交差する〈天〉と〈天〉
クリソプレーズ邸の上空で何度も甲高い音が響き、火花が散る。
《加速》と《瞬間転移》を併用し、空を高速で飛び回る二人のタツミの姿は、常人の目に捉えることができない。
分かるのは剣と剣がぶつかる音と、その際に飛び散る火花のみ。
今もまた曇天を背景に金属同士がぶつかるような音が響き、ぱっと鮮やかな火花が咲いた。
一瞬、空中で停止した辰巳と樹美の姿が誰の目にも映る。しかしすぐに二人の姿は掻き消え、次にその姿が現れたのは互いに三十メートルほどの距離を空けた位置だった。
二人は激しく肩を上下させ、早くなった呼吸をゆっくりしたものへと徐々に変えていく。
呼吸を整え終えて先に動き出したのは樹美だった。彼女は辰巳へと真っ直ぐに突き出した左の掌から、数発の赤黒い魔力弾を撃ち出す。そして、僅かに遅れて空中で剣を横薙ぎに一閃させた。
辰巳へと襲いかかる魔力弾は全て牽制であり、本命はその後ろに僅かに見える魔力の揺らぎ、すなわち《裂空飛》の方だろうか。
数発の魔力弾と《裂空飛》、その全てを斬り払うのは辰巳にも難しい。ならば《瞬間転移》で逃れればいい。
いや、魔力弾だけではなく、《裂空飛》もまた囮だろう。樹美の本当の狙いは、辰巳に《瞬間転移》を使わせることに違いない。
転移の際に生じる僅かな魔力の揺らぎを予測し、辰巳が転移し終わると同時に攻撃を仕掛ける。それこそが樹美の本命だろう。
しかし、それが分かっていてなお、辰巳は《瞬間転移》での回避を選択する。
辰巳の姿が消えた直後、樹美の魔力弾と《裂空飛》が虚しく通過した。そして辰巳の姿が再び現れた時、その目の前にはショートソードを構えた樹美の姿があった。
「もらったぁっ!!」
転移先を予測して先回りしていた樹美が、狂気的な笑みを浮かべつつショートソードを全力で突き出す。
飛竜素材を用いたショートソードの切っ先が、同じ飛竜素材の鎧によって阻まれる。だが、その拮抗は一瞬だけ。鋭いショートソードの先端は飛竜の鎧を貫き、その内側の辰巳の身体までをも貫いたのだった。
王城の高層に存在するとある一室。その一室に備え付けられたバルコニーから、ラルゴフィーリ王国国王バーライド・レゾ・ラルゴフィーリは、魔獣の襲撃を受けているレバンティスの街を見下ろしていた。
「陛下、そこは危険です。何とぞ、中へお入りください」
バーライドの背後に控えた騎士──タウロード・クリソプレーズがそう忠告するも、老齢の国王はその言葉に頷くことはなかった。
「年老いた儂には、騎士や兵士たちと共に戦う力はない。それゆえ、彼らが戦うところを直接見ることこそが、国王たる儂の今の務めだろう」
タウロードの言葉を頑なに聞き入れようとしないバーライドの視線の先には、数体の軍竜が飛び交っていた。王城からは遠くてはっきりとは見えないが、その軍竜の近くには命を賭けて魔獣と戦う兵士や騎士が、そして今回の襲撃に備えて雇われた傭兵や魔獣狩りたちもいるはずだ。
「もしかしたら今頃……あいつも戦っている真っ最中かもしれないね」
そう言ったのは部屋の中で長椅子に腰を下ろし、レバンティスを見つめるバーライドの背中を見ていた少年だった。
「あいつとは……タツミのことですか、殿下?」
「もちろんさ、ガイル」
少年──王孫であるジョルトは、背後に控えているガイルへと振り向き、無邪気とさえ呼べる笑みを浮かべた。
最近、すっかりジョルトの側近として扱われているガイルは、今もジョルトの護衛のために彼の傍についているのだ。
「なぜか、タツミがこの街に帰ってきていて……今頃は戦っているような気がするんだ」
「ほう、その根拠は?」
そう尋ねたのは、ジョルトの父親でありこの国の王太子であるアルジェントだ。その両隣には、母親であるフリーネアと妹であるリーヴェルナも、ジョルトの答えを期待しているのか、黙って父子の会話に耳を傾けていた。
「あいつがいつまでもカルセと離れたままでいるわけがないじゃないか。それに、たとえ相手が『もう一人の自分』とかいうよく分からない存在でも、あいつが負けたまま黙っているとは思えないんだ。そもそも、タツミは俺の親友だからね!」
自慢気に、そして自信たっぷりにそう言い切るジョルト。その彼を、両親や妹、そして背後に控えていた騎士たちは、一斉に呆れたような溜め息を吐き出した。
王族たちは、ジュゼッペから辰巳と樹美の関係を聞いている。そして、現在はその辰巳がレバンティスにいないことも。
それでもジョルトは、辰巳が既に帰ってきているような気がしていた。そして今この時、その辰巳が「もう一人のタツミ」と戦っているだろうと、彼はなぜか確信していたのだった。
穂先に炎を宿した大槍が軍竜の眼に突き刺さり、そのまま頭部を串刺しにする。
頭部を破壊された軍竜の六本ある脚から力が失われ、魔獣は音を立てて地に崩れ落ちた。
動かなくなった軍竜の頭部から大槍を引き抜いたモルガーナイクは、そのまま得物を背後に向かって大きく振り回す。
彼の後ろに忍び寄っていた軍竜の牙が、大槍の穂先で斬り飛ばされる。しかし、それが逆に軍竜の怒りに火を点けたようだ。
きしきしという耳障りな音は、軍竜の怒りの咆哮だろうか。
軍竜はその口から嫌な色と臭いのする液体を、モルガーナイク目がけて吐き出した。
