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 その日。

 神殿の門を出た辰巳を、数人の男たちが取り囲んだ。

 どの男も、一度は見た覚えのある顔だ。だが、男たちの顔には明らかな焦りが見えていた。

「今日という今日は逃がさねえからな! いい加減、成果を出さないと俺たちにも都合があるんでな」

 どうやら、いつまで経っても辰巳を捕えられない男たちに、彼らの雇い主であろうラーライクも焦れているらしい。

 今日まで辰巳は常に逃げ回っていた。

 ジュゼッペの指示でそうしていたのだが、さすがにこう頻繁に柄の悪い男たちに絡まれるのは、彼としても耐え難いものがある。

 だが、それも今日までだ。ジュゼッペからは新たな指示がでたので、もう逃げに徹する必要はない。

「それは丁度良かった。こっちとしても、こうして出てきてもらえて助かったよ。こちらからあんたたちを探すのは大変そうだからさ」

 数人のゴロツキたちに囲まれながらも、辰巳はにこりと笑う。

 その余裕の表情に、男たちは訝しげに眉を寄せる。だが、考えるより腕力を振るう方が早い生活をしていた彼らに、辰巳の余裕の理由は分からなかった。

「あぁぁん? 何訳わかんねぇこと言ってやがんだぁ、コラ? いいからちょっとツラぁ貸せや! 素直に言うこと聞けば、手足の一本ぐらいでカンベンしてやっからよ?」

「いや、つきあってもらうのはあんたたちの方だ」

 辰巳がそう言った瞬間だった。

 辰巳の背後、神殿の正門より完全武装の数人の神官戦士たちが飛び出してきたのは。

 いくら腕に覚えがあるとはいえ、街のゴロツキ程度が完全武装の神官戦士に敵うはずがない。

 最初こそは鼻息荒く神官戦士たちに刃向かった男たちだったが、あっさりと鎮圧されて捕えられてしまった。

「よう、タツミ。今日まで逃げ回るのご苦労だったな」

 辰巳に話しかけて来たのは、顔見知りの神官戦士だ。彼もジュゼッペの計画は聞かされており、今日の出番が来るまでうずうずして待っていたクチだった。

「お手数をおかけしました。ようやくジュゼッペさんの方の用意が整ったようですね」

「らしいな。正直、こいつらに神殿の周囲をうろちょろされるのは鬱陶しくて仕方なかったからな。一般の信者たちからも苦情が出始めていたし、ようやく猊下より許可が出て俺たちもすっきりしたぜ」

「ありがとうございました」

「なぁに、俺たちはおまえが日々どれだけ努力をしているかよく知っているからな。確かに、おまえとカルセドニア様のことを認めないと言う者もいるだろう。だが少なくとも、ここにいる連中は皆おまえとカルセドニア様の味方だぜ」

 ゴロツキたちを捕えた神官戦士たちが、各々右手の親指を突き立てて見せる。

「タツミと一緒に鍛錬すると、カルセドニア様に治療してもらえる機会が増えるからな。俺はそれが楽しみなんだよ」

「そうそう。少なくとも俺の本当の狙いはカルセドニア様の治癒魔法だからな? 決しておまえのためじゃねえぞ?」

「よく言いやがるぜ。タツミとカルセドニア様を別れさせようとしている奴がいると知った時、まるで自分のことみたいに憤慨していたじゃないか」

「なっ!? い、いや、そ、それはだなっ!? や、やっぱり一緒に鍛錬した仲間である以上は……そ、それに俺だってサヴァイヴ様の神官だからな。しっかりと絆で結ばれた二人を無理矢理別れさせるような真似は許せないんだよっ!!」

 互いに笑い合う神官戦士たち。

 先輩の神官戦士たちの心遣いに、辰巳は改めて深々と頭を下げた。




 辰巳たちが神殿前でひと騒動した翌日。

 ジュゼッペは朝一番に飛び込んで来た突然の客人の対応をすることになった。

 とは言え、その客人の来訪は予想していたもの。ただ、その来訪が朝一番だとまでは、さすがのジュゼッペも予想していなかったが。

「ようこそ、サヴァイヴ神殿へ。ガルガードン伯爵夫人」

 神殿の応接室の一つ。そこに入ったジュゼッペは、客人に対して歓迎の口上を述べる。

 対して、応接室の中にいた客人もまた、背後に家人らしき人物を従えつつ、立ち上がってジュゼッペを迎える。

「こちらこそ、このような時間に突然押しかけてしまって、本当に申し訳ありませんわ」

──そう思うのならば、予め約束を入れるなり来る時間を考えるなりせんかい。

 心の中でそう毒づきながらも、ジュゼッペはガルガードン伯爵夫人──シエナクァリア・ガルガードンに笑顔で椅子を勧める。

「して、本日はどのようなご用件かな?」

「はい、猊下。本日わたくしが参りましたのは、猊下の養女であるカルセドニア様と、我がガルガードン家の嫡子であるラーライクとの婚姻の儀式の正式な日取りを決めるためですわ」

