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辰巳の決意

「私は反対ですっ!!」

 ジュゼッペの切り出した提案を聞き、辰巳とカルセドニアは仲良くしばらくぽかんとした顔をしていたが、ジュゼッペが言い出したことをようやく理解できたのか、カルセドニアが大きな声で反対した。

「ご主人様にそんな危険なことをさせるわけにはいきませんっ!! なぜ、お祖父様はご主人様を魔祓い師にしようなどと思われるのですかっ!?」

 すごい剣幕で祖父に食ってかかるカルセドニアに、辰巳は別の意味でまたもやぽかんとした表情を晒す。

「落ち着いて考えてみんか、カルセよ。婿殿ほど魔祓い師に向いた素質を持った者は他におらんぞ? なんせ〈天〉の魔法使いにして外素使い、そして感知者じゃ。〈魔〉にしてみれば、婿殿はまさに天敵じゃろうて」

「確かにご主人様の素質は私も認めるところですが……まさかお祖父様、ご主人様をいいように利用しようなんてお考えではないでしょうね……?」

 殺気さえ放ちそうな勢いで祖父に迫るカルセドニア。だが、ジュゼッペも伊達に歳は取っていない。カルセドニアの放つ迫力でさえ涼しげに受け止めていた。

「まったく……お主は婿殿のことになると過激になっていかん。儂はあくまでも婿殿の意志を尊重しておるわい。婿殿に魔祓い師になる気がなければ、無理に勧めるつもりはないぞ?」

 呆れたように溜め息を吐きつつ、ジュゼッペは改めて辰巳へと向き直った。

「それでどうじゃろう? 何もいきなり〈魔〉と戦えなどとは言わん。まずはじっくりと基礎の訓練を積み、それから少しずつ実戦を経験していけば良い。戦闘技術ならば神官戦士たちと一緒に訓練すればいいし、魔法に関することなら儂やカルセがあれこれと教えることができるじゃろう。なに、焦らずゆっくりと魔祓い師としての実力を高めていけばいいのじゃ。どうじゃ、婿殿。やってみてはくれんか?」

「ご主人様……ご主人様が無理をされる必要なんてありません。嫌なら嫌と断ってくださってもいいのです」

 辰巳の決断を求めてくるジュゼッペとカルセドニア。二人の顔を何度も見比べながら、辰巳はゆっくりと考えてみる。

「……何も今すぐ答えを出す必要はないわい。ゆっくりと考えてから──」

「いえ、ジュゼッペさん。俺、やります。いえ、やらせてください。俺をチーコと同じ魔祓い師にしてください」

 辰巳は寝台(ベッド)の上で正座すると、そのままジュゼッペに向けて深々と頭を下げた。




「ご、ご主人様……どうして……?」

 ジュゼッペに促されて寝台の上で再び楽な姿勢になった辰巳に、カルセドニアが悲しそうな顔を向けた。

 辰巳はカルセドニアに微笑みかけると、自分の気持ちを説明していく。

「なあ、チーコ。俺は強くなりたいんだ」

「強く……ですか?」

「ああ。俺、痛感したんだよ。こっちの世界は、俺がいた世界……日本よりも危険に満ちている。そんな中で、大切な家族を……チーコを守るためには……俺はもっと強くならないといけない」

「ご主人様……」

 辰巳からはっきりと「大切な家族」だと言われて、カルセドニアは頬を染めながら赤い瞳を潤ませた。

「そして、実際に〈魔〉と戦って……〈魔〉がどれだけ恐ろしいのかも実感した」

 この世に清廉潔白な人間などいないと言っても過言ではあるまい。誰でも少しは心の中に闇を抱えている。

 それはジュゼッペもカルセドニアも、そして辰巳だってそうだ。人間である以上は、心のどこかに必ず闇が潜んでいる。

 その闇を〈魔〉は刺激し、大きくする。優しかった家族や隣人が、ある日突然魔物へと豹変する。それこそが〈魔〉の恐ろしさだ。

 現にバルディオとモルガーナイクという二人の高潔な人物が、〈魔〉によって魔物へと堕ちている。誰だって、明日は〈魔〉の囁き声を聞くかも知れない。

「俺に〈魔〉に抵抗する力があるのなら、俺はそれを伸ばしたい。そりゃあ俺だって世界中で〈魔〉に犯されている人たち全てを何とかできるなんて思っちゃいない。でも、力が及ぶ範囲だけでもできることがあるならしたいんだ」

