卒業試験
「い……一体何が起こっているのですか……?」
そう呟いたのは、女性の神官戦士だった。
どうやらその女性は魔法使いらしく、辰巳が全身から放っている魔力光が見えているらしい。
「か……カルセドニア様……タツミが放っている黄金の魔力光はまさか……?」
「はい。ご主人様の……いえ、タツミ様の魔力系統は…………〈天〉です」
「て、〈天〉……っ!?」
ざわり、と周囲にいる神官戦士たちに動揺が広がる。
過去、たった一人しかいなかったと言われている、伝説にも等しい魔力系統。それが目の前に存在していると言われれば、誰だって驚くだろう。
「た、タツミが〈天〉系統……?」
「だ、だけど〈天〉と言えば伝説の……」
周囲の神官戦士たちが、思い思いに口を開く。神官戦士の見習いとして鍛錬を始めてから、もうかなりの時間が経過している。先輩である神官戦士たちも、辰巳を含めた見習い五人のことはそれなりに見知っているし、時には打ち込みなどの相手を務める場合もある。
それでも、先輩の神官戦士たちは辰巳が〈天〉系統の魔力の持ち主であることを知らなかった。いや、辰巳が魔法使いであることさえ知らなかった。
鍛錬中、辰巳は常に魔力を封じる魔封具を身に着けていたので、神官戦士の中の魔法使いも、辰巳の魔力には気づいていなかったのだ。
そんな中、バースたち辰巳と同じ見習いだけは、全く動じていない。
おそらく、以前に辰巳から彼の魔力について聞いていたのだろう。
今、見習いの四人は辰巳と教官であるオージンの対戦を食い入るように見つめている。
それは、彼らにとってもこの対戦が決して他人事ではないからだ。
神官戦士や見習いたちの反応を横目に見ながら、カルセドニアも辰巳とオージンの対戦に集中していった。
今、辰巳は転移をしていない。
完全に足を止め、ただひたすらに剣を繰り出している。
しかし、その攻撃を受け止めるオージンは防戦一方だった。
それは辰巳の剣技がオージンの技量を上回っているからではない。単純に、辰巳が剣を振る速度が異常に速いのが原因だ。
常人離れした速度で、辰巳は剣を振り続ける。
オージンは、その辰巳の剣を何とか戦斧の柄で受け止めていた。いや、オージンが受け止めているのではない。辰巳が戦斧の柄を狙って剣を繰り出しているのだ。
その証拠に、オージンには辰巳の振る剣が見えていない。ただひたすらに歯を食いしばって、辰巳の猛攻に耐えているだけ。
先程のオージンの攻撃が竜巻ならば、辰巳の攻撃は削岩機といったところだろうか。
オージンが持つ戦斧の柄の一ヶ所。その一点目がけて辰巳は剣を振る。
いくら鍛錬用の刃引きされた剣とはいえ、金属製の剣を木製の柄にぶつけ続ければ、木製の柄は徐々にダメージを受けていく。
子供の腕ほどの太さのある戦斧の柄が、異常な速度の連続攻撃を受けて見る見る削られている。
「く……こ、この……」
もちろん、その事実にオージンも気づいている。いや、辰巳の狙いが武器破壊であることまで、オージンははっきりと分かっていた。
このまま辰巳の狙い通りにさせるのは、彼に武術を教えてきた師としてされるがままではいられない。だが、辰巳の速度についていけないオージンにはどうすることもできない。
この場から大きく飛び退いて逃げることはできるだろう。しかし、辰巳には転移がある。いくらオージンが逃げたとて、すぐに転移して間合いに入られるのは目に見えている。
それが分かっているからこそ、オージンも足を止めて必死に辰巳の攻撃に耐えている。正確には、耐えることしかできないのだ。
「あれって……単なる身体の強化じゃ……ないよな?」
「ああ……あれは一体何だ……?」
辰巳の異常な速度を見た神官戦士たちが、そんな言葉を交わし合う。
そして当然ながらその質問は、居合わせた者の中で最も魔法に詳しく、そして辰巳個人をよく知るカルセドニアに向けられた。
