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家族と共に

 自分の問いかけにゆっくりと頷いたエルを見て、辰巳は自分の推測が正しかったことを悟る。

 同時に、新たな謎が彼の胸の中に生じた。それは、辰巳がエルの過去に疑問を抱いた時より、ずっと感じていたものでもあった。

「俺とエルさんが過去に出会っていたのなら、俺が初めてこの店を訪れた時、どうして初対面みたいな反応を?」

 思い起こされるのは、辰巳が初めてこの〔エルフの憩い亭〕を訪れた日のこと。

 ここで初めてエルと出会った時、彼女が目を丸くして驚いていたことを辰巳ははっきりと覚えている。

 しかし、その時のエルの言葉でずっと気になっていたこともあったのだが。

「私がタツミさんのことを知らない振りをしていたのは……あまりタツミさんの不安を煽りたくなかったからなんです」

「俺の不安……?」

「はい。私は過去に日進市の私の家で初めてタツミさんと出会い……そして、その後も何度もタツミさんと会っているんです」

 エルが言うには、辰巳はこれまでに何度も日進市の彼女の家を尋ねているというのだ。

 最初の訪問こそ辰巳一人だったが、その後はカルセドニアと共に、そして、カルセドニアが生んだ子供と共に。

 今の辰巳は日本とこの世界を自由に行き来できる。今後、彼がカルセドニアと共に日本へ行く機会は確かにあるだろう。その時、彼らが日進市の赤塚家を訪ねる可能性は極めて高い。

「ですから今回の事件についても、大体のことは聞いていたんです」

「だったら……どうして事前にそのことを……樹美に関することを教えてくれなかったんですか?」

「確かに私は今回の事件について聞いていましたが……ですが、今私たちがいるこの世界で、同じ事件が発生するとは限らないでしょう?」

 エルは過去に出会った辰巳から、樹美の一件について聞いていた。しかし、こちらの世界で出会った辰巳の前に、樹美が必ずしも現れるという保証はない。

「もしかすると……もう一人の『タツミ』さんは現れないかもしれない。現れるにしても、いつ現れるのかまるで分からない。それなのにその存在だけを伝えて、悪戯にタツミさんたちの不安を煽るようなことはしたくなかったんですよ」

 現れるかどうかも分からない存在に対して、いつまでも不安を抱き続けるのは辛いでしょう、とエルは続けた。

「それに……仮にもう一人の『タツミ』さんが現れたとしても……あなたなら……あなたとカルセさんなら、絶対にその窮地を乗り越えることができると信じていましたし。実際、タツミさんたちは見事に乗り越えたじゃないですか」

 結果論と言ってしまえばそれまでかもしれない。だが、本当にエルは信じていたのだ。辰巳とカルセドニアが、どんな窮地に陥っても必ずそれを乗り越えると。

「なるほど……それで俺が初めてこの店に来た時、初対面を装いながらも並行世界の存在だけは匂わせていたってわけですか」

「はい、その通りです。並行世界は存在する。そのことだけ、タツミさんの頭の片隅に留めておいて欲しかったんです」


──もしかすると、私のいた日本とタツミさんのいた日本は『よく似た別の世界の日本』って可能性もありますし。


 それは辰巳がエルと初めて出会った日の会話である。この時、エルはそれとなく並行世界の存在を告げていたのだ。

「そうか……エルさんが過去に俺と出会っていたとすると、あの時の謎も解けるってものだな」

「あの時の謎……?」

「ええ、そうです。エルさんがこの店で初めて俺を見た時、あなたはこう言ったんですよ」


──え…………? も、もしかして……日本の方……ですか?


