戦端開く
戦いの開幕を告げる合図は、ジュゼッペの朗々たる呪文の詠唱だった。
手短であるものの、確かな音程で紡がれる詠唱。ジュゼッペの詠唱が終わると同時に、モルガーナイクとジャドク、そしてミルイルの身体に活力が湧き上がる。
「これは……」
「猊下の《完全強化》だ」
身体に漲る力。その感覚に驚いたジャドックの言葉に、モルガーナイクが視線も向けずに答える。
〈海〉系統《完全強化》。それは身体強化系魔法の最上位魔法で、筋力や反射速度など全ての身体能力を数段引き上げる。この魔法により、モルガーナイクたちの実力は一時的とはいえ格段に上昇したことになる。
「爺ぃっ!! 邪魔するんじゃねえっ!! オレはチーコの穢れを祓おうとしているだけだっ!! チーコが汚れたままなのは、爺だって不本意だろうがっ!!」
「カルセのどこが穢れておると? 女がその身に子を宿した姿は、我らサヴァイヴ信徒にとっては神聖なものじゃよ」
細められたジュゼッペの双眸。そこに剣呑な光が浮かんでいることに気づいた樹美は、すぐさま彼女と繋がっている《使い魔》たちに指令を出す。
「たった今、軍竜たちを呼び寄せた! すぐに軍竜の群れがこの街を襲うだろう! 後で後悔したってもう遅いぜっ!!」
「後悔なんて……」
「しないわよっ!!」
絶妙なタイミングで繰り出される、ジャドックとミルイルの挟撃。真上から振り下ろされる戦斧と、それにやや遅れて樹美の右側から繰り出される双剣による攻撃。しかも、それより僅かに遅れて左側にはモルガーナイクが回り込んでいる。
見事な連携で樹美を追い詰める三人。普通ならば退路は背後のみ。だが、背後に下がっても三人による追撃、もしくは虎視眈々と機を窺うジュゼッペによる痛撃が樹美を襲うだろう。
だが、樹美は普通ではない。
《瞬間転移》を発動させて、この連撃を回避しつつモルガーナイクたちから大きく距離を取る。
しかし、樹美が姿を見せた瞬間、まるでその地点を先読みしていたかのように数発の水弾が彼女に襲いかかった。
樹美の右手から朱金の輝きが迸り、襲い来る数発の水弾を一瞬で斬り払う。
「ちっ、あのエルフの女か……っ!!」
忌々しそうにそちらへと視線を送れば、五体の精霊──水・幻・光・土・氷の五種類──を従えたエルがいた。
エルはカルセドニアの傍から移動することなく、だが、普段の穏やかな彼女からはかけ離れた厳しい表情を浮かべている。
それは宿屋の女主人としてではなく、冒険者としてのエルの姿に他ならない。
「余所見とは随分余裕じゃの?」
樹美がちらりとエルへと視線を向けた僅かな隙を突き、ジュゼッペが動いていた。戦棍の如き拳が不規則な軌道を描き、樹美を強襲する。
「ったく、くたばり損ないの動きじゃねえだろ、爺っ!」
「ほっ、お主に誉められても嬉しくはないの」
「丁度いい。こいつを手に入れたのはいいが、試す機会がなかったからな。爺で実験してやるよ!」
樹美はちらりと右手を見る。そこには朱金の輝きを帯びた手甲がきらりと輝いている。
そんな無駄口を叩き合いながらも、二人の攻防はどんどんその速度を増していく。《完全強化》による補正もあり、今のジュゼッペはまるで竜巻だ。そして、そのジュゼッペの動きについていく樹美もまた、《加速》によって自身の速度を上げているのだろう。
「……ねえ、最高司祭様って、本当に見た目通りのお歳なのかしら……?」
「本当に恐ろしい方だな、猊下は」
「普段は優しそうなお爺さんなのにね……」
そのあまりにも回転の速いジュゼッペと樹美の攻防に、モルガーナイクたちは援護をすることもできない。そのため、護衛対象であるカルセドニアの周囲に集まり、じっと二人の戦いを見守っていた。
