魔法について学ぼう
ラルゴフィーリ王国。
ゾイサライト大陸の最北に位置する、大国の一つである。
領土内に氷の精霊が多く集まる大氷山山脈を有し、特に氷の精霊が集まる時期である宵月の節──つまり冬は寒さが厳しくなる。
この世界の季節は精霊の力の影響によって変化する。火の精霊の力が強くなれば太陽の節──夏に、大地の精霊の力が強ければ豊穣の節──秋に、風の精霊の力が強くなれば海洋の節──春となる。
ラルゴフィーリ大国では大氷山山脈に集まる氷の精霊の影響で宵月の節が長くて太陽の節は短い。
また、宵月の節と太陽の節の間には海洋の節が、太陽の節と宵月の節の間には豊穣の節が、太陽の節よりも短いながらも存在する。
宵月の節、つまり冬は一年の内の半分を占める。だが国土は広大な面積を誇り、残る季節で大量の作物を育てることができるため、冬に餓死者を出すようなことは辺境の寒村でもなければ稀である。
また、冬に大量の雪が降るために水も豊富で、その水を利用した酒造りも盛んに行われており、ラルゴフィーリ産の各種の酒は、ゾイサライト大陸では銘酒として名を馳せている。
また、屈強な騎士団と軍隊を擁することでも知られ、騎士や兵士たちは日々、厳しい訓練に勤しんでいる。
──などなど、辰巳はジュゼッペとカルセドニアから、彼らが今いるこの国のことや、そこに暮らす庶民の暮らしぶりなどの説明を受けた。たが、その中でも辰巳が一番興味を引かれたのはやはり魔法に関してだった。
召喚された時点でそうだろうとは思っていたが、やはりこちらの世界には魔法が存在するらしく、魔法を使うことができる者は総じて「魔法使い」と呼ばれているそうだ。
カルセドニアだけではなく、ジュゼッペもまた魔法使いであるという。
「魔法使いの数は、決して多くはありません。魔法使いとしての素質を持つ者は、大体百人に一人か二人の割合だと言われています」
そして、魔法使いは個々それぞれに得意とする魔法の系統を持つ。系統──時には属性とも呼ばれる──には、基本となる六種類がある。
〈光〉〈闇〉〈地〉〈水〉〈火〉〈風〉の六種類がそれで、そして更にそこから上位系統や派生系統などがあり、実際の系統の数はどれだけあるのか不明とまで言われていた。
「私は〈聖〉〈炎〉〈海〉〈樹〉〈雷〉の五つの適性系統を持ち、お祖父様は〈聖〉と〈海〉の適性系統を持っています」
「え? 五つ? ……それってやっぱり凄いの?」
「うむ。祖父の儂が言うのもなんじゃが、カルセはいわゆる天才という奴じゃな。普通の魔法使いが持つ適性系統は一つ、多くても儂のように二つが精々じゃ。じゃが、カルセはそれを五つも持っておる。これだけの適性系統を持つ魔法使いは、過去にも一人か二人しかおらんのじゃよ」
ちなみに、〈聖〉は〈光〉の、〈炎〉は〈火〉の上位系統であり、〈海〉〈樹〉〈雷〉はそれぞれ〈水〉〈地〉〈風〉の上位派生属性である。
「魔法を発動させるには、必ず呪文の詠唱を必要とします。そのため、声を出せない状態では、どんなに優れた魔法使いでも魔法は使えません」
魔法使いが罪を犯した場合などは、拘束する時には必ず猿轡を噛ませる。そうすれば、魔法を使われる心配はないからだ。
魔法を使用する際には、体内に宿した魔力を消費して行う。そのため適性系統の種類と数、そして内包魔力の量が魔法使いにとっては重要な要素となっている。
適性系統以外の系統でも魔法そのものは発動させることは可能だが、適性系統を持たない場合は、魔法の効果や範囲などが著しく低下する。
正しい呪文詠唱と魔力。この二つがあって、初めて魔法は発動するのだ。
「じゃ、じゃあさ? もしかして俺にも……その適性系統って奴はあるのかな?」
