レバンティスvs軍竜
レバンティス防衛戦。現在は王国の騎士や兵士、そして市井の魔獣狩りたちの活躍により、レバンティス陣営が優勢と言える状況である。
だが、それでも怪我人や、不幸にも命を落としてしまった者は皆無ではない。
そんな負傷した兵士や魔獣狩りたちが、次々に各神殿へと運び込まれてくる。
「おい、そこの下級神官! 怪我の酷い者から優先して奥へと運べ!」
サヴァイヴ神殿で、負傷者受け入れの陣頭指揮を取っているのはボガードである。彼は辰巳がまだこの神殿で下級神官だった頃、その面倒をあれこれとみてくれた人物であった。
「この馬鹿野郎っ!! 怪我人はもっと丁寧に扱え!」
絶えることなく運び込まれる負傷者を、ボガードは的確な指示で神殿の各所へと割り振っていく。
「外では神官戦士や兵士たちががんばっているんだ! 俺たちがそれを支えないでどうする! ここは……こここそが俺たちの戦場だと思え!」
ボガードの檄に、周囲にいた下級神官たちが威勢よく返事をする。
それに満足そうな笑みを浮かべたボガードは、どんどんと指示を飛ばしていく。
彼の言葉通り、そこは彼らにとっての戦場に間違いなかった。
目の前の軍竜が動かなくなったのを確認したリントは、ふうと大きく息を吐き出した。
「とりあえず、一段落だな……しかし、これで軍竜の体から匂いが出る。その匂いに引き寄せられて、軍竜の仲間が寄ってくるな……ここからが正念場だ」
経験を積み重ねた魔獣狩りであるリントは、軍竜の習性もよく理解していた。
地球のスズメバチ同様、ある種のフェロモンによって仲間に危機を知らせる習性が軍竜にはある。たった今止めを刺された軍竜からは、人間には気づくことができない匂いによるサインが出ているはずだ。
「各自、周囲を警戒しろ! いつ軍竜の援軍が現れるか分からないからな! 特に足元の警戒は怠るなよ!」
仲間の魔獣狩りたちに指示を出しながら、リントは一時の休息を得るために腰を下ろし、腰に下げていた水袋の中身を喉の奥へと流し込んだ。
鎖に繋がれた鉄球が、唸りを上げて軍竜に襲いかかる。その鉄球を操るのは、ジャドックさえ陵駕しそうな大柄な男性だった。
「豪落鉄鎖鞭奥義、暗黒流星崩しっ!!」
豪快に技名を叫びながらその男性が放った鉄球は、螺旋を描きながら軍竜にぶつかりその頭部をぐしゃりと叩き潰した。
「ふははははっ!! 我が豪落鉄鎖鞭は無敵なりぃぃぃっ!!」
地に臥した軍竜に足をかけ、その人物は高々と勝利宣言をする。それを称えるかのように、周囲にラライナ特有の硬質な音が響き渡る。
「お見事です、同志ターツミル! 今宵の同志の豪落鉄鎖鞭は実に冴え渡っておりますな!」
「いかにもである、同志タランド! 某の豪落鉄鎖鞭の前には、軍竜とて敵ではないのである!」
《天崩》の二つ名を持つ魔獣狩りのターツミルと、吟遊詩人のタランド。二人はとある目的でレバンティスを訪れており、運悪く軍竜の襲来に遭遇してしまったのだ。
しかし、二人に軍竜の襲来に巻き込まれた悲愴感はない。それどころか、逆に嬉々として軍竜を狩っている。
「ここで数多くの軍竜を仕留め、功績を積み重ねれば……師匠殿も我々の願いを無下に断ることはできぬはず!」
「いかにも、同志の言う通り! ここで功績を打ち立て、今度こそ師匠にあの未知なる歌と脱衣魔法の伝授をお願いするのです!」
ちりちりちりぴろーん。タランドが抱えたラライナが、美しいがどこか気の抜けた音色を奏でる。
彼らがこの街を訪れていた理由。それは辰巳に懇願して、何としてでも脱衣魔法を伝授してもらうために他ならない。この二人、まだ脱衣魔法を修得することを諦めていなかったのだ。
「いざ! 栄光なる脱衣魔法のために!」
「おおおっ!! 素晴らしき脱衣魔法のために!」
気勢を上げる二人は、次なる獲物を求めてレバンティスを駆け抜けるのだった。
「済まない……だが、助かったよ」
一人の魔獣狩りが、自分に肩を貸してくれている巡礼者風の男性に礼を述べる。
