ガルガードン伯爵家
辰巳が見知らぬゴロツキたちに絡まれた翌日。
辰巳とカルセドニアは揃ってジュゼッペの元へと赴き、ことの経緯を説明した。
「ほうほう。既に動いておったか」
辰巳たちの報告を聞いたジュゼッペは、なぜか楽しそうな笑みを浮かべた。
「あ、あの、ジュゼッペさん? もしかして、今回の件に何か心当たりが……?」
「うむ。心当たりならあるな。とはいえ、これは儂も昨日初めて耳にしたのじゃがの。のう、カルセよ。お主はラーライク・ガルガードンという者を知っておろう?」
「ラーライク……ガルガードン……ですか?」
首を傾げつつ、何やら考え込むカルセドニア。ラーライク・ガルガードンという名前に心当たりのない辰巳はともかく、ジュゼッペは意外なものを見るようにきゅっと眉を寄せていた。
「…………申し訳ありませんが、その名前に心当たりはありません。でも、ガルガードンとはガルガードン伯爵家のことですよね? あの家にラーライクなんて人、いたかしら?」
どうやらカルセドニアの言葉に嘘偽りはないと判断したジュゼッペは、なぜか部屋の天井を仰いで片手で両眼を覆った。
「………………………………好きとか嫌いとか以前の問題じゃったか……ここまでくるといろいろと突き抜け過ぎて、いっそラーライクの奴が哀れに思えてきたわい」
ラーライクがこれまでに何度もカルセドニアに求婚してきたことは、当然ながらジュゼッペは知っている。そして、カルセドニアへの求婚の話は、一応は全て彼女の耳にも入れてある。
それなのに名前も覚えられていなければ、印象さえ残っていないとは。ここまでくると、ジュゼッペではないが哀れと言う以外に表現のしようがない。
「ほれ、お主に求婚してきた者の中に、ガルガードン家の嫡男がおったじゃろ? あやつこそがラーライクじゃ」
再び何やら思案し始めるカルセドニア。だが、今度はすぐに思い至ったらしくぱっと表情を輝かせた。
「思い出しました。そう言えばいましたね、そんな方も」
求婚までしたのにここまで印象に残っていないなんて。辰巳も同じ男として、そのラーライクとかいう人物に同情する。
だが、それとこれとは話が別。話の流れからして、昨日の件にそのラーライクが絡んでいるに違いない。
「じゃあ、そのラーライクって人が昨日の男たちを?」
「間違いなく婿殿に絡んできたという男たちは、ラーライクに雇われておるんじゃろう。そして、その目的は────」
この時、ジュゼッペの視線は辰巳ではなくカルセドニアに向けられていた。
「自分がチーコに求婚を断られたから、俺に嫌がらせをしているってことですか?」
「おそらくの。正確にはどうにかして婿殿とカルセを別れさせ、自分が婿殿に取って代わるつもりなのじゃろう」
仮に辰巳とカルセドニアが別れたとしても、カルセドニアの態度からしてそのラーライクという男が彼女の次のパートナーになる確率はないに等しいだろう。
それなのに、わざわざそんな工作を仕掛ける必要があるのだろうか。
辰巳にはそこが納得できず、首を傾げるばかりである。
まさかラーライクが一方的に、自分が彼女を愛しているのだから彼女も自分を愛しているに決まっている、と都合のいいことばかり考えていると辰巳は知らないので、その疑問はもっともなのだが。
とはいえ、このままラーライクを放置しておくわけにもいかない。
「じゃあ、今後はどうしたらいいんですか?」
ジュゼッペの推測通りならば、昨日の一件だけでは終わらないだろう。となれば、今後この件にどう対処するかが問題になる。
「それについては、儂に考えがある。正直、何度断っても懲りずに求婚してくるラーライクには、儂も手を焼いておったんじゃ。これを機にあやつにはしっかりと分からせてやるわい。じゃが、それには婿殿とカルセの協力が必要じゃ。特に婿殿にはちとがんばってもらうことになるが……構わんかの?」
「もちろん、俺にできることなら……それで、俺は一体何をすればいいんですか?」
「私だって何でもやりますっ!! ご主人様を脅そうとするなんて……絶対に許してはいけない所行ですっ!!」
ゆらり、とカルセドニアの全身から魔力が立ち上る。
