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その系統、〈魚〉

 周囲に溢れる青い魔力光。

 その魔力光の中で、ミルイルの影が異形のソレへと歪んでいく。

 やがて魔力光が弾けて消えた時、そこに一体の魚人がいた。

「…………え、えっと……は、半魚人……?」

 カルセドニアに助け起こされた辰巳が、その姿を見てそんな言葉を漏らす。

「あ、あれは《獣化》の魔法の一種……言うなれば、《魚人化》と言ったところでしょうか……?」

 カルセドニアもまた、よく理解できないようで首を傾げていた。

「……系統はおそらく、〈水〉系統の下位派生の一種で、〈魚〉系統と呼ぶべきものだと思われますが……」

「上位派生ってのは聞いたことがあったけど、下位派生なんてものもあるのか……それに〈魚〉って……」

 果たしてそれを系統と呼んでもいいのか、とカルセドニアに支えられて上半身を起こした辰巳は悩む。

 よく見れば、魚人と化したミルイルの周囲には、着ていた服の残骸などが散らばっている。

 魚人へと変じた際に、衣服などはサイズが合わなくなって弾けてしまったのだろう。

 もしかすると、サイズなどが合わなくなって破れるのではなく、魚人へと変じる際に放出される魔力の影響で壊れてしまうのかもしれない。

 だからこそ、ミルイルは事前に荷物を放り捨てたり、仲間たちの遺品をカルセドニアに預けたりしたのだろう。

 辰巳がそんなことを考えていると、魚人の表情のない顔が彼の方を向いた。

 魚人が不格好にその大きめの頭を上下させる。状況を整えた辰巳に対する礼のつもりだろうか。

 再び魚人が大雪蜥蜴の方を向いた時、魚人が──いや、ミルイルは放たれた矢のように大雪蜥蜴へと向かって駆け出した。




 機会は一度きり。

 それは辰巳が彼女へと告げた言葉だが、その通りだとミルイルも思う。

 ここで大雪蜥蜴を仕留めそこない、逃亡を許してしまえば再びこの魔物を捉えるのは難しいだろう。人間を警戒した魔物は、この場から離れて別の場所に潜伏し、もっと狡猾に人間を襲うに違いない。

──だから、ここで一気に勝負を決める。

 そう決心したミルイルは、大地を蹴って猛然と大雪蜥蜴へと駆け寄る。

 それはまさに水中を泳ぐ魚のよう。人間離れしたその速度は、《加速》した辰巳ほどではないものの、大雪蜥蜴の速度をも凌いでいた。

 あっという間に彼我の距離を殺したミルイル。自分の間合いに飛び込んだ彼女は、左右の手の手首から肘にかけて生えている強靭で鋭利なヒレを振るう。このヒレこそが、魚人となったミルイルの武器なのだ。

