居候だったエルフさん
「私の名前はエルルーラ・ザフィーラ・フィラシィルーラ・アカツカ。長くて呼びづらければ、エルと呼んでくださいね」
それが〔エルフの憩い亭〕の女主人にして女将でもあり、かつて日本で暮らしていたことがあるという、目の前のエルフの女性の名前だった。
「──じゃあ、エルさんはご主人が亡くなった後、この世界に?」
「はい。ヤスタカさん……夫が天寿を全うしてから、私は世界を越える魔力を秘めた短剣の力でこの世界に来ました。私にとってこの世界は、故郷の世界と地球世界に続く第三の世界となりますね」
〔エルフの憩い亭〕のカウンターに腰を落ち着けた辰巳とカルセドニアは、エルから彼女のこれまでの人生を聞いていた。
かつて、とあるマジックアイテムの暴走で、故郷の世界から日本へと飛ばされたエル。
彼女はそこで様々な人たちに出会い、助けられ、最終的には日本人として戸籍も獲得して正式に結婚までした。
だが、彼女とその夫の間に子供ができることはなく、人間よりも遥かに長い寿命を持つエルフである彼女は、夫が天に召された後、再びそのマジックアイテムを使って20年ほど前にこの世界に来たとのこと。
「でも、女将さんが旦那様と同じ国にいたなんて……さすがにびっくりしました」
「それは私だってですよ。まさかカルセさんの前世がオカメインコで、タツミさんを想うあまり召喚に成功しちゃうなんて……普通に考えれば、信じるどころか思いつきもしないですよねぇ」
辰巳とカルセドニア、そしてエルは、懐かしい日本の話で盛り上がっていた。
ちなみに、三人のこの会話は日本語で交わされているため、周りで必死に聞き耳を立てている魔獣狩りたちには理解できない。
「オカメインコかぁ。私は飼ったことはないですけど、ペットショップではよく見かけました。可愛かったなぁ……そう言えば、あの人も生き物が好きだったっけ」
エルはカウンターに飾られている写真立てへと目を向ける。
そこには彼女と三人の高校生ぐらいの男女が映っている。おそらく、写真の中でエルの横に映っている少年こそが、彼女の夫だったのだろう。
今、エルが写真へと向けている視線はとても優しい。彼女がいまだに亡夫を深く愛していることが、辰巳とカルセドニアにはよく分かった。
その後も、辰巳たちは日本を話題にして話を楽しんだ。
特に辰巳とエルは、これまで日本のことをなかなか話題にすることができなかったことと、懐かしさもあって大いに会話が弾む。
「え? エルさんって愛知県の日進市に住んでいたんですか? 俺、瀬戸市に住んでいましたけど……」
「ええっ!? 日進と瀬戸ならすぐ近くじゃないですかっ!? 私、何度も瀬戸には行ったことありますよ? せともの祭りにも行ったし、秋になると岩屋堂の紅葉も見に行きました」
「うーん……逆に俺は日進にはあまり行ったことがないなぁ。せいぜい、小学校の遠足で愛知牧場に行ったぐらいか」
「もしかすると、どこかでタツミさんとすれ違っていたかもしれませんね」
楽しく会話する辰巳とエル。一方、カルセドニアはと言えば、ちょっと不貞腐れた様子でカウンターに頬杖なんてついている。
どうやら、辰巳がエルと楽しそうに会話するのがおもしろくないらしい。
カルセドニアにも日本の知識はある。でも、オカメインコだった彼女の知識は極めて限られているので、辰巳とエルの会話についていけないのだ。
エルとの会話の途中、そんなカルセドニアの様子に気づいた辰巳。彼は手を伸ばしてカルセドニアの髪を優しく撫でてやる。
それだけで、頬を膨らませていたカルセドニアの表情が一気に柔らかくなる。
彼女は嬉しそうに微笑むと、そのままこてんと辰巳の肩へと頭を凭れさせた。
そして、二人のそのやり取りに、今度はエルが目を丸くする。
「……驚きました。あのカルセさんがここまで男の人に甘えるなんて……」
