黄金の毒花
ぎぃぃん、という硬質なもの同士が、激しくぶつかり合う音が蒼穹に響き渡る。
黄金の光の尾を引きながら、猛スピードで飛竜へと迫る辰巳。彼が前方へと突き出した剣の切っ先が、飛竜の身体を捉えたのだ。
とはいえ、飛竜の機動能力は尋常ではない。咄嗟にその巨体を横へと滑らせ、辰巳の突撃を躱そうと試みた。
しかし、辰巳の飛翔速度はそれを上回っていた。もしかすると、飛竜にも慢心というものがあったのかもしれない。
辰巳の剣は回避のために身体を横滑りさせた飛竜の体側を斬り裂き、その巨体に比して細くて小さな脚を、片側の三本を纏めて切断する。
剣呑な黒い棘が無数に生えた細い脚が、白い体液を撒き散らしながら地上へと落下していく。
飛竜がぎぃぃぃぃぃと耳障りな異音を発する。それは間違いなく、苦痛ゆえの咆哮だろう。
飛竜の脚を斬り飛ばした辰巳は、交差後もその速度を殺すことなく飛行を続け、大空で大きく弧を描いて再び飛竜へと剣の切っ先を向けた。
この時、既に飛竜は辰巳へと頭を向けていた。どうやら「空」という己の領域で傷つけられたことで、怒りの炎が更に激しく燃え上がったようだ。
飛竜は鋭い牙をがちがちと打ち鳴らしながら、辰巳へ向かって高速で飛行する。辰巳もそんな飛竜へと、真っ正面から再び突っ込んでいく。
上空で両者が再び激突する。城壁の上から眺めていたカルセドニアたちや、王国の騎士や兵士たちがそう思った瞬間。再び飛竜が横へと滑った。
飛竜は巨体を横滑りさせながら、それでも頭部は辰巳へと向けたまま。飛竜は至近距離から辰巳へと炎を浴びせかける。
飛竜の口から吐き出された紅蓮の炎。炎は空中で大きく拡がりながら、辰巳の身体を飲み込む。
城壁の上から見ていた者たちが叫び声を上げるより早く、きぃぃんという硬質なものが砕ける音が響く。
それは炎の包囲網から転移で逃れた辰巳が、飛竜の四枚ある翅の一枚、その一部を砕いた音であった。
ぱらぱらと飛竜の透明な翅の欠片が地上へと降り注ぐ。
その中を飛翔し続ける辰巳の身体が、きらきらと陽光を反射する欠片の中に紛れるようにして消え去った。
次の瞬間、辰巳の身体が飛竜の身体の下に出現する。しかも、その速度はまるで変わっていない。
直進する速度に限れば、今の辰巳は飛竜よりも速い。だが、空中での旋回能力では逆に飛竜の方に分がある。
だから辰巳は、空中で旋回するのを止めた。彼はただただ、真っ直ぐに飛ぶことだけを選択したのだ。
辰巳には《瞬間転移》がある。転移を用いれば、辰巳は直進しながら自在にその進行方向を変えることができるのだ。
《瞬間転移》を繰り返し、常に飛竜に向かって直進し続ける辰巳。
いかに飛竜の機動性が反則じみて高いとしても、至近距離に出現し、高速で飛ぶ辰巳の攻撃を完全に回避することはできない。
王都の上空に、硬質な音が何度も響き渡る。
そして、遂に決定的な破壊の音が、辰巳と飛竜の何度目かの交差の瞬間に聞こえた。
しかし。
その音は、飛竜の身体から聞こえてきたのではなく、辰巳の手元から響いていた。
「──────え?」
空を駆けながら、何とも間抜けな声が辰巳の口から零れ出た。同時に、彼の剣の刀身がくるくると回転しながら地上へと落ちていく。
先程聞こえた破壊音。それは飛竜の身体が砕けた音ではなく、辰巳の剣が限界を迎えた音だったのだ。
辰巳の剣は、カルセドニアから贈られたものである。確かにそれなりの業物ではあるが、決して魔封具の類ではない。
例えどんな名刀でも何度も岩に叩きつければやがて折れてしまうように、辰巳の剣は飛竜の身体という硬質な物体と何度もぶつかり合った結果、一気にその耐久度を超えてしまったのだ。
これまでの数度の激突で、飛竜の身体の表面には無数の傷が入っている。四枚ある翅の所々は欠け、脚は片側三本が失われている。だが、まだまだ致命傷と呼ぶには程遠い。
それなのに、辰巳は飛竜に突き立てる刃を失ってしまった。
