実は危険な薬草探し
カルセドニアとエルの会話に割り込んで来たその魔獣狩りは、じろりとした視線をエルへと向けた。
「女将さんもちょっと意地が悪すぎだろ? この季節に新米に薬草探しをやらせるなんざよ?」
「あ、あのですね? 私はてっきりカルセさんが止めるとばかり……まさか、あそこでカルセさんが笑顔でタツミさんを送り出すとは……」
エルは慌てたように、その魔獣狩りとカルセドニア、そして酒場の出入り口を何度も見比べる。
「い、急いで後を追いかけて、タツミさんを止めないと……」
ばたばたとカウンターの奥から出て来たエルは、そのまま店を飛び出そうとする。
しかし、それをカウンターに座ったままのカルセドニアが引き止めた。
「心配はいりません。私の旦那様なら、一刻間もあればグーレンダン草を持って帰って来ますから」
カルセドニアの言う「一刻間」とは、神殿の時を告げる鐘と鐘の間隔を言い、一刻間は地球の感覚で言えば2時間である。
「おいおい、《聖女》さん。いくらなんでもそいつは無理ってモンだろ?」
割り込んだ例の魔獣狩りは、呆れたように肩を竦めた。
「この街はでかいから、この店から南門まで歩くだけでも相当時間がかかる。南門から更に南の森まで、今の季節じゃ人の足ではどうしたって一刻間はかかるぜ? 確かに森までは遮るもののない平原が広がっているが、それは雪のない季節に限るってもんだ。今の季節、雪に足を取られて思うように進めないからな」
雪のない季節と雪の降り積もった季節。どちらが移動に時間がかかるか、考えるまでもないだろう。
「それに、グーレンダン草は年中生えている薬草だが、今の季節は探すだけでも大変だ。なんせ辺り一面、雪が降り積もっているんだからな」
雪を掻き分けながら雪原を進み、そして、宛てもなく雪を掘り起こしながら薬草を探さなければならい。
探す薬草は一株とはいえ、一面銀世界の中、その一株を見つけ出すのは決して容易ではなく、体力と気力を消耗する重労働である。
「それにもうすぐ五の刻ですよ? 日が暮れるまで後二刻間しかありません。この季節、慣れない人が野営なんてしたら凍死しちゃうかもしれません……カルセさん、タツミさんってこの季節の野営の経験はありますか?」
エルの言う五の刻は午後2時に相当し、その4時間後の七の刻──午後6時には陽が沈む。
街の門から森までの往復の移動に4時間かかる計算なので、明るい内に往復することを考えると、薬草を探す時間は殆どない。
「雪のない季節なら神殿の鍛錬の一環で野営の鍛錬も受けていますが、雪のある季節の野営の経験はないはずです」
辰巳も神官戦士の見習い時代に、鍛錬の一環として野外での野営の経験はある。だが、それはカルセドニアが言うように雪のない季節に行ったもの。
寒さの厳しい今の季節、辰巳には野外で一夜を明かした経験はない。
そしてエルの言う通り、この季節に迂闊に野営などしようものなら、凍死して二度と目覚めない可能性だってあるのだ。
カルセドニアの返答を聞いて、更に焦りを見せるエルとその魔獣狩り。
だが、カルセドニアは至って落ち着いており、焦る素振りさえ見せない。
「おい、《聖女》さんよ。本当にいいのか? このままだとあの兄ちゃん、帰って来ないかもしれないんだぜ? あの兄ちゃんはあんたのイイヒトなんだろ?」
「そうですよ、カルセさん。このままだと、タツミさんはリントさんの言うように……」
まるで自分のことのように心配するリントという名前の魔獣狩り。どうやら、彼は他人を思いやることのできる性格の人物らしい。
カルセドニアは改めてリントという魔獣狩りを観察した。
年齢は三十代半ばから四十代初め。全身から貫禄のようなものを滲ませる彼は、相当腕の立つ魔獣狩りなのだろう。
実際、彼が身に着けている装備は全て魔獣素材のもの。それも生半可な腕では狩ることのできない魔獣のものばかりだ。
辰巳のことをまるで自分のことのように心配してくれる彼は、カルセドニアから見ても好印象だった。
「大丈夫です。私の旦那様はすぐに帰って来ますから。もちろん、しっかりと目的の薬草を手に入れてから、です」
だからカルセドニアは、リントに向かって微笑みながら答えたのだった。
その後、〔エルフの憩い亭〕の中は異様な雰囲気に包まれた。
エルやリントなどは、落ち着きなくそわそわしながら、何度も出入り口へと目を向ける。時折他の来客などが扉を開けるのだが、その都度期待に満ちた視線を向けつつ、その視線はすぐに落胆へと変わった。
その他の魔獣狩りたちの態度は様々だ。