「以前、旦那様もお祖父様と手合わせをしたことがあったようですが、その時も旦那様は防戦一方だったと言っていましたね」
「いや、あの猊下の猛攻を防御できるだけでも大したものだぞ」
感心しているのか、それとも呆れているのか。どちらとも取れない複雑な表情を浮かべるモルガーナイクに、ジャドックとミルイルも同感とばかりに頷いていた。
樹美の右腕から『アマリリス』の細鎖が涼やかな金属音を奏でる。だが、その耳に心地良い音色は死神が歌う鎮魂歌に他ならない。
空間を渡って襲い来る小さな錘を、ジュゼッペは巧みに捌き、弾く。
突然視界に入ってくる小さな錘。それを的確に見極め、ジュゼッペは両拳に装着した手甲で確実に弾いていく。
それは彼がこれまでの人生の中で積み重ねてきた、鍛錬と経験が成せる業だ。
両腕を竜巻のごとく高速かつ確実に振るって襲いかかる死神の鎌を防ぎつつ、ジュゼッペは地を這うような極端な前傾姿勢で樹美へと肉薄する。
そして、だん、という一際力強い踏み込みと共に、遂にジュゼッペは樹美の懐へと潜り込む。
下からにやりと獰猛な笑みを浮かべて樹美を見上げるジュゼッペ。対して、樹美は明確にその表情を変化させた。
驚愕の表情から勝利を確信した不敵な笑みへ、と。
樹美が浮かべたその表情を見たジュゼッペは、僅かに目を見開いた。だが、すでに下から突き上げるように繰り出した拳は止まらない。止められない。
ジュゼッペの拳が樹美の顎を捉える直前、彼らの周囲に赤いモノが盛大に飛び散り、しっかりと鍛え上げられた腕が一本、くるくると宙を舞った。
レバンティスの街の中を、数体の軍竜が飛び交っている光景を見た辰巳は、慌てて家の中へと飛び込んだ。
現在、彼は日本にいた時に着ていたTシャツとジーンズという姿だ。腕に飛竜剣こそ持っているものの、軍竜と戦うには心許ない。
やはり、軍竜と……いや、樹美と戦うためには、こちらも完全武装をする必要がある。それに、樹美との戦いに備えて、辰巳はとある物を使うことをずっと考えていた。
家に飛び込んだ辰巳は、武具が保管してある屋根裏を目指す。と、その彼の足が、床に落ちていた羊皮紙らしきものを踏みつけた。
「どうしてここにこんな物が……?」
家から飛び出した時は、慌てていて気づかなかったのだろう。どうやらこの羊皮紙は、誰かが玄関の扉の隙間から家の中へと滑り込ませておいたらしい。
「一体誰が……え?」
羊皮紙に書かれていた文字を目にして、辰巳が大きく目を見開く。そこには、現在カルセドニアがジュゼッペの屋敷にいること、しかもそこには樹美もいて、モルガーナイクやジャドック、ミルイルたちがカルセドニアを守っていることが記されていた。
更には──
お帰りなさい、タツミさん。
カルセさんは私たちが守っていますから、安心してください。
でも、帰ってきたら一刻も早くカルセさんに顔を見せてあげてくださいね。
──と、日本語で追記されていたのだ。
この街で……いや、この世界で、日本語が書ける者など極めて限定的である。
「これを書いたのはエルさんか……でも、どうしてエルさんが……?」
エルが現在のカルセドニアの居所を知らせてくれた、ということは理解できる。
きっとエルもまた、モルガーナイクたち同様に樹美からカルセドニアを守ってくれているのだろう。そしてその傍ら、カルセドニアの居所を辰巳に教えてくれたのだ。だが、辰巳が帰ってきた場所がこの自宅だということを、どうしてエルが前もって知っていたのだろうか。
そのことを考える辰巳の脳裏に、一条の光が駆け抜けた。
「も、もしかしてエルさんは…………?」
樹美が呼び寄せた軍竜は、すぐにレバンティスに殺到した。元々軍竜は、樹美がレバンティスの周囲の森の中に潜ませていたのだ。そのため、樹美の指示さえあればすぐに動き出す。
