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狩り

 雪の上という極めて足場の悪い環境においても、それの身のこなしは素早かった。

 まるで雪のない平地を駆けるように、その強靭な二本の脚が降り積もった雪を蹴り、獲物へと襲いかかる。

 雪蜥蜴。後肢で身体を支えて立つこの魔獣の体高は約1.3メートル、頭から尻尾の先までの体長は2メートルといったところか。

 発達した後肢での跳躍を得意とする、小さな群れを作る比較的小型の肉食魔獣である。

 本来ならば、蜥蜴のような爬虫類は変温動物である。そのため、気温の下がる冬場は冬眠するか動きが低下するものだろう。だが、そんな常識は異世界では通用しないのか、それとも他に理由があるのか。

 全身を白い鱗に覆われたこの蜥蜴は、雪中という環境に逞しく適応している。

 今も雪蜥蜴の一頭が高く跳躍し、脚に生えた鋭い鉤爪で獲物を屠らんとする。その落下速度も加わったその攻撃は、ちょっとした立木でさえ蹴り倒すことができるだろう。

 だが。

「うふん。甘いわよん」

 雪蜥蜴が獲物と定めたもの。それがにやりと不敵な笑みを浮かべると、四本もある腕──その内の二本の腕に構えた戦棍を頭上で交差させて、雪蜥蜴の攻撃を易々と遮った。

 そして、その身に秘められた膂力を一気に解放。再び頭上へと跳躍した雪蜥蜴、いや、頭上へと放り投げられた雪蜥蜴に向かって、残る二本の腕が持つ巨大な戦斧を猛烈な勢いで叩きつけた。

 ずばんという例えようのない音が、雪の降り積もった森の中に響く。そして、その雪の白の上に、どす黒い赤い色彩が撒き散らされた。

 戦斧によって空中で身体を上と下に断たれた雪蜥蜴は、臓物と血を撒き散らしながら雪の上にどさりと落ちる。

 雪蜥蜴に獲物と見なされていたもの──シェイドのジャドックは、頭上から降る血と臓物を避けるため、わずかに後ろへと下がる。

「いやん。ばっちぃ雨ねぇ」

 口では軽く言うジャドックだが、その眼光は鋭くすでに次の獲物を見定めている。

 手近にいた雪蜥蜴を次の狙いに定めたジャドックは、雪の上とは思えないほど滑らかな動きで哀れな獲物へと近づいていった。




 雪の中という環境に適応した雪蜥蜴は、当然ながら雪の上でもその動きは素早い。

 小刻みな跳躍を何度も繰り返し、雪に足を取られて思うように動けない獲物を徐々に追い詰めてやがて仕留める。それが雪蜥蜴の狩りの方法だ。

 だが今回の獲物は、雪蜥蜴と同等かそれ以上に雪の上を動き回ることができるようだった。

 雪蜥蜴の一匹が、鋭い牙を剥き出しにして獲物へと襲いかかる。

 だが、その獲物──辰巳は腕に装備した盾でその牙を受け流すと、次の瞬間その姿を消した。

 瞬きする間もなく雪蜥蜴の死角へと現れた辰巳は、もう片方の腕に装備している剣で雪蜥蜴の鱗に覆われた皮を斬り裂いた。

 斬り裂いた傷口から激しく血が吹き出す。

 だが、吹き出す血が辰巳の身体を濡らすことはない。斬り付けた次の瞬間、再びその姿が消えていたからだ。

 その後、何度も消滅と出現を繰り返し、剣を振るって徐々に雪蜥蜴の体力を奪っていく。

 やがて雪蜥蜴の動きが明らかに鈍くなった時、辰巳は剣を真っ直ぐに突き出して止めを刺した。




 辰巳とジャドック。まだまだ駆け出しの二人の魔獣狩りの戦いを、カルセドニアは少し離れた所から静かに見守っていた。

 その真紅の瞳に不安はない。辰巳とジャドックの実力ならば、雪蜥蜴程度に遅れを取ることはまずないからだ。

 仮に怪我をしたとしても、余程の大怪我か致命傷でもない限り彼女の治癒魔法がある。それもあり、二人も安心して力を出し切れるのだろう

 やがて、群れの最後の雪蜥蜴が倒された。

 騒がしかった音が消え、辺りが静寂に支配される。

 聞こえるのは森の中を渡る風が枝葉を揺らす音と、戦闘で呼吸の乱れた辰巳とジャドックの息遣いの音のみ。

 周囲に獲物がいなくなったことを確認した二人は、それぞれの武器を収めてカルセドニアのいる所へと戻って来る。

「お二人とも、お疲れさまでした。なかなか見事な戦い方でしたね」

「うふん。ありがと、カルセちゃん」

「そっちは異常はないか?」

「はい、旦那様。こちらに雪蜥蜴は来ませんでしたから」

「任せなさい。雇い人を守るのも魔獣狩りの務めよん」

 ジャドックの言う雇い人とは、魔獣狩りが狩った獲物を運んだり、その他の雑用を任せる人足のことである。

 雇い人は狩りには直接加わらない代わりに、狩った獲物の素材などを手にする権利もないし、雇い人としての賃金以外の報酬を受け取る資格もない。

 魔獣狩りたちは同じような実力の者たちで組む場合が多い。そのため、駆け出しの魔獣狩りが上級者たちの技術を身につけるなどの理由で、雇い人として上級者たちと同行することが多々ある。