「カルセドニア様……タツミのあの異常な速さは……あれは一体何なのですか?」
尋ねてきた神官戦士に、カルセドニアはにっこりと微笑みながらも逆に問い返す。
「あなたは〈天〉系統について、どれくらい御存知ですか?」
「え? 〈天〉……ですか? 〈天〉と言えば、伝説とまで言われる特殊な系統で……〈光〉や〈聖〉の最上位に位置する系統であり、時空を操る系統だと聞いたことがありますが……」
〈天〉とは、時空を司る系統である。これは間違いない。
「時空」とは「時」と「空」、すなわち「時間」と「空間」のことである。
辰巳が先程も使った《瞬間転移》は、文字通り空間を操作して移動を行う魔法である。
そして今。
辰巳が使っているのは、「空」ではなく「時」に属する魔法。自身に流れる時間に干渉し、意図的に自分の時間だけを速める魔法である。
この魔法を、ジュゼッペは《加速》と名付けた。
もちろん、これもまた辰巳が外素使いだからこそ可能な魔法でもある。加速中は常に魔力が消費されていくため、辰巳でもなければあっと言う間に魔力が尽きてしまうからだ。
これまで魔法の鍛錬を行ってきたことで、辰巳も魔法の行使にかなり慣れてきた。《瞬間転移》と《加速》、そして拳などに魔力を溜めて爆発させる《魔力撃》の三つは、現在では完璧ではないものの、それなりに自由に使えるようになっている。
逆に言えば、今の辰巳が自在に使える魔法はこの三つだけであり、その他で使えるのはまだまだ発動に時間のかかる《自己治癒》──文字通り自分にしか効果のない治癒魔法──ぐらいであった。
また、武術鍛錬も並行して行ったことで体力も上昇しており、今の辰巳ならば魔法を使う際の体力の消耗にもかなり耐えることができるだろう。
「私もお祖父様も……いえ、クリソプレーズ最高司祭様も、〈天〉は〈光〉や〈聖〉の最上位だと以前は考えていました。ですが、実際にタツミ様の〈天〉の魔法を間近で見ているうちに……最高司祭様はそうではないのでは、と考えるようになられたようです」
〈天〉が〈光〉〈聖〉の上位だと思われていた理由は、〈魔〉に対する有効さからだ。
〈魔〉に最も効果のある魔法と言われている《魔祓い》。この《魔祓い》は〈光〉〈聖〉に属する魔法である。
そして、過去の文献や言い伝えによると、〈天〉は〈光〉〈聖〉以上に〈魔〉に対して有効だったという。
もしかすると、これはかつて〈天〉の使い手であったティエート・ザムイの功績を、より大袈裟に伝えたものかもしれないが、実際に辰巳はかなり力の強い〈魔〉を倒している。このことから、〈天〉が〈光〉〈聖〉以上に〈魔〉に対して有効なのは間違いないだろう。
「実際にタツミ様が使う《瞬間転移》も《加速》も移動に関係したもので、〈光〉や〈聖〉に見られる治癒系や光系などとは全く別のものです。そこから最高司祭様は、〈天〉が独立した系統であるとお考えになったようですね」
辰巳が使う魔法の中で、《魔力撃》と《自己治癒》は移動系ではないものの、例えば〈火〉の中に《灯り》が、〈水〉の中に《治癒》があるように、副次的なものだとジュゼッペは考えているようであった。
以上のカルセドニアの説明を聞いた神官戦士たちは、改めて辰巳へと目を向ける。
そして、削岩機のように戦斧の柄を削っていた辰巳の剣が、遂に柄を削りきったのは丁度その時であった。
「よし、そこまでっ!!」
戦斧の柄が破壊された瞬間を見計らってオージンは後ろに数歩下がると、停止の合図を出した。
それに従った辰巳は、肩で息をしながらも姿勢を正し、オージンに対して一礼する。
さすがにここまで長時間の《加速》の使用は、辰巳にとってもかなりの負担だったのだ。
オージンはそんな辰巳を満足そうに眺めると、手の中の破壊された戦斧を足元に放り捨て、男臭い笑みを浮かべながら辰巳へと近づいた。
