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再戦

 その部屋の中には、様々な臭いが満ち満ちていた。

 主な臭いは薬品や薬草など、ある種独特なもの。だがその中には、鉄じみた臭いも混じっている。

「ぐふふふぅ、さぁ、クーリくぅぅん……もっと力をいれなさぁぁぁいぃ」

「は、はははは、はいっ!!」

 名前を呼ばれ、クーリはその小さな身体に精一杯力を入れ、言われた通りにぎゅっとそれにしがみついた。

「ふふふぅ、その調子ですよぉ、クーリくぅん」

 必死にしがみつくクーリを見て、その人物──サヴァイヴ神殿の施療部の長であるジュルグ高司祭は、だぶついた頬の肉をにぃと吊り上げた。

 そして、目の前で横たわった兵士を見る。苦しげな呼吸を続けるその兵士は、太股に大きな傷を負っていた。苦しさから思わず動き出すその身体を、クーリが必死になって押さえ込もうとする。

「ぐふふふぅ、安心しなさぁい。若いということはぁ、それだけで素晴らしいのですぅ。ぐふふふ、いいですねぇ、若いということはぁぁ」

 不気味に頬を震わせながら、ジュルグは横たわる兵士の太股にその丸まっちい指先を這わせていく。しかも、その指は足の付け根……股間の方向へと徐々に──かなり際どい所まで──移動する。

「ぐふふふふぅ、本当、若いということはぁ……それだけで力でありぃ、病気やぁ怪我にぃ耐えることができるのですよぉぉ」

 自分の太股に指先を這わせ、どう見ても嫌らしいとしか思えない笑みを浮かべるジュルグに、兵士は傷よりも別の何かを恐れ始めてしまう。

「ぅぅぅ……司祭様……お、俺……そういう趣味は……」

「お黙りなさぁいぃ。ここではぁ、私の言葉は絶対なのですよぉぉ」

 にんまりと笑うジュルグ。その笑みが、兵士には魔獣よりも恐ろしいものに見えて仕方がない。

 兵士の思いはともかく、名医として名高いジュルグは彼の状態を的確に看ていく。傷口の周囲が変色しているところから、この兵士は軍竜の毒針を太股に受けたのだろう。

 先程ジュルグが傷口の回りに指を這わせたのも、どの程度まで毒が広がっているか確かめるためである。決して他意はない。絶対。

「ラライナくぅぅん? 薬の調合ぉ、どうなっていますかぁぁ?」

「はい、ジュルグ様。たった今、できあがりました」

 ジュルグに言われたラライナが、調合を終えた毒抜きの薬が入った容器を彼に手渡した。

「さぁぁ、痛いのは最初だけですからぁぁ。すぅぐに楽になりますからぁぁ……我慢するのですよぉぉ?」

 ねとーっと糸を引く解毒薬の様子をなぜか兵士に見せつけながら、ジュルグの笑みがこれまでで一番嫌らしく、そして禍々しくなる。それを見た兵士は必死に逃げようともがくが、クーリが一生懸命に抑えつけた。