 その時、辰巳は少し違和感を覚えたのだ。

 どうしてエルは、自分を一目見ただけで日本人だと断定できたのだろうか、と。

 日本人は、韓国人や中国人などと同じモンゴロイドであり、基本的には見た目にそれほどの差はない。それなのに、エルは辰巳を一目見て日本人と断定したのだ。

 同じモンゴロイドでも各民族ごとに細かな差はあるが、初見ではっきりと断定するのは簡単ではないだろう。

「あ、あれ……? わ、私、そんなこと言いました……? 全然覚えていませんよ……」

 一瞬だけ目を見開いて驚きを露にするも、エルはすぐに恥ずかしそうな笑みを浮かべた。どうやら、うっかりで辰巳を日本人だと断定してしまったようだ。

「でも、それ以外は完璧に騙されていました。もしかすると、エルさんは役者の才能があるのかもしれませんね」

「そりゃそうですよ、私、これでも女優の端くれですから」

 えっ、という顔をする辰巳を見て、エルは楽しそうにくすくすと笑う。

「伊達に何年も『日進市のエルフさん』を演じていたわけじゃありませんよ。インターネット限定とはいえ、あれだって立派に女優の仕事でしょう?」

「ははは、確かにその通りですね」

 ちょっと気取った仕草でそう告げるエルに、辰巳は肩を竦めながら笑顔を浮かべた。




「それで……エルさんはどうします? 日本に帰るつもりはありますか?」

 辰巳が日本とこの世界を行き来できるとなれば、エルを一時的に日本へと「帰国」させることも難しくはない。

 エルはすでに〔エルフの憩い亭〕という自分の店を構えているので、日本でずっと暮らすことはできないだろうが、それでも一時的に戻ることはできるのだ。

「……ちょっと心が揺れますけど……止めておきます。日本に戻っても、あちらには『今』の私がいるでしょうし、あの人の元気な顔を見たら、きっとこっちに帰って来れなくなっちゃいますから」

 ちょっと淋しげなエルの笑顔。若くて元気な夫の姿を見た時、エルが彼の元に留まりたくなる気持ちは辰巳にもよく分かる。だが、現時点での彼女の夫の元には、現時点でのエルがいるのだ。

「もしもタツミさんが時間さえ跳び越えることができるようになったら……その時は、改めて私を日本へ連れて行ってください。日本の……あの人のお墓の元へ。私はそれで充分です」

「そうですか……じゃあ、約束しますよ。もしも俺がティーナさんのように時間さえ跳べるようになったら、必ずエルさんを旦那さんのお墓参りに連れて行くと。さて、そろそろ俺は行かないと。実は今、この街周辺の見回りの途中だったんですよね」

「そういえば、私も店の常連さんたちから聞きましたよ。ここのところ、街の上を《天翔》が飛び回っているって」

 エルの言うように、最近の辰巳はレバンティスの街の周辺の哨戒を行っている。ジュゼッペを通じた国王からの依頼だが、軍竜やその他の魔獣、そして〈魔〉の姿はレバンティス周辺には見受けられない。

「常連と言えば、ジャドックとミルイルはどうしています? 最近は哨戒の仕事の方が忙しくて、二人とはあれから会っていないけど……」

「お二人なら今、モルガーさんと一緒に少し離れた土地まで狩りに行っていますよ。もうすぐ雪も本格的になりますから、それまでに稼げるだけ稼ぐつもりだそうです」

「モルガーさんも一緒なんですか?」

 どうやら、樹美の一件で親しくなった三人は、現在一緒に狩りに行っているそうだ。

 今後、辰巳は魔獣狩りではなく魔祓い師として動くことが多くなるだろう。そうなると、魔獣狩りであるジャドックたちと一緒に狩りに出かける機会は少なくなる。

 その辰巳が空けるであろう穴を、モルガーナイクが埋めてくれたのだろう。

「辰巳さんも魔獣狩りの方はそろそろ卒業ですかね? 以前のカルセさんやモルガーさんがそうだったように……」

 ちょっと淋しそうにエルが口にする。辰巳が魔獣狩りをしていたのはあくまでも魔祓い師としての修行の一環である。その修行期間が終われば、かつてのカルセドニアやモルガーナイクがそうであったように、神殿からの依頼が増えていき、魔獣狩りとして行動することは難しくなっていく。