「いいだろう。おまえの見習い卒業を認めよう。今日より、おまえは神官戦士見習いではなく、神官戦士の端くれだ」
「はい! ありがとうございます!」
そう。本日のオージンとの対決はただの鍛錬や模擬戦ではなく、神官戦士への昇進を決めるいわば「卒業試験」だったのだ。
バースやニーズたちが真剣に辰巳とオージンの戦いを見ていたのも、これから彼らも同じ「卒業試験」を受けるからだ。
オージンは辰巳の目前まで来ると、静かに右手を差し出した。
「今日までよく頑張った。だが、神官戦士と認められたからといって、それで鍛錬が終わったわけじゃない。しかも、おまえが目指すのは、単なる神官戦士ではなく魔祓い師だろう? 魔祓い師は通常の神官戦士よりも更にきつい仕事が回ってくる。今後も日々の鍛錬を怠ることなく、目標をしっかりと見据えていけ!」
「はい! 今日までありがとうございました!」
辰巳はオージンの右手をしっかりと握り締める。
背後からは、バースたちや先輩の神官戦士たちから祝福の声が上がっているのが聞こえてくる。
辰巳がそれに応えようと背後を振り返った時、その視界一杯に白金と白のナニかが飛び込んできた。
「ぅわっぷ……っ!?」
飛び込んできた白金と白のナニかは、辰巳の頭をその豊かな胸の双山に押しつけるようにして抱き締める。
「おめでとうございます、ご主人様! ご主人様ならば、絶対に合格すると信じていました!」
危うく白金と白のナニか──カルセドニアの胸で窒息するところだった辰巳だが、彼女が抱擁を解いたことでなんとか一命を取り止めた。
結果的に、互いに真っ正面から抱き合う形となった辰巳とカルセドニアへ、周囲の神官戦士たちから冷やかしと祝福の声がかかる。
オージンも、今日ばかりはと大目に見るつもりのようで、どこか優しげな眼差しで二人を見つめている。
「そ、それで……ですね?」
顔を赤く染め、至近距離から上目使いで辰巳を見るカルセドニア。そして、彼女のどこかよそよそしい雰囲気に内心で首を傾げる辰巳。
「こ、これはそ、その……ご主人様が見習いから卒業されたお祝いと言いますか、祝福と言いますか……」
カルセドニアは辰巳の顔から視線を逸らし、それでもちらちらと辰巳の顔を見る。
「改めて……おめでとうございます……」
意を決したのか、カルセドニアはすっと辰巳に身体を密着させると、少しだけ背伸びをしてふわりと彼の唇に自分の可憐な唇を触れさせた。
「ち、チーコ……っ!? い、今のって……っ!?」
「えへへ。やっちゃいました」
ぺろっと舌を出すカルセドニア。改めて彼女がしたことを理解した辰巳は、それはもうぼしゅっと音が出そうな勢いで真っ赤になった。
と、そこへ背後からいくつもの衝撃が襲いかかる。
「ちくしょう、この野郎! 見せつけてんじゃねえぞっ!!」
「今更おまえとカルセドニア様の仲をどうこう言うつもりはないが、そういうことは人の目のない所でやりやがれ!」
「当てつけか? それは生まれてこの方、一度も恋人ができたことのない俺への当てつけかっ!?」
一部、本気で泣きそうになっている者もいるが、辰巳とカルセドニアを囲む先輩の神官戦士たちの視線はとても優しい。
そして、当然その輪の中には、辰巳の同期にして気を置けない友人たちの姿もある。
「か、カルセドニア様……そ、その……もしも俺たちも今日の試練に合格したら……そ、その……辰巳みたいに……いや、ここでいいんでチュッとやってもらえたりしますか……っ!?」
期待に顔を輝かせるニーズたち三兄弟。その中でニーズは指先で自分の頬を指し示している。
その傍らでは、バースが困ったような顔をして肩を竦めていた。そして。
「嫌です」
にっこりと。かつ、きっぱりと。
僅かな期待でしかなかったが、それでも面と向かって拒否されて、ニーズたち兄弟が目に見えて落ち込む。
「……うん。分かっていたさ。分かっていたけどさ……」
「改めて……タツミが羨ましい……」