辰巳のことなど全く無関心な者もいれば、リント同様に時折心配そうに扉を眺める者もいる。
中には辰巳が生還できるかどうかなどで賭けを行っている者もいて、ちょっとした混沌とした雰囲気となっていた。
そんな中で、カルセドニアだけが自然体でエルが淹れてくれたお茶などを飲んでいる。
そして。
そして、先程カルセドニアが言った一刻間が経とうとした時のこと。
「ただいまー…………って、あれ?」
何とも暢気な挨拶と共に、辰巳が〔エルフの憩い亭〕へと戻って来た。
〔エルフの憩い亭〕に居合わせた魔獣狩りたちが、一斉に辰巳へと驚きの視線を向ける。
酒場の中の異様な雰囲気に内心で首を傾げつつ、辰巳はカルセドニアとエルの待つカウンターへと近づいた。
「はい、エルさん。これですよね?」
そう言いつつ辰巳が差し出したのは、所々に雪が残り、根には土が付着している一株の瑞々しい薬草。
辰巳の試験の目標であるグーレンダン草だ。
「……た、確かにグーレンダン草ですが……こ、こんな短時間に一体どうやって……?」
「それは……秘密ということでお願いします」
辰巳はぱちりと片目を閉じて見せる。
別に隠し立てする必要もないのだが、無闇に自分の能力を自慢することもあるまい。辰巳はそう判断してエルの質問を受け流した。
リントも、まじまじと辰巳が採取してきた薬草を眺めている。
「…………うーん……どっかで売っていたものを買ったってわけじゃねえな。土や雪の具合から見て、採取してまだそれ程経ってないと見た……おい、兄ちゃん、このグーレンダン草、どこで採取したんだ?」
「もちろん、エルさんに言われた通りに南の森の近くですけど?」
「いや、確かにこの辺でグーレンダン草が生えているのは、南の森の周辺だけだが……一体どうやってこの短時間に南の森まで……兄ちゃん、もしかして魔法使いか?」
「ええ、俺は魔法使いです」
リントに笑顔で答えつつ、辰巳は内心で「正確には魔力使いだけど」と付け足した。
リントは腕を組んで唸りつつ、いつまでも辰巳の採取してきたグーレンダン草を眺めている。
その彼の背後では、他の魔獣狩りたちが様々な様子を見せていた。
この短時間に薬草を採って来た辰巳に感心する者、何かインチキをしたのではないかと疑う者、そして、賭けに負けて悲痛な表情を浮かべている者などなど。
そんな中で、唯一人辰巳が試験を達成することを疑っていなかったカルセドニアは、満面の笑顔で立ち上がって辰巳へと近づいた。
「お疲れさまでした旦那様。そして、お帰りなさいませ」
「うん。ただいま、カルセ」
互いに微笑みながら見つめ合う。二人の間に無駄な会話など必要ない。
そんな二人に、エルとリントは感心するやら呆れるやら。
酒場に居合わせた他の魔獣狩りたちからも、様々な冷やかしの言葉が飛ぶ。
だが、カルセドニアには辰巳が相手である以上は冷やかしなど全て祝福の言葉だし、辰巳も最近ではこんな反応に慣れてきている。
辰巳はエルへと視線を向けると、試験の合否を問う。
「それで、試験の方は合格ですか?」
「もちろんです! 私、エルルーラ・ザフィーラ・フィラシィルーラ・アカツカは、〔エルフの憩い亭〕の主人としてタツミさんを新米とはいえ魔獣狩りとして認めます!」
エルが宣言すると、周囲から歓声が上がる。
「これからがんばれよ、新入り!」
「いい気になって無茶するんじゃねえぞ」
「下手に怪我して美人を悲しませるなよ」
「必要以上に女将さんと馴れ馴れしくすんじゃねえぞ、コラ」
多くの魔獣狩りたちが、様々な言葉を辰巳へとかけていく。
中には辰巳のことなど我関せずといった態度の者もいるが、大半は快く辰巳を受け入れてくれたようだ。
こうして。
晴れて辰巳も〔エルフの憩い亭〕に出入りする魔獣狩りの一人として、正式に認められたのだった。
辰巳とカルセドニアを中心に、親しげな魔獣狩りたちが輪を作り、どうやってこんな短時間にグーレンダン草を持って来ることができたのかを、しきりに尋ねる。
「それはですね、ちょっとした魔法を使ったんですよ」
「旦那様の魔法と、今回の薬草探しは相性が良かったのです」
辰巳とカルセドニアは、そう言って魔獣狩りたちの質問に応えた。
エルやリントなどはその魔法の詳細を聞きたそうだが、辰巳たちが語らない以上深くは追求しないつもりなのだろう。
実際、今回の試験と辰巳の魔法の特性は相性が良かった。
今回の試験で最も問題となるのは、もちろん大量に降り積もった雪である。
雪は移動を阻害し、目標の薬草を覆い隠す。
だが、辰巳の魔法の前にはそれ程の障害とはならない。
移動は《瞬間転移》を使えば雪に邪魔されずに移動できる。
