六亜人
辰巳の話を聞いて、バースと仕事の合間の休憩中で彼の隣に座っていたナナゥが驚いた顔をした。
「え? タツミの故郷って、亜人がいないの? 全く?」
「そ、それって、エルフもドワーフもゴブリンもケットシーもいないってことだよね? うわー、信じられない……」
驚きの表情を浮かべたまま、バースとナナゥは互いに顔を見合わせた。
「旦那様の故郷については私もそれほど詳しくはありませんが、確かに亜人はいなかったように思えます」
カルセドニアの知る日本は極めて限定的である。彼女が日本について知っているのは、辰巳とその家族、そして彼らが暮らしていた家の周囲ぐらいだ。
そこへ、注文の料理を持って通りかかったエルが、タツミたちの言葉を保証する。
「信じられないかもしれませんが、本当なんですよ。タツミさんの生れ故郷って、人間しかいないんです」
「そういや、女将さんも以前はタツミの故郷にいたって言ってましたね」
「はい。タツミさんの故郷である日本は、もう私にとっても故郷ですから」
そう言って立ち去るエルの後ろ姿を眺めながら、バースは以前にエルから聞いたことを思い出す。
亡くなったエルの夫が、辰巳と同郷人だったこと。とある事故に巻き込まれて行く宛てもなかったエルを、当時まだ少年だった彼女の夫に拾われ、いろいろと面倒を見てもらったこと。
そして、それが縁で結婚。人間よりも長い寿命を持つエルフであるエルは、子供も生まれなかったことから夫の死後に旅に出て、数年前にこの王都で酒場を開いたこと。
それが、バースの知っているエルの過去だった。
バースは視線をエルの背中から辰巳へと戻すと、にやりと自慢気に微笑む。
「じゃあ、タツミって六亜人についても知らないんじゃね?」
「ろくあじん……? う、うん、知らないなぁ。カルセは知っている?」
辰巳が隣に座るカルセドニアに尋ねると、彼女はいつものようにふわりと微笑んだ。
「はい。宜しければ、ご説明しましょうか?」
「うん。頼むよ」
辰巳に頼りにされたことが嬉しいのか、カルセドニアは嬉しそうに説明を開始していく。
六亜人。
それは魔法の代表的な六つの系統の精霊たちと深い関係を持つ、代表的な亜人を差す言葉である。
〈火〉と関係の深いドワーフ。
〈水〉と親しいエルフ。
〈風〉の盟友であるケットシー。
〈地〉の眷属とされるゴブリン。
〈光〉の申し子スプライト。
〈闇〉に育まれしシェイド。
もちろん、この他にも多種多様な亜人がいるが、最も有名な種族がこの六つである。
ドワーフとエルフは辰巳にも分かる。だが、この大陸のドワーフとエルフは辰巳の知るそれとは、外見はほとんど同じだが特徴が少し異なる。
辰巳の知るドワーフは地の妖精のイメージだったが、この世界では火の精霊と関係が深い。
そのため、彼らは種族の特長として炎や熱による影響を全く受けない。その種族特長を利用し、他の種族では扱いきれない高温を用いた鍛冶や細工物の高い技術を誇る。特に硝子や陶器などの製造は、彼らだけの門外不出の技術である。
そしてエルフだが、この大陸のエルフは森ではなく水中で暮らしている。もちろん、陸に揚がっても何の問題もない。
エルフたちの暮らしぶりの中で特に辰巳が驚いたのは、彼らは主に水中で暮らしているためか、彼らには衣服を着る習慣がないことだった。
とは言え、陸に揚がって他種族の前に出る時は、さすがに他の種族の風習に合わせて服を着る。
だが、逆に水中にある彼らの集落を訪れる際は、他の種族も衣服を脱ぐのが彼らに対するマナーだそうだ。
ちなみに、エルも故郷の世界では「水エルフ」と呼ばれる氏族の出身だとか。さすがにこちらのエルフのように完全に水中で暮らすことはできないらしいが。
ゴブリンに関しては、辰巳も先程驚いたばかりだ。
褐色の肌に金の瞳と銀の髪。それらの色は、大地の精霊の加護を得ているからだと言われており、高い農耕技術を有し、彼らでなければ育てられない作物もあるらしい。
また、子だくさんの種族としても知られ、双子や三つ子は当たり前。時には五つ子や六つ子が生まれることも珍しくはない。