「ぐふふふぅぅ」

 ジュルグの指が、ねとねとの薬──あくまでも解毒薬──をすくい取り、兵士の太股の傷口へと塗りつけていく。

「ぎゃあああああああっ!!」

 兵士の口から魂消るような絶叫が迸る。どうやら、解毒薬が傷口にかなり浸みたらしい。




 宙に浮かぶ漆黒の鎧姿の青年。

 その青年を、その場に居合わせた者たちが見つめる。

 ミルイルは驚きに目を見開き、ジャドックは喜びに口元を綻ばせ、モルガーナイクはようやく帰ってきたかと苦笑して。

 重傷を負っているジュゼッペも、負傷を忘れたかのように何度も頷いている。

「ご……ご主人様っ!!」

 そんな中で、カルセドニアの歓喜に満ちた声が辺りに響く。その声を、エルは落ち着いた様子で聞いていた。

 皆が注目する中を、黒鎧の青年──辰巳はゆっくりと地上へと舞い降りた。

「ただいま、チーコ。心配かけて悪かった。いろいろと話したいことはあるけど……全部後回しだ。今はあいつを倒すことと、ジュゼッペさんの治療を優先しよう」

 地面に座り込んでいるジュゼッペと祖父に寄り添うカルセドニア。そして、その二人を守る位置に立つエルに背中を見せながら、辰巳は振り返ることもなくそう告げた。

「はい……はい……っ!!」

 流れ続ける温かな涙を拭い、カルセドニアはようやく再会できた夫の言葉に頷く。

 今、カルセドニアの目の前には見慣れた背中がある。それだけで、これまで彼女の胸に渦巻いていた不安や悲しみが全て吹き飛んだ。

 欲を言えば、兜に隠された彼の素顔が見たかった。だが、辰巳の言葉通り、それは全て終わった後でいい。

 そう考えた時、カルセドニアの腕に装着されていた魔封じの腕輪が消え去り、からんという渇いた音と共に大地に転がった。

「う、腕輪が……そ、そう言えば、先程は触れてもいないのにお祖父様を……も、もしかして旦那様は……」

 辰巳の《瞬間転移》の技量が向上していることに、カルセドニアは……いや、その場にいる者たち全員が気づく。

「てめえ……どうやって戻って来やがった……っ!?」

 怒りに顔を歪めながら、樹美は辰巳に問う。

「さあ、どうやってだろうな? 少なくとも、それをおまえに教えてやる義理はないな」

「ふん、そうかよ! どのみち、日本へ行っておまえをぶっ殺すつもりだったんだ。そっちから来てくれて手間が省けたってもんだ!」

 言葉が終わると同時に、樹美の右手から朱金の細鎖が奔る。飛び出した金鎖は空間を飛び越え、辰巳の頭部の後ろから現れた。

 背後からの奇襲。本来ならば避け得ないこの襲撃を、辰巳もまた転移をすることで難なく回避する。

 そして、今度は辰巳が樹美の背後から奇襲する番だった。樹美の背後に出現した辰巳は、既に抜いていた飛竜剣を一閃させる。

 その一撃を、樹美は転移で取り寄せた剣で受け止めた。

「あ……ああーっ!! あ、あれ……わ、私の小剣っ!!」

 突然、ミルイルが叫ぶ。よく見れば、樹美が手にしている剣は、二振りあるミルイルの小剣の片方だ。どうやら、ミルイルの手の中から転移で奪ったらしい。

「ただの剣だと、おまえの剣相手に打ち負けるからな。このショートソードもおまえの剣と同じ素材が使われているそうだし、条件的にはこれで似たようなものだろ?」

 ジュゼッペの館で生活している間、樹美は常にカルセドニアの後を付いて回っていた。そのカルセドニアとミルイルはほとんど一緒にいたのだから、樹美はミルイルともほぼ一緒にいたことになる。

