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新年

 時は巡り、ラルゴフィーリ王国を広く覆っていた雪も徐々に解け始める季節。

 この雪解けを以て、ラルゴフィーリ王国は年を新たにする。

 この国には特定の誕生日を決める風習はないようで、王侯貴族から庶民に至るまで、年明けと共に全国民が一斉に年齢を一つ積み重ねる。

 辰巳とカルセドニアも一つ年齢を重ねることになり、新年を迎えれば辰巳が17歳、カルセドニアが20歳となる。

 そしてそれは、辰巳がカルセドニアに日本から召喚されて、一年近い時間が経過したことも意味していた。




「新年祭?」

「はい。雪解けと新たな年を迎えたことを祝う、この国のお祭りです」

 雪の少なくなった王都の道を歩きながら、カルセドニアは辰巳の質問に答えた。

 相変わらずぴったりと身を寄せ合って歩く二人。

 《聖女》と仲睦まじく一緒に歩く辰巳の姿は、最初こそ驚きの目で見られていたものの一年という時間が経過した今では、王都ではすっかり見慣れたものへと変じていた。

 今日も寄り添って歩く二人を、王都の人々は温かい目で──中には生暖かい目で──見つめ、微笑ましそうに目を細める。

 時には冷やかしの言葉も飛んで来るが、もはや辰巳も慣れっこだ。

 カルセドニアが辰巳を召喚したことを切欠に始まった、こちらの世界での生活。

 辰巳は神殿で神官としての務めを果たし、神官戦士として修練を重ねる。

 魔獣狩りとしては、ジャドックやミルイルと共に王都近郊や少し離れた場所まで赴いては魔獣を狩り、チームとしての連携を深めると同時に財布の中も豊かになってきた。

 最近では、辰巳たちも狩った魔獣の素材を利用した武具を着用するようになり、実力面でも装備面でも以前より力をつけたと言えるだろう。

 そして、何もない日はこうして大切な存在である女性と、共に時間を過ごすことも大切な一時であった。

「新年を祝う祭り……か。ちょっと楽しみだな」

「はい。毎年、国王陛下の新年の宣言と共にお祭りは始まり、お祭りは三日三晩続きます」

「へえ、三日も祭りが続くのか。具体的にはどんなことをするんだ?」

「そうですねぇ。王侯貴族の方々は夜会や武術の競技会などありますが……庶民向けには、王都の()(だい)(しん)の神殿が、それぞれ何か催し物を行ないますね」

 法の守護神であり、戦神としても崇められる太陽神ゴライバ。

 夜の守り神であり、知識神、芸術神としても信仰される宵月神グラヴァビ。

 海原の監視者であり、商売の守り神としても親しまれる海洋神ダラガーベ。

 そして、豊穣の神であり結婚の守護神でもある、辰巳とカルセドニアにも縁深い豊穣神サヴァイヴ。

 この四つの神殿が、それぞれ特徴を行かした催し物をすることが、新年祭の見どころの一つなのだそうだ。

 また、当然ながら王都には数多くの商人が集まってあちこちに露店を開き、行き交う人々の目を楽しませる。

 劇団や吟遊詩人も一年を通して最大の書き入れ時とあって、こぞってその演技や喉を披露するという。

「神殿の催し物か……となると、俺たちも何か仕事が回ってくるんじゃないか?」