 辰巳は起こしていた上半身を、ぽすんと寝台に横たえた。

 そして首だけをカルセドニアの方へと巡らせると、にかっと悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「……なんてことは実は建前でさ。本当に俺が守りたいのは……一人だけなんだよ」

「え……?」

 どきん、とカルセドニアの心臓が脈動する。今、辰巳は真摯な目を真っ直ぐに彼女へと向けている。彼が言う「守りたい一人」が誰なのか。その目が無言で物語っていた。

「チーコが俺を心配してくれるのは嬉しい。あの時……モルガーさんと一緒にチーコを助けに神殿の庭に行った時、チーコは俺に足手まといだって言ったけど、あの時チーコは敢えてきつい言葉を使ったんだよな? 俺をあの場から立ち去らせるために……俺を危険から遠ざけるために」

 今なら辰巳にも分かる。あの時、カルセドニアがはっきりと足手まといと言った理由が。

「確かに、今の俺はチーコから見れば足手まとい以外の何者でもない。でもいつか……いつかきっと、チーコと肩を並べて戦えるように……いや、あの時のモルガーさんのように、チーコを守りながら〈魔〉と戦えるぐらいに強くなりたいんだ」

 辰巳の記憶にはっきりと焼き付いている、モルガーナイクとカルセドニアの巧みな連携。

 あの域まで辿り着くのはいつになるのか分からないが、それでもあの高みにまで行くのが今の辰巳の目標だった。

「だから……俺は魔祓い師になる。魔祓い師になって……チーコを……いや、カルセドニアという一人の女性を守ることができる男に絶対になってみせる……!」

 魔祓い師になる。辰巳は自分の意志をはっきりとカルセドニアとジュゼッペに表明した。

 それが後に《天翔》の二つ名で呼ばれることになる魔祓い師が、己の進むべき道を見据えた瞬間だった。




 厳しかった表情をいつもの穏やかなものに変え、ジュゼッペは満足そうに頷いた。

「婿殿の決意、確かに聞き届けた。じゃが……これまでに何の実績もない者を、いきなり魔祓い師として扱うことはできんのじゃ。まずはこの神殿で各種の訓練を積み、その次は市井の魔獣狩りとして実戦を経験していくが良かろう。ここにおるカルセも、《自由騎士》と呼ばれるモルガーも……いや、魔祓い師は誰もが最初は市井の魔獣狩りとして経験を積むものじゃからの」

 確かにジュゼッペの言う通りだろう。まずは〈魔〉よりも格下であるとされている魔獣相手に経験を積み、その次に〈魔〉を相手取る魔祓い師になる。それが誰もが辿る順序なのだ。

「このレバンティスの街には、魔獣狩りたちが集まる酒場兼宿屋が何軒もある。婿殿がある程度の実力を身に付けたならば、そこを訪れて仕事を請けるといいじゃろう」

 ラルゴフィーリ王国に限らず、ゾイサライト大陸上に存在するある程度の規模の町や村には、魔獣狩りたちが集まる酒場兼宿屋が一つはある。そのような場所には、魔獣を退治して欲しいといった依頼が集まってくる。いや、依頼が集まるからこそ、魔獣狩りたちが集まるのかもしれない。

 カルセドニアやジュゼッペの話によると、モルガーナイクは最初は単なる市井の魔獣狩りだったらしい。だが、その腕を見込まれて、神殿付きの魔祓い師に引き抜かれたのだとか。