その魔力と共に放出される何とも言えぬ迫力に、辰巳は思わず頬を引き攣らせた。
「まったく、相変わらずお主は婿殿のことになると過激になるのぅ。じゃが、しばらくは向こうの出方を見つつ、相手を焦らせるだけ焦らすのじゃ。焦れれば、その内にラーライク本人が動き出すじゃろう。それまで、くれぐれも身辺の注意は怠らぬようにの? 絶対に向こうに付け入る隙を与えるでないぞ」
真面目な顔のジュゼッペにそう忠告され、辰巳とカルセドニアは揃って頷いて見せた。
「どういうことだっ!?」
手にしていた果実酒の入った高価なガラス製の杯を、ラーライクは苛立たしげに足元に叩きつけた。
「なぜ、私の計画が上手くいかないっ!?」
床に叩きつけられた杯は、きらきらとした破片を撒き散らして砕け散る。
だが、今のラーライクにはその輝きでさえもが気に触った。
不機嫌を通り越し、既に怒りの表情を浮かべながら、ラーライクは砕けた硝子の破片を更に踏み躙る。
ラーライクの言う計画とは、言うまでもなく辰巳を陥れるためのものだ。
腕に覚えのあるゴロツキを雇って辰巳を脅すように命じれば、なぜかいつもいつも辰巳には逃げられてしまう。
商売女を使った罠に嵌め、それを元に脅迫しようと試みるも、そもそも辰巳は商売女がいるような店には出入りしていない。
それではと彼の息のかかった者が直接辰巳の元へと赴き──無論、ガルガードン家の人間であることは伏せて──、《聖女》と別れることを条件に銀貨の入った袋を掴ませようとするも、銀貨など何の価値もないとばかりに即断で断られてしまった。
暴力で脅され、女の罠に嵌って立場を失った辰巳が、突きつけられた金を嬉々として受け取ってこの王都から逃げ出す。
それがラーライクが勝手に描いていた計画だった。
当然ながら、そんな自分勝手な目論見の計画はどれ一つとして成功していない。するわけがない。
「どうしてだっ!? どうして私の思う通りにことが運ばないのだっ!?」
だが、自分の思い描いた通りにならないラーライクは本気で憤り、口から唾を撒き散らして喚きながら地団駄を踏む。
今、彼の周囲には誰もいない。彼の個人的な配下もガルガードン家の家人も、八つ当たりを怖れて近づかないのだ。
だからラーライクは独り、自室で暴れ回る。
先日彼が破壊した部屋の中の調度品などは、新たに買い求められて元の豪華な姿に戻っていた。それを、ラーライクは再び破壊していく。
そうやって部屋の中が半壊した頃。
突然扉が開き、一組の男女が彼の部屋に足を踏み入れた。
「何をやっているのだ、ラーライク! 使用人たちが怯えているではないかっ!!」
「まあ……ラーラちゃんの素敵なお部屋が、またもやこんな姿に……」
「お、お父様……お母様……」
部屋の中に入って来た中年の男女。それはガルガードン伯爵家の当主であるアルモンド・ガルガードンと、その妻であるシエナクァリア・ガルガードン。言うまでもなく、ラーライクの両親である。
背はそれほど高くはないが、それなりに均整の取れた体格のアルモンドに対し、夫人のシエナクァリアは背丈は夫よりは低いものの、体重は夫よりも倍はあろうかというどっしりとした体型。そのどっしりとした体型を、これでもかと豪華な装飾品や衣服で飾りたてていた。
「お、お母様ぁぁぁぁぁぁぁぁっ!! ぼ、ボクのカルセドニアが……カルセドニアがぁぁぁぁぁぁぁ………」
母親の──全体的に──豊満な身体に涙を浮かべながら抱き着くラーライク。
そして、そんなラーライクを幼子のように頭を撫でてあやすシエナクァリア。
そこだけ見れば仲の良い家族のようだが、彼らの年齢や立場を考えれば、その光景は見る者におぞましい思いを抱かせるに違いない。
「おー、よしよし、泣かなくてもいいのよ、ラーラちゃん。お母様はいつでもあなたの味方ですからね」
「うん……うんっ!! ありがとう、お母様っ!! でも……カルセドニアが……ボクと結婚してくれないんだ……彼女だって本当はボクのことを愛しているはずなのに……きっと、タツミとかいう悪い男に騙されているか、脅かされているんだよ……」
「そうですとも。ラーラちゃんを嫌いになる女の人なんているはずがないもの。きっとラーラちゃんの言う通りなのよ」
