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呼ばれた理由

「遅くなって申し訳ありません!」

 辰巳とジュゼッペが待つ応接室に入ったカルセドニアは、開口一番にそう謝罪して深々と頭を下げた。

「何をしておったんじゃ? 婿殿が待ちくたびれておるではないか」

 ほっほっほっと穏やかに笑いながら、ジュゼッペが孫娘を窘める。

「あ、いや、ジュゼッペさんとの話が結構楽しかったから、別に待ちくたびれては……」

「ほ、本当ですか? よ、良かったぁ……」

 豊かな胸元に手を当てて、カルセドニアは安堵の溜め息を零す。

 そんな二人のやり取りを微笑ましそうに見つめながら、ジュゼッペはカルセドニアに自分の隣に腰を下ろすように命じた。

「さて、カルセも来たことじゃし、詳しい話を始めようかの」

 ジュゼッペの言葉に、辰巳は改めて居住まいを正す。

 自分が異世界に呼ばれたことは疑っていない。問題なのは、どうして呼ばれたのかだ。

 まさか勇者になって魔王を退治してくれ、なんてベタな理由じゃないだろうな、と内心で思いつつジュゼッペの話に耳を傾ける。

「まずは、ラルゴフィーリ王国へようこそ、婿殿。儂と孫娘のカルセは、心より婿殿の来訪を歓迎しよう」

「あ、い、いえ、その……ありがとうございます……?」

 辰巳は何と返事したらいいのか困って、思わず礼を述べてしまった。そんな彼の反応がおもしろかったのか、ジュゼッペとカルセドニアは揃って笑いを零した。

「そして、同時に婿殿には最大の謝罪を。なんせ我らは一方的に婿殿をこちらへと招いてしまったからの。本当に申し訳ない」

 ジュゼッペとカルセドニアは、今度は二人揃って深々と頭を下げた。

「い、いえ、そ、そんな……ふ、二人とも頭を上げてください……っ!!」

「ですが……私たち……いえ、私は、ご主人様の都合を顧みることもなく、一方的にこちらに呼び寄せてしまいました。私はご主人様に、これまでの生活を強引に捨てさせてしまったのですから」

 頭を下げたままのカルセドニアにそう言われて、辰巳ははっとした表情を浮かべる。

 彼女の今の言い方からして、おそらく召喚したのはいいが元の世界に戻る方法はないのだろう。

 だから「これまでの生活を強引に捨てさせてしまった」と、カルセドニアはそう言ったのだ。

「で、ですが、やっぱり今は頭を上げてください。そして……教えてもらえませんか? どうして……どうして俺を異世界へと召喚したのか……その理由を」

 送り返す方法がないと知りつつ、一方的に呼び寄せることに罪の意識を感じてまで、彼を召喚したその理由。それが辰巳は知りたかった。




 辰巳に言われて、ようやく頭を上げたジュゼッペとカルセドニア。

 そしてその二人の対面で、じっと彼女たちを見つめる辰巳。

 しばらく応接室の中に無言の時間が流れる。と、不意に窓の外から大きな音が響いてきた。

 りんごん、りんごんと何度も鳴らされる鐘の音。サヴァイヴ神殿のどこかに設置された時を告げる鐘だ。よくよく耳を澄ませば、遠くからも似たような音が聞こえてくる。おそらくは他の神殿でも同じうように鐘が鳴らされているのだろう。

 聞こえた鐘の音は三回。鐘の音が鳴り止むと同時に、それを契機にしたかのようにカルセドニアが口を開いた。

「…………私がご主人様をこちらの世界に招いた理由……その、最も大きな理由は……わ、私がどうしても、もう一度ご主人様とお会いしたかったからです」

 桜色に染めた両の頬に左右の手を添え、カルセドニアは恥ずかしそうにそう告げた。

「え……? そ、それだけ……?」

 思わずぽかんとした表情を晒す辰巳。

 だが、わざわざ異世界に召喚されたその理由が「もう一度会いたかったから」だと聞かされれば、誰だって彼と同じような表情を浮かべるだろう。

 それと同時に、「勇者になって魔王を倒せ」なんてありがちな理由じゃなくて、ちょっぴり安堵もしていたが。

「はい……それから……」

 幸せそうにやや上目使いで辰巳を見ていたカルセドニア。彼女のはその表情を真面目なものへと一変させ、更に言葉を続けた。

「…………私は…………心配でした。とてもとても心配でたまらなかったのです。あの日……ご主人様の手の中で、天寿を全うする私を見るご主人様の……あの、この世の全てに絶望するかのようなとても辛そうな()()が……私は、あの時のご主人様をどうしても忘れることができませんでした。あのまま……ご主人様がご自分で自らの命を絶ってしまうのではないかと…………それだけが心配で……心残りでした……」