「時々は、この店に顔を出してくださいね。ジャドックさんたちも喜びますから」

「ええ、必ず。ここで食べる料理は俺もカルセも気に入っていますから。絶対にまた来ますよ」

 そう告げて、辰巳は〔エルフの憩い亭〕を後にした。

 扉の向こうに消えたその背中を、エルはいつまでも見つめ続ける。

「やっぱり、タツミさんがここに来る機会が減るのは、ちょっと寂しいですね……」

 そう呟いた彼女の言葉は、誰に聞かれることもなく〔エルフの憩い亭〕の中へとゆっくり消えていった。




 ラルゴフィーリ王国に、長く厳しい本格的な宵月の節──冬が訪れた。

 レバンティスの街もすっかり雪に閉ざされ、街中を出歩く人の数も極端に少なくなる。

 それでも、各通りから人通りが途絶えることはない。人々はどれだけ寒くても日々の仕事にでかけ、家事のために家の外に出ることも少なくはない。

 そんな雪に覆われ、現在もちらちらと雪が降るレバンティスの中を、一組の男女が身を寄せ合って歩いていた。

「なあ、本当に寒くないか?」

「本当に寒くないから大丈夫ですって。最近、すっかり心配性になっちゃいましたね」

 男性の腕に幸せそうにしがみつくのは、やや腹部が膨らんだ女性である。その女性を見る黒髪の男性の視線が、とても心配そうに揺れている。

「そりゃあ、心配性にもなるよ。だってカルセのお腹の中には……やっぱり、転移で一気に神殿まで飛ぼう」

「もう、旦那様ったら。私としては……こうして旦那様の温もりを感じながら歩くのが……とっても嬉しくて幸せなんですけど……駄目ですか?」

「う……そう言われると……」

 腕を組んだまま、上目遣いでじっと自分を見つめる女性に、男性が言葉を詰まらせる。

 そんな男性の反応が楽しいやら可愛いやらで、女性はくすくすと笑いながら自分の身体を擦り付けるように更にすり寄せた。

 男性もまたそんな女性の態度が愛おしく、笑顔の彼女に温かな眼差しを注いでいる。

 彼ら──もちろん、辰巳とカルセドニアである──はこれからサヴァイブ神殿で、カルセドニアの妊娠の経過を調べるのだ。

 辰巳としては、医療技術の発達した日本の産婦人科にカルセドニアを連れて行きたい。だが、地球世界で身元を持たない彼女を、普通の産婦人科へ連れていくことは難しいだろう。

「やっぱり、萩野さんのお父さんに相談して、エルさんみたいにカルセの日本での戸籍をどうにかしてもらうか? それとも、赤塚さんのお母さんに口の固い産婦人科医を紹介してもらうとか?」

 最近ではすっかり付き合いの深まった日進市の知人たち。その中の一人である萩野(たかし)の父親は現職の日進市市長であり、異世界から来たエルに戸籍を与えたという過去がある。そして、そのエルの義母となった女性は内科の医師であり、その伝手を辿ればこっそりとカルセドニアを診察してくれる産婦人科医だっているかもしれない。

 だが、いくら親しい人たちとはいえ、あまりお世話になってばかりなのも心苦しい。

 そんなことをぶつぶつと呟いていた辰巳に、カルセドニアは身体をすり寄せながら言葉を紡ぐ。

「大丈夫ですよ。ジュルグ高司祭様は並ぶ者のない名医ですし、人格的にも素晴らしい方ですから」

「それは俺も分かっているけど……どうしても……ほら……なぁ?」

 ジュルグには大変失礼だが、人間ってやっぱり見た目の印象が重要なんだな、と辰巳は改めて思う。

 他ならぬジュゼッペが信用しているジュルグが、名医であり人格者であることは間違いなく、辰巳自身もそれは理解している。だが、それでもジュルグのあの見た目と喋り方から、どうしても要らぬ心配をしてしまう辰巳であった。




「……そういや医者で思い出したけど、ティーナさんは大丈夫だろうか?」

 雪が舞い散る鉛色の空を見上げながら、辰巳は溜め息と共に言葉を吐き出す。

 樹美との戦いが終わった後、辰巳はカルセドニアを連れて日本のアパートへと転移した。そこにいるはずのティーナの治療をするために。

 だが、彼がアパートに戻った時、部屋の中には誰もいなかった。布団は綺麗に片付けられ、ハンガーにかけてあった彼女の上着もなくなっていたことから、辰巳がいない間にどこかへ行ってしまったらしい。

