武器の選択と広がる噂
武術教練はオージンの指導の元、走り込みや筋肉強化といった基礎また基礎の日々が更に続いた。
そんな厳しい鍛錬ばかりのあの日、武術鍛錬の教官であるオージンは、神官戦士の見習いである辰巳たちをとある場所へと連れてきた。
いつも強面のオージンには珍しく、どこか勿体ぶった仕草でとある部屋の扉の前で雛鳥たちを振り返る。
「神官戦士見習いの諸君! 今日までよく俺の指導に耐えた! いよいよ今日から、実際に武器を使った教練へと入る! とは言っても、使うのは訓練用の武器だがな!」
オージンがにやりと笑みを浮かべると、見習いたちが喝采を上げる。
今、この場にいる見習いは辰巳とバース、そして彼ら以外に3人の合計5人。鍛錬を始めた当初は30人以上いたことを考えると、今日まで残ったのは六分の一ほどということになる。
訓練開始から今日まで約60日、基礎訓練ばかりを繰り返してきた見習いたち。中にはいい加減基礎訓練に飽きて、早く武器を使わせろとオージンに詰め寄った者もいた。
だが、オージンはそんな見習いたちの意見には一切に耳を貸さず、ただひたすら基礎訓練ばかりを課した。オージンに反発した者や、訓練に耐えきれない者たちが更に脱落し、見習いの数は現在に至っている。
「ここは神官戦士たちが訓練に使用する武器を納めた倉庫だ。諸君たちはこの部屋の中から、自分に合うと思う武器を選んで実際に使用してもらう。使ってみてしっくりこないようならば、何度でも武器を代えても結構。ただし、さっきも言った通り、訓練用の武器ではあるが本物の武器には違いない。取り扱いには十分注意しろ。分かったなっ!?」
見習いたちの元気な返事を聞き、オージンは扉を押し開けた。中からは鉄の臭いとどこかすえたような汗の臭いが流れ出してくるが、雛鳥たちはそんなことは一切構わず倉庫の中へと駆け込んでいく。
もちろん辰巳も例外ではなく、嬉しそうな表情を浮かべて倉庫の中へと足を踏み入れた。
倉庫の中には、雑多に様々な武器が納められていた。
壁には槍が立てかけられ、床には斧が放り出され、部屋の片隅には剣類が無造作に積み上げられている。
辰巳は積み上げられていた剣の一本を適当に手に取ると、数回素振りをしてみる。
ずしりとくる剣の重さに思わず身体が流れそうになるが、辰巳の感覚で二ヶ月近く基礎訓練をみっちりと繰り返してきたのは伊達ではない。咄嗟に腕と下半身に力を込めると、泳ぎそうになった身体をしっかりと引き留めてくれた。
この二ヶ月の訓練は決して無駄ではない。そのことを実感し、嬉しさが込み上げてくる。
その思いが顔に出てしまい、思わず笑みを浮かべる辰巳の背後から、最近ではすっかり聞き慣れたオージンの低い声が響いた。
「ほう? おまえは剣を使うつもりか? この国では剣を主武器に使う奴は多くはないが、おまえの国では剣を使う奴が多いのか?」
ラルゴフィーリ王国では珍しい黒髪黒瞳の辰巳は、遠い異国の出身ということになっている。そのため、オージンは辰巳の故郷では剣を使う者も多いのかと思ったのだろう。
「確かに俺の国では、昔は独特な剣……刀って言いますが、それが使われていた時代がありましたね」
辰巳は手にした剣を見る。今、彼が手にしている剣は片刃ではあるが、刀身は幅広く真っ直ぐだ。日本刀とは片刃という点しか共通点はない。
それでも、やはりファンタジー世界ならば剣、というイメージが辰巳にはあるし、純粋に剣というものに憧れもある。
「……ここはまず、オーソドックスなスタイルで行くか」
辰巳は積み上げられた訓練用の刃引きされた剣の中から、若干短めで片手で振り回せる剣を選ぶ。
その剣を右手に持ち、左手には円形の盾を装備。片手剣に盾。辰巳が言うように、ファンタジーなら最もオーソドックスな武装と言えるだろう。
「別に一種類の武器に拘る必要はないからな。剣をある程度扱えるようになったら、他の武器も使ってみろ。もちろん、剣一本に絞るのもそれはそれでありだぞ」