「あ……そう言えば……」

「どうかなさいましたか?」

 何かを思いついたらしい様子の辰巳に、カルセドニアがこくんと首とアホ毛を傾げて尋ねる。

「今の話に出てきて思い出した。モルガーさんやバルディオさんって、あの後どうなったんだ?」

 〈魔〉に取り憑かれ、魔物と化けたモルガーナイクとバルディオ。この時になって、ようやく辰巳は彼らのことを思い出した。

 あの二人はどうなったのだろう。もしかして、〈魔〉に憑かれたことで何らかの罪に問われるのだろうか。

 この国の法律をまるで知らない辰巳は、彼らのことが心配になった。

 見れば、カルセドニアとジュゼッペの表情も雲っている。

「ま、まさか……モルガーさんたちは重罪に問われたとか……?」

「いや、そうではない。そうではないが……確かにちと困ったことになっておってのぅ。儂がこの部屋に来たのも、婿殿の様子を見にきただけではなく、婿殿の意識が戻っておったら相談したいことがあったからなんじゃ」

「俺に……相談ですか?」

 左様、と頷くジュゼッペの顔には、いつもの穏やかな笑みが浮かんでいなかった。




 ラルゴフィーリ王国の法では、〈魔〉に憑かれて罪を犯した場合、余程のことでもない限り罪には問われないらしい。

 さすがに町一つを滅ぼしたともなれば無罪とはいかないが、その場合でも十年ほど牢に入れられる程度で済む。

 〈魔〉が憑いているかいないかは瞳を見ればすぐに判別できるため、何らかの罪を犯した者が「〈魔〉に憑かれたからやったんだ」という言い訳も通用しない。

 聞いた限りでは結構慈悲深い法律のように聞こえるが、実はこれには一般人が知らない裏があった。

 今から数代前のこの国の王が、それは強欲な人物だったらしい。

 珍しい宝物や美しい女性など、欲しいと思ったものは何でも手に入れないと気が済まない性分で、時には王権を振りかざしてでも欲しいものは手に入れていた。

 しかし強欲な反面、〈魔〉に憑かれることを病的なまでに怖れていたらしく、自分の深い欲が〈魔〉を呼び込み、いつか魔物と化すかもしれないと日々怖れていたという。

 ならば欲望を抑えればいいようなものだが、その王はそうはしなかった。

 自らの欲望を抑える代りに、その王は「〈魔〉に犯された者を罰してはならない。悪いのは〈魔〉であり、取り憑かれた人間ではない」と、今ある法律を制定した。

 要は自分が〈魔〉に憑かれた時に、法的に裁かれないように予め防波堤を築いておいたわけだ。

 だが、他の者たち──特に庶民たちはこの法律を情け深いものと感じ、広く受け入れられていった。中にはこの王のそれまでの強欲な行いをすっかり忘れ、慈悲深い名君だと称えた者もいたほどだとか。

 法が定められた理由はともかく、広く受け入れられたこの法は、その王が崩御した後もラルゴフィーリ王国で適用され続けているのだ。

「二人とも〈魔〉に憑かれたことによる精神の異常もなく、身体の方も軽傷程度。法的に裁かれることもないので今まで通りの生活を送っておる……と言いたいところじゃが……」

 ジュゼッペは、ふぅと力なく溜め息を吐いた。

「確かに法律上はモルガーとバルディオが罪に問われることはない。が、今回の事件が起きた場所はこの神殿の庭じゃ。国の法律が届かない神の家の庭、その庭で聖職者たる者がカルセに──年若い女性に乱暴したとあっては、さすがに神に仕える者として何の罪もなしとするわけにはいかなくてのぅ……」

「え……? それじゃあ、モルガーさんとバルディオさんは……?」

「バルディオは今回のことを凄く反省しておっての。罪滅ぼしと自身を鍛え直すため、儂の補佐官という役職も高司祭という地位も自ら返上して、今後はただの巡礼の神官として各地を旅して回るそうじゃ。おそらく……もうこの神殿には帰ってこないつもりじゃろうの」