わくわくとした気持ちを隠すことなく、辰巳はカルセドニアとジュゼッペに聞いてみた。
もしかすると、小説などによくあるように、異世界から来た辰巳には強大な魔法使いとしての才能が眠っているかもしれない。もしくは強力な異世界補正が作用しているとか。
それになにより、魔法という超自然的な技術があるのなら、やっぱり自分でも使ってみたい。
そんな期待を込めて辰巳は尋ねてみたのだが、ジュゼッペとカルセドニアの顔はあまり冴えたものではなかった。
「あ、あの……とても申し上げ難いのですが、ご主人様には、そ、その……」
「この際じゃからはっきり言わせてもらうがの……婿殿が魔法を使うことはできんじゃろ。お主には……お主の身体からは、適性系統どころか一切魔力を感じられないからの」
この世界の生物は、昆虫などの一部を除いて僅かとはいえ魔力を持っている。だが、それでも魔法使いになれるのは、ほんの一部のみ。一定量以上の魔力がないと、魔法を発動させることはできないからだ。
だが、異世界からの来訪者である辰巳には、魔力そのものが一切ない。
考えてみれば、辰巳の世界には魔力など──一般的には──存在しないので、彼が魔力を持っていないのは不思議なことではないだろう。
そして、カルセドニアやジュゼッペのように、ある一定以上の実力を有する魔法使いは、相手が持つ魔力をかなり正確に感じ取ることができる。彼らは初対面から今に至るまで、辰巳からは魔力を一切感じられなかった。
魔力が全くない──魔法は全く使えないと断言されて、辰巳は目に見えてがっくりと落ち込んだ。
「そう落ち込むでないわ、婿殿。確かにこの世界の人間ならば、誰でも魔力を持っておる。とは言ってもそれは微々たるもの。初歩の初歩である簡単な魔法を発動させることもできないほどなんじゃ」
「そ、そうですよ、ご主人様! ご主人様が何か魔法が必要なことがあれば、その時は私が代わって魔法を使いますから!」
そう言って辰巳を慰める二人。それでも、もしかして魔法が使えるかも、という期待が大きかっただけに、辰巳の感じたショックも大きかった。
「……先程も申し上げたように、魔法を使うためには呪文の詠唱が不可欠です。そのため、私たちが使う魔法を『詠唱魔法』とも呼びます」
どんよりとした辰巳の気を逸らすためか、カルセドニアは更に魔法に関する説明の方向性を少し変えた。
「元々は単に魔法と言えば詠唱魔法のことじゃったが、ここ最近……だいたい十年ぐらい前からか。新しい種類の魔法を使う者たちが現れてのぅ。そのため、彼らの使う魔法と区別するため詠唱魔法と呼ばれるようになったんじゃ」
「新しい魔法……?」
「うむ。この世界のあちこちに存在する意志を持つ魔力、すなわち精霊たちの力を借りた魔法で、詠唱魔法に対して精霊魔法と呼ばれておる。なんでも、遠い異国から渡って来た一人の女性が広めたらしい」
「へえ? もしかして、その女性も俺と同じように異世界──俺とは違った異世界から来た……なんてことはないですかね?」
「さぁて、そこまでは儂も知らんわい。その女性とは会ったこともないからの。じゃが、噂によればとんでもない美人らしいぞ? できれば、神の御元に行くまでに一度ぐらいは会ってみたいものじゃて」
と、ジュゼッペはいつものようにほっほっほっと笑った。
「さてさて、随分と長い間話し込んでしもうたのぅ」
話に一区切りつけたジュゼッペが窓の外へと視線を向ければ、そこは茜色に染まる空が見えた。
「そう言えば、これから婿殿と二人で暮らす家に心当たりがあると言っておったが、もう既に決まっておるのか?」
「いえ、業者の方にいくつかの候補となる空き家を探してもらっておいたので、後はご主人様と一緒に見てから決めようと思っています」