複数の武器を使えることと、一種類だけを徹底的に学ぶこと。どちらにも長所と短所がある。
複数の武器を扱えれば、状況に応じて武装の選択の幅が拡がる。剣では戦いづらい敵には戦棍で、といったように敵の特性などに合わせて武器を選ぶことができれば、それだけで有利になるのは明らかだ。
この場合のデメリットは、それぞれの武器を深く学ぶことができないことだろう。
武器の扱いは奥が深い。奥義や秘伝と呼ばれるような奥深い技術を身につけるならば、あちこちに浮気せずに一つに絞った方がいいのは言うまでもない。
状況に応じて柔軟に対処できるようになるか、それとも全てを振り捨てて一つの道を極めるか。対極に位置する問題でもあり、辰巳も今すぐに答えを出すつもりはない。
まずは剣を。それから先はそれから考えればいい。
そう考えて、辰巳は選んだ武装を持ったまま倉庫を後にした。
それぞれに武器を選んだ見習いたちは、倉庫を後にしていつもの鍛錬場へと戻ってきた。
当然ながら、鍛錬場では先輩の神官戦士たちも訓練をしている。その訓練の邪魔にならないよう、辰巳たちはこれまで片隅で基礎訓練を繰り返してきた。
だが、今日からは違う。
先輩の神官戦士たちと同じとはいかないが、それでも堂々と武器を振るう訓練に入るのだ。
とは言え、すぐに武器同士を用いて打ち合うわけではない。まずは革鎧を着せた案山子を標的にして、基本的な武器の扱いを覚えていく。
辰巳は剣を、それ以外のバースを含めた4人は長槍を構え、案山子と対峙する。
まずはオージンが長槍の基本的な扱いを説明する。実際は長槍を選ばなかった辰巳も、何かの役に立つかもしれないと考えて真剣に教官の説明に耳を傾ける。
と、その時。
それまで真剣に鍛錬に打ち込んでいた、先輩の神官戦士たちからどよめきの声が上がった。
何ごとかと辰巳たちがそちらを振り向けば、純白の神官服に身を包んだ白金色の髪の女性がゆっくりと近づいて来るところだった。
「お、おい、タツミ。あれって……」
「あ、ああ。チーコだ……」
鍛錬場に居合わせた神官戦士たちが静かに見つめる中、カルセドニアはゆっくりとオージンの隣まで歩を進めた。
カルセドニアがオージンに一礼すると、オージンもまた黙って頭を下げる。
「よぉし、よく聞け見習いども!」
見習いたちへと振り返ったオージンは、大きな声で彼らに告げる。
「今日からおまえたちも武器を用いた訓練に入る。だが、慣れない武器を扱う以上、思わぬ怪我をするかもしれん。そんな折、《聖女》と名高いクリソプレーズ司祭殿が今日の訓練の見学をしたいと申し出てくれた。もちろん、訓練中に怪我をした場合、クリソプレーズ司祭殿が治療してくださる。貴様ら、クリソプレーズ司祭殿に感謝しろっ!!」
オージンの言葉に、辰巳とバース以外の見習い三人が嬉しそうにカルセドニアに「ありがとうございます」と挨拶する。
噂に名高いカルセドニアの姿を間近で見ることができ、しかも怪我をすれば治療までしてくれると聞いて、その三人のテンションはたちまち高くなる。
もちろん、辰巳とバースもカルセドニアに頭を下げるが、バースはカルセドニアの目的を正確に把握していた。
彼女が訓練の見学を申し出たのは、やはり辰巳がこの場にいるからだろう。カルセドニアのことだ、辰巳が怪我をした時に備えてこの場に来たに違いない。
──ま、所詮俺たちは辰巳のオマケってわけだ。
バースは内心で呆れつつ、それでも笑顔をカルセドニアに向ける。
「オージン教官! 今日は俺たちが訓練中に怪我をしても、カルセドニア様に治療してもらえるんですか?」
見習いたちのやり取りを見ていた神官戦士の一人が、はいはいと手を上げながら尋ねた。
「馬鹿野郎! おまえたちは自分で自分の面倒を見ろ!」
オージンの怒鳴り声に、神官戦士たちから笑い声が上がる。
「よし、見習いども! 馬鹿は放っておいて訓練を始めるぞ!」
オージンの一声に、辰巳たちは気持ちを切り替えて改めて武器を構えた。
「えー……こほんっ!! ヤマガタ下級神官。どこか、身体の不調はありませんか?」