「そうかもしれません。でも、その場合はお祖父様から何かお話があるでしょう」

 あれでお祭りなどの行事が大好きなジュゼッペである。おそらく、今頃は何か企んでいるだろう。

 そして、その場合はまず間違いなく、辰巳とカルセドニアもその企みに巻き込まれるはずだ。

「うーん……楽しみなような、ちょっと怖いような……」

 僅かに眉を寄せる辰巳を見て、カルセドニアがくすりと笑う。

「いいじゃないですか。お祖父様が何かを企んでいるにしろ、巻き込まれる時は私と旦那様はきっと一緒です」

「そうだな。カルセと一緒なら、何に巻き込まれても大丈夫だよな」

 辰巳の言葉に嬉しそうに微笑むと、カルセドニアは辰巳の腕を一層強く抱き抱えた。




 辰巳たちが向かっているのは、いつものように〔エルフの憩い亭〕である。

 ジャドックとミルイルが常宿にしていることに加え、エルの作る料理を気に入った辰巳は、頻繁に〔エルフの憩い亭〕へと通っている。

 エルがこちらの世界に来てから約20年。彼女はこの世界のあちこちを巡りながら、とある野望を達成させつつあった。

 それは、日本食の再現である。

 自身も長く日本で暮らし、数々の日本食を食べてそれらを気に入ったエル。

 彼女はその日本食を、この世界でも再現できないかと考えたのだ。

 そこには日本で暮らした思い出を、いつまでも胸に抱えていたいという想いもあった。

 彼女の夫となった人物や、親しい友人たちとの思い出は、彼女には何物にも代え難い宝物である。

 夫や友人たちと共に過ごした日本での日々。日本食はエルにとってはそんな宝物の一つなのだ。

 だからエルは、こちらの世界でも日本食が再現できないかと努力を続けてきた。

 旅をしながらよく似た味の素材を探し出し、何度も何度も失敗を繰り返して試行錯誤を続け、ようやく数種類の「日本食もどき」に到達した。

 今ではエルの日本食もどきたちは、〔エルフの憩い亭〕の名物料理にもなっている。

 だが、彼女の野望はまだまだ達成されたわけではない。エルフの長い寿命の全てを使ってでも、完全な日本食を再現してみせると、エルは常々辰巳たちに話していた。

 当然、この日本食もどきは辰巳も気に入るところとなり、〔エルフの憩い亭〕でエルの料理を食べるのが、辰巳の楽しみの一つとなっている。

 ちなみに、カルセドニアがこの日本食もどきの作り方をエルに尋ねたところ、笑顔と共に断られてしまった。

「この料理のレシピは、〔エルフの憩い亭〕の企業秘密なので、いくらカルセさんのお願いでもお教えできません。この料理が食べたい時は、私のお店に来てお店の売上に協力してくださいね」

 こう言われてはカルセドニアも無理に教えてもらうわけにはいかず、彼女も〔エルフの憩い亭〕で名物料理に舌鼓を打つことにした。

 もちろん、辰巳とカルセドニアはいつも一緒にエルの店へと出かけ、一緒に懐かしい日本食──カルセドニアは日本食を食べたことはないが、その匂いはよく覚えていた──を楽しんでいる。

 恋人のナナゥが〔エルフの憩い亭〕の従業員ということもあって、時には辰巳たちにバースも加わることもあり、辰巳は愛する女性や仲間たちと共に、楽しくも充実した時間を過ごしていた。