彼は軍竜との戦いで足を負傷し、何とか軍竜からは逃げ延びたのだが怪我が思ったより酷く、動けなくなっていた。仲間たちからも逸れ、どうしようかと悩んでいた時、たまたま通りかかったこの巡礼者らしき男性が助けてくれたのだ。
「見たところ巡礼者のようだが……間の悪い時にこの街に来たもんだな、あんたも」
「いえ、本来ならこのレバンティスには立ち寄らないつもりだったのですが……この街に魔獣が押し寄せたと噂に聞き、どうしても気になってしまってこの街へ……さあ、もうすぐ海洋神の神殿です。後少しだけがんばってください」
「ああ、数日前に軍竜がこの街に来た時の噂だな……だが、あんたはサヴァイヴ教徒だろう? どうして豊穣神ではなく海洋神の神殿に……っと、済まん、聞かなかったことにしてくれ」
巡礼者の胸で揺れる聖印を見つめながら、魔獣狩りは口を閉ざした。おそらくはこの巡礼者にも何か事情があるのだろう。それも、自らの宗派であるサヴァイヴ神殿には近づけないような理由が。
事情の一つや二つぐらい誰にだってある。だから魔獣狩りは、詳しくは聞かないことにしたのだ。
「だけど、あんたの名前ぐらいは教えてくれないか? 自分を助けてくれた人物の名前ぐらいは、知っておきたいじゃないか」
名を問われた巡礼者は、ちらりと視線を動かす。その視線の方向にサヴァイヴ神殿があることに、魔獣狩りは気づいていたが、もちろんそれを言葉にしたりはしない。
「私の名前は……バルディオと申します。見ての通り、巡礼の途中のサヴァイヴ教徒ですよ。この街にはかつての恩人や、酷く迷惑をかけてしまった人たちがいて……その人たちのことが気がかりで、本来なら立ち寄らぬと決めたこの街に……のこのこと来てしまいました」
この街には近づかないよう、自ら誓いでも立てていたのだろう。その誓いを破ってまでこの街に来たのは、先程話に出てきた人たちがこの巡礼者にとって大切な存在だからに違いない。
今、バルディオと名乗った巡礼者の顔には、複雑な表情が浮かんでいる。魔獣狩りは自分を助けてくれたこの巡礼者に、どうしても一言だけ告げたかった。
「あんたの事情がどうあれ、俺にとってあんたこそが恩人だ。少なくとも、俺はあんたがこの街にいることを歓迎するぜ。だから……そんなに気にしなくてもいいじゃねえか?」
にやりと笑みを浮かべる魔獣狩りを、バルディオはしばらく無言で見つめる。
「…………ありがとう……ございます……」
目を伏せ、絞り出すようにそう告げたバルディオ。以後、二人の間に言葉はなく、ただ黙々と海洋神の神殿を目指して歩いていった。
改めて自宅の屋根裏へと上がった辰巳は、飛竜装備を順番に身に着けていく。
そして全ての装備を装着して腰に飛竜剣を佩いた時、家のどこかでちりんと澄んだ音がした。
「ブラウニーか? 悪いけど、もう少しだけ待っていてくれ。すぐにチーコと一緒に帰ってくるから」
再びちりんと澄んだ音。それはブラウニーの承諾の合図だろう。
「そういや、ポルシェたちの方はどうなっているんだ?」
辰巳は厩舎へと転移する。異世界間さえ転移できるようになった今の彼には、可視範囲内しか転移できないという制限は最早ない。この辺りは、ティーナが指摘した通り辰巳の思い込みが枷となっていたようだ。
厩舎の中は、しっかりと手が入れられていた。カルセドニアがパーロゥたちの世話をしてくれたのか、それともここを訪れたらしいエルが世話をしてくれたのか、そこまでは辰巳にも分からない。
すぐ傍まで来た辰巳に、ポルシェが柵の中から首を伸ばし、嬉しそうに頭を擦り寄せる。フェラーリやパジェロも、嬉しそうな声を出している。
「おまえたちも、もう少しだけ待っていてくれよ」
自分の愛騎の首を優しく撫で、その羽毛の感触を堪能した辰巳は、これからの戦いを予想する。
おそらく、もう一人の自分との戦いは前回よりも激しいものになるだろう。
樹美は今度こそ自分を殺しにくる。こうして自力で異世界間を移動できるようになった辰巳を、元の世界に送り返すだけで済ますはずがない。
そして、辰巳もまた手加減をするつもりはない。正確には、手加減をする余裕がないのだ。
「よし、最後の準備をしてジュゼッペさんの家に向かおう」