標的である案山子にオージンの指導を受けながら何度も剣を振るった後、順番待ちしていたバースと入れ替わった辰巳の元に、澄ました顔をしたカルセドニアが近づいてきた。
「え、えーっと……クリソプレーズ司祭……様? べ、別に俺は怪我なんてしていませんが……?」
公私混同は良くない。そう考えて慣れない呼び方でカルセドニアに応える辰巳。よく知った者を普段とは違う呼び方で呼ぶのは、なんとも恥ずかしいやらくすぐったいやら。
「そんなことはないでしょう? きっとどこかに不調があるに違いありません。ささ、遠慮なく調子の良くないところを私に言ってください。すぐに治療しますから」
「だ、だから大丈夫ですってっ!!」
「そう言わずにっ!!」
突然始まった押し問答。二人のことを知らない者たち──バースとオージン以外──は、一体何ごとかと手を休めて二人を見つめる。
顔を赤くして照れながら逃げ腰になっている辰巳と、その辰巳に嬉しそうに詰め寄るカルセドニア。
特にそんなカルセドニアを見たことがない者たちは、今のカルセドニアを目を見開いて見つめるばかり。
「だからっ!! 怪我なんてしてないからっ!!」
「じゃ、じゃあ、凝った筋肉を揉み解しましょうっ!! ずっと武術鍛錬をしているのですから、きっと筋肉も凝っているはずですっ!! さあさあ、遠慮なさらずにっ!!」
「え、遠慮するってばっ!!」
尚も続く二人のやり取り。完全にその場の注目を集めていることに、当の二人は気づいていない。
そんな二人の元に大柄な人影がゆっくりと近づくと、その戦棍のような大きな拳を無遠慮に二人の頭頂部へと振り下ろした。
「うがっ!?」
「ひょえっ!?」
突然の頭への衝撃に、辰巳とカルセドニアはその場で頭を抱えて踞る。
「……ったく、この馬鹿夫婦は……」
星が飛び散る目を必死に開けて背後へと振り返れば、そこに怒ったような、それでいて呆れたような複雑な表情のオージンが腕を組んで辰巳たちを見下ろしていた。
「そういうことは家でやれ、家で。家でならば、おまえらがどれだけいちゃつこうが俺も文句は言わん!」
オージンもサヴァイヴ神の神官である。結婚の守護神である彼の神の神官である以上、夫婦仲がいいこと自体は大歓迎なのだ。
問題は、時と場合を弁えることである。
オージンはその辺りを辰巳とカルセドニアに得々と説教し、彼らが反省しているらしいと判断して適当なところで解放した。
そして見習いたちへと振り返った時。
見習いたちどころか、鍛錬場に居合わせた全ての神官戦士たち──バースは除く──が、ぽかーんとした表情でオージンを見ていた。
いや、彼らが見ていたのはオージンではない。彼の向こうで神妙そうにしている辰巳とカルセドニアだ。
「どうした、おまえら? 揃いも揃って何間抜け面を晒しやがって」
「あ、いや、オージン教官……い、今、教官はあの二人が夫婦とか……言いませんでしたか……?」
「ああ、そのことか。あの二人なら、まだ正式ではないものの夫婦も同然だ。このことはカルセの養父である、クリソプレーズ最高司祭様も承知しておられる」
オージンが言葉を終わらせると、鍛錬場は妙な静けさに包まれた。
そして、数拍の後。
「ええええええええええええええええええええええええええええええええええっ!?」
神官戦士たちと見習いが、共に大きな大きな驚愕の声を上げた。
その声の余りの大きさに、間近にいたオージンは自らの耳を思わず両手で塞いでしまった程だ。
「そ、そんなっ!? モルガーナイク様がいなくなって、カルセドニア様に近寄る絶好の好機だと思っていたのにっ!?」
「お、俺はモルガーナイク様がカルセドニア様に振られて、その傷心のために神殿を飛び出したと聞いたが……もしかして、それは本当だったのか……?」
「う、嘘だろ……? あ、あのタツミが……? 神官戦士の見習いで、下級神官でしかないタツミが《聖女》様と……?」
「い、いや待て。ここは冷静になろう、冷静に。タツミでいいなら、俺たちでもいいってことじゃないか……?」
