魔法の効果を維持するタイプならば、周囲の魔力を吸収しながら維持に当てることで、実質的に永続して魔法を維持することが可能である。
しかし、《瞬間転移》は少し違う。転移させる対象の大きさと転移させる距離で消費する魔力が左右されるため、その消費魔力の上限は辰巳が内包できる魔力までとなる。
例えば、水の入ったタンクがあるとしよう。
そのタンクには外から給水するためのホースが取り付けられているので、タンクの中はいつでも満水状態である。
だが、一度に消費できる水の量は、タンクの容量よりは多くなることはない。
この例で言えば、《飛翔》や《加速》はタンクに蛇口を取り付け、そこから常に水を出しっぱなしにするのに対し、《瞬間転移》はタンクの水を一気に消費する。
どれだけ外からタンクに給水したとしても、一度に消費できる水の量はタンクの容量を超えることはないのだ。
飛竜の身体の転移に失敗した原因に気づいた辰巳は、すぐに次の行動に移る。再び《飛翔》と《加速》を同時発動させて、辰巳は落下する飛竜を追い越した。
「……大きすぎて転移させられないのなら……転移できる大きさにすればいいんだ……!」
辰巳が脳裏に思い描くのは、先代の〈天〉の魔法使いであるティエート・ザムイも使ったと言われている切断魔法。
辰巳とて不完全ながらも、切断魔法を発動させているのだ。ならば、これまで彼が魔法を発動してきた時のように、しっかりとイメージすれば今度も切断魔法を発動させることができるかもしれない。
どんどんと落下速度を速める飛竜と並行して飛びながら、辰巳は飛竜の身体が切り刻まれる様をイメージする。
だが、地上までもう時間がない焦りからか、明確なイメージを思い描けない。
「……くそっ!! こんな時に限って……っ!!」
焦りが更なる焦りを呼び、地表もどんどんと近づいてくる。辰巳の頭の中までもが白一色に塗り固められそうになった時。
再び右腕に装着した『アマリリス』が彼に囁いた。
「……え? こ、このタイミングで……?」
辰巳の中に流れ込んできたのは、今まさに彼が発動させようとしていた切断魔法の存在。その名も──
「────《裂空》……?」
これだけぎりぎりまで追い詰められて、ようやく辰巳へと語りかけられた切断魔法の存在。
なぜこのタイミングで切断魔法の存在とその使用方法を教えられたのか。それは辰巳にも分からない。
だが、なんとなく辰巳は思う。ぎりぎりまで追い詰められた時、初めてその存在を明かすような設定を、『アマリリス』の前の主であったティエート・ザムイは施しておいたのだろう。
「どうしてそんなことをしたのかは不明だけど……もしかして、先代はかなり性格が捻じれた人物だったのかもな」
会ったこともない先代の〈天〉の魔法使い。だが、今は先代の人物像をあれこれと考えている時ではない。
辰巳は気持ちを切り替えて、『アマリリス』から与えられた情報通りに切断魔法を発動させた。
真横へと伸ばされた辰巳の右腕。
辰巳の身体の中から『アマリリス』へと膨大な魔力が流れ込み、同時に『アマリリス』の鎖が地面と平行に真っ直ぐに伸びる。
伸びた鎖の周囲には濃厚な魔力が纏わり付き、ゆらゆらと黄金の魔力光を立ち上らせた。
〈天〉の切断魔法、《裂空》。それはその名の通り、空間そのものを切断する魔法である。
どんな堅牢な鎧だろうが、どれだけ強固な魔法障壁だろうが、空間ごと斬り裂くこの魔法の前に、斬れぬものは存在しない。
辰巳の腕から横へと伸びた黄金の鎖。それは《裂空》の発動によって7メートル以上にも及ぶ斬れぬもののない万斬の刃と化した。
依然と地上へと向かって飛びながら、辰巳は飛竜に向けて万斬の刃を振る。
長大な無敵の刃は、何の抵抗を感じることもなく飛竜の胴体──トンボで言えば、胸と腹の境目──を一気に両断した。
辰巳は更に数回鎖を操り、二つに別れた飛竜の身体を更に小さく斬り刻んでいく。
そして手頃な大きさになった──とは言っても、元が巨大だけにかなりの大きさだが──飛竜の身体を、辰巳は鎖の先端を使って次々に城壁の外へと転移させていく。
城壁の外へと飛ばされた飛竜の身体の各パーツが、地上に落下しては重々しい音を立てる。
だが、全ての飛竜の身体を転移させ終えても、辰巳は油断なく周囲を見回していた。そして、辰巳の目は遂にソレを見つけ出す。
「────いた!」
辰巳が探していたもの。それは飛竜に取り憑いていた〈魔〉である。
飛竜に逆支配を受けていた〈魔〉も、宿主の飛竜が死んだことでようやく支配から抜け出したのだろう。ゆらゆらと空中を漂うようにしながら、〈魔〉は王都から離れようとしていた。
辰巳の目に映る〈魔〉は、これまでに彼が見た二体の〈魔〉とは、かけ離れた姿をしている。
コミックなどに描かれる人魂に、ひょろっとした二本の腕が付いている。それが今回の〈魔〉の姿だった。
おそらくだが、この〈魔〉は以前の二体よりも、格段に力が弱いのだろう。
辰巳は『アマリリス』を操作して、ゆっくりと離れていく──いや、逃げていく〈魔〉を背後から貫く。
おそらく飛竜が死んだ時点で身体から離脱していたのだろう〈魔〉は、既に辰巳のいる位置からはかなり離れていた。
だが、辰巳と『アマリリス』には距離などあってないようなもの。空間を飛び越えた鎖の先端は、そのまま〈魔〉を貫き、そこに宿った〈天〉の魔力があっさりと〈魔〉を消し去る。
〈魔〉が消え去ったその場所を、辰巳はじっとしばらく睨み付けていた。
そして、しばらくして〈魔〉が完全に消滅したと認めたのか、ようやく大きく息を吐きだしたのであった。
こうして、王都上空における飛竜との戦いは、完全に幕を閉じたのである。