「怪我のこともそうだけど、樹美のことで一言ぐらい文句を言ってやろうと思っていたのに……」

 今頃、どこで何をしているのやら。殺したって死にそうもないティーナのことだから、どこかで元気にしているのだろう、と辰巳も思ってはいるのだが。

「あの方のことですから、そのうちにまたふらりと姿を見せるのではないでしょうか?」

 辰巳を見上げながら、カルセドニアが告げる。

「そうだな。今度姿を見せた時は、遠慮なく文句を言ってやろう。いや、いっそのこと一発ぐらいは殴っておこうか」

 それぐらいしても許されるだろう。樹美の一件は、元を正せばティーナが原因であるとも言えることだし。

 そんなことを話しながら仲睦まじく寄り添って歩く辰巳とカルセドニアを、レバンティスの街の住民たちが今日も微笑ましく見守っている。

「《聖女》様と《天翔》様、やっぱり今日もご一緒なんだねぇ」

「《聖女》様が身籠って以来、以前以上に《天翔》様がつきっきりだよね。まあ、その気持ちも分かるけど」

「あの二人だって、いつもいつも一緒じゃないんだろうけど……あの二人が別々でいるのが、もう想像できなくなっちゃたね」

「あははは、違いねぇ。それぐらい、あの二人はいつも一緒だものな!」

「もっとも、もうすぐ二人じゃなくて三人になるだろうだけどね」

 辰巳とカルセドニアが通り過ぎた後、街の人々が二人を話題に楽しそうに話の花を咲かせながら、幸福オーラ全開の二人の背中をいつまでも見つめていた。




 厳しい宵闇の節が明けて新年祭が近づく頃になると、カルセドニアのお腹もそれなりに目立つようになった。

 そんなカルセドニアと共に辰巳が今いるのは、王城前の広場である。

 これから、国王による新年祭の開催が告げられるのだ。

 レバンティスの民たちがその時を待ちわびていると、王城の露台(バルコニー)に国王とその家族が姿を現した。

「これより、新年祭を開催することを、ラルゴフィーリ王国国王、アルジェント・レゾ・ラルゴフィーリの名において宣言する!」

 国王による祭りの開催宣言。同時に、レバンティスの街が一斉に歓喜の渦に飲み込まれた。

「新しい国王陛下、張り切っているなぁ」

「そうですね。バーライド様から王位を譲られて、アルジェント様の初めての公式な行事ですから」

 先の国王であったバーライドは、最近その位を息子のアルジェントへと譲り、自分は大公の地位へと下がった。

 大公と言っても形式的な爵位であり、特に領地などもなくバーライドはそのまま王宮で暮らしている。だが、退位して身軽になった元国王は、頻繁にサヴァイヴ神殿を訪れてはジュゼッペと茶を飲みながら語り合ったり、時には楽しそうに口喧嘩などをしている光景をよく見かける。

「しかし、まさかジョルトが王族だったとはなぁ……最初にそれをタツミから聞かされた時は、絶対に不敬罪で首が飛ぶと思ったもんだ」

 露台に国王と並んで立っているのは、正式に王太子となったジョルトである。その近くには彼の母や妹の姿もあり、今日も国王一家は相変わらず仲良し一家のようだった。

 そんな王族たちを見て呟いたのは、辰巳のもう一人の親友とも言うべきバースだ。彼は妻のナナゥと生後百日ほどの双子の子供たちと共に、露台に立つ立場を越えた友人を見上げていた。

 ちなみに双子はどちらも男児で、人間として生まれている。

「そういや、ニーズたちにもその話をした時、揃って顔色が真っ青になっていたな」

「当然だろ。俺にはあいつらの気持ちがよーく分かるぜ」

「まあ、表向き神官は国からは独立した存在だから、よほど無礼なことでもしない限り不敬罪に問われることは基本的にないけどな。それに、ジョルトが不快に思っているようなら、今頃はとっくに処刑されているさ」