「そうか。ならば、今日のところは婿殿もこの神殿に泊まるとよかろう。この神殿はゾイサライト大陸におけるサヴァイヴ教団の総本山なので、各地から巡礼者や旅の神官が来るからの。そんな者たち向けの客室がいくつかあるのじゃよ。それとも────」
ジュゼッペはひょいっと片方の眉を釣り上げた。
「────カルセの部屋に泊まるかの? 婿殿がそちらの方がいいというのなら、儂はそれでも構わんぞ?」
「い、いいいいいっ!? きゃ、客室でいいですっ!! 客室でお願いしますっ!!」
顔を真っ赤にさせて、必死に客室での宿泊をお願いする辰巳。そして、そんな辰巳をどこか残念そうな顔でじっと見つめるカルセドニア。
「ほっほっほっ、冗談じゃよ。カルセの部屋は独身の女性神官たちが寝起きする宿舎にあるからの。いくら儂と言えども、そこに男である婿殿を放り込むことはできんわい」
男女問わず、神官用の宿舎で寝起きする者は未婚者ばかりである。
結婚の守護神でもあるサヴァイヴ神は、聖職者であっても婚姻することを推奨している。
中には神に純潔を捧げる者もいないではないが、大半の神官は所帯を持つに至る。そして所帯を持った神官は、神殿を出て街の中に家を構えるのだ。逆に言えば、神官が神殿を出て町中で暮らすというのは、近々結婚するということを無言で示すものなのである。
さすがに結婚してからも神殿暮らしでは、何かと不都合な面も多々あるのだ。特に子作り方面で。サヴァイヴ神は子宝の神でもあり、子作りも奨励しているのだから。
そのため、カルセドニアが辰巳と一緒に暮らすために家を構えるというのは、それほど不自然なことではないのだ。問題は、「《聖女》が家を構える」という事実の方であったが、今の辰巳はそんなことは知る由もない。
そして翌日。辰巳の時間感覚的には昼を少し過ぎた頃。
本日の神官としての務めを全て終えたカルセドニアは、辰巳と一緒にレバンティスの街の中を歩いていた。
二人が向かう先は、昨日も言っていた家屋敷の売買を取り扱う人物のところである。こちらの世界の不動産屋だろう、と辰巳は考えていた。
二人は仲睦まじそうに、ぴったりと寄り添いながら街の中を歩いていく。
カルセドニアはにこにことそれはもう幸せそうな表情で。時折、あちこちを指差しては辰巳に街のことを説明していく。
対して辰巳はといえば、ずっと上の空だった。顔を赤らめつつ、視線はあちこちに彷徨っている。そうしていなければ、どうしたって意識してしまうのだ。
彼の右腕──現在、カルセドニアが抱えるようにして密着しているそこに感じる、すっげえ柔らかい二つのモノを。
こちらの世界にも女性用の上半身下着は存在するが、辰巳の世界のようなブラジャーとは違って柔らかい布を巻き付けるような簡単なものである。そのため、ブラジャー程の防御力を持たないこちらの下着は、その内側に包まれた双丘の柔らかさを、余すところなく辰巳の腕に伝えてくる。伝わってしまう。
よって、辰巳はその感触を必死に無視しようとしているのだった。
「どうかなさいましたか、ご主人様?」
ぎこちない態度の辰巳に、カルセドニアが不思議そうな顔をする。
「い、いや、その……こんなに女の人とくっついて歩いたことがないから……ちょ、ちょっと歩きにくいというか……」
同年代の女性と腕を組んで歩くということ自体、確かに辰巳にとっては初体験だが、彼がぎこちないのは当然それだけが理由ではない。とはいえ、ここでカルセドニアに面と向かって、「腕に胸が当たっているから」と言い出すことは辰巳には不可能だった。だって、このままの方が気持ちいいのは確かだし。
そして、そんな辰巳の内面の葛藤に気づかないカルセドニアは、その美しい顔を更に輝かせて笑う。
