助っ人到着
「竜」という言葉から、何を連想するだろうか。
ごく一般的には、翼のある巨大なトカゲの姿をした、いわゆる「西洋の竜」。もしくは、長い身体に小さな四肢と角を持つ、いわゆる「東洋の龍」。おそらくはそんなところだろう。
もちろん辰巳もその例に漏れることなく、「飛竜」という言葉から何となくだが「ドラゴン」か「ワイバーン」を想像していた。
だが。
だが、実際に姿を見せたこの世界の飛竜は、「西洋の竜」でも「東洋の龍」でもなかった。
それどころか、その姿は辰巳が幼い頃から馴染みのあるもので。
「……トンボ……この世界の竜は……トンボなのか……」
正直なことを言えば、不謹慎ながら本物の「竜」を見ることができると期待していた部分もあったのだ。それなのに、実際に現れた竜はトンボそのもの。
なんとなく気を抜かれてしまった彼は、思わず隣に立つ妻へと視線を向けた。
「……? どうかなさいましたか?」
彼の妻は何でもないように首を傾げるばかり。
「……そうか……そうだよなぁ……オカメインコだもんなぁ……」
彼の妻であるカルセドニアの前世は、以前に辰巳が飼っていたオカメインコである。彼とてそれは既に承知しているが、そのことを改めて実感する。
そもそもオカメインコは、とても臆病な生き物なのだ。
見慣れぬものや見知らぬものが近づけば、たちまちパニック──オカメインコ愛好家の間で言うところの「オカメパニック」──を起こす。
かつては部屋の掃除の際などに、「彼女」の籠を一時的に家の外に出したりすることがあった。その時、夏場だと蝶や蜂、トンボなどが偶然近くへ飛んで来ることはよくあることだ。
そんな時、「彼女」は決まってパニックを起こして籠の中で暴れたものだった。
籠の中で暴れているのを放っておくと、羽根を籠にひっかけて怪我をすることもある。そのため、「彼女」がパニックを起こした時は、急いで近くへ駆け寄って「彼女」を落ち着かせないといけない。
そこまで臆病な「彼女」にとって、おそらくはトンボも蜂も蝶もすべてひっくるめて、「見慣れない怖いもの」でしかないのだろう。
ちなみに、「彼女」がパニックを起こす一番の原因だったのは夜中の地震だった。小さな地震でもパニックを起こす「彼女」を宥めるために、過去に辰巳が夜中に叩き起こされた回数は数えきれない。
「……きっと……トンボの具体的な記憶なんてないんだろうな……」
誰に言うでもなく、ぽつりと呟く辰巳だった。
王都の近くまで来た飛竜は現在、城壁からおよそ1000メートル──あくまでも辰巳の目測で──ほどの地点の上空で滞空していた。
城壁傍の農地に繋がれている囮の豚たちを品定めでもしているのだろうか。それとも、城壁の内側にひしめく人間たちをどうやって狩るかを考えているのだろうか。
飛竜が何を思って滞空しているのかは不明だが、防衛する側にとっては僅かでも準備の時間が得られるのはありがたい。
「さて、飛竜が動き出す前に最終確認といくぞ」
辰巳が過去のオカメインコにまつわるエピソードに思いを馳せていると、横からブガランクの声が響いた。
「飛竜が囮の豚に引き寄せられたら、そこへ城壁から一斉攻撃を加える。……正直ここだけの話だが、俺はほとんど効果はないと思っている。まあ、攻撃の一部が命中すれば儲けものだろうな」
ブラガンクの言葉を、辰巳は神妙に聞く。
あの飛竜が見た目通りにトンボと同じ能力を有しているとしたら、空中での機動性はかなり高いだろう。
空中の機動性において、トンボは地球上の生物の中でもトップクラスと言われている。実際に辰巳も子供の頃に経験しているが、飛んでいるトンボを捕虫網で捕えることは至難の技だった。
そんなトンボ──いや、飛竜を相手に、矢や魔法を命中させることはかなり難しいと言えるだろう。
「城壁からの総攻撃が失敗に終わるか、飛竜が囮に引き寄せられなかったら……タツミ。おまえさんの出番だ」