「ははは、違いない。そういや、タツミのところ、順調そうじゃないか」

 王族たちを見上げていたバースの視線が、辰巳の隣に立つカルセドニアの腹部へと向けられた。

 最近、彼女のお腹はかなり目立つようになっていた。こちらの世界でも「十月十日」の妊娠期間が適用されるのであれば、辰巳の感覚であと四ヶ月ほどで彼らの子供は生まれてくることになる。

「ジュゼッペさんやジュルグ高司祭様からは順調だって言われているけど……こればっかりは実際に生まれるまでやっぱりいろいろと不安なんだよなぁ。それに、いざ出産となったら神殿の産婆さんたちに任せるだけで、俺にできることなんて何もないだろうし……」

「まあなぁ。俺も実際に経験したけど、出産の時、男は本当に何もすることないぜ? ただただ家の外……玄関の前でうろうろと歩き回るだけだったからな。タツミも今から覚悟しておけよ?」

「やめてくれ……今から本気で不安になってきた……」

 がっくりと肩を落とす辰巳と、そんな辰巳の背中をばんばんと叩くバース。

 そして、夫たちの様子を見た妻たちが、互いに顔を見合わせながらくすくすと笑い合う。

 二度目に迎える新年祭は、辰巳にとって一度目とは違う意味で忘れられない新年祭になりそうだった。




 それほど交通量の多くない県道の脇に、一人の青年が立っていた。

 季節は夏。うだるような熱気を生温い風が攪拌して更に暑さが酷くなる中、その青年は僅かな涼を求めて着ているTシャツの襟元をぱたぱたと何度も動かす。

 傍らの電柱に止まったアブラ蝉の鳴き声が暑さに一層の拍車をかける中、青年の視線は県道の南側に向けられており、そちらから来る車をじっと凝視している。おそらく、そちらから来る誰かと待ち合わせでもしているのだろう。

 と、そこへ偶然通りかかった数人の男性たち──全員、青年と同じぐらいの年齢──が、その青年を見て突然声をかけてきた。

「お、おい、あれって山形じゃないか?」

「あ、そうだよ。あれ、山形に間違いないよ」

「え? 山形って、一年の時に学校を辞めたあの?」

 突然名前を呼ばれて、青年──辰巳がそちらへと目を向けると、そこにいたのは辰巳が高校に通っていた当時のクラスメイトたちであった。

「おーい、山形! 久しぶりだな! 元気だったか?」

 元クラスメイトたちは、にこやかな表情を浮かべて辰巳に近づいてくる。

「なあ、おまえって今、何しているんだ?」

「定時制の学校とか通いながら働いているのか?」

 元クラスメイトたちに別に悪意はなく、単純に学校を辞めてしまった元クラスメイトを案じているようだった。

 だから、辰巳もそんな彼らに笑顔を向ける。

「いや、それが……俺って日本では完全な無職なんだよ」

「え? 日本ではって……もしかして、外国にでも行っていたのか?」

「まあ、外国には違いないなぁ」

 まかさ「異世界に行っていました」とは言えない辰巳は、元クラスメイトの言葉に曖昧に頷くしかない。

「しかし、山形って……」

 元クラスメイトの一人が、無遠慮に辰巳の全身をじっくりと眺める。

「な、なんか……随分と逞しくなってね?」

 辰巳の身体は、日本で高校に通っていた時と比べれば格段に鍛え込まれている。しかも、今は夏場でTシャツに薄目のスラックスという出で立ちのため、彼の身体が相当鍛えられていることがよく分かる。

