エピローグ~俺のペットは聖女さま~
荘厳なるサヴァイヴ神殿。その奥まった一室に、その女性はいた。
腰まで届く長い白金色の髪の、美しい女性だ。
年齢は四十代の後半から五十代の前半といったところか。ラルゴフィーリ王国では既に老齢と呼ばれる年齢に差しかかっているが、その女性の美しさは決して色褪せることはなかった。
その女性は床に両膝をつき、目を閉じたまま手を組み合わせ、目の前に聳えるサヴァイヴ神の神像へと小声で祈りの言葉を捧げていた。
それなりに大きな部屋の中には、その女性の他には男性が一人いるだけ。
黒髪黒目というこの国では珍しい色彩を持った、白金色の髪の女性と同年代でありながらも、鍛え込まれたがっしりとした体つきの男性である。
高司祭の地位を示す神官服と聖印を身に着けたその男性は、一心に祈りを捧げる女性の背中を無言ながらも優しげな眼差しで見守っていた。
部屋の中は、静寂にほぼ支配されている。聞こえる音といえば女性が囁く祈りの言葉のみ。
静謐な時間がゆっくりと流れるその部屋に、こんこんという小さな音が響く。
「カルセドニア大司祭……いえ、最高司祭様。式典のお時間となりましたので、礼拝堂へとお越しください」
部屋の中に入って来た神官は、頭を下げたままそう告げた。
神像へと祈りを捧げていた女性──カルセドニアが、その真紅の双眸を開いて背後の男性へと振り返る。
「行きましょうか、旦那様」
「ああ、行こう。カルセの最高司祭就任の式典へ」
自然な仕草で互いに身を寄せ合い、二人は軽く──それでいて確かに愛が篭められた──唇を合わせ合う。
これからサヴァイヴ神殿の礼拝堂で行われるのは、新たな最高司祭の就任式である。
ジュゼッペが天寿を全うして神の身許に召された後、その跡目を継いで最高司祭となったのはジュルグであった。
ジュルグはジュゼッペの後任として十年ほど最高司祭の重責を勤め上げたが、彼もまた二十日ほど前にジュゼッペと同じく神の身許に召されてしまった。
その後、サヴァイヴ神殿の上層部は満場一致で、新たな最高司祭にカルセドニアを選んだのである。
今日の式典を終えた時、彼女は正式にサヴァイヴ教団の頂点に立つ。
式典の会場となる礼拝堂までの廊下を、カルセドニアはいつものように夫に寄り添って歩いていく。
カルセドニアがサヴァイヴ教団の最高司祭となる一方、夫である辰巳はこれまでに特別な役職に就くことはなかった。
神官としての階位こそ高司祭まで上がったが、戦士長などの役職に就くことを辰巳が頑なに拒んだのだ。
自分の剣は、一人の女性を守るために存在する。それが辰巳の主張であり、役職に就かない理由であった。
もちろん、魔祓い師として〈魔〉と戦うことはある。時には危険な魔獣と刃を交えることもある。だが、それでも彼の剣は、最愛の女性を守ることを第一としているのだ。
今日もまた、辰巳は愛する女性を守るために彼女の傍にいる。
「最高司祭の守護戦士」──それは辰巳がこれから呼ばれることになる名称だが、それはもう少し先の話であった。
二人がいつものように寄り添いながら──サヴァイヴ神殿ではすっかりお馴染みの光景である──廊下を歩いていると、その進路を遮るように小さな人影が廊下の柱の後ろから飛び出した。
「お婆様、この度は最高司祭への就任、おめでとうございます」
「……相変わらず爺ちゃんと婆ちゃんは一緒だよな。いい加減、年齢を考えろって」
にこにことした表情を浮かべて柱の影から飛び出してきたのは、下級神官の神官服と聖印を身に着けた十歳に満たないぐらいの子供たちだった。
一人は黒髪黒目の少女。もう一人は白金色の髪に真紅の瞳の少年である。髪や瞳の色に違いはあれど、はっきりと血の繋がりを感じさせる容姿を持った二人であった。
この少年と少女は、辰巳とカルセドニアの孫にあたる。二人の間には長男以外にも女児が一人生まれており、彼らは現在それぞれの家庭を築きつつサヴァイヴ神殿で神官を務めていた。
「あらフロゥ、ありがとう」
「はは、勇人は相変わらず口が悪いなぁ」
突然現れた二人の孫に、辰巳とカルセドニアは相好を崩す。
少女の名前はフロゥライラ。そして、少年の名前は勇人。二人は長男と長女の子供たちであり、同じ年に生まれた従姉弟にあたる。
ちなみ、フロゥライラが長男の子供で、勇人が長女の子供だ。
辰巳とカルセドニアも、やはり孫はことさら可愛い。大人しいフロゥライラとやんちゃな勇人は、性格はほぼ反対だが従姉弟というよりは姉弟のように仲が良く、そのことが辰巳とカルセドニアを更に喜ばせている。
「今日はお母様がお祝いのご馳走を作ってくれていますから、楽しみにしていてくださいね」
「エル小母さんの店を貸し切りにしたって、ウチの父さんが言っていたぞ。ああ、そうそう、ジャド小母さんとミル小母さん、モルガー小父さん、他にもバース小父さんたちやニーズ小父さんたちも来るって言ってたな」
「そうか、久しぶりに皆で集まるのは楽しみだな。しかし、やっぱりジャドックのことは『小母さん』なんだな」