以前、この店に出入りしていた時のカルセドニアは、男性とは必要最低限の会話しかしていなかった。
魔獣狩りとして、時には他の魔獣狩りと組んで仕事に当たったこともある。それでも当時のカルセドニアは、決して他者に甘えるようなことはなかったのだ。
今までエルも見たことがないようなカルセドニアの幸せそうな笑顔。そして、彼女にそんな笑顔を向けられて、同じように微笑んでいる辰巳。
二人の間に言葉はないが、そもそも言葉など必要ないのだろう。
エルもまた、この二人の間に存在する切っても切れない絆を感じて、彼女は微笑ましそうな表情を浮かべた。
「さて改めまして、〔エルフの憩い亭〕へようこそ!」
一通り日本のことを語り合った後、エルは態度を改めた。
ここからは単なる思い出話ではなく、これからのことを語り合わなければならない。
そのためだろうか。エルはこれまでの会話に用いていた日本語から、ゾイサライト大陸全般で使われる大陸交易語へと切り替えた。
「この宿屋兼酒場は、主に魔獣狩りの皆さんが拠点として利用しています。店主はこの私、エルルーラ・ザフィーラ・フィラシィルーラ・アカツカ。もちろん、私以外にもお店には従業員が数名います。私は基本的にこのお店にいますが、従業員たちは交代制なのでお店にいたりいなかったりします」
この酒場に集まるのは魔獣狩りだけではなく、魔獣に関する情報や魔獣討伐の依頼なども舞い込む。
もちろん、普通の酒場や食堂として酒や食事を求めて訪れる者もいるし、宿屋として一晩の寝床を求めて来る者もいる。
「魔獣狩りにはゲームや小説などに登場する『ギルド』のような後援組織はありません。ですから、当然ランクなんて概念もありません。自分は魔獣狩りだ、と思ったその瞬間からその人は魔獣狩りです。もちろん、実際に魔獣が倒せるだけの実力が伴うかどうかは、別の話ですよ?」
酒場に寄せられる魔獣討伐の依頼は、基本的に早い者勝ちである。
ただし、それが自分に討伐可能な依頼かどうかは、自分自身で判断するしかない。
顔馴染みや先輩の魔獣狩りが助言することはあるが、それでも最後は自己責任となる。
「私としても、店主として討伐対象の魔獣を倒せない人には依頼を任せるわけにはいきません。寄せられた依頼を失敗ばかりしていると、この店の信用問題に関わりますからね。それでも自分の実力を顧みず、報酬などに釣られてついつい背伸びをしてしまう人は少なくありません。そして、そういう背伸びをした人に限って、再起不能な大怪我をしてしまったり、最悪の場合は二度と帰って来なかったりします」
ですから、タツミさんも依頼を受ける時は十分気をつけてください、とエルは付け加えた。
「分かりました。急がずに最初は簡単な依頼からこつこつ始めますよ」
「はい、その気持ちが大切ですからね」
ところで、と前置きしつつエルはちょっぴり含みのある笑みを浮かべた。
「タツミさんがどのれだけの実力を持っているのか、私はこの店の店主として把握する必要があります。そこで、ちょっとした試験をしてみたいと思うのですが、受けてくれますか?」
魔獣狩りたちへ仕事を斡旋する立場として、店に集まる魔獣狩りたちの腕を把握するのは重要なことだろう。
エルの言う試験とは、おそらく魔獣狩りとしての最低限の実力を計るためのものに違いない。
だから、辰巳は二つ返事でその試験を受けることにした。
「それで、試験の内容はどんなものですか?」
「うふふふ。こういう場合の新入りの腕試しと言えば、お約束の『薬草クエスト』に決まっているじゃないですか」
「なるほど。要は何らかの種類の薬草を一定量集めろってことですね?」
「はい。でも、一定量じゃなくて、ほんの一株だけでいいです。今から指定する薬草を手に入れて、ここに持ってきてください。それがタツミさんの試験です」
エルの指定した薬草は、グーレンダンという名前の薬草らしい。この地方では古くから傷薬や化膿止めの原料として用いられているそうだ。