城壁でその大半を墜とされた軍竜だが、それでも十体ほどがレバンティスへと侵入した。
街中の建物の屋根の上を、軍竜たちはゆっくりと飛ぶ。
軍竜は動くものや、大きな音を立てるものに襲いかかる習性がある。そのため、市民たちは家の中に閉じ篭もり、軍竜の危機が去るまで家から出ないように王国から通達されていた。
本来なら常に賑わいが絶えることのないレバンティスの街。しかし、今日のレバンティスは静寂が支配している。
軍竜はゆっくりと街の中を飛びながら、獲物となるものを探していく。例え〈魔〉に憑かれていても、獲物を求める本能までは操ることはできない。
音と言えば軍竜の羽音だけが響く街の中。動くものもなにもない、まるで死の街と化したかのようなレバンティス。が、突然そのレバンティスの一角──一体の軍竜の真下から、無数の矢が射かけられた。
建物の中に潜んでいた者たち──思い思いの装備で身を固めた魔獣狩りたちが、好機と見て建物から飛び出し、弓矢で軍竜を急襲したのだ。
「身体は狙うな! 狙うのは羽だ!」
魔獣狩りの一人──〔エルフの憩い亭〕の常連であるリントの指示で、魔獣狩りたちは軍竜の羽を狙って一斉に矢を放つ。
放たれた矢は、数本が軍竜の頑丈な甲殻に阻まれるも、その大半は狙い通りに軍竜の薄い羽を射抜いていく。
いくら軍竜とはいえ、羽を傷つけられれば飛ぶことはできない。羽に無数の穴を空けられ、空に留まることができなくなった軍竜は、その巨体を街の中へと落下させた。
「よし、今が好機だ! 〔エルフの憩い亭〕の名に懸けて、無様な真似はするんじゃねえぞ!」
「おう、リントばかりにいい格好はさせられねえからな!」
「ここで手柄を立てれば、女将さんに感謝してもらえるのは間違いねえ!」
「そうしたら、女将さんに口づけぐらいはしてもらえるかもしれねえぞ!」
「お、女将さんの……く、くくく口づけ……?」
口づけと言っても、唇にではなく頬にだろう。だが、それでもエルの信奉者たちにとっては、それは何ものにも勝る報酬だった。
「よぉぉぉぉしっ!! やるぞ、野郎どもっ!!」
「おおおおおおおおおっ!!」
それまで以上の闘志を瞳に宿しながら、〔エルフの憩い亭〕の常連たち……いや、エルの信奉者たちは、彼らの女神から授けられる勝利の口づけを夢見つつ、愛用の得物を構えて地に落ちた軍竜へと群がっていく。
〔エルフの憩い亭〕を常宿とする魔獣狩りたちが軍竜に襲いかかっている頃、街のあちこちで同じような戦いが繰り広げられていた。
軍竜と戦う魔獣狩りたちは、〔エルフの憩い亭〕の常連たちばかりではない。その他の魔獣狩りたちもまた、軍竜を地上へと引きずり下ろしながらその息の根を止めていく。
当然ながら、軍竜と交戦しているのは魔獣狩りだけではなく、王国に所属する騎士や兵士たちも、新たに支給された高品質の武具で身を固めて恐ろしい魔獣と刃を交えていた。
「弓隊、一斉射撃! その直後、槍隊前へ!」
隊長格の騎士の指示に従い、兵士たちが素早く持ち場を変える。そして、槍を構えた兵士の一団が、羽を矢に射抜かれて地上に落ちた軍竜へと対峙する。
「槍隊、突撃!」
号令と共に、槍を構えた兵士たちが一斉に駆け出す。横一列に並んだ数本の槍が、速度を合わせて軍竜へと襲いかかる。高品質で鋭い槍の穂先は、軍竜の頑強な甲殻を確実に貫き、周囲に魔獣の体液をぶちまけていく。
「無理はするな! 戦いはこの一戦だけじゃないからな! 怪我をした者はすぐに下がれ!」
隊長の指示通り、怪我を負った数名の兵士たちが駆け戻ってくる。中には魔獣の体から槍が抜けずに槍を手放した者もいるが、予備の武器はまだ余裕がある。