 駆け出しの辰巳やジャドックよりも、カルセドニアの方が魔獣狩りとしての実力は高い。

 本来ならばカルセドニアが、言わば「格下」の辰巳たちの雇い人となる理由はない。だが、そこを敢えてカルセドニアが雇い人となり、辰巳たちの狩りに同行している理由。そんなもの、最早説明する必要などないだろう。

 そんな魔獣狩りの先輩であるカルセドニアから、新人二人に今の戦い方の批評が行われる。

「確かに、お二人とも『戦士』としての戦い方ならば素晴らしいと思います。ですが、『魔獣狩り』として見た場合は落第もいいところです」

 厳しい指摘に辰巳とジャドックの表情が強張る。だが、その批評に口出しするようなことはなく、黙ってカルセドニアの言葉に耳を傾ける。

「魔獣狩りとは、狩った魔獣の皮や毛皮、牙や爪、時には骨や内臓までもを各種の素材として持ち帰り、それを売って糧を得るものです。そのため、それら素材となるものには極力傷をつけないように努力するもの。確かに相手が大型の魔獣ならば、小刻みな打撃を何度も与え、徐々に弱らせるというのは有効な戦い方です。ですが、雪蜥蜴のような小型が相手であれば、一撃で急所を突くような戦いが望ましいでしょう」

 カルセドニアの視線が、目の前の二人から彼らの背後へと向けられる。

 そこには、先程辰巳とジャドックが倒した雪蜥蜴たちの骸が転がっている。

 それらはジャドックの怪力で身体を真っ二つにされたり、辰巳によって細かい傷が無数に付けられてたりしていて、明らかにその「商品価値」は低いだろう。

「これが畑の作物を荒らす害獣退治の依頼ならば、何も問題はありません。ですが、今回の旦那様たちの目的はあくまでも『狩り』です。それも食料を得るための『狩り』ではなく、素材を手に入れるための『狩り』。その目的からすれば、今回は明らかに失敗ですね」

 カルセドニアから厳しいダメ出しを受け、辰巳は力なく肩を落とし、ジャドックも四本の腕をだらりと下げて空を見上げた。




 今回、辰巳とジャドックが雪蜥蜴狩りに出向いたのは、チームを組むことになった二人の互いの力量などを確かめるためだった。

 もちろん、狩った雪蜥蜴を売ることで金銭を得ることも目的の一つである。

 雪蜥蜴の皮は防寒性に優れ、見た目も美しいことから寒い季節の外套の材料として重用されるし、防具の材料としても取引されている。

 また、その肉は滋養に富み、小動物の少ないこの季節には欠かせないタンパク源であった。

 だが、先程もカルセドニアが言った通り、辰巳たちが倒した雪蜥蜴の皮は傷が多く、買い取りの値段はかなり叩かれることを覚悟しなければならないだろう。ただ、幸いにも肉の方はまだ何とか売れそうだ。

 カルセドニアから今後の反省点を聞かされた辰巳たちは、そのカルセドニアも手伝っててきぱきと獲物から素材を剥いでいく。

「……二人とも、やっぱり手慣れているなぁ……」

 手際よく獲物を解体していく二人を見て、辰巳は思わずそう零す。

 確かに彼もこちらの世界に来て鍛えてはきた。だが、単純に戦いに強いのと野外で生活するのはまた違うのだ。

 いくら強くても、どんな強敵を倒すことができたとしても、それだけでは野外では生きていけない。

 戦いの技術と、野外で安全な食料を手に入れる技術は全くの別物なのだから。

 他にも倒した獲物を解体する技術、価値を下げることなく素材を剥ぐ技術など、まだまだ辰巳が学ぶことは多いだろう。

「大丈夫ですよ。旦那様ならすぐにできるようになります」

「ああ。カルセのやり方をお手本にさせてもらうよ」

「はい。では、まずここの皮の剥ぎ方ですが、この部分を押さえながら────」

 生き物の解体作業は、現代日本で育った辰巳には正直目を背けたくなるような光景だ。だが、これもこの世界で生きていくと決めた以上、そして魔獣狩りを経て魔祓いになるためには避けては通れない道である。

 喉の奥から込み上げてくるものを無理矢理飲み込みながら、辰巳は真剣な表情でカルセドニアの手元を覗き込んだ。




 仲良く解体作業をする辰巳とカルセドニア。

 そんな二人の様子を少し離れた所から見ていたジャドックは、微笑ましい表情を浮かべた。

「……本当、タツミちゃんには驚かされてばっかりねぇ」

 二人に聞こえないように、ジャドックは小さく呟く。

 辰巳とジャドックが腕試しも兼ねて、何か手頃な獲物となる魔獣がいないかと思っていた時、最近王都近郊の森の中で小規模な雪蜥蜴の群れを見かけた、という情報をジャドックが耳に挟んだ。