代りの武器を取りに一度カルセドニアたちの元へと戻るか? そんな考えが辰巳の脳裏を過る。
しかし、ここで辰巳が飛竜の元から去れば、飛竜は再び城壁の上の兵士たちを襲うだろう。いや、もしかすると、城壁を飛び越えて王都を襲うかもしれない。
辰巳と飛竜は何度も空中で交差しているうちに、いつの間にかかなりの高度まで達していた。そのため、周囲に被害は及ばなくなったのだが、ここへ来てそれが辰巳には不利な要因となってしまっていた。
辰巳は刀身がへし折れた剣の柄を放り捨て、予備の武器である短剣を引き抜く。だが、それまで使っていた剣でさえ、飛竜の巨体に比べたら小さなものでしかなかったのに、こんな短剣ではまさに蟷螂の斧に等しい。
自分を追いかけてくる飛竜の姿を確かめながら、辰巳は背中を嫌な汗が流れ落ちるのを自覚した。
上空から落ちてきたものを見て、カルセドニアはその白く整った容貌を一瞬で青く染め上げた。
「…………こ、これは……旦那様の……剣の……」
からんと乾いた音を立てて足元に転がった、折れた剣の刀身。それを見たブガランクとタウロード、そして辰巳の仲間たちもまた、カルセドニア同様にその顔色を悪くする。
彼らのいる城壁の遥か上空では、辰巳と飛竜による空中戦が行われている。
辰巳と飛竜の戦場は遥かな高みにあり、仲間たちの魔法やジャドックの持つリュルンの強弓でさえ届かない。
「……タツミちゃんの窮地に……アタシたちは……何もできないっていうの……っ!!」
ジャドックがその端整な顔を悔しそうに歪める。彼の歯は自分の唇をいつの間にか食い破り、口の端からは血が流れ落ちている。
その思いはジャドックだけのものではない。ミルイルも、エルも、モルガーナイクも。タウロードとブガランクもまた、悔しそうな表情でじっと大空を飛び交う両者を見上げていた。
そしてカルセドニアも、その真紅の瞳に不安の色を浮かべながら辰巳が飛ぶ蒼穹を見つめている。
いつしか、折れた辰巳の剣の刀身を、しっかりと抱き締めながら。
その光景を見ているのは、何も城壁の上に集っている騎士や兵士たちだけではなかった。
「空の王者」とまで言われる飛竜。その飛竜と人間が互角に戦っている。しかも、本来ならば飛竜が圧倒的に有利な大空で、だ。
人間と飛竜の空中戦という前代未聞の戦いは、王都に残った全ての人々が見つめていたと言っても過言ではない。
王城で。四つの神殿で。貴族たちの住まう区画で。一般の市民たちが暮らす下町で。
テラスやベランダから。家々の窓から。玄関を出た通りから。
人々は無言で、大空で繰り広げられている戦いを見上げていた。
武器を失った辰巳は、ただひたすらに逃げ回っていた。
全速力でこの場を離脱すれば、今の彼ならば飛竜を振り切ることだってできる。だが、辰巳はそれを選ばない。
大きく弧を描き、時に小刻みな転移も加えて空を飛び続けながら、辰巳は飛竜との距離を一定に保つ。
既に辰巳は、この新たな飛翔魔法を完全に制御していた。
元より彼のイメージによって完成した飛翔魔法である。今の辰巳は、水中を泳ぐよりも遥かに自在に立体的に動き回ることが可能なのだ。
そんな辰巳に追いつけない飛竜は、苛立たしそうに何度も炎を吐きかけてくが、その炎を辰巳は《瞬間転移》であっさりと躱していく。
そうして空を舞いながら、辰巳は何とか反撃の糸口を探し続ける。
今、手にしている短剣では、飛竜には到底歯が立たないだろう。となると、辰巳に残された武器はただ一つ。
辰巳は飛竜からちらりと視線を移動し、自分の右手を見る。そこには、朱金の細い鎖が幾重にも巻き付いた籠手が装着されている。
かつて、《大魔道師》が愛用したという武器。『アマリリス』という不釣り合いな銘を与えられたその武器は、依然辰巳の腕で沈黙したままだ。
──いっそ、この籠手に魔力を流し込んで、直接飛竜を殴りつけるか?