「あら、何をおっしゃいますか? 以前はよくこうしてご主人様と一緒に、外へ出かけたではありませんか」
「い、いや、その時のチーコは小さかったしっ!! それに腕を組んで歩いたんじゃなくて、俺の肩や頭の上に乗っていただけだしっ!!」
そんなやり取りをしながら、二人は楽しそうに──端から見れば──歩く。
この時、カルセドニアとの会話と、腕に当たる柔らかい感触に気を取られていた辰巳は気づかなかった。寄り添って歩く二人に向けられる、街の住民たちの視線に。
《聖女》という二つ名で呼ばれ、このレバンティスの街の住民ならば、その名前を聞いたことがない者はいないとまで言われるカルセドニア。
その彼女が、同年代の男性とそれはもう幸せそうに腕を組んで歩く姿が、街の住民たちの注意を引かないわけがない。
街の人々は、幸せ真っ盛りといった表情のカルセドニアに目を見開いて驚き、次いで彼女と一緒に歩いている男を見てもう一度驚く。
見たこともない衣服を着た、珍しい黒髪黒瞳に薄い琥珀色の肌をしたその男。
この国に暮らす人々の髪の色は、薄い茶色から赤系が多く、カルセドニアのようなプラチナ・ブロンドは、どちらかと言えば珍しい。そして、肌の色も白系統がほとんどであった。
そんな中で辰巳の姿は、たとえ一人で歩いていても目立っただろう。
その辰巳が高名な〈聖女〉と腕を組んで歩いているのだ。街の誰もが、この珍しい取り合わせに驚きながらも興味津々といった目で通りすぎる二人の背中を見送っていた。
そうこうしている内に、目的地であるこちらの世界の不動産屋に到着したようで、カルセドニアがとある建物の前で足を止めた。
「ここがそうなのか?」
「はい、こちらが家屋敷を取り扱っている方のお宅です」
辰巳の目の前には、石造りの大きな屋敷があった。
ここまで来る途中、街の中にある建物はほとんどが石造りであり、それも赤茶色の煉瓦らしきものを積み上げて造っているものが多かった。そのため、街の中は赤い色彩があちこちに溢れていた。
だが、目の前にある屋敷は赤茶色い煉瓦ではなく、切り出したらしい白い石を使った建物。どのような種類の石なのかは分からないが、おそらく金持ちでなければこのような屋敷には住めないだろう。
そう思って辺りを見回せば、周囲の屋敷は同じような白い屋敷が多い。となれば、今自分たちがいるのは、いわゆる高級住宅街に相当する地区なのではないか、と辰巳は心の中で推測する。
「しかし普通の屋敷だよな……」
改めて目の前の屋敷を見上げて、辰巳はぼそっと一人ごちる。
だが改めて考えてみれば、家や屋敷などは他の商品とは違って店先に並べておくようなものではない。そのため、店舗などを構える必要ないのだろう。
辰巳がそんなことを考えている間に、カルセドニアは屋敷の玄関の扉の前まで進み、屋敷の中へとその澄んだ鈴の音のような声を投げかけていた。
「申し訳ありません。サヴァイヴ神殿のカルセドニア・クリソプレーズと申します。ご主人はご在宅でしょうか?」
そうしてしばらく待つと、勢いよく玄関の扉が開き、中から中年の男性が飛び出して来た。
つるりと真ん中だけが見事にはげ上がった頭部と、恰幅よく突き出した腹。それでいて背は辰巳どころかカルセドニアよりも低い。
身に着けているものは、ここに来るまでに何となく見ていた街の人々の服よりも、数段上等そうに見える。屋敷から想像した通り、かなり裕福な人物なのだろう。
「お、お待ちしていました《聖女》様! この度はこのわたくしにご用命くださり、誠に嬉しく存じます!」
屋敷の主らしきその男性は、脂ぎった顔に満面の笑みを浮かべながら、すりすりと両手の掌を擦り合わせつつカルセドニアに挨拶をした。