 辰巳がどれだけ剣で斬りつけても、かすり傷しか負わせることのできなかった大雪蜥蜴の鱗。その頑強な鱗を、ミルイルのヒレはあっさりと斬り裂いた。

 大雪蜥蜴の身体からどす黒い血が拭き出し、周囲に残っていた雪を斑に染める。

 ぎぃ、と大雪蜥蜴が苦悶の叫び声を上げた。

 そしてそのまま後ろへと大きく跳躍。発達した大雪蜥蜴の後肢は、その巨体を一度の跳躍で十メートル近く後退させた。

 だが、それでも大雪蜥蜴とミルイルの距離は変わらない。

 大雪蜥蜴が後ろへ下がった分、ミルイルがそれ以上の速度で追走したのだ。

 再び大雪蜥蜴の口からぎぃという声が漏れる。

 その声は距離を開けることができなかった悔しさのためか、それとも自分を傷つけようとする敵への怨嗟か。

 大雪蜥蜴へと肉薄したミルイルが、再び両手のヒレを振るう。

 右のヒレは大雪蜥蜴の胸部を深々と斬り裂き、左のヒレは魔物の右後肢を傷つけた。




「……す、凄い……」

 圧倒的なまでの魚人のスピードとパワー。

 確かに辰巳の《瞬間転移》や《加速》には及ばないが、魚人と化したミルイルの速度は圧倒的だった。

 そしてその膂力に関しては、力自慢であるジャドックさえ余裕で凌いでいるだろう。

「あ、あんなに凄いのに……どうしてミルイルはこのことを話したがらなかったんだ?」

「そりゃあそうよん」

 辰巳の疑問に応えたのは、彼らに背中を向けたままのジャドックだ。

「年頃の娘があの姿を他人に見られたいと思う?」

「あ、あー、それもそうか……」

 そう言われて、改めて辰巳は納得した。

 ずんぐりとした身体に細い手足、無表情な魚面に全身を覆う鱗。

 その姿は、確かに「格好いい」とか「美しい」という表現からは程遠い。どちらかと言えば、「珍妙」とか「奇妙」と言えるものだ。

 そんな姿を他人に晒すなど、年若い娘が自ら進んで行うようなものではないだろう。

 しかも、この魔法を使う度に裸になってしまうのだ。それもまた、彼女が言いたくなかった理由の一部に違いない。

 だが、魚人と化したミルイルは本当に凄かった。

 積雪という足場の悪さが緩和したとはいえ、易々と大雪蜥蜴の動きについていける敏捷性、そして頑強な大雪蜥蜴の鱗をも斬り裂く圧倒的な力。

 まさにパワーとスピードを兼ね揃えた恐るべき戦士。それが今のミルイルだ。

「さて、タツミちゃん。あなたもミルイルちゃんに負けていられないんじゃない?」

 そう言ってジャドックが差し出したのは、先程辰巳が放り捨てた彼の剣だった。

「タツミちゃんには最後に一仕事が残っているでしょ?」

「……ああ。そうだな」

 ジャドックに頷いて見せる辰巳。そして彼は、彼を支えている愛する女性へと振り返る。

「カルセ。少しだけでいい。体力を回復させてくれ。最後に……〈魔〉を消滅させるだけの体力を」

「承知しました、旦那様」

 辰巳の要請に応え、カルセドニアが呪文の詠唱を始める。

 そして、その詠唱が終わった時、辰巳の体力はほんの僅かだが回復したのだった。




 大雪蜥蜴の苦しげな咆哮が周囲に木霊した。

 右の後肢を傷つけられ、その機動性を大幅に減じた魔物は、すでにミルイルの敵ではなかった。

 鞭のような強靭な尻尾を振るうも、ミルイルは易々とその尻尾を切断する。

 尻尾の断面から滝のように血を流しつつも、大雪蜥蜴が鋭い牙を剥き出しにして魚人の身体に噛みつこうとした。

 だが、牙が生え揃った嘴のように尖った口先は、魚人の背ヒレで斬り裂かれた。

 大雪蜥蜴の噛みつきに対して、ミルイルは背ヒレを立てて迎え撃ったのだ。結果、魔物の牙は魚人の背ヒレに負け、その嘴のような口をずたずたにされる結末を迎えた。

 胸部、右後肢、尻尾、そして口。身体の各所から夥しい出血を強いられた大雪蜥蜴が、その巨体をぐらりと揺らす。

 その時、魚人の表情のない丸い目がきらりと光る。

 ミルイルは姿勢を低くして大雪蜥蜴の巨体の下に潜り込むと、両手を交差させるように振るう。

 ずばっという空気を切り裂く音と共に、大雪蜥蜴の右の後肢がすぱりと斬り飛ばされた。

 さすがの大雪蜥蜴も、肢を一本失っては立ってはいられない。

 どうと音を立てて地面に倒れ込む大雪蜥蜴。魔物がその首だけをもたげて周囲の様子を伺った時、その光景が赤い眼に映り込む。

 宙に舞う魚人の身体。魚人は空中で身体を丸めると、勢いよく前方へと回転を始めた。

 立てられた背ヒレがまるで回転ノコギリのようになり、倒れた大雪蜥蜴の身体目がけて落下する。

 どすん、という落下音は聞こえない。その代わりに、何かが切断されるようなぎゃりりりんという異音が辺りに響いた。

 そして、少しおくれてとさりという軽い落下音。その正体は、斬り飛ばされた大雪蜥蜴の頭が少し離れた雪の上に落ちた音だった。




「タツミっ!! 最後の仕上げは任せたわっ!!」

 魔力が尽き、人間の身体に戻ったミルイルが叫ぶ。当然ながら今の彼女は全裸だが、それを隠したり恥じたりしている暇はない。

 そのミルイルの声に応えて、カルセドニアに支えられていた辰巳の姿が掻き消える。

 彼の目──感知者である辰巳の目にははっきりと映っていた。倒れた大雪蜥蜴の身体から離れる、異形の鬼の姿が。

 その姿は以前に見たような餓鬼に似た姿ではなく、全長が30センチにも満たない小さな鬼の姿だった。

 頭でっかちで角はなく、身体や手足は頭に比して極端に小さい。おそらく、以前に辰巳が戦った〈魔〉と比べて、こちらの〈魔〉は「レベルが低い」のだろう。

 突然目の前に現れた辰巳を見たせいか、姿なき小鬼が引き攣ったような表情を浮かべた。

 人間たちには自分の姿が見えないのをいいことに、〈魔〉はこのまま逃走するつもりだったのだろう。だが、目の前に突然現れた人間は、確かに自分をじっと見つめている。間違いなく自分の姿が見えているのだ。