実際にナナゥにも、二人の姉と兄、三人の妹と一人の弟がいるそうだ。その内、姉と兄が双子で、ナナゥと妹と弟は三つ子である。
残るケットシーとスプライト、シェイドに関しては、辰巳は全く知らない。
カルセドニアの説明によると、ケットシーは身長1メートルほどの直立歩行する猫、といった外見の種族らしい。
彼らは種族の特殊能力として空中を歩く能力を有している。また、一か所に定住するより各地を放浪することを好む。彼らのこの風習もまた、風の精霊の影響だと主張する賢者もいるそうだ。
スプライトは身長30センチから40センチほどの、背中にトンボのような翅を有した小さな種族だと言われている。
「言われている」と表現するのは、スプライトたちは光の屈折を操る幻を作り出すことに長けており、また、自分の姿を透明にすることもできる。その透明化の力を使い、他の種族の前には滅多にその姿を見せない。
彼らは悪戯好きな種族としても知られており、姿を消して他の種族に近付き、様々な悪戯を仕掛けることがある。
しかし、彼らの悪戯は悪意のない他愛のないものばかりなので、彼らに悪戯されても他の種族の者たちは、まず腹を立てたりはしない。
闇の精霊と関係の深いシェイドは、灰褐色の肌をしたしなやかな細身で長身の体格を持つ種族で、髪と目の色はどちらも黒。
しかし彼らの最大の特徴は、四つの瞳と二対四本の腕を有する点だろう。
四つもある目は視力に優れ、遠くのものを見ることができるのはもちろん、温度差──いわゆるサーモグラフのように「熱を見る」こともできる。
また、彼らは優れた戦士としても知られる。なんせ彼らには腕が四本もあるので、単純に他の種族よりも攻撃回数が多い。
特に彼らは四つの腕に四つの武器を構え、まるで旋風のように敵を切り刻む戦い方を得意とするそうだ。
性格も冷静沈着で義理堅い者が多く、一度交わした約束を違えることは絶対にないと言われている。
以上の六つが、この大陸では最も有名な亜人の種族であった。
カルセドニアの解説を聞き終えた辰巳は、ゆっくりと息を吐き出した。
彼女の語る内容に、思わず息を止めてしまうほど聞き入っていたのだ。
「ふーん……そんなにたくさんの亜人がいるんだ」
「はい。賢者の中には、亜人たちは人間が精霊の力の影響を受けた結果、それぞれの種族に別れたのだと唱える者もいます」
「それだけ亜人と人間は近しいってことか」
「はい。亜人は人間にとっては親しい隣人です」
にっこりと微笑むカルセドニア。
とそこへ、話が途切れるのを待っていたのか、辰巳たちの元へとエルがやってきた。
「ちょっといいですか、タツミさん。そろそろタツミさんも魔獣狩りとして依頼を受けてみませんか?」
エルのその言葉に、辰巳は表情を引き締めた。
彼が初めてこの店を訪れてから、もう何度もここに足を運んでいるが、これまで辰巳が依頼を受けたことはない。
理由はいろいろとあるが、今が寒さの厳しい時期であり、新米が標的にするような小型の魔獣や野生動物の数が少ないというのが大きな理由の一つだった。
この時期に活動している魔獣や野生動物は、大型の個体が多く新米の手には余るのだ。
そしてもう一つの理由として、辰巳にはいまだに魔獣狩りとして組むべき仲間が決まっていないこともある。
やはり、一人よりも数人の仲間でチームを組み、そのチームで依頼に当たる方が効率がいい。
辰巳のチームメイトとして、最初に考えられるのはやはりカルセドニアだろう。
だが、現時点ではカルセドニアは辰巳よりも実力的に数段優れている。そのため、エルはカルセドニアを辰巳のチームメイト候補から外していた。
同じレベルの実力を持つ者同士でチームを組む。明確な規則があるわけではないが、それが魔獣狩りたちの無言の了解の一つなのだ。
「俺に依頼ってことは……誰か、俺の仲間の候補が見つかったんですか?」
「いえ、その……辰巳さんとチームが組める新人は、まだ現れなくて……」
申し訳なさそうなエル。