どこまでも甘く我が子に接する母親。そんな妻と息子の姿に、夫であり父親であるアルモンドは眉を顰めながら口を開く。
「そうは言うがな、ラーライク。そのタツミという人物とカルセドニア殿は、既に婚約しており極めて仲睦まじい間柄だと私は聞いたぞ? しかも、クリソプレーズ猊下までもが完全に二人をお認めになっているとか。結婚の守護神であるサヴァイヴ神の最高司祭様が認めた婚姻に異を唱えるのは────」
「お黙りなさいっ!! あなたはご自分の息子が可愛くないのっ!? こんなに……こんなに泣いている息子を見て、どうにかしてあげようとは思わないのっ!?」
「い、いや……ラーライクももう二十歳を過ぎているわけで、幼子ならばともかく、立派な大人の男をそこまで甘やかせては……」
「もう、いいですっ!! あなたには頼りませんっ!! まったく、あなたはお金儲けの才能はあっても、我が子に対する愛情に欠けるのだから……っ!!」
シエナクァリアは、ラーライクを抱き締めたまま悔しそうにその場で足を踏み鳴らす。
もしもこの場に辰巳がいれば、今のシエナクァリアの姿は力士が四股を踏むみたいだと思っただろう。
「このお母様に全て任せなさい、ラーラちゃん。お母様がクリソプレーズ最高司祭様に直接お願いして、カルセドニアさんをあなたのお嫁さんにくれるようにお願いしてあげるわ。最高司祭様とて、我がガルガードン家の権威を無視できるはずがないもの。きっとあなたの望みは適うわ」
「うん……うんっ!! お願いだよ、お母様っ!!」
しっかりと抱き合う母親と息子。そんな二人の姿に、父親はこっそりと溜め息を吐いた。
ガルガードン伯爵家は、今でこそ伯爵の爵位をいただいているものの、アルモンドの父親の代までは一つ下の子爵だった。
だが、身分こそ貴族の中でも高くはないが、その勢力はラルゴフィーリ王国の中でも上位に数えられる。
領地内に良質の鉱脈をいくつも持ち、そこから産出される各種の金属資源が、ガルガードン家とその領地を豊かに支えている。
それはもちろん、現領主であるアルモンドの手腕によるところが大きい。
彼の指揮の元、産出された良質の鉱石は、伯爵家が抱える優れた職人の手で上質の武器や鎧、その他の生活必需品へと姿を変えていく。
アルモンドは鉱石の産出だけではなく、職人を育てることにも力を注ぎ、その結果ガルガードン伯爵領産の金属製品は、国内だけではなく他国にも高く評価されている。
また、アルモンドは良質の武具を数多く国に納めることで国力を高めることに貢献、その功績を認められてガルガードン家は伯爵の位をいただくことになる。
一方、シエナクァリアの生家は、とある公爵家と縁続きの侯爵家と身分こそ高いものの、その羽振りは決して良くはない。
悪い意味で典型的な貴族であったシエナクァリアの生家は、領地全体を富ませる努力をすることなく、単に搾取によって自らだけを肥え太らせてきた。
そのツケが巡りに巡り、領地内にこれといった特産品もなく、めぼしい資源も狩り尽くしたため、遂には「貧乏貴族」の烙印を押されるまでになってしまった。
身分こそ高くはないものの、金と勢いのある伯爵家と、身分こそ高いものの、金と勢いのない侯爵家。その二つが打算によって結びついたのは、ある意味自然な成り行きと言えるかもしれない。
貴族とは言え、それまで慎ましい生活を余儀なくされていたシエナクァリア。だが、その生活は結婚を境に大きく変貌した。
最初は格下の伯爵家に嫁ぐことを嫌がっていたシエナクァリアだったが、実際に嫁いだ途端ガルガードン家の裕福な生活にあっという間に魅了された。
政略結婚とは言え妻を愛したアルモンドは、シエナクァリアの言うことを何でも聞いてしまい、彼女が欲しがる物は何でも買い与えてしまった。
これが全ての間違いであったと、後にアルモンドは気づく。
侯爵家の娘として、元々気位が高く我が儘だったシエナクァリア。生家が貧乏だったゆえに、その性格には歯止めがかかっていた。
しかし裕福な家に嫁いだことで、生来の彼女の気位の高さと我が儘な性格に火をつけてしまった。
夫は何でも自分の言うことを聞いてくれる。
欲しいと思ったものは何でも手に入れてくれる。