「これはあくまでもタツミさんの試験なので、カルセさんは一緒に行ったらだめですよ」
「はい、承知しました」
素直にそう答えたカルセドニアだったが、その表情はどこか詰まらなさそうだ。おそらく、一時とはいえ辰巳と別行動になるのが嫌なのだろう。とは言え、ここで我が儘を言える筈もない。
「でも俺、そのグーレンダンって薬草を見たことないんですけど……」
「グーレンダン草はこんな薬草です。ツィールくん?」
エルが右手の中指に嵌めている指輪に語りかけると、その指輪の上に小さな人影が現れた。
身長は辰巳の感覚で言うと15センチぐらい。人間を三頭身ぐらいにデフォルメし、背中にはトンボのような二枚の翅がある。
緑色の服を着て、頭には同じ色の三角帽。そして何より、でかでかと顔の真ん中に居座るような団子鼻が印象的だ。
その小さな人影はエルに微笑むと、すぐに姿を消してしまった。そしてその人影と入れ替わるように、エルの掌の上に瑞々しい一株の草が浮かび上がる。
「これがグーレンダン草です。よく特徴を覚えてくださいね」
まるで立体映像のように突然エルの掌に浮かび上がった薬草。それを見て、辰巳は思わずぽかんとしてしまった。
「こ、これって魔法……ですよね?」
「はい、そうですよ。幻の精霊の力を借りて、幻影を作り出しました」
「えっ!? そ、それって精霊魔法って奴ですか?」
精霊魔法。
カルセドニアたちが使う詠唱魔法とは、全く別物の魔法体系。
辰巳も精霊魔法については詳しくは知らないが、それでもその存在は彼がこっちの世界に召喚された時にジュゼッペから聞いた覚えがある。
そしてジュゼッペは、その精霊魔法を広めたのは一人の女性だと言っていた。
「もしかして、精霊魔法を広めた女性って……エルさんのこと?」
辰巳がそう尋ねると、エルは照れたような笑みを浮かべた。
「えへへへ。一応、そういうことになっていますね」
彼女がこの世界に来たのが大体20年ほど前。
当時、今まで存在しなかった全く新しい体系のエルの魔法に興味を持ち、彼女に指導を求めて弟子入りした者が何人かいたとのこと。
だが、弟子入りした全員が精霊魔法の使い手になれたわけではない。
精霊魔法を使うには、魔法使いとしての素質の他にも精霊と交信するという別の資質も必要になる。
そのため、只でさえ少ない魔法使いの中でも、精霊魔法を修得できる者は更に一握りでしかない。
数少ない彼女の弟子たちが、一定以上の実力を身に着けて世間的に認められ始めたのが今から10年ほど前。そのため、世間では精霊魔法は10年ほど前から広まった、というのが定説となっていた。
「今日は本当に驚いてばかりです。女将さんが旦那様と同じ国に住んでいたことがあっただけでなく、精霊魔法の開祖だったなんて」
どうやら、カルセドニアもエルが精霊魔法の開祖であることは知らなかったようだ。
カルセドニアがこの店に出入りしていた時期はそれ程長くはない。その短い間に、彼女はエルが精霊魔法を使ったところを見たことがなかった。
「さて、タツミさん。グーレンダン草の特徴は覚えましたか?」
いまだにエルの掌に浮かんでいるグーレンダン草の幻影。
辰巳はその幻影を食い入るように見て、全体の形や色、特徴などを頭に叩き込んでいく。
でも、こうして幻影を見ただけでは、実際にこの薬草を見分けられるか今一つ自信がない。
そこで、辰巳は文明の利器に頼ることにした。
辰巳が腰にぶら下げた小さな袋からあるものを取り出す。それは彼がこの世界に召喚された際に持ち込んだものの一つ、携帯電話だ。
彼の携帯電話は旧式のいわゆるガラ・ケー。だが、光蓄電式なので今でも立派に使用できる。
もちろん、電話本来の使い方はできない。でも、内臓されたデジタルカメラなどは使えるのだ。