誰に告げるでもなく、辰巳は声に出して呟く。
何度も訪れたことのあるクリソプレーズ邸への移動は難しくはない。そして、そこには辰巳の最愛の妻と宿敵とも言える人間がいるのだ。
決意を秘めた表情を浮かべた辰巳の姿が、厩舎の中から掻き消えた。
辰巳の姿が消えた厩舎の中に、ポルシェの甲高い鳴き声が響く。それは消えてしまった主人を寂しく思うゆえの声か、それとも戦場へと赴く主人への激励か。
ポルシェの鳴き声に合わせて、フェラーリとパジェロの嘶く声が厩舎の中に響いていた。
軽い音と共に、肘からやや先で切断された腕が地に落ちた。
「ほう、腕一本を犠牲にして逃れたか。本来なら、その首があんな風に落ちていただろうにな」
地に落ちた腕へとちらりと視線を向けながら、樹美は口元に嫌な笑みを浮かべた。
下から突き上げるようにして拳を放ったジュゼッペ。その身体の直前──丁度首が通過する位置──に、樹美は《裂空》を纏わせた『アマリリス』の鎖を張ったのだ。
ジュゼッペは、死神の鎌に自らその首を差し出したに等しい。だが、直前にそれに気づいたジュゼッペは、死神の鎌と自らの首の間に何とか左腕を挟み込むことに成功した。
左腕を犠牲にしたことで、僅かながらも死神の鎌が首に到達するのを遅らせることに成功したジュゼッペ。その僅かな時間を最大に活用し、強引に身を捻って辛くも死の淵から逃れることに成功する。
だが、当然ながら彼の拳は樹美には届かず、切断された左腕からは夥しい血が流れ出ている。
見る見る内にその顔色が蒼白になっていくことから、彼の受けたダメージは間違いなく深刻であった。
「オレの故郷では、今の爺みたいなのを『年寄りの冷や水』って言うんだぜ?」
「……その言葉なら、以前に婿殿から聞いておるわい」
顔色は良くはない。更には顔面に汗を大量にかきながらも、ジュゼッペの声にはまだまだ張りがあった。
同時に、ジュゼッペは素早く呪文を詠唱する。詠唱が完成すると同時に、左腕から流れ落ちる血液の量が減少していく。
しかし、完全に出血が止まったわけではない。年齢のこともあり、このままでは遠からずジュゼッペは動くことさえできなくなるだろう。
モルガーナイクたちが慌ててジュゼッペの元へと走るが、やや距離があった。しかも、相手は転移の使い手である。
ほんの僅かなこの距離が、今の状況では大陸の端と端にも等しい。
「じゃあな、爺。オレとしてもチーコの身内を殺すのは心苦しいが、チーコの穢れを祓うのを邪魔する奴は……やっぱり容赦できない」
樹美の手元から朱金の輝きが迸る。放たれた輝きは、黄金の魔力光を纏いながらジュゼッペの身体を貫かんとする。
窮地のジュゼッペを救うため、懸命に駆け寄るモルガーナイクたち。ミルイルは走りながら、思わずその悲痛な光景から目を閉じてしまう。
「お、お祖父様っ!!」
背後から聞こえるカルセドニアの声を、ミルイルは確かに聞いた。しかし、その声は悲痛なものではなく、喜びを感じさせるもので。
そのことに疑問を感じたミルイルは、閉じていた両眼を開いて背後を振り返った。
そして、彼女がそこに見たものは。
樹美の放った『アマリリス』に貫かれたはずのジュゼッペが、カルセドニアの目の前に横たわっていた。しかも、そのすぐ傍には切断された左腕も転がっている。
だが、どうやってジュゼッペは樹美の前からカルセドニアの傍へと移動したのだろうか。転移の使える樹美ならばともかく、瀕死のジュゼッペやその他の者たちに、あの窮地からジュゼッペを救い出すことができた者などいなかったはずなのだ。
「ま、まさか……」
ミルイルは、何かを探し求めるように周囲を見回した。そして、彼女は灰色の空を背景に宙に浮かんでいるその姿を見つけ出す。
いや、ミルイルだけではない。モルガーナイクが、ジャドックが、エルが、ジュゼッペが、そして、両眼から透明な雫をぽろぽろといくつも零れ落としながらカルセドニアが。
皆、宙に浮く見慣れた黒い鎧姿のその男性を──もう一人の転移の使い手であるその姿を、歓喜の表情を浮かべながら見つめたのだった。