 すっかり見慣れた〔エルフの憩い亭〕の店構え。

 辰巳とカルセドニアは、玄関の扉を押し開いて店の中に入る。

 と、普段は酒と料理の匂いに包まれている店の中に、いつもとは違う音が響いていた。

「ん? この音は……?」

「……ラライナの音色……でしょうか?」

 カルセドニアの言うラライナとは、小型のハープのような外観の楽器であり、この国では一般的な楽器の一つである。

 そのため、吟遊詩人たちが商売道具にこの楽器を用いているのをよく見かける。

 音の方を見れば、一人の吟遊詩人らしき人物がカウンター席に腰を落ち着け、抱えたラライナを爪弾きながら喉を振るわせていた。

 その吟遊詩人は、カウンターの奥にいるエルへと熱の篭もった眼差しを向けているが、当のエルはと言えば、どこか困った様な顔をしつつもその吟遊詩人を無視している。

「アラ、タツミちゃんとカルセちゃんじゃない。こっちいらっしゃいよ」

 辰巳たちの姿を見つけたジャドックが、テーブルの一つから手招きしている。

 同じテーブルにはミルイルもいて、ぱたぱたと片手を辰巳たちへと振っていた。

 辰巳はカルセドニアを伴ってジャドックたちのテーブルへ着くと、再びカウンターの吟遊詩人へと目を向けた。

「見慣れない吟遊詩人だな」

「ええ。どうやら、新年祭を見越して早目に王都へと来た吟遊詩人のようね」

「その吟遊詩人が、どうして熱心にエルさんを見つめているんだ?」

「どうやらあの吟遊詩人、かなりの女好きのようね。この店に来た途端、めぼしい女性には片っ端からああして愛の歌を捧げているわ」

「私にも声をかけてきたわ『あなたのその美しさを称えるために、私に一曲を歌わせてください』だって。うわ、思い出しただけでも肌が粟立ってきたわ」

「でもあのオトコ、このアタシには全然声をかけてこないのよ? 全く、失礼よねぇ? ここにこんないいオンナがいるっていうのに」

 ジャドックがわざとらしく(しな)を作ってみせる。

 場を和ませるための冗談なのか、それとも案外本気でそう思っているのかいま一つ判断がつきかねたが、辰巳たちは揃って笑顔を浮かべた。

 男女を問わず、吟遊詩人の中には副業で一夜限りの恋人を務める者がいるのは、この国では一般的な事実である。

 もしかするとあの吟遊詩人は、そちらの副業に秀でた者なのかもしれない。

 そう思って改めてその吟遊詩人を観察する辰巳。

 肩にかかる程に伸ばされた髪の色は、燻んだ金髪。涼しげな印象の中で、紫水晶(アメジスト)のような瞳の色が一際鮮やかな、かなり整った容姿の男だった。

 その男は今、熱心に男女の愛に関する歌を歌い上げている。

 だが、その歌に耳を傾けている者は、〔エルフの憩い亭〕には誰もいない。

 常連の魔獣狩りたちも、店の従業員たちも、そして辰巳たちも。

 白々とした冷たい視線を、その吟遊詩人に向けていた。

 この吟遊詩人の歌の技量は、確かにそれなりのものがある。

 低く響く声と、抑揚を利かせた語り、そしてその整った容貌を合わせれば、若い女性ならば瞬く間に虜になっても不思議ではないだろう。

 しかし、その吟遊詩人には一つだけ欠点があった。

 それは、口元に浮かべた軽薄な笑み。

 その笑みが吟遊詩人が何を求めているのかを明白に現しており、この店の聴衆たちに伝わってしまっていた。

 彼の望みは副業である「一夜限りの恋人」の方なのだろう。

 それも、相手が望んだものではなく、自分の欲望のためだけに女性を求めている。

 それがはっきりと分かってしまうだけに、この店にいる女性たちは彼に白々とした目を向けているのだ。

「……要は、三流のホストが客の女の人に、時間外での付き合いを強引に迫っているようなものか」

 そりゃ確かに白けるだけだな、と辰巳は小声で呟いた。




 ぴぃぃいんというラライナの余韻を残して、吟遊詩人が演奏を終えた。

 その吟遊詩人に、店にいた魔獣狩りたちからお情けで僅かな銀貨が投げられる。

 吟遊詩人はその数の少なさに一瞬だけ顔を顰めたが、すぐに取り繕った笑顔を浮かべると優雅に一礼し、投げられた銀貨を拾い集め始めた。

 吟遊詩人は名残惜しそうにエルを見るが、彼の下心を見抜いているエルは完全に無視を決め込んでいる。

 これは脈なしと悟った吟遊詩人は視線を店の中へと向けた。

 そして、店の中をぐるりと一望する。と、その視線がとある地点でふっと止まる。

 途端、吟遊詩人の顔がぱああぁっ輝く。

 彼はいそいそと席の間をすり抜け、辰巳たちが陣取っている席へとやって来た。

「これは私としたことが。このような美しい女性が店に入って来たことに気づかないとは……このタランド、一生の不覚です」

 タランドという名前らしい吟遊詩人は、その場に慇懃に跪いた。

「お名前をお聞かせ願えますか、美しい方?」

「あらん、美しい方だなんて、正直なヒトね。あ、アタシの名前はジャドックよ。よろしくね?」

 横合いからにこにことジャドックが話しかけるが、タランドはそれを綺麗に無視。

 今、彼の視線はただ一点へと向けられていた。

 そう。

 カルセドニアへと。




「俺はあの吟遊詩人が、《聖女》の魔法でぶちのめされるのに銀貨30枚!」

「じゃあ、オレはジャドックにつまみ出されるに同じく30枚!」

「よっし! なら俺様は女将さんにこてんぱんにされて、店から放り出されるにどーんと銀貨80枚!」

 そしてこの瞬間、店内に居合わせた魔獣狩りたちは、このタランドという吟遊詩人がこれからどのような目に遭うのかと、一斉に賭を開始し始めた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] ここまで楽しく読ませてもらってます! 聖女がとても可愛いし主人公の成長がとても楽しみでわくわくします。 [気になる点] このは話(55話目)の誕生日についてなんですがもし12月(年の終りに…
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