ブガランクは真剣な表情で辰巳の肩を叩く。
「例え飛竜と言えども、突然至近距離に現れた者の攻撃を避けるのは難しいに違いない。おまえさんは転移で飛竜の懐に飛び込んで攻撃を加え、一撃入れた後は再び転移でここに戻って来るんだ。ジュゼッペの爺ぃに聞いたところだと、おまえさんは魔力の回復は心配ないらしいからな。肉体的な怪我や疲労は責任を持って俺が回復させてやる」
「お言葉ですが猊下。旦那様の回復は妻である私が受け持ちます」
ブガランクの言葉の間にカルセドニアが割り込む。だが、太陽神の最高司祭は、ゆっくりと首を横に振った。
「《聖女》殿の気持ちは理解できるが、今回はおまえさんには別の役割を果たしてもらう」
「別の役割……ですか?」
「おう。タツミが飛竜に一撃入れてここに戻った時、タツミが再び転移するまでの間、飛竜に牽制を加える必要がある。おまえさんとそっちの……ジャドックだったか? 二人にはその牽制をやってもらわねばならん。実は俺、近接用の武器を用いた直接戦闘と回復魔法はちっとばかし自信があるが、攻撃系の魔法は苦手なんだよ」
ブガランクの魔法系統は〈聖〉の単独系統。そして彼が自分で言った通り、なぜか直接攻撃を加える魔法とは相性が悪い。そのため、今回は辰巳の回復役を買って出たのだ。
太陽神の最高司祭にこう言われては、カルセドニアも攻撃魔法による牽制を行うことに同意するしかない。
「あの……最高司祭様? 司祭様のおっしゃることは分かりますが……アタシとカルセちゃんの二人では、ちょっと手数が足らないのじゃありません?」
ジャドックの手にしているリュルンの強弓と、カルセドニアの攻撃魔法ならば、飛竜に打撃を与えることは可能だろう。
だが、飛竜の機動能力を考えると、牽制役が二人だけではあっさりと矢も魔法も回避されかねない。
ここは牽制の手数を増やすことで、飛竜の機動性に対抗するのが良作だろう。
「それならもう手配をしてある……っと、丁度来たようだな。遅いぞ二人とも。いつ飛竜が再び動き出すのか分からないから、さっさと攻撃の準備に入れ!」
ブガランクが辰巳たちの背後へと声をかけた。
その声に反応してタツミたちが振り返れば、城壁の上へと続く階段を駆け上がってきた二人の人物がいた。
そして、その二人は辰巳がよく知る人物で。
「え、エルさんと……も、モルガーさんっ!?」
そう。
辰巳たちの元へとやって来たのは、〔エルフの憩い亭〕の女主人であるエルと、《自由騎士》の二つ名を持つモルガーナイクの二人。
階段を駆け登ってきて乱れた息をゆっくりと整えると、二人は改めて辰巳たちへと微笑んだ。
「遅くなって申し訳ありません! サヴァイヴ神殿の最高司祭様からの要請で、タツミさんたちの手助けに来ました! とは言え、急な依頼だったので、ここに来るのにちょっと時間がかかっちゃいました」
「どうやら、クリソプレーズ猊下は顔馴染みの方が連携が取りやすいとお考えになられたのだろうな。オレとしても猊下から直々の依頼となれば、断るわけにはいかんよ」
精霊魔法の開祖であるエルと、《自由騎士》と呼ばれ魔法使いとしても相当の実力を有するモルガーナイク。この二人ならば、飛竜を牽制する役目を十分に果たすことができるだろう。
「あらん、確かに女将さんの参戦はありがたいわね。それに……こんなイイオトコが傍にいるとなれば、それだけアタシも張り切っちゃうわよン」
ジャドックがくねくねとシナを作り、モルガーナイクに向けて四つある目の一つをばちんと器用に閉じて見せる。
それを見たモルガーナイクは若干嫌そうな顔をしたものの、すぐに真面目な表情へと切り替えた。どうやら、ジャドックのことはとりあえず流す方向らしい。
そして、なぜかカルセドニアはモルガーナイクに対して、じとっとした冷たい視線を送っていた。
旧知であるカルセドニアにも何か言おうとしたモルガーナイクだったが、彼が口を開くより早くぷいっと視線を逸らしたため、その機会を失ってしまった。