辰巳はカメラを起動し、エルの手の中の薬草を撮影する。これでいつでも薬草の写真を参照できるだろう。
そして、辰巳が弄っている携帯電話を見て、エルが意外そうな声を上げる。
「へー、また随分な骨董品ですね。それって2010年代前半ぐらいのモデルですか? 私が日本に住み始めた頃、もうそのタイプは少数派でしたからね」
「確かに、俺が日本にいたのは2010年代の半ばですけど……ガラ・ケーは旧式ではあっても、まだまだ使っている人はそれなりにいて、骨董品ってわけじゃありませんよ?」
「え? 2010年代半ば?」
きょとんとした顔のエル。辰巳はようやく互いに会話に若干のずれがあることに気づく。
「えっと……エルさんって、いつぐらいまで日本にいたんですか?」
「私が日本にいたのは、2080年代まででしたけど……」
エルが日本に飛ばされたのが2010年代。その時、まだ10代だった彼女の夫と出会った。それから彼女の夫が天寿を全うするまでの約70年を、エルは日本で過ごしている。
「……なるほど。俺とエルさんでは日本にいた時代にズレがあるのか……」
「そうみたいですね。世界を超えた時に一緒に時間も超えちゃったのかも。そもそも、異世界同士の時間が同じように流れているって保証なんてないですし、それを確かめる方法もありませんからね。もしかすると、私のいた日本とタツミさんのいた日本は『よく似た別の世界の日本』って可能性もありますし」
エルの言葉に辰巳も頷いた。
エルの言うように、異世界の時間が全て同じように流れているという保証はない。もしかすると、時間が流れる速度そのものに違いがあるかもしれない。
「それよりも大切なのは、こうして私とタツミさんが出会えたことだと私は思います」
と、エルはにっこりと微笑んだ。
「さて、試験の方はどうしますか? 別にこれから実施してもいいですよ?」
ちょっと悪戯を思いついた子供のような表情を浮かべながら、エルが辰巳に告げる。
「そうですね。さっさと済ませてしまいましょう」
辰巳はエルの言葉に頷くと、そのままカウンターから立ち上がってカルセドニアへと向き直る。
だから、この時エルが「えっ」といった表情を浮かべた事に、辰巳は気づかなかった。
「じゃあ、俺は一旦家に帰って準備を整えてから、グーレンダン草を採りに行って来る。カルセはどうする?」
「私はこのままここで、旦那様のお帰りを待ちます」
いつも通りのカルセドニアの声。そこに不安などは一切感じられない。
彼女は辰巳が試験に合格することを疑ってさえいないのだろう。
「ところで、エルさん。そのグーレンダン草がどの辺に生えているか……それは聞いてもいいですか?」
「ぐ、グーレンダン草は、この街の南門から出てそのまま暫く南に行った森の入り口辺りに生えていますけど……本気で今から行く気ですか?」
辰巳に尋ねられ、エルは思わず素直にそう答えてしまう。
そして、エルから薬草の生えている場所を聞いた辰巳は、笑顔で「行ってきます」と告げると、そのまま〔エルフの憩い亭〕を後にした。
思わず辰巳を見送ってしまったエルだったが、この時になってようやく我に返った。
「か、カルセさんっ!! このまま本当にタツミさんを行かせてしまってもいいんですかっ!?」
焦ったようなエルの言葉。
だが、カルセドニアは動じることもなく、それどころか自信たっぷりにエルに応えた。
「大丈夫です。私の旦那様は、すぐに薬草を手に入れて戻って来ますから」
しかし、そこにすぐ近くで彼女らのやり取りを聞いていたらしい魔獣狩りの一人が、心配そうな表情を浮かべながら割り込んで来た。
「おいおい《聖女》さんよ。今から街の外に出かけてグーレンダン草を探すとなると、下手をしたらあの兄ちゃん、生きて帰って来れないかもしれないぜ?」
注:今回登場したエルについての詳細は、拙作『居候はエルフさん』を参照していただけるとありがたいです。