剣に流し込んだ魔力を爆発させる《魔力撃》。それは何も剣でなくとも使えるのである。
『アマリリス』は辰巳の右腕の拳と手の甲、そして手首から肘の辺りを守る形の籠手である。特殊な金属製のこの籠手を装備して殴りつければ、小さな短剣よりも効果は高いかもしれない。辰巳が半ば破れかぶれでそう判断し、右手へと魔力を集中させた時。
まるで流し込んだ辰巳の魔力に応えるかのように──いや、間違いなくそれは辰巳の魔力に反応した。
「…………『アマリリス』?」
辰巳が小さく呟いたその名前に応えて、巻き付いていた鎖が解けていく。
それはまるで、蕾が花開くように。
解けた鎖は黄金の光──辰巳の流し込んだ魔力の光──を宿しながら、ゆっくりと辰巳の周囲を旋回するように漂う。
そして、辰巳の中に目覚めた『アマリリス』の情報が流れ込んでくる。
「……そうか。おまえを完全に目覚めさせるには……魔力が足りなかったのか」
辰巳が初めて『アマリリス』を転移させて装着した時、巻き付いていた鎖は自然と解けた。それは転移の際に使用した魔力に反応していたのだ。
だが、完全に《大魔道師》の遺産を目覚めさせるには、注いだ魔力が足りなかった。そのため、辰巳の中に流れ込んだ情報はこの遺産の銘だけ。あの時、もしも辰巳がもう少し多めの魔力をこの遺産に流し込んでいたら、その場で目覚めていたかもしれない。
だが今、辰巳は《魔力撃》を発動させるため、多量の魔力を『アマリリス』へと流し込んだ。それが引き金となり、《大魔道師》の遺産は新たな使い手へと己の存在を完全に知らしめた。
「……………………なるほど。要は導火線なんだな」
『アマリリス』から教えられた情報。それを元に、辰巳はこの可憐な凶器の使い方を完全に理解する。
辰巳はゆっくりと飛行速度を落としていく。視界を遮るもののないこの空の上で、『アマリリス』という心強い相棒を得た辰巳が高速で飛び回る必要は最早ない。
「よし、行こうか『アマリリス』。これが俺たちコンビの初陣だ」
完全に速度をゼロにした辰巳は、空中に静止したまましっかりと飛竜を見据える。
そして、彼の周囲をゆっくりと漂っていた黄金の鎖が、辰巳の意志に従ってその先端の重りをぴたりと飛竜へと向けた。
今、蒼穹を背景にして。
黄金に輝く一輪の美しい花が、その花弁を完全に開花させたのだった。
辰巳が静止したことを訝しがることもせず、飛竜は真っ直ぐに辰巳に向かって飛ぶ。
自分に向かって迫り来る飛竜の巨体。それを辰巳は、避けようともしなければ逃げようともしない。
彼がしたことはただ一つ。
迫る飛竜へと、ゆっくりと右手の指を指し向けただけ。
魔力を流し込むことによって、黄金の鎖は手足の如く辰巳の意志に従って動く。主の意志に従った黄金の鎖が宙を疾り、その先端が不意にその存在を消し去った。
そして次の瞬間に飛竜の腹の下から鎖の先端が出現し、そのまま飛竜の外殻を貫く。
ドワーフだけが鍛えることができると言う朱金鉱。その特殊な金属製のこの先端は、飛竜の硬い外殻をあっさりと貫いた。
本来ならば、辰巳の《瞬間転移》では物体の一部だけを転移させることは不可能なのだが、『アマリリス』に限ってはそれが当てはまらない。《大魔道師》も実際に使っていただけあって、この遺産はやはり特別のようだ。
そして、これだけで終りではない。これだけでは終わらない。
外殻を貫いた感触を鎖を通じて感じ取った辰巳は、間髪入れずに更に魔力を流し込み、飛竜の体内で魔力を爆発させた。
飛竜の硬い外殻は、辰巳の《魔力撃》さえも耐え抜く強度を持つ。だが、体内に──外殻の内側へと直接流し込まれた魔力の爆発は、逆に硬い外殻に閉じ込められて飛竜の体内で暴れ回る。
再び、飛竜の口から苦しげな咆哮が響く。
辰巳の右手から伸びる黄金の細い鎖。
実際には7~8メートルほどの長さしかないが、《瞬間転移》と組み合わさることで無限の射程を誇る恐るべき鏃と化す。
また、この朱金鉱製の鎖は、流し込んだ魔力をそのまま伝える。
辰巳の手元からひとたび放たれた黄金の鎖は、空間さえも飛び越えてどこまでも伸びる導火線となり、辰巳が狙い定めた標的を確実に破壊するだろう。
かつて、《大魔道師》によってその力を存分に振るっていた恐るべき毒花は、新たな主の元で再びその猛威を振るい始めたのだった。
※一部の都合により、『アマリリス』の形状を変更しました(笑)。