 カルセドニアの言葉を聞き、辰巳の身体がびくりと震えた。

 チーコが彼の手の中で息絶えたあの瞬間。辰巳は世界が終焉を迎えたような気持ちになったのだ。

 そして今、カルセドニアが指摘したように、自分も家族やチーコの後を追って、自ら命を絶とうとしたことが何度もあった。

 カッターナイフの刃を、何度手首に押しつけたことか。結局押しつけたカッターナイフの刃を横に引けなかったのは、単にその度胸がなかったからにすぎない。

「……独り残されたご主人様のことが心配で……私は物心ついた頃より、世界を渡る魔法についてあれこれと研究してきました。幸いにも、幼かった私を今のお祖父様がサヴァイヴ神殿に引き取ってくださいました。ここには魔法に関する資料がかなり揃っていましたので、いろいろと助かりました」

「え? 引き取られた……?」

「うむ。とある理由があっての。儂はこの()を幼い頃に養女として引き取ったのじゃよ」

 養女としてジュゼッペに引き取られたカルセドニア。彼らの本来の関係は「養父」と「養女」なのだが、年齢が離れているために互いに「祖父」と「孫娘」として接し合っている。

 補足してくれた祖父に感謝の微笑みを向けてから、カルセドニアは辰巳に向き直って更に続けた。

「最初は、私がご主人様の世界へと渡るつもりでした。ですが、どれだけ探しても私が世界を渡るための術式も儀式も文献や記録などの資料は一つもなく……結局見つかったのは……」

「……自分が俺の世界に行くためのものじゃなく、逆に俺を召喚する儀式の方法だった……?」

 確認するように尋ねた辰巳に、カルセドニアは小さく頷いた。

 彼女が探したのは、サヴァイヴ神殿の書庫だけではない。

 サヴァイヴ神殿の最高司祭という祖父の力添えで、王城の書庫などありとあらゆる場所で資料を探し求めた。だが、それでも見つかったのは、辰巳をこちらの世界に召喚する儀式の資料だけだったのだ。

「……ですが、この際それでもいいと思いました。ご主人様にしてみれば、私はご自分を一方的にこちらの世界へと呼び寄せ、それまでの何もかもを捨てさせた張本人。それが理由でご主人様に恨まれても嫌われても構わない。それでも、私はご主人様ともう一度お会いしたかったのです……」

 そして、ご主人様のことが心配だったのです、と小さな声でカルセドニアは続けた。




「のう、婿殿や」

 カルセドニアの説明が終わった後、しばらく彼らの間を静寂が支配していた。

 その静寂を破り、今度はジュゼッペが辰巳の顔を見つめた。

「今度は儂の方から少し尋ねてもいいかの?」

「あ、はい、俺で答えられることなら……」

「では……お主、妙に落ち着いておるが……それはどうしてじゃ?」

「は、はい?」

 困惑した表情で、辰巳はジュゼッペを見返す。

 今の彼はそれまでの好々爺としたものではなく、どこか威厳のようなものを感じさせる鋭い視線を辰巳へと向けていた。

「普通、突然見知らぬ世界に呼ばれたとなれば、もっと取り乱すものではないかの? じゃが、お主はそうしなかった。確かに困惑しておるようじゃが、決して取り乱したりはせず、それどころか妙に落ち着いておる……それはなぜじゃ?」

「え、えーっと……」

 辰巳は少々顔を赤くしながら、うろうろと視線を彷徨わせた。

 やがてちらりカルセドニアを一度だけ見てから、その視線はジュゼッペへと向けられた。

「……そ、その……こちらの世界に来て、い、いきなり彼女みたいな綺麗な女の人に、そ、その、だ、抱きつかれたりしたもんだから……そ、それどころじゃなかったと言いますか……そ、それより……」

 辰巳の目が、再びちらりとカルセドニアを見る。

「……彼女が……カルセドニアさんがチーコだって分かったから……ま、まあ、それに関しては、正直言うと完全に信じきれないのも事実ですが……彼女がチーコの生まれ変わりというのが本当なら、俺はカルセドニアさんを恨むどころか逆に感謝したいほどです。もう一度チーコに……姿形は変わっても、もう一度彼女に会うことができたんですから……」