その事実が、彼女の生来の我が儘さをどんどん加速させていった。
アルモンドはシエナクァリアの行動に気づいていながら、それでも彼女を放っておいた。
領主としての仕事が忙しいこともあったし、やがて子供でも生まれれば彼女の我が儘な行動も自然と収まるだろうと考えていたからだ。
母となれば、自分の我が儘ばかりを通すわけにはいかない。何と言っても生まれたばかりの赤子は、この世の中で最も愛らしい暴君なのだから。
だが、アルモンドが期待していたように、子供が生まれてもシエナクァリアの我が儘な性格が収まることはなかった。それどころか、我が子への愛情を過剰なまでに注ぎ込んだことで生まれた子供は母親に一方的に懐き、その性格は母親そっくりに育っていくことになる。
世界が違っても、子が親を倣うのは変わらない。
こうして生まれた子供──ラーライク・ガルガードンは、アルモンドがどんなに厳しく躾けても、それ以上に母親が甘やかしてしまったために極めて自分勝手で我が儘な人間に育ってしまったのだ。
サヴァイヴ神殿の敷地は塀で囲まれており、出入りできる箇所は正門と裏門の二ケ所のみである。
もっとも神殿という場所柄、それほど高い塀ではないので、少し身体能力の高い者ならば塀をよじ登ることは難しくはない。
だが、さすがに神の家である神殿にそんな無作法を行う者はまず皆無で、神殿を訪れる者は堂々と正門を通って神殿へと向かう。
ちなみに、裏門は神殿に食料や薪などを納入する商人によって使われることが多い。
そんな正門から一歩外へと出た辰巳は、油断なく周囲に視線を飛ばす。
ここ最近、この正門を出た途端に柄のよくない男たちに絡まれることが多いのだ。
男たちが門より内側に入らないのは、門の内側で問題を起こせば神官戦士たちが駆けつけてくるからであろう。
もちろん、辰巳には男たちの目的が分かっているので、男たちの姿を見つけた時は一目散に逃げ出すか、逆に一旦神殿に逃げ込んで裏門から抜け出すかのどちらかを選んでいた。
何度も周囲を見回して、今日は大丈夫だと判断した辰巳は正門の方へと振り返る。
「大丈夫だ、チーコ。今日はいないみたいだ」
辰巳の声に応じたカルセドニアが、門の向こうから姿を表わして足早に辰巳の元へとやって来る。
ジュゼッペに言われて以来、念の為に二人は極力一人で帰ることはせずに、こうして一緒に帰るようにしていた。
「そんなに警戒なさらなくても……私が一緒にいる以上、ご主人様には指一本触れさせませんよ? それどころか、姿を見せた瞬間に死なない程度に魔法で……」
「いやいや。柄のよくない連中とは言っても、相手もただ雇われているだけだしさ。できれば過激なことは控えようよ」
「はぁ……ご主人様がそこまでおっしゃるのなら……」
不満げな表情を浮かべるカルセドニアだが、辰巳が歩き出すとすぐにその後を追いかける。
と、その途中で何やら閃いたのか、たたたっと早足で辰巳に追いつくと、彼の右腕を自分の胸元へと抱え込んだ。
「え……? ち、チーコ? と、突然どうしたんだっ!?」
突然腕を抱き抱えられて驚く辰巳。そして、カルセドニアはその辰巳に向かってきっぱりとこう言ってのけた。
「こうして身体同士を密着させつつ、私はご主人様をお守りしているのですっ!!」
にっこりと。それはもう、とても嬉しそうな笑みを浮かべながら。
「こうしていれば、突然襲われてもご主人様を身を呈して守れますし………………何よりもこの方が暖かいじゃないですか」
「いや、身を呈してまで守ってもらう必要はないんだけど……ま、まあ、暖かいのは確かだしな……」
そんなことを言いつつも、満更でもない辰巳はカルセドニアと共に我が家へ向けて歩き出す。
神殿から自宅までの道筋は、当然ながら今日までに何度も通っている道筋である。
二人が一緒に帰る時は、このように寄り添って帰ることが多い。そのためだろうか。彼らが歩く通りに店を開く商人たちや通りすぎる街の人々は、暖かくて優しげな視線を二人へと向けている。
「サヴァイヴ神殿の《聖女》」とその伴侶となる「黒髪黒瞳の青年」の仲睦まじさは、一部の街の住人たちにはすっかりお馴染みのものとなっていた。