「あ、あの……頬に口づけが駄目なら、そ、その……踏みつけるだけでもいいんですが……」
最後に何やら不穏な言葉が聞こえたような聞こえなかったような。
何はともかく、辰巳が自分の目標に向かって一歩前進したことは間違いなかった。
「それで? 調べた結果はどうだったの?」
上品に飾られた部屋の中で、一人の老婦人が部下の報告に耳を傾けていた。
「はい、大奥様。タツミ・ヤマガタという人物ですが、おかしな噂などはありませんでした。今住んでいる家の近所でも評判は良く、カルセドニア様とも仲睦まじく、似合いの二人だとも言われております」
「そう。では、何かおかしな所に出入りしているなんてことは?」
「そちらも調べたましたが、タツミという者が頻繁に通っている娼館や酒場、賭場などはありませんでした。当然ながら、入れ込んでいる娼婦も存在しません」
現代日本と違い、こちらの世界は全般的に娯楽が少ない。
時には旅の劇団一座が上演する演目を楽しんだり、吟遊詩人が紡ぐ物語に耳を傾けることもある。
だが、それでも庶民の、それも成人男性の一般的な娯楽と言えば、やはり「飲む」「打つ」「買う」であった。
酒、賭博、そして娼婦。貴族ともなるとまた違ってくるが、庶民の男性の娯楽ではそれらが代表的で、仕事帰りに友人や仕事仲間と共に一杯ひっかけに行くのは何よりの楽しみなのだ。
老婦人とて、タツミという若者が少しぐらいそれらの娯楽に手を出していたとしても、それほど咎めるつもりはない。だが、娼館に頻繁に出入りしていたり、酒や賭博で身を持ち崩すほどとなれば話は別だ。
過去、酒や賭博、そして女で身を持ち崩した男の例は、庶民といわず貴族といわず幾らでもある。
だが、調べさせたところによると、タツミという若者はそれらに一切手を出していないらしい。
毎朝決まった時間に神殿に出かけ、勤めを果たした後は真っ直ぐに自宅に帰る。時々、街の市場などで買い物をすることもあるようだが、買っているものの殆どが食材だと言うから、カルセドニアに頼まれて買いに行くのかもしれない。
「……そのタツミという者、年齢の割には固いと言うか、どうにも真面目すぎるわね。もしかして、わざとそう思わせているのでは……?」
やはり、この世界の人間と現代日本の人間、それも未成年の少年とではメンタル面では大きく違う。それが理解できない老婦人には、辰巳の行動は奇異なものと思えるのだろう。
「いえ、少なくとも、周囲の者たちや親しい友人たちには、誠実な若者であると思われているようです」
神殿暮らしではないバースたち三兄弟は、鍛錬が終わった後に辰巳を街の酒場に誘うこともある。だが、辰巳はその誘いに応じたことはない。
「それから、これは直接タツミという若者とは関係ないことですが……」
そう前置きしつつ、彼は更に言葉を続けた。
「どうも、我々とは別の者も彼を調べているようです」
「あら、どこの誰がタツミを調べているというの?」
「は、調べたところ、ガルガードン伯爵家の嫡男、ラーライク・ガルガードンのようでした」
「ラーライク……ああ、確か何度断られても懲りることなくカルセに求婚し続けている男ね」
老婦人も、ラーライク・ガルガードンの行動は聞き及んでいた。ラーライクが執拗なまでに、カルセドニアに執着していることも含めて。
「……ラーライクをカルセと添い遂げさせるつもりは全くないけど……タツミを調べるのには利用できるのではなくて?」
「御意」
短くそう答えた彼は、静かに部屋を後にした。
ぱたんと静かに扉が閉まる音を耳にしながら、老婦人──エリーシア・クワロート前公爵夫人は、窓の外に広がる街並みへと視線を向けた。
「…………少なくとも、悪い人間ではなさそうだけど……一度、直接会ってみようかしら……」
そう口にしたエリーシアの言葉は、誰に聞かれるともなく部屋の中で静かに消えていった。