「お? おおおっ!? い、言われてみればそうかもっ!? おまえは天才かっ!?」
「いやー、それはないわー」
最後にそう言ったのは、一連の騒動を無視して黙々と槍を振るっていたバースだ。
「だって、カルセドニア様の方がタツミに首ったけなんだぜ? はっきり言ってあの人、タツミ以外に全く興味ないぞ」
これまで辰巳とカルセドニアを間近で見てきたバースである。あの二人の間に立ち入る隙間などないことは、他の誰よりもよく知っている。
そして、辰巳がカルセドニアに向ける愛情よりも、カルセドニアが辰巳に向ける愛情の方が遥かに大きいことも。
その大きさは、はっきり言って男の方が押し潰されるか、あるいは逃げ出したくなる程である。でも、他の男ならいざ知らず、辰巳ならば彼女の大きな愛情でも受け止めきるだろうとバースは思っている。
「ああ、それからな? 変なやっかみでタツミにちょっかい出さない方が身のためだぜ? タツミに下手なことすると、《聖女》が《魔王》に豹変しかねない」
「ど、どうしておまえにそんなことが分かるんだ?」
「それが分かるぐらいには、カルセドニア様とも親しくしているからな」
にやりと笑みを浮かべ、親指をおっ立てるバース。
「おまえらにいいことを教えてやろう。タツミと仲良くすれば、カルセドニア様ともある程度なら親しくなれるんだぜ? そりゃあタツミがいる以上は恋仲には絶対になれないが、友達程度なら親しくなれるんだ。この……俺のようになっ!!」
おっ立てた親指で、バースはびしっと自分を指し示す。
バースも、少し前までは「サヴァイヴ神殿の《聖女》」に憧れていたことがある。とはいえ、それはあくまでも憧れ程度のもので、決して恋心ではない。
そして、そんな憧れの《聖女》と、友人である辰巳を通して知り合った。
実際に知り合った《聖女》は、別に何の変哲もないごく普通の女性で。それが分かった時から、バースの中で憧れは親しみへと変化した。
今のバースにとってカルセドニアは、「サヴァイヴ神殿の《聖女》」ではなく、単なる「辰巳の奥さん」でしかない。
「いいか? 重要なのは変な下心は一切捨てることだ。あの人、これまでの経緯からか、そういう下心には凄く敏感だからな。あくまでも、カルセドニア様のことは『仲間の奥さん』という認識でいろ。そうすれば、あの人も親しくしてくれるはずだ」
バースの助言を、他の見習いたちは真面目な顔で聞いている。
か、と思えば。
「なるほどっ!! そうして親しくなっておいて、頃合いを見計らって横からカルセドニア様を奪うんだなっ!?」
「だから、そういう下心を持つなって言ってんだっ!!」
突発的に振るったバースの拳が、その台詞を言った同僚の顔面に綺麗に突き刺さった。
その後、サヴァイヴ神殿にある噂が急速に広がっていく。
それはサヴァイヴ神殿が誇る《聖女》が、遂に伴侶となる男性を見つけたというものだった。
しかも、既に《聖女》とその男性は同じ家で暮らしており、婚姻の儀式を上げるのも時間の問題だと言う。
《聖女》を信奉する者たちは、その噂を聞いて血の涙を流した。そして、信奉者たちはその男を血祭りに上げようと様々な画策していく。
だが、そんな彼らをもう一つの噂が押し止めた。
それは、「《聖女》の伴侶となる男に危害を加えた者は、《魔王》へと変貌した《聖女》の怒りに触れ、地獄の苦しみにのたうち回った後、《聖女》から未来永劫嫌われる」というもの。
《聖女》の心を奪った男は憎いが、《聖女》に嫌われるのはもっと嫌だ。
そう考えた信奉者たちは、涙を流しながら《聖女》とその男のことを遠くから見守ることにした。
一部の狂的な信奉者の中には、虎視眈々と伴侶となる男を追い出そうと機会を狙うが、常に仲睦まじく寄りそう二人の姿を見て、その機会を得ることは遂にできなかった。
こうして。
サヴァイヴ神殿の《聖女》と、その伴侶となる黒髪黒瞳の異国の青年は、少しずつその仲を周囲から認められていくのだった。