「だってあの人、そう呼ばないとすっげぇ怒るんだよ。あの人、怒るとすっげぇ怖いしさぁ」
カルセドニアがフロゥライラの頭を、そして辰巳が勇人の頭を優しく撫でる。
「じゃあ、私たちはそろそろ行きますね」
「今日はありがとうな、二人とも」
最後にもう一度だけ孫たちの頭を撫で、辰巳とカルセドニアはやっぱり寄り添いながら廊下を歩き去っていく。
その背中を、二人の孫たちがいつまでも見つめ続けていた。
「……ねえ、やっぱり……私たちのこと、お爺様たちに言わなくていいのかな?」
「いいよ、別に。大体、今更どのツラ下げて言えるんだっての」
少女の言葉に、少年がぶっきらぼうに返答する。
少年と少女の間には、二人だけの秘密がある。その秘密とは、二人の前世に関して。
「そうだねぇ。ごしゅじ……ううん、ハヤトはお爺様たちに凄く迷惑かけちゃったもんね」
「うう、それを言われると……あれは黒歴史……いや、黒前世なんだよ! 今だから分かるけど、あの時のオレはまともじゃなかったんだ! ああ、くそ、前世のオレはどうしてあんな馬鹿なことをやらかしたんだよ、ちくしょう…………っ!!」
その場に踞りながら、少年は白金色の髪をがしがしと掻き毟って前世の自分を殴りつけたい、と嘆く。そんな少年の背中を、少女はにこやかに微笑みながらぽんぽんと叩いた。
「だったら、前世の罪滅ぼしにお爺様とお婆様には精一杯孝行しないとね! ほら、私も一緒にがんばるから」
「……ありがとう、チー……いや、フロゥ」
少年と少女は互いに手を握り合うと、にっこりと笑う。
「でも、何の因果であいつの孫に転生したんだか……」
「それはもちろん、前世の罪を償えというサヴァイヴ様のご意志よ」
「サヴァイヴ様……ねえ? オレはどっちかって言うと、あいつが何か仕掛けをしたんじゃないかと思うけどな」
少年の脳裏に浮かぶのは、一人の女性の姿。中性的な印象のその女性は、彼が前世の記憶を取り戻した頃を見計らったかのごとく、突然彼の前に現れたのだ。
「やあ、久しぶりだね。君の〈冥〉の素質はなかなか得難い研究ざいりょ……もとい、興味深い存在だからね。君には貸しもあることだし、いろいろと研究させてくれたまえ。もちろん、断ったりはしないよね?」
臆面もなくそう言ってのけたその女性は、時々少年の前にふらりと現れては、あれこれと彼の魔法について調べ、そしてふらりと立ち去っていく。しかも、だ。
「ああ、そうそう、ボクのことは君のお爺さんとお婆さんには内密にね?」
とまで言い出す始末である。
「……オレにとっては、〈冥〉も黒歴史だってのに……」
少年はその魔法はもう使わないと決めたのだ。そう決めたのに、あの女性は〈冥〉の魔法を研究させろとしつこい。
仕方ないので、あの女性が現れた時に限り、ほんのちょっとだけ使うことにした。前世では彼女にも迷惑をかけたのは事実だし、第一そうしないと自分の前世を祖父と祖母にばらされかねない。
「ま、今のオレにも〈天〉は使えるし。そっちで爺ちゃんと婆ちゃんのためにがんばればいいか」
「私だって〈天〉は使えるもん! 私もハヤトと一緒に、お爺様とお婆様のためにがんばるもん!」
次元を越えることで〈天〉の素質を得るという誰かさんの仮説は正しかったのか、幼い頃から祖父たちに連れられて何度も日本を訪れている少年と少女は、物心ついたから〈天〉の素質をその身体に宿していた。
しかも少年と少女だけではなく、少年の母と少女の父、そしてなんと祖母までもが〈天〉の魔法に目覚めたのだ。
現在では少年と少女の家系は、〈天〉の魔法を宿す家系であると周囲から見做されている。
本来ならば魔法使いとしての素質は遺伝しないはずなのに、どうして少年たちの家系だけは代々〈天〉を宿すのかと、その道の研究者の間では大変注目を集めているらしい。
「……ねえ?」
「何だよ?」
「今度は……ずっと一緒だよね?」
「当然だろ? 今度こそ……今度こそずっと一緒だよ。それこそ、爺ちゃんと婆ちゃんのようにな」
少年の右手と少女の左手が、互いの存在を確かめるようにしっかりと握り合わされる。
今度こそ、決して離れ離れにならないと誓いながら。
以上をもちまして、『俺のペットは聖女さま』は完結となります。
連載開始より実に二年半という長い期間、途絶えることなく続けられたのは、更新毎に感想を書き込んでいただいたり、ブックマークや評価点で支援をしてくださった皆様のお陰と感謝しております。
更には、当作は自分にとって初の書籍化作品──もしかしたら、最初で最後になるかも(笑)──でもあり、作者である自分にとってとても思い出深い作品となりました。
自分と同様に、読んでくださった皆様の心の片隅に残ることができれば、これほど喜ばしいことは他にありません。
最後に、完結までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
できましたら、次の機会にもお付き合いいただけることを願いつつ、一旦筆を納めたいと思います。
では、またお会いできる時まで。