「ご、ご主人様……」

 カルセドニアがチーコの生まれ変わりであることを、辰巳はもうほとんど信じていた。実際に彼女は、彼とチーコしか知らないような事実をいくつも知っていたし、何より彼女の雰囲気からチーコと通じるものが多々感じられるのだ。

 そんなカルセドニアを、真っ正面からじっと見つめる辰巳。そして、辰巳に真っ正面から見つめられて感きわまった表情を浮かべながら、その真紅の双眸に再び透明な雫を浮かび上がらせるカルセドニア。

 ジュゼッペはそんな二人を満足そうに見つめ、ほっほっほっと朗らかな笑い声を上げた。

「婿殿の心境はよう分かった。でも、お主は元の世界に未練はないのかの?」

「はい。あちらの世界に未練なんてありません」

 愛する家族も、親しい友人も、そしてなによりチーコのいない元の世界。今のそこに辰巳の後ろ髪を引くような存在は何もない。

 ジュゼッペの言葉に、辰巳は確信を秘めた表情ではっきりと頷いた。




 応接室の扉を外から誰かが叩いた。

 それに反応したジュゼッペが誰何すれば、扉の向こうから年若い女性の声がした。

「お客様との会談中に申し訳ありません、猊下。こちらにカルセドニア様はいらっしゃるでしょうか?」

「はい。私ならここにいますが?」

「間もなく説法のお時間です。すでに礼拝堂には信者の皆様がお集まりになっておいでです」

「そういえば、先程三の刻の鐘が鳴りましたね。分かりました、すぐに行きます」

 扉の向こうの女性にそう答えたカルセドニアは、立ち上がって辰巳とジュゼッペに一礼した。

「では、お祖父様、ご主人様。私はお勤めがあるので、これで一旦失礼致します」

「うむ。神に仕えるものとして神の声の代弁は大切な務め。ゆめゆめ軽んじてはならぬぞ?」

「じゃあチーコ……って、さすがにチーコのままはまずいか……えっと……」

「いえ、チーコで結構です。私としても、ご主人様からはそう呼んでいただきたいですから」

 そう言うと、カルセドニアは再びぺこりと軽く頭を下げてから退出していった。その際、彼女の頬がちょっぴり上気していることに、祖父であるジュゼッペはしっかりと気づいていたが、いつものように微笑むだけであえて言葉にはしなかった。

 応接室を後にしたカルセドニアは、呼びに来た女性神官を背後に従えて、信者たちが待っている礼拝所を目指して歩き出す。その途中で。

「あ、あの……カルセドニア様……?」

「え? なぁに?」

 にこにことした明るい表情で、カルセドニアは背後の女性神官を振り返る。

「今日はその……なんと申し上げていいのか……何かいいことでもありました?」

 不思議そうな顔の女性神官。

 普段の彼女はどちらかというと寡黙な方で、その美しい顔に浮かぶ表情に際立った変化はあまり見られない。

 常に微笑を湛え、誰にでも同じような態度で接する。そして、今日これから行われるような信者に対する説法の時などは、厳しいほどに凛とした態度で神の言葉を代弁するのだ。

 そのどこか刃物を思わせる凛々しい姿もまた、彼女の信奉者たちが憧れの視線を向ける理由の一つであるのだが、今日の彼女はそうではなかった。

 いつも以上ににこにことし、歩く足取りもまるで弾むかのよう。

 その女性神官とカルセドニアは、特別親しいというわけではないものの、時にちょっとした雑談を交わす程度には親交がある。その彼女から見ても、今日のカルセドニアは明らかに浮かれていた。いや、浮かれすぎていた。

 だから、女性神官は先程のような問いを彼女に向けたのだ。

 そして、普段の凛としたカルセドニアからは想像もできないような──まるで、恋する乙女のような恥じらいを見せながら、カルセドニアは彼女の質問に答えた。

 宿る熱でその紅玉の如き両の瞳を潤ませつつ、桜色に上気する頬を両手で包み込むようにして。それでいて、その視線はここではないどこか遠くへと向けながら。

「だって……あの方が私のこと受け入れてくださったんですもの。し、しかも……それだけではなく……そ、その……私のことを綺麗だって……」

 桜色の雰囲気を全身から振り撒きつつ、ぐりんぐりんと身悶えするカルセドニア。

 そんな彼女を目の当たりにして、女性神官は若干引きつつもこう思った。


──いけない。今の彼女をこのまま信者の前に出したら、きっとまずいことになる。主に……信者たちの幻想の崩壊とかその辺りが。


 と。


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