「あっちは日本とはいろいろ違うからさ。どうしてもこうなっちゃうんだよ」

 辰巳がはっきりと筋肉の盛り上がった二の腕をぱんと叩くと、元クラスメイトたちは「へー」と感嘆の声を漏らす。

 とそこへ、辰巳の背後から澄んだ声が響いた。

「旦那様、お待たせしました!」

 そう言いながら辰巳へと近づいて来たのは、肩から大きめのバッグをぶら下げたカルセドニアである。

 身体にぴったりとしたタイトなパステルイエローのTシャツが、彼女の優れたプロポーションを浮き彫りにしており、そのTシャツの裾からちらりと覗く臍がなんとも可愛い。

 下半身も飾り気のないスリムな七分丈のジーンズだが、それがまた彼女のスタイルの良さを強調していた。

 そして、そのカルセドニアが押すのは、三輪バギータイプのベビーカー。もちろん、その中で気持ち良さそうに眠っているのは、生後四ヶ月ほどとなる彼らの長男である。

 息子と共に夫へと近づいたカルセドニアは、辰巳の傍にいる男性たちに気づいてこくんと首を傾げた。

「もしかして、旦那様のお友だちですか?」

 流暢な日本語を操る白金色の髪の美しい外国人女性の登場に、辰巳の元クラスメイトたちは言葉もない。

 突如現れたその外国人女性は、傍目でもはっきりと分かるほど幸せそうな微笑みを浮かべながら、このクソ暑い中であるにもかかわらず、辰巳の腕にそのほっそりとした腕を自然な仕草で絡ませた。

 辰巳もまた、嫌な顔をすることなく優し気な眼差しでその女性を見つめている。

 夏の暑さとはまた別の、どこか甘さを含んだ「熱さ」が瞬く間に周囲を支配したのを、辰巳の元クラスメイトたちははっきりと感じた。

 しかも、その女性が辰巳を「旦那様」と呼んだことで、彼女とベビーカーの中の子供が辰巳の何なのか容易に想像ができた。できてしまった。

「や、山形……そ、その外国人の女の人と子供って……や、やっぱり……」

 それでも、元クラスメイトの一人が震える声で辰巳に尋ねる。

「ああ、俺の妻と息子だ。さっきも言ったけど、俺は今、日本じゃない国にいて、向こうで結婚して子供も生まれたんだよ。今日はちょっと、こっちの知り合いに息子を紹介するために戻ってきたんだ」

「旦那様……いえ、タツミ様の妻のカルセドニアと言います。よろしくお願いしますね」

 にっこりと笑うカルセドニア。その眩しいばかりの笑顔に、元クラスメイトたちは思わず見蕩れてしまう。

 彼らがぽかんとカルセドニアに目を奪われていると、南から走ってきた黒いミニバンがゆっくりと減速して彼らの脇に停車する。

 その運転席から顔を覗かせたのは、辰巳たちよりも僅かに年上の爽やかな印象の、極めて整った顔立ちの男性──日進市に住む辰巳たちの友人、萩野隆だった。

「やあ、山形くん、お待たせ。ちょっと道が混んでいて遅くなってしまったんだ。お、そっちが生まれた息子さんか、こうして見ると黒髪は山形くん譲りだけど、顔立ちはやっぱりカルセさん似かな?」

「お久しぶりです、萩野さん」

「さあ、早く乗ってくれ。日進の赤塚家で、あおいやエルちゃん、康貴が首を長くして待っているからな! もちろん、康貴とエルちゃん謹製のご馳走も待っているぞ! そうそう、あおいに言われて既にチャイルドシートは用意しておいたからな!」

 隆はぱちりと片目を閉じると、電動のスライドドアを操作する。

 開いたミニバンの後部座席に息子を抱き抱えたカルセドニアが乗り込み、辰巳は折り畳んだベビーカーを車の貨物スペースに積み込んでから、改めてミニバンへと乗り込む。

 その直前、辰巳は元クラスメイトたちへと振り返る。

「まあ、この通り俺は俺なりに幸せで、充実した毎日を送っているから。心配してくれてありがとうな」

 そう言い残した辰巳を乗せ、隆のミニバンが颯爽と走り出す。

 その光景を、辰巳の元クラスメイトたちはぽかんとした間抜けな表情で見つめることしかできない。

「あ、あんな美人が奥さん……だって……?」

「しかも、もう子供まで生まれたって……?」

「な、なんだよ、山形の奴……羨ましすぎるだろ、ちくしょう……!」

「で、でも……山形の奴、言葉通り本当に幸せそうだったな」

「きっと学校を中退した後、あいつなりにがんばったんだろうぜ」

 ミニバンが走り去った方角をいつまでも見つめながら、彼らは元クラスメイトの幸福を僅かな嫉妬を混ぜ込みつつも、心から祝福するのだった。



 今回は二話連続で更新します。


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