街中は屋根の上を、街の外に出れば視界を遮るものは殆どないので、《瞬間転移》に支障はない。
だが、辰巳の《瞬間転移》にも多少の制限はある。
実質的に無尽蔵の魔力を持つに等しい辰巳だが、辰巳自身の内部に蓄えることのできる魔力量には限りがある。
その総量はカルセドニアよりも低く、平均的な魔法使いより僅かに多い程度。
かつて、彼が初めて《瞬間転移》を用いて〈魔〉と戦った時、カルセドニアよりも遥かに多量の魔力を一度に扱ったが、あの時は一種の暴走状態だったためであり、平時の辰巳にはあれだけの魔力を用いることはできない。
転移する距離に消費魔力は比例するため、どうしたって一度に転移できる距離には限度がある。
しかし、消費してゼロになった魔力も次の瞬間には全回復するので、例え一度に転移できる距離に制限があっても、それを何度も繰り返せばいい。
転移を多用して僅か数分で南の森近くまで到達した辰巳は、少し休憩して体力を回復させた後、今度は薬草を探すことにした。
そして、ここでも辰巳の《瞬間転移》は威力を発揮する。
鞘に収めたままの剣で、辰巳は雪の上に適当な大きさの円を描く。そして、円の内側の雪全てを、転移で少し離れた場所へと一瞬で移動させる。
こうすれば、わざわざ雪を掘り起こすという重労働をする必要もない。
ちなみに雪の上に円を描いたのは、移動させる雪の範囲が目に見えた方が、転移させる際にイメージしやすいからだ。
これを数回繰り返えしているうちに、目標の薬草を発見することができた。
目標の薬草さえ見つけてしまえば、後はそれほど慌てる必要はない。
辰巳はついでに森の外周部の植生などを少し調べておいた。どこにどんな樹や草などが生えているのかを覚えておけば、今後何かの役に立つかもしれない。
王都近郊の森ということで危険な動物や魔獣の姿はなく、のんびりとある程度の範囲を見て回り、体力も回復した頃合いを見計らった辰巳は、改めて薬草を採取すると来た時と同じように転移を繰り返して街へと戻ったのだった。
「あ、そうだ! ねえ、タツミさん、よかったら携帯電話の番号とアドレス、交換しません?」
辰巳たちが魔獣狩りたちと楽しく会話をしていると、突然エルがそんなことを言い出した。
「いや、交換するのはいいですけど、この世界じゃそもそも携帯は使えませんよ?」
「いいじゃないですか。雰囲気ですよ、雰囲気。うわー、携帯電話の番号交換なんて、久しぶりですねぇ」
嬉しそうなエルを見て、辰巳は苦笑する。
確かにエルの言う通り、彼女が携帯の番号やアドレスを交換する機会など、こちらの世界に来てから全くなかっただろう。
携帯電話本来の役割を果たすことはできないだろうが、それでも番号やアドレスの交換に付き合うのも悪くはない。
「そうですね。それじゃあ、雰囲気だけでも」
辰巳が再び携帯を取り出すと、エルもポケットの中から手の平サイズの薄い透明な板を取り出した。
「もしかして……それが2080年代の携帯電話ですか?」
「はい。他にも直接脳に埋め込む埋設型なんてのもありましたが、夫が埋設型を嫌がったので私もこっちにしました」
「なるほど、さすがは近未来だ。でも、これって充電とかどうしているんですか?」
「うっふっふ。実はこっちに来る時、いろいろと持ち込んでいるんですよ」
エルが自信満々に指差す方を見てみると、店の窓際の日当たりのいい場所に手の平サイズの小さな機械が置いてあった。
もちろん辰巳も初めて見る機械だが、それでも何となく何のための機械なのか推測できる。
「あれって……もしかして、小型のソーラー発電機ですか?」
「ご名答。と言ってもそれほどの出力は見込めませんから、この店全体で電気を利用することはできません。精々私の私室で幾つかの小さな電化製品を利用する程度ですね」
どうやら、エルは周到に用意してから世界を超えてきたらしい。
もしも世界を超える時、準備する時間があったとすれば。自分は一体何を持ってきただろうか。
それを考えようとして、辰巳はすぐにそれを放棄した。
今更過去を変えることはできない。それに、辰巳はどんな便利な電化製品よりも、どんなに食べ慣れた美味い料理よりも、素晴らしい宝をこちらの世界で手に入れたのだ。
彼は携帯電話を操作してエルと番号とアドレスを交換した後、その宝──隣に座る白金色の髪の女性に微笑みかけた。
「どうかなさいましたか、旦那様?」
「なんでもない。ただ、カルセが隣にいてくれるのが嬉しいだけだよ」
辰巳のその言葉に、カルセドニアもまた頬を染めつつも嬉しそうに微笑んだ。