だが、その液体──軍竜の毒液──を、モルガーナイクは難なく回避する。そして、軍竜と戦っているのは彼だけではない。
「どぉぉぉぉぉっせぇぇぇぇぇいぃっ!!」
野太い掛け声……いや、咆哮と共に、ジャドックは飛竜の外殻を用いた両手斧を、軍竜の腹部に力一杯振り下ろす。飛竜の外殻を削り出し、研いで作り出された斧の刃は見事に軍竜の腹部をカチ割り、周囲に体液が飛び散った。
その体液を掻い潜り、ミルイルが軍竜へと肉薄。樹美に奪われたため一振りだけになった小剣を、軍竜の脚の関節へと器用に滑り込ませる。
いくら軍竜の外殻が強靭とはいえ、関節部分はやはり脆い。ミルイルの小剣は、その鋭い切れ味を遺憾なく発揮し、魔獣の脚を一本関節から斬り飛ばした。
だが、それだけでミルイルの動きは止まらない。彼女の最大の特徴である速度を活かして、更に一本、また一本と軍竜の脚を斬り取っていく。
ミルイルによって脚を奪われ、身動きできなくなった軍竜。その軍竜の頭部に、ジャドックの斧が再び振り下ろされた。
軍竜が動かなくなったことを確認し、ジャドックとミルイルは互いに拳をぶつけ合う。
その時だった。彼らの背後から、がぁぁぁぁんという激しい炸裂音が響き渡ったのは。
ぎょっとした二人が音の方へと振り返れば、そこには黒こげになって脚をぴくぴくと蠢かせている軍竜の姿が。そして、その更に向こうには、黒こげになった軍竜へと両手を突き出しているカルセドニアの姿があった。
「…………カルセの奴、随分と怒っているようだな」
「そりゃあ、今日まで魔法を封じられていたり、あの女に一日中付き纏われていたわけだしね……」
「……相当溜め込んでいたのね、カルセちゃん……それに、ようやく再会できたタツミちゃんに甘える暇もないってのも原因の一つかしら……?」
溜め息と共に吐き出されたジャドックの言葉に、モルガーナイクとミルイルは納得の表情を浮かべた。
「よし、向こうで飛んでいる軍竜数体は全部カルセに任せよう。今の彼女ならあれだけの軍竜相手でも後れを取るまい」
「分かったわン、モルガーナイク様」
あえてカルセドニアの方を見ないようにしたモルガーナイクたち。「触らぬ神に祟りなし」という言葉はこっちの世界にはないが、今のカルセドニアがある意味でとても危険であることを彼らは本能的に理解していた。
そして、八つ当たりで蹂躙される軍竜に、ほんの少しだけ憐れみの感情を抱く。
「じゃあ、私たちは他の軍竜を片付けましょうか、モルガーナイク様」
「そうしよう。あ、あー、ところでだな……」
普段のモルガーナイクらしくはない、歯切れの悪いもの言いに、ジャドックとミルイルが思わず顔を見合わせる。
「最近は何かと一緒に戦うことも多いことだし……良ければ、そのような他人行儀な呼び方は止めてもらえると嬉しいのだがな……」
照れを含んだモルガーナイクの言い様に、再び顔を見合わせたジャドックとミルイルはどちらからともなくぷっと吹き出した。
「分かったわ、モルガー。これでいい?」
「そうと決まったら、早速残りの軍竜を片づけましょうか、モルガーちゃん」
モルガーナイクに向かって、ぐっと親指を突き出すジャドックとミルイル。対するモルガーナイクもまた、そんな二人に親指を突き出して応える。
だが。
「…………モルガー……ちゃん……?」
何とも違和感を覚えまくるその呼び方に、思わず眉を寄せるモルガーナイクだった。
その光景を最初に捉えたのは、やはりカルセドニアだった。
彼女は、その荒ぶる心のままに軍竜に向かって雷と炎の嵐をぶつけていく。カルセドニアの心が荒れている理由は、ジャドックの推測通りだった。
数日とはいえ、離れ離れになっていた愛する夫とようやく再会できたというのに、抱き締め合うどころか満足に言葉も交わしている時間がない。
もちろんカルセドニアも、今優先すべきことは分かっている。だが、それでもやはり理性では抑えきれない感情もあるのだ。
辰巳と言葉も交わせない苛立ちを、カルセドニアは遠慮なく軍竜へとぶつけていく。八つ当たり以外の何ものでもない怒りを軍竜にしてみれば、これほど迷惑なこともないだろう。
だが、軍竜に彼女の心境を理解する術がないのは、幸いなのか不幸なのか。樹美に操られた軍竜たちは仲間を殺された「復讐フェロモン」の効果も相まって、恐れることなくカルセドニアへと挑みかかり、そして蹂躙されていく。
そうやって何体目かの軍竜を稲妻で撃ち落とした時、軍竜と戦いながらもどうしても辰巳へと時折目を向けていたカルセドニアは、その光景を見た。見てしまった。
樹美の手にした小剣が、辰巳の腹を貫くその光景を。
「ご……ご主人様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
響き渡るカルセドニアの悲痛な叫び。
その声に反応したモルガーナイクたちやジュゼッペがその光景を見た時、彼らの目は驚きに見開かれることになる。
いや、それまで悲痛な表情を浮かべて腹を貫かれた辰巳を見ていたカルセドニアまでもが、思わずぽかんとした表情を浮かべていた。
なぜなら。
辰巳の腹を貫いた樹美の背後に、辰巳と全く同じ飛竜の鎧を着た人物が一人、これまた辰巳と同じ飛竜剣を振りかぶった姿勢で現れたのだから。