 その間に、彼女の剣が飛竜素材を用いていることに気づいたのだろう。

「タツミっ!! 私の剣、取り返してっ!!」

「任せろ!」

 ミルイルの声に応え、辰巳は剣速を徐々に高めていく。対する樹美もまた、剣速に応じてどんどん反応が速くなっていく。

 互いに《加速》を用いながら、二人の「タツミ」は剣を打ち合わせる。既に二人が振る剣は、モルガーナイクたちでさえ目で追えない。

 まるで二つの竜巻がぶつかり合うような、凄まじい剣戟の嵐。だが、剣の腕ではやや劣る樹美が、徐々に辰巳の剣風に圧され始める。

 しかし、樹美の表情に焦りは見えない。それどころか、その口元を笑みの形に歪めていた。

 そのことに気づいた辰巳は、背後にとある気配を感じ取る。それは彼自身が最も親しんでいる魔力の波動。

 咄嗟に転移で樹美から距離を取った辰巳。直後、先程まで彼の頭があった所を、朱金の輝きが通過した。

 朱金の輝き──『アマリリス』の(アンカー)は、避けた程度では止まらない。連続転移で逃れる辰巳を、まるで猟犬のごとくこちらも転移を繰り返して執拗に追尾する。

 転移直後の辰巳の顔面を、『アマリリス』の錘が襲う。転移が間に合わないと判断した辰巳は、飛竜剣の腹を盾の代わりにして、襲いかかる『アマリリス』の錘を防ぐ。

 《裂空》を展開した『アマリリス』に、断てぬものはない。だが、同じ《裂空》を纏わせた物は例外だ。全てを貫く死の鏃は、《裂空》を帯びた飛竜剣に阻まれた。

「ちいぃっ!!」

「お互い、《裂空》は意味がないようだな!」

「どうやらそうらしいなっ!!」

 不本意ながら同意の言葉を吐き捨てた樹美は、左の掌から無数の赤黒い魔力弾を撃ち放つ。

 だがそれらの魔力弾もまた、転移によって回避されたり、《裂空》を宿した飛竜剣で次々に斬り払われていく。

 多少の差異はあれど、ほぼ同じ能力を持つ辰巳と樹美。その二人がぶつかり合えば、どうしても決定打に欠いてしまう。

 こうして、二人のタツミによる戦いは、開始早々膠着状態に陥っていった。




 魔封じの腕輪が外れたことにより、魔法の行使が可能となったカルセドニアは、すぐにジュゼッペの治療にあたる。

 樹美によって切断された腕の断面は、とても滑らかだ。これならば、回復系魔法の《接続》ですぐに繋げることができるだろう。

 切断面同士を押し当てつつ、カルセドニアは呪文を詠唱する。詠唱の完成と同時に魔法は効果を顕し、接続面の浄化が行われた後、切断された骨や筋肉が徐々に繋がっていく。

「さすがはカルセじゃの。しっかりと元にもどったわい」

 接続された腕の指を動かしながら、ジュゼッペは満足そうに頷いた。

「お爺様もご存知とは思いますが、しばらくは安静にしていてくださいね。いくら魔法で繋いだとはいえ、切断面が安定するまでしばらくかかりますから」

「うむ……婿殿も無事に戻ったようじゃし、これ以上年寄りが無理をする必要もなかろうて」

 改めて地面にどっかりと座り込み、ジュゼッペはその目をぶつかり合う二人のタツミへと向けた。

「……拮抗しておるのぉ」

「猊下のおっしゃる通りですね。あの二人の速度が速すぎて、下手に手出しができません」

「ほう……おぬしでも無理かの、モルガーよ」

「誤ってタツミに攻撃が当たるのを恐れなければ……まだ何とかなるとは思いますが」

 治療を終えたジュゼッペの元に、モルガーナイクとミルイル、そしてジャドックもやって来る。辰巳たちの戦いに手出しができない以上、護衛対象であるカルセドニアの傍まで戻って来たのだ。

 もっとも、辰巳が無事に帰還して魔封じの腕輪が外れた今、もうカルセドニアの護衛は必要ないのかもしれないが。

「おそらく、状況が行き詰まっておることはあの二人も理解しておるじゃろう。となると……」

 ジュゼッペの視線が、二人のタツミたちから離れてどんよりと曇った空へと向けられた。

「やはり来おったわい」

 鉛色の空に二つ、三つと黒点が出現する。その黒点はどんどんと大きくなり、色も黒からオレンジと黒の斑へと変わる。

「どうやら、あれがアタシたちのお相手のようね」

 どんどんと近づいてくるもの──軍竜を見て、ジャドックが闘志に満ちた笑みを浮かべる。

「タツミにはあちらの戦いに専念してもらおう。そのためにも、俺たちは軍竜を仕留めるぞ」

 モルガーナイクが愛用の大槍を構えると、ジャドックとミルイル、そしてエルもまた、それぞれ態勢を整える

「カルセさんは状況に応じて、私たちやタツミさんの援護をお願いしますね」

「はい、女将さん」

 嵐のようにぶつかり合う辰巳たちの傍らで、もう一つの戦いが始まろうとしていた。




 辰巳と樹美の戦いは《瞬間転移》や《加速》を用いている内に、いつの間にかその戦場を空へと移していた。

 初戦の時と同様、遮るもののない空という空間を二人のタツミは縦横無尽に飛び回り、時に魔力を、そして時に刃をぶつけ合う。

 下から顎を貫くように出現した『アマリリス』の錘を、辰巳は飛竜剣で弾き飛ばす。

 かつて、辰巳の義兄であるスレイトは、わずかな空気の揺らぎから辰巳の転移を予測してみせた。そんな義兄の領域には達していない辰巳だが、相手が樹美であれば似たようなことはできる。

 転移の際に感じられる僅かな〈天〉の魔力波動。それは自分自身が持つ波動と同じであり、辰巳にしてみれば最も慣れ親しんだ魔力波動である。

 その僅かな魔力波動を感じ取り、辰巳は転移を予測する。そして今もまた、その予測を最大限に活かして、自分を貫かんとする『アマリリス』の錘を回避してみせた。

 もっとも、樹美も同じ理由で辰巳の転移を察知することができるため、二人の間では転移による奇襲はほぼ無意味となっている。

「……ったく、やりづらい奴だなっ!!」

「それはこちらの台詞だ!」

 飛竜素材の剣同士が、空中で火花を散らす。同時に、二人は《瞬間転移》を発動させて、距離を取って空中に静止する。

 二人の距離は二十メートルぐらいだろうか。それだけ離れていても、辰巳は樹美がにやりと笑ったのが辰巳にははっきりと見えた。

 直後、辰巳の背後から高速で襲いかかる三体の軍竜。どうやら、樹美によって軍竜の進路の前へとまんまと誘導されたらしい。

 慌てて振り向いた辰巳が、軍竜に対して迎撃態勢を取る。だが、既に軍竜たちは辰巳の目の前まで迫っていた。

 きしきしと牙を不気味に鳴らしながら、軍竜が辰巳へと襲いかかる。

 転移で逃れるか? 辰巳の脳裏にそんな考えが過る。だが、下手に転移すればその先を樹美に予測され、先回りされるかもしれない。

 そんな僅かな逡巡が、辰巳の行動を遅らせてしまう。その僅かな隙を突いて、辰巳へと襲いかかる軍竜たち。だが、その軍竜たちを、地上から放たれた無数の火炎弾が急襲する。

 軍竜の防御力は決して低くはない。だが、その羽は本体に比べるとやはり脆い。その脆い羽に火炎弾をいくつも受け、飛行能力を奪われて地上へと落ちていく。

「チーコっ!! モルガーさんっ!!」

 顔を喜色に輝かせた辰巳が地上へと目をやれば、〈炎〉の魔法を放ったカルセドニアとモルガーナイクが、ぐっとその右手の親指を突き出していた。

「軍竜は全て私たちが引き受けます!」

「おまえはおまえの決着を着けろ!」

「はいっ!!」

 同じように親指を突き立てて応えた辰巳は、飛竜剣を構えながら改めて樹美目がけて飛翔した。




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