そして、戻ってきた槍隊とすれ違うように、控えていた兵士たちが槍を構える。
「よし、止めを刺せ!」
再び飛ぶ指示。それに合わせて、再び兵士たちが一斉に駆け出す。
羽を失って飛ぶこともでず、槍を体中に突き立てられて身動きもままならない軍竜に、新たに投入された兵士たちの穂先を躱す手段は存在しない。
再び全身に槍を突き立てられた軍竜は、遂にその巨体を支えることができず、ずん、という音と共にその体を大地へと横たわらせた。
文字通り、矢継ぎ早に放たれるニーズの矢が、軍竜の羽を傷つけ地上へと叩き落とす。
落下の衝撃でもがく軍竜に、バースが素早く駆け寄っていく。
バースが放つ高速の多段突き。槍の穂先が軍竜の体を抉る度に、周囲に魔獣の体液がびちびちと振り撒かれる。
その体液を器用に避けながら、槍を引き抜いたバースは素早く後退した。
そして、バースと入れ替わるようにサーゴが両手斧を、同じくシーロが巨大な竿状武器を構えて軍竜へと迫る。
サーゴが斧を何度も力一杯振り抜く。斧は狙い違わず軍竜の足を順番に切り飛ばし、その動きに制限をかけていく。
「いっくよー! どっかーんっ!!」
足を失って軍竜の動きが鈍ったところを、どこか気合いの抜ける掛け声と共にシーロが頭上に振りかぶった竿状武器──長槌、いわゆるポールハンマーを振り下ろした。
その重量を遺憾なく発揮した長槌は、魔獣の頭をぐしゃりと叩き潰す。
「よーしっ!! 撃沈っ!!」
軍竜の体液で汚れた長槌を振りかざし、シーロが勝利宣言をする。同時に、周囲にいた同僚たる神官戦士たちから、勝利の歓声が湧き上がった。
「よくやったな、バース、サーゴ、シーロ。そして、軍竜を弓で射落としたニーズも見事だったぞ」
魔獣を打ち倒したバースたちに声をかけたのは、彼らを指揮するオージンだ。本来なら新人を指導する役目のオージンだが、今回ばかりはこうして前線へと赴き、魔獣と対峙していた。
現在、サヴァイヴ神殿を始めとした各神殿の神官戦士たちは、いくつかのグループに分かれて順番に軍竜を迎え討っている。
今はバースたちが所属するグループが討伐に出ており、遭遇した軍竜の一体を見事に倒したのだ。
倒した軍竜の遺骸は神殿が雇った解体専門の魔獣狩りたちが、この後すぐ邪魔にならないように解体してくれる手筈になっている。バースたちはひたすら、遭遇する魔獣を撃退していけばいい。
「そういや、ここ数日タツミとカルセドニア様の姿を見かけないが……どうしたんだろうな?」
魔獣の体液で汚れた穂先を布きれで拭いながら、ぽつりとバースが呟く。彼らは、辰巳やカルセドニアが現在どうなっているのかを知らない。樹美の存在は、辰巳たちと親しい彼らにも知らされていないのだ。
彼らの中で唯一辰巳たちの現状を知っているオージンは、一瞬だけ眉間に皺を寄せるものの、すぐに明るい声でバースに応える。
「なぁに、我がサヴァイヴ神殿が誇る《天翔》と《聖女》だ。今頃、最高司祭様の指示で俺たちとは別の所で強敵と戦っているだろうよ」
「そうですね。タツミたちのことだから、きっと俺たちよりももっと厳しい敵と戦っていますよね」
明るい表情を浮かべるバースに、ニーズたち兄弟も同じように頷いた。
「よし、少し休憩したら、すぐに移動するぞ! まだまだ魔獣は街の中にいるんだ、油断するな!」
オージンの声に応と答えた神官戦士たちは、一時の休息を求めて道端に座り込む。
思い思いに休む彼らをじっと見つめつつ、オージンは彼らに聞こえないようにそっと一人呟いた。
「早く帰ってこいよ、タツミ。おまえの帰りを待っているのは、何もカルセだけじゃないんだぜ」
この時既に辰巳は帰還を果たしているのだが、それをオージンが知るのはもっと後のことである。