 小鬼が焦ったようにばたばたと小さな手足を動かす。だが、それで移動する速度が上がるわけでもない。

「────っ!!」

 辰巳が無言のまま、黄金の光を宿した剣を振るう。黄金の剣は、何の抵抗を感じることもなく小鬼の小さな身体をあっさりと斬り裂いた。

 辰巳にだけ聞こえる甲高い悲鳴を残し、小鬼が空気に溶けるようにして消える。

 それを確認した辰巳は、剣を鞘に収めて仲間たちへと振り返った。

 仲間たちは不安そうな表情を浮かべて、じっと辰巳を見ている。

 辰巳は仲間たちの不安を払うようににっこりと微笑むと、右手の親指を立てた。

 そして、それを見た仲間たちがふぅと安堵の溜め息を吐いた。〈魔〉は辰巳によって滅せられたのだ。




 仲間たちの様子の表情が明るくなったのを確認した途端、辰巳の身体がぐらりと揺れた。

 魔力はともかく極限まで体力を使った今の彼には、もう立っている余裕さえない。

 地面へと倒れ込む辰巳。だが、彼が地面と熱い抱擁を交わすことはなかった。

 とある人物が素早く彼に駆け寄り、その身体を支えたのだ。

 それはもちろん、彼の愛する女性────ではなく。

 単純にカルセドニアよりも辰巳に近い場所にいたその人物が、倒れる彼を見て慌てて駆け寄って支えたのだった。

「────ありがとう、タツミ。あなたのお陰で仲間たちの仇を討つことができたわ。それに……ちょっと格好よかったわよ」

 支えた彼の耳元で、その人物──ミルイルが辰巳にだけ聞こえるようにそっと囁く。

 伝説と言われた〈天〉の魔法を使いこなし、大雪蜥蜴と戦う辰巳の姿に、ミルイルは思わず目を奪われていたのだ。

 しかし、その言葉が辰巳に届いたかどうかは不明だった。なぜなら、極度の体力の消耗により、彼の意識はこの時点で失われていたのだから。

「────────っ!!」

 そんな二人の背後から、声にならない悲鳴が上がる。

 気を失った辰巳を支えたまま、ミルイルが背後を振り返ると、カルセドニアがすっげえいい笑顔でにこにこと微笑んでいた。

 だが、その笑顔を見たミルイルは、背中を冷たいものが流れ落ちるような感覚に捕らわれた。なぜか。

 笑顔を浮かべたカルセドニアは、その表情を崩すことなくつかつかと気を失った辰巳とそれを支えるミルイルへと歩み寄る。

 そして辰巳たちの元まで行くと、ミルイルからそっと辰巳を受け取った。

「……年頃の女性が、そんな恰好で殿方に抱きつくものではありませんよ? うふふ」

 笑顔のまま告げるカルセドニア。だが、そこに漂う得も言われぬ迫力のようなものをミルイルは感じ取った。

「そ、そんな恰好って……はっ、そ、そう言えば……っ!!」

 謎の圧力に冷や汗を浮かべつつも、ミルイルはカルセドニアに言われて改めて今の自分の恰好を思い出す。

 魔法を使った影響で、一糸纏わぬ全裸の状態。そんな恰好で、同じ年頃の男性と抱き合っていた──正確には支えていた、だが──とは。

 状況を思い出し、ミルイルの顔が真っ赤になる。

「そ、そうだった……っ!! 今の私、素っ裸だった……っ!!」

 慌てて周囲を見回せば、エルは木にもたれたまま困ったような顔をしているし、ジャドックは呆れたように肩を竦めていた。

 ミルイルは真っ赤な顔のまま、身体を隠すことも忘れてあたふたと辺りを見回す。

「ふ、ふふふふ服っ!! わ、私の服ぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!」

 ミルイルはばたばたと雪の中を駆け出した。その目的地は、ここへ来るまでの道中で放り投げておいた彼女の荷物の元だろう。

「────旦那様を抱き締めるのも、旦那様に抱き締めてもらえるのも私だけなんだから……っ!!」

 だから、頬を膨らませながら小声で呟いたカルセドニアの声は、誰の耳に届くことはなかった。


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