 バルディオは二度とこのレバンティスのサヴァイヴ神殿には戻らず、一生を旅して終えるつもりなのだと言う。それほどまでに、今回自分がしでかしてしまったことを後悔し、反省していた。

「将来を嘱望されておった奴じゃが、本人の決意が固く翻意は難しくての。よって、結局は儂もあやつの好きにさせることにしたわい」

 そう言いつつ、肩を落とすジュゼッペ。その隣に立つカルセドニアも、どこか寂しそうだった。

 補佐官として頼りにしていた部下であり、兄のように慕っていた人物でもある。実際に襲われた本人であるカルセドニアも彼本人に対する恨みなどはないらしく、彼らが気落ちするのも無理はないだろうと辰巳にも思えた。

「……まあ、バルディオに関してはそれで片が付いたのじゃが……問題はモルガーの方での」

 重い溜め息を吐いたジュゼッペは、背後に立つカルセドニアへと振り返った。

「婿殿が目を覚ましたことをモルガーに伝え、ここに来るように伝えてくれんか?」

「承知しました」

 辰巳とジュゼッペに向けて一礼し、カルセドニアは静かに客室を後にした。

「モルガーに関しては、バルディオよりもいろいろと複雑でなぁ……」

 そう告げたジュゼッペの肩は、力なく落ちたままだった。




「婿殿もモルガーのこの神殿での……いや、この国での名声は聞いておろう?」

 カルセドニアがいなくなってから、ジュゼッペは辰巳に尋ねた。

 サヴァイヴ神殿が、いや、ラルゴフィーリ王国が誇る気高き《自由騎士》。その名声は広く伝わっており、吟遊詩人たちは彼と《聖女》の活躍を競って歌にしている。

「その《自由騎士》が〈魔〉に憑かれたことが広まれば……それはモルガー個人の名声が地に落ちるだけでは済まんのじゃ」

 今回の事件が広まれば、サヴァイヴ神殿の権威まで失墜しかねない。それに加えて、《自由騎士》とまで呼ばれた人物でさえ〈魔〉の誘惑に抗えなかったとなれば、市井にどのような動揺が広がるか知れたものではない。

「そのため……王国側とも相談した結果、今回の事件……特にモルガーが〈魔〉に堕ちたことは公表せんこととなった」

 幸いというか何と言うか、事件が起きた初動でモルガーは庭に人を寄せつけないように手配した。

 これは〈魔〉に憑かれたバルディオの体面を考えての処置だったが、それが功を奏した形となりモルガーナイクが〈魔〉に魅入られたことを知るのは、事件の当事者である辰巳とカルセドニアだけなのだ。

 彼ら以外に今回の事件を知るのは、サヴァイヴ教団とラルゴフィーリ王国の極一部の上層部だけ。彼らは教団の権威を守るためと民の動揺を防ぐため、今回のモルガーナイクの事件は「なかった」ことにするつもりらしい。

 バルディオに関しては、〈魔〉に魅入られてカルセドニアに襲いかかったところを数人の信者に目撃されているが、彼は高司祭ではあるものの《自由騎士》ほどの名声も知名度もない。そのため、それほど教団や民には影響を与えない。

 また、自ら罪を償うために巡礼の旅に出ることもあって、それ以上の罪の追求はなされないことが決まっている。

 そのため、今回の事件は表向きは「一人の神官が〈魔〉に堕ち、その〈魔〉を《自由騎士》と《聖女》が祓った」と公表されるらしい。

「当事者であり、命に関わるほどの重傷を負った婿殿には納得できない面もあるじゃろう……じゃが、そこは無理にでも納得してもらう他ない。無論、儂にできることで良ければ可能な限り善処しよう。申し訳ないが婿殿、今回のことはそれで納得してくれんかの?」

 と、ジュゼッペは辰巳に向けて深々と頭を下げた。


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