 雪蜥蜴がいくら今の季節に適応しているとはいえ、その獲物となる小動物などはどうしても数が少なくなる。

 そのため、時折こうして人里近くに姿を見せることがあるのだ。

 雪蜥蜴ならばそれ程の脅威ではない。余程大きな群れでもない限り、辰巳たち二人でも十分対処できるだろう。

 辰巳とジャドックは相談の上、早めに雪蜥蜴狩りに出かけることに決めた。

 彼らのような駆け出しには、雪蜥蜴は手頃な獲物である。それだけに、彼ら以外にも今回姿を見せた小規模な群れを狙う魔獣狩りもいるだろう。

 他の者に先を越される前に、自分たちで狩ってしまおう。そう決めた二人は、翌日には早速狩りにでかけることにした。

 そして狩りの当日。〔エルフの憩い亭〕で辰巳を待っていたジャドックの前に、辰巳はカルセドニアを伴って現れた。

 辰巳が女性を伴って現れたことで、目をぱちくりとさせるジャドック。更に、辰巳から彼女が噂に名高い「サヴァイヴ神殿の《聖女》」だと聞かされ、更にジャドックは驚いた。

 更に更に、辰巳と《聖女》は婚約者同士であり、今回の狩りに雇い人として同行するという。

 この時点でもう、ジャドックは開いた口が塞がらないという心境だった。

 だが、ジャドックの驚愕はこれで終わりではなかった。

 そのことを、彼はすぐに思い知ることになる。




 雪蜥蜴の群れが出るという噂の森を探索していると、幸運にもすぐにその群れと行き当たることができた辰巳たち。

 辰巳とジャドックは素早く臨戦体勢を整え、あくまでも雇い人であるカルセドニアは安全圏まで下がる。

 そうして狩りは始まったわけだが、狩りが始まってすぐ、ジャドックはそれまで以上の衝撃を受けた。

 隣にいたはずの辰巳の姿が突然掻き消えたかと思うと、直後に雪蜥蜴の背後に現れたではないか。

「…………え?」

 戦闘中だというのに、思わず棒立ちになって辰巳の姿に見入ってしまうジャドック。

「ジャドックさんっ!!」

 背後から飛んだカルセドニアの鋭い声で我に返ったジャドック。見れば、正面から雪蜥蜴の一匹が牙を剥き出しにして噛みつかんとするところだった。

 開かれた雪蜥蜴の口に、咄嗟に戦棍を突き入れる。開いた口に戦棍を食らい、哀れな雪蜥蜴は牙をへし折られて吹き飛んだ。

「アラ、アタシとしたことが……でも……ねぇ……」

 周囲に油断なく気を配り、それでいてジャドックは辰巳の姿を目で追う。

 辰巳は消滅と出現を繰り返し、常に雪蜥蜴の死角に身を置いて戦っている。

「あれって……もしかして、伝説の〈天〉系統の《瞬間転移》……かしら?」

 かつてたった一人だけ使い手がいたという〈天〉系統の魔法。その代名詞とも言うべき《瞬間転移》のことは、ジャドックも聞いたことがあった。

 確かに辰巳は自身が魔法使いだと言っていたが、まさか伝説の〈天〉の魔法使いだったとは。

「…………本当に何者なのかしら、彼って」

 得物を振るい、手近な雪蜥蜴を屠りながら、それでいて辰巳の姿を追い続ける。

 「サヴァイヴ神殿の《聖女》」の婚約者であり、伝説の〈天〉の魔法使い。

 どうやら彼の見たところ、辰巳と《聖女》は親が決めた婚約者というような関係ではなく、完全な相思相愛のようだ。いや、どちらかというと《聖女》の方がより辰巳に心酔しているように見える。

 もしかすると、アタシは将来とんでもない大物となる人物と組んじゃったのかしら?

 そんな考えがジャドックの脳裏を駆け抜け、彼はにやりと笑みを浮かべた。

 それまで以上に辰巳に興味が沸いたジャドックは、何があってももうしばらく彼と行動を共にしようと心に決めながら、目の前の雪蜥蜴を屠り続けた。




 血と脂に塗れながら、何とか解体作業を終えた辰巳たち。

 剥いだ皮や肉、爪や牙といった素材を分担して持ちながら、一行は王都へと帰還しようとした。

 と、その時。

 鋭い聴覚を誇るジャドックの耳が、小さな物音を聞きつけた。

「気をつけて、二人とも。近くに何かいるわ」

 小声で辰巳とカルセドニアに注意を呼びかけ、周囲の気配を読み取る。

 三人がそうやって息を潜めていると、やがて傍らの茂みががさりと揺れてそこから白いものがゆっくりと姿を現した。

「…………は?」

「あらん?」

「え…………?」

 辰巳たちは、現れたものを見て思わず目を丸くした。

 なぜなら。

 茂みの奥からふらふらと姿を見せたのは、辰巳と同じぐらいの年頃の、全裸の人間の女性だったのだから。


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