この店に足を運ぶ常連たちは、皆既にチームを組んでいるか、個人で活動している者たちばかりである。なので、そこに辰巳を強引に放り込むこともできない。
完成したチームに異分子を紛れ込ませると、それまでのチームとしての狩りに狂いが生じかねないからだ。
時には臨時の仲間を求める者たちもいるが、この店に出入りしている魔獣狩りたちの間では、最近は臨時の仲間を求める者もいない。
そのため、辰巳のチームメイトは新人が現れるのを待っているのが現状だった。
「……そこで、タツミさんが一人でも受けられる依頼として、こんなのがあるんですよ」
そう言ってエルが差し出したのは、一枚の依頼票。
そこに記されていた依頼の内容は、一定量の薬草の採集だった。
「この時期の薬草採集は大変なんですけど、タツミさんならなんとかなりますよね?」
こう言われると、辰巳は承諾するしかない。
具体的な手の内を明かしていないとはいえ、辰巳が短時間に薬草を採集することができるのは、彼自身が証明してしまったのだ。
「この時期はどうしても採集量が減るため、依頼の報酬も他の季節に比べると割がいいんですよ。どうです? やってくれませんか?」
「了解です。今から取りかかった方がいいですか?」
「はい。そうしてもらえると助かります。じゃあ、この前みたいに採集する薬草の外見を教えますね」
エルは幻覚の魔法でいくつかの薬草の姿を辰巳に見せ、辰巳はそれを携帯電話のカメラで撮影していく。
「おい、タツミ。そりゃ一体何だ?」
辰巳の携帯電話を初めて見たバースが、興味深そうな表情で尋ねてくる。
「これは……そうだな、魔封具の一種だよ。俺が故郷からこっちに来る時、持ってきたんだ」
こちらの世界の住人であるバースに、携帯電話を説明することは不可能だろう。だから辰巳は、携帯電話のことを魔封具──マジックアイテムだと言って誤魔化した。
「じゃあ、エルさん。一度家に帰って準備してから、薬草の採集に行ってきます」
辰巳は立ち上がると、エルに一言声をかけてから〔エルフの憩い亭〕を出ようとする。
当然、カルセドニアは黙って辰巳に従うし、バースも頃合いと判断したのか同じように席を立った。
「じゃあな、ナナゥ。俺も神殿に戻るから、仕事がんばれよ?」
「うんっ!! バースくんもお仕事がんばってねっ!!」
ナナゥは無邪気に笑みを浮かべると、仕事に戻るべく席を立ち上がった。
バースはそんなナナゥの頭を、ちょっと乱暴にぐりぐりと撫で回す。
「もー。何するのー? 止めてよー」
ナナゥも口では文句を言いつつも、その顔には嬉しそうな笑みが浮かんでいる。
二人の一連のやり取りを見て、辰巳とカルセドニアは互いに顔を見合わせて小声で囁き合う。
「いい雰囲気だな、あの二人」
「はい。きっと仲のいい夫婦になるでしょうね」
カルセドニアは辰巳の顔を見上げてにっこりと笑うと、そのまま辰巳の腕を豊かな胸に抱き抱えた。
「ねえ、旦那様。私たちもバースさんたちに負けないようにしましょうね」
「あ、あー……そ、そうだな、う、うん」
腕にカルセドニアの心地よい暖かさを感じながら、辰巳は頬を赤らめる。
この頃では、時々カルセドニアの方がどきっとさせられることあるものの、辰巳がカルセドニアの真っ直ぐな言葉にどきどきとさせられることの方がやはり多い。
これも年上の余裕だろうか。と、辰巳は明後日の方向を見ながら考えるのだった。
辰巳とカルセドニア、そしてバースが立ち去った〔エルフの憩い亭〕。
常連の魔獣狩りたちがたむろする一階の酒場に、初見と思われる人物が現れたのは辰巳たちが立ち去ってしばらくしてのことだった。
丁度入り口付近で客に対応していたナナゥが、新しい客に気づいて顔を上げた。
「いらっしゃいませー! 〔エルフの憩い亭〕へようこそっ!! 今日はどう言った用向きでお越しですか?」
声をかけられたその人物は、店の中を物珍しそうにきょろきょろと見回した後、目の前にいるナナゥに若干首を傾げながら質問した。
「────ちょっと聞きたいんだけど、魔獣狩りになるにはどうしたらいいのかしら?」