 ふくよかすぎる身体をぶるんと揺らしながら、笑顔を浮かべたシエナクァリアは椅子に腰を落ち着けると臆面もなくそう言い放った。




 一方その頃。

 夫人と嫡男がサヴァイヴ神殿へと出かけたガルガードン家の屋敷にも、思わぬ客人が訪れていた。

「突然ごめんなさいね、ガルガードン伯爵」

「い、いえ、とんでもありません。して、本日はどのような用件で我が家へ……?」

 思わぬ客人、いや、大物すぎる客人を前に、アルモンド・ガルガードン伯爵はしきりに汗を拭きつつ対応する。

「実は、あなたの奥方と嫡男のことでお話があってね。あなたの時間を少しばかりいただけるかしら?」

 と、エリーシア・クワロート前公爵夫人は、冷たく厳しい視線で目の前のアルモンドを見据えた。




「ほうほう。儂の養女(むすめ)と、お主の息子の婚姻の儀の日取りとな? はて、儂はカルセとラーライク殿が結婚するというような話は初耳じゃがのぉ」

 わざとらしくすっとぼけるジュゼッペ。

「あら、そうでございましたか? ですが、私は息子からカルセドニア様とは相思相愛の間柄だと聞いております。愛し合う二人が結ばれることは、結婚の守護神たるサヴァイヴ様の意に沿うことでございましょう。ここは猊下のご英断を持ちまして、若い二人に祝福をお与えいただけませんか? もちろん、我がガルガードン家といたしましても、できる限りのご助力をと思っております。サヴァイヴ神殿に対してもそうですが、猊下個人にも……それなりのお礼をご用意してありますわ。猊下とて、我がガルガードン家と縁戚関係を結ぶことは決して損なことではありませんでしょう?」