「な、なあ、タツミ? もしかして、カルセは一年前のあの事件のことをまだ怒っているのだろうか?」
モルガーナイクはカルセドニアの態度が理解できず、近くにいた辰巳に小声で尋ねた。
「じ、実はですね、モルガーさん。カルセが怒っているのは例の事件のことじゃなく、最近あった斑山猫の件に関してでして……」
「斑山猫?」
「あの時……斑山猫に一度は負けて落ち込んでいた俺は、モルガーさんの助言が切欠で立ち直ることができましたけど、実はその……その助言を与える役割をカルセがこっそりと狙っていたみたいでして……」
カルセドニアの秘かな計画としては、斑山猫に負けて落ち込んでいた辰巳に、それとなく助言を与えて立ち直らせ、「夫を支える良き妻」を演出するつもりだったらしい。
だがその役割は、彼女が知らぬ間にモルガーナイクに奪われてしまった。カルセドニアにしてみれば、一番おいしいところを横からかっさらわれた形である。
「そ、そうだったのか……そ、それはその……彼女に悪いことをした……のか?」
半ば呆れたような顔つきでモルガーナイクが首を傾げた直後、ブガランクの緊迫した声が響いた。
「そろそろ気持ちを引き締めろよ、おまえさんたち! どうやらお客さんが、歓迎のゴチソウに食いついたようだぜ!」
ブガランクが前方を指差す。
その方向へと辰巳たちが一斉に目を向ければ、まさに飛竜が地面に群れる豚たちへと急降下をしているところだった。
トンボ特有の軽い羽音を立てながら、飛竜が地上に群れる豚目がけて急降下をかける。
飛竜の二対四枚の巨大な羽──いや、翅が周囲の空気を激しく打ちつけ、飛竜は地面すれすれでトンボ特有の急激な機動をかける。
翅によって空気がかき混ぜられ、周囲に大量の砂埃が舞い上がる。飛竜が意識して砂埃を起こしたわけではないが、この砂埃が城壁の上から虎視眈々と攻撃の機会を狙っていた兵士や魔獣狩りたちから、一時とはいえ飛竜の姿を覆い隠す。
「飛竜の姿が────っ!!」
攻撃の指揮を取っていたタウロードは一瞬焦るが、飛竜が地面に近づいているのは間違いなく、この機会を逃すわけにはいかない。
それに大型の弩は豚の群れに事前に照準を定めてある。例え砂埃で飛竜の姿は見えなくても、あの巨体ならば正確な狙いを付けなくても命中する可能性は十分にある。
「弩! 放て!」
タウロードが下した命令を受けて、十数基の大型の弩が一斉に咆哮を放つ。
びぃいいいいんという甲高い弦が弾ける音と共に、十数本の巨大な矢が砂埃の中にいるであろう飛竜に向かって解き放たれる。
莫大なエネルギーを秘めて放出された巨大な矢たちは、空気を引き裂いて砂埃の中の飛竜へと殺到する。
他にも通常の弓や石弓、そして魔法なども一斉に同じ箇所へと打ち込まれていく。
しかし。
しかし、各々の矢や魔法が到達するより早く、飛竜は砂煙の中から飛び出した。
その巨体に比して小さな足には数頭の豚を抱え、口元にも一頭の豚がぶら下がっている。
飛竜は一気に上空へと舞い上がりながら、咥えた豚の身体を噛み砕いて嚥下していく。
ぽつりぽつりと、上空から豚の肉片や血が城壁の上へと降り注ぐ。
兵士や魔獣狩りたちは、上空で再び滞空した巨大な飛竜を、悔しげに見上げることしかできないでいた。
「タツミっ!! 出番だぜっ!! 牽制組は魔法と弓の準備だっ!!」
ブガランクが振り返って叫ぶが、その時にはもう辰巳の姿は城壁の上にはない。
魔法使いにだけ見える黄金の魔力光の僅かな残滓だけが、辰巳が《瞬間転移》を使用した痕跡だ。
そして、城壁の上で第一陣の攻撃に参加していた、兵士や騎士、魔獣狩りたちは目にした。
巨大な飛竜の傍らに突然人影が出現し、構えていた剣を飛竜の頭部に向けて振り下ろすのを。
人影が振り下ろした剣と、飛竜の巨大な眼──真紅に染まった複眼が交差した瞬間。
飛竜の頭部に、黄金の輝きが炸裂した。