 にぃ、と脂肪でたるんだシエナクァリアの両の頬が釣り上がる。どうやら、笑ったらしいとジュゼッペは見当をつけた。

「ほう、儂個人にも礼を……とな?」

 ジュゼッペが興味を引かれたように眉を釣り上げると、シエナクァリアの頬が更に持ち上がった。

「はい。もちろん、猊下にふさわしい額をご用意しておりますとも」

 シエナクァリアは、背後に控えた家人へと振り返る。それに応じて、家人は持参してきた鞄の中から、じゃらりと金属音のする袋を取り出した。

「どうぞ、お納めください、猊下」

 家人が無言で袋を差し出し、シエナクァリアがジュゼッペへと勧める。

 そして、ジュゼッペは嬉しそうな表情でその袋へと手を伸ばした。




 母親であるシエナクァリアがジュゼッペと対談する間、ラーライクは別の応接室で待たされていた。

 若い男性の神官が、客人たるラーライクにお茶を淹れ、差し出した後は無言で応接室から退出する。

 その様子をおもしろくもなさそうに見つめていたラーライク。苛立たしげに爪先を上下させながら、母親が戻ってくるのを待つ。

 だが、こらえ性のないラーライクはすぐに暇を持て余してしまう。とはいえ、ここで苛立ちに任せて暴れ出さない程度には、ラーライクにも分別があった。

 ラーライクは退屈を紛らわせるために、立ったり座ったり、応接室の中をうろうろ歩いたり。

 彼がそうしていると、不意に扉の向こうから声がかかった。

「失礼します。こちらにラーライク・ガルガードン様はおいででしょうか?」

 その声を聞いた途端、ラーライクの顔が輝く。その声は彼が初めて耳にして以来、一日たりとて忘れたことのない声だったからだ。

 ラーライクは慌てて扉に近づき、外に誰がいるのか確認することもなく扉を引き開けた。

「こ、これはこれはカルセドニア殿。お、お久しぶりでございますな!」

「はい、お久しぶりですね、ラーライク様」

「し、して、どうしてここにカルセドニア殿が……?」

 嬉しさを押し殺し、ラーライクはなんとか平静を装う。

「はい。お祖父様より、ラーライク様が退屈しておられるだろうから、話し相手をするようにとのことで参りました。ご一緒させていただいてもよろしいでしょうか?」

「も、もちろんですとも。ささ、狭苦しい部屋ですが、どうぞどうぞ」

 ここが神殿の応接室であることも忘れ、舞い上がったラーライクはカルセドニアを招き入れた。

「実は私、ラーライク様に食べていただこうとお菓子を焼いてきたんです。よろしかったらお召し上がりになりませんか?」

「む、無論です! カルセドニア殿の手作りの菓子ならば、喜んでいただきますとも!」

 ラーライクの言葉に頷いたカルセドニアは、背後を振り返って手を叩いた。

 それに応じて、三人の男性神官がお茶やお菓子を乗せた台車を押しながら、応接室に入ってくる。

 神官たちはお茶とお菓子の準備を整えると、そのまま使用人のように壁際に控えた。

 貴族であり、そのような態度の使用人と常に接しているラーライクは、控えた神官たちのことはさして気にもせず、カルセドニアに勧められるままにお菓子を口に運んだ。

 その際、カルセドニアの口元に、意味有りげな笑みが浮かんでいることに気づかずに。




 差し出された袋を取り上げ、ジュゼッペはぽんぽんと軽く放り上げながら、その重さを確かめる。

 そして、ちらりとシエナクァリアへと視線を向ける。

 それだけでシエナクァリアもジュゼッペの言いたいことを察したのか、家人に新たに指示をだす。

 家人は鞄の中から先程と同じ大きさの袋を取り出した。もちろん、今回もじゃらじゃらと金属音がする。

 それを見て、にやりと笑みを浮かべるジュゼッペ。シエナクァリアも、最高司祭が満足したと思ったのか同じように微笑む。

 だが、ジュゼッペは受け取った袋を無造作に机の上に放り投げた。

 袋の口が開き、中から銀貨が零れ出る。

 だが、シエナクァリアはそれを気にするどころではなく、真っ直ぐにジュゼッペを見つめた。

 それまで人のいい笑みを浮かべていたジュゼッペ。しかし、今は憮然とした表情を隠そうともしていない。

 一体何が彼の気に触れたのか。シエナクァリアは必死に考える。

 付け届けの金額が少なかったのか。それとも、銀貨ではなく他のものの方が良かったのだろうか。

 そう言えば、最高司祭は魔封具の収蔵家としても有名だ。銀貨などではなく、魔封具を贈らなかったために気分を害してしまったのだろうか。

 慌ててシエナクァリアが取り繕うとした時。

 地の底から響くような低く、そして威厳のある声が、シエナクァリアの耳朶を打った。

「……貴様はこの儂を馬鹿にしておるのか?」

「え? い、いえ、そのようなことは決して……」

 にこにこと愛想笑いを浮かべるシエナクァリア。その耳を雷もかくやという轟声が貫く。

「この……愚か者がああああああああああああああああっ!!」




 ラーライクがカルセドニアの菓子に舌鼓を打ちながら、取り止めのない話を交わしていた時。

 地響きのような怒声が、少し離れたカルセドニアのいる応接室にまで聞こえてきた。

「な、何ごとですかな、今の声は……っ!?」

「おそらく、何者かが絶対に怒らせてはいけない方を怒らせてしまったのでしょうね」

 怒声に驚いて思わず腰を上げ、周囲をきょろきょろと見回すラーライク。対して、カルセドニアは平然としたままカップから香りの良いお茶を一口啜った。

「ぜ、絶対に怒らせてはいけない方ですと……? む、むう……?」

 立ち上がったラーライクが、眩暈でも起こしたかのように身体をゆらりと傾がせ、そのまま床へと倒れ込む。

「こ、これは……?」

「ちょっとした痺れ薬の一種です。それほど強力なものではないので、すぐに効果は抜けますから安心してください」

 カルセドニアは澄ました顔でそう告げると、背後に控えている神官たちに振り返った。

「では、バースさん、ニーズさん。手筈通りにお願いしますね」

「承知しました、カルセドニア様」

「任せてください」

 カルセドニアの背後で控えていた三人の神官の内の二人、バースとニーズは台車に忍ばせておいた縄を取り出すと、薬で身動きできないラーライクを縛り上げていく。

「こ、これは一体何の真似だ、カルセドニアよっ!? ど、どうして愛する私に薬などを……?」

「確かに神に仕える者として、薬の類を使うのは誉められたことではりませんが……状況によって最も有効な手段を使うのは、人間の知恵の賜物ですよね。幸い、薬を使っても良心が痛むような相手でもありませんし」

 にっこりと微笑むカルセドニア。だが、その笑顔の奥に見え隠れする剣呑な雰囲気に、ラーライクの背筋を冷たいものが這い上がる。

「ああ、そうそう、薬を使った理由でしたね? それは単にあなたに暴れられては困るからです。聞いていますよ? あなたが苛立ち紛れに自分の部屋の調度品を破壊する癖があることは。この部屋は一応は高貴な方を迎えるための部屋であり、それなりに調度品などにも気を使ってあります。貴重な神殿の財貨の中から買い求めた調度品を、あなたの気まぐれや八つ当たりで壊されたくはないのです。それから────」

 すぅ、と。

 カルセドニアの紅玉(ルビー)の如き瞳が、殺気さえ孕んで細められる。

「────私が愛しているのはただ一人だけ。私はその方以外を愛したことなんて一度もありません。勝手に私の感情(きもち)を語らないでくださいますか?」

 冷たく言い放ったカルセドニアがつっと視線を動かせば、それに反応したニーズがボロ布をラーライクの口に突っ込む。

 その際、彼の手元が若干震えていたのは、果たして如何なる理由からか。

 それを確認したカルセドニアは、背後で控えていた最後の神官の傍らへと移動した。

 どうやら最後の神官は、万が一ラーライクが暴れ出した時のために、カルセドニアの背後にずっと控えていたらしい。

 そんな神官へと、カルセドニアは嬉しそうにその身体を擦り寄せる。

「私が愛しているのは……この方だけですわ」

 先程とは違い、光弾けて花咲くような眩しいばかりの笑顔で。

 カルセドニアは、ラーライクに見せつけるように隣に立つその神官──辰巳の頬へと、その桜色の可憐な唇を触れさせた。


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