宿る生命
最初にそれに気づいたのは、レバンティスの街の城壁で見張りについていた一人の兵士だった。
王都へと急速に近づく、巨大な魔獣たちの群れ。
オレンジと黒のカラーリングは、見る者に恐怖心を抱かせる。巨大で鋭い牙や爪もまた、並の兵士ならば見ただけで逃げ出したかもしれない。
だが、ここにいるのはしっかりと鍛えられた者ばかりだった。
遠目に魔獣の接近を確認したその兵士は、すぐに既定の行動に移る。魔獣の接近を他の兵士に知らせ、迎撃の態勢を整えるべく行動するのだ。
城壁の各所に設置された、緊急事態──魔獣の接近──を知らせる鐘を力一杯叩く。
鳴り響く鐘の音に、他の兵士たちもまた、すぐに行動を開始する。
「大型弩の準備急げ!」
「弩の大矢をありったけ持ってこい! 大至急だ!」
「街にも魔獣の接近を知らせろ!」
俄かに慌ただしくなる城壁の上。だが、そこに戦意を失う者は一人もいなかった。兵士たちは魔獣を恐れることもなく、魔獣の接近に備える。
そしていよいよ魔獣が城壁に近づいた時。
城壁に設置された何機もの大型弩から、巨大な矢が一斉に放たれた。
目を赤く輝かせた無数の魔獣──軍竜。
その軍竜の群れに向けて、レバンティスの城壁より何本もの大矢が襲いかかる。
大矢は軍竜の強固な甲殻を容易に撃ち貫く。そして大矢に貫かれ、大地へと落ちていく軍竜。
「大矢の再装填、急げ!」
大矢が軍竜を射抜くのを確認し、現場の指揮官が配下の兵士たちに指示を飛ばす。
その指示に従い、大型弩に取り付いている数人の兵士たちが次の大矢を装填し、照準を次の軍竜に合わせていく。
「よし、放て!」
指揮官の声と同時に、弩が再び唸りを上げる。再度放たれた大矢が軍竜をばたばたと撃ち落とす。だが、軍竜の数は多い。
大型弩の再装填の間隙をつき、十体近い軍竜たちが城壁に詰める兵士たちの頭上を越えていった。
兵士たちも軍竜たちをただ見送ることはせず、手にした弓や石弓で必死に矢を射かけるが、人間が扱う大きさの弓では甲殻に突き刺さる程度で、効果的な打撃とはなっていない。
「ぐ、軍竜が街の中へ……」
矢を射かけながら、頭上を越えていく魔獣たちを兵士たちは悔しそうに見送る。
「後続があるかもしれん! まだ油断するな!」
指揮官が呆然とする兵士たちを叱り飛ばす。彼の言う通り、軍竜があれで全てとは限らないのだ。
「同時に、援軍の要請があった場合は直ちに街中に駆けつける! その準備も怠るな!」
引き続き指示を飛ばす指揮官。全ての指示を出し終えた彼は、心配そうな目をレバンティスの街へと向けた。
「頼む……被害は最小限に抑えてくれ……っ!!」
彼は今頃街中で必死に応戦しているであろう同僚たちに、悲痛な表情で呼びかけていた。
軍竜がレバンティスに飛来するより、僅かに時間は遡る。
相変わらず、カルセドニアの周囲をちょろちょろと付き纏っているのは樹美であった。
常にカルセドニアと一緒にいるミルイルや、時にはジャドックやエル、そしてモルガーナイクらにカルセドニアへの接近を阻まれ、渋々ながらも少し離れたところでカルセドニアの様子を窺う樹美。
カルセドニアの義兄たちもカルセドニアの警護に当たっているものの、彼らには騎士や神官戦士といった立場がある。そのため、現在はそれぞれの職場にて職務を果たすべく、カルセドニアの傍を離れていた。
「あー、もうっ!! おまえら鬱陶しいんだよっ!! どうしてオレとチーコの二人だけの時間を邪魔しやがるんだっ!?」
「当然でしょ! そのために私たちはここにいるんだから」
「うるせえっ!! あのジジイやチーコの兄貴たちはまだ分かるんだ! 正式な家族だからな! でも、おまえたちは単なる友達なんだろ! 単なる友達がいつまでもチーコの家にいるんじゃねえよっ!!」
「あら、アタシたちはこの家のご当主である、クリソプレーズ最高司祭様にお招きされてここにいるの。 つ・ま・り、アタシたちは正式なお客様ってワケ。ほら、この家にいてもおかしくないでしょ?」
うっふんとばかりにばちっと四つある目の一つを閉じてみせたのは、もちろんジャドックである。
「黙れ! 気持ち悪いんだよ、このオカマ野郎が! 四本もあるその腕、一本や二本ぐらい減っても困らないだろう?」
樹美の右手から、朱金の輝きを帯びた蛇が鎌首をもたげる。
「……タツミちゃんと同じ顔でそういうコト言われると、何気に堪えるわね……」
口ではどこか呑気なことを言うジャドックだが、その視線は厳しく、鎌首をもたげる朱金の蛇を凝視している。
気づけば、ジャドックの背後にはモルガーナイクが控えていて、手にした大槍を油断なく構えている。彼もまた、いつでも戦える準備は整っているようだ。
現在、彼らは護衛の任務中ということもあって、完全武装でカルセドニアの傍にいる。
特にモルガーナイクとジャドック、そしてミルイルは、先日の鎧竜の素材を使って新調した防具を装備していた。
モルガーナイクとジャドックは、全身の要所を重厚さを感じさせる鎧竜素材の鎧で守り、防御力を高めつつ最低限の機動性も確保していた。対して、ミルイルは彼女特異の魔法のこともあり、胸元だけを守る部分鎧である。
そして、武器の方は鎧竜戦でも使用していた飛竜素材の武器。今回はジャドックの武器も間に合っており、飛竜素材を用いた巨大な戦斧を持ち込んでいた。
このように樹美がジャドックたちに突っかかり、その間にカルセドニアが入って、じっと無言で樹美を睨み付ける。そうすると、渋々ながらも樹美が引っ込むというのがここ数日のパターンであった。
だが、今日は少し違う。
これまで通りならそろそろカルセドニアが乱入するタイミングなのだが、なぜか彼女が割り込んでこない。そのことを不審に思ったジャドックがちらりと横目でカルセドニアの様子を確かめる。
するとカルセドニアがなぜか跪き、片手を地面につき、もう片手で自分の口元を押さえていた。苦しそうに震えるその背中を、傍にいたミルイルが心配そうに撫でさすっている。
「カルセちゃんっ!!」
「チーコっ!!」
ジャドックと樹美が慌ててカルセドニアへと駆け寄る。少し遅れて、モルガーナイクもまた。
だが、エルだけはただ一人、苦しそうに蹲るカルセドニアを、なぜか慌てることもなくただ優し気な微笑みを浮かべるばかり。
「チーコっ!! ま、まさか、どこか具合が……びょ、病気じゃないだろうなっ!?」
かつて、病によってもう一人のカルセドニアを失った経験のある樹美。目の前のカルセドニアが苦し気に蹲る姿は、樹美の脳裏に苦しい過去を甦らせた。
ミルイルを突き飛ばし、樹美はカルセドニアの背中へと手を伸ばす。いまだに苦し気にえずくカルセドニアを見るその顔色は、完全に蒼白だ。
だが。
「大丈夫ですよ、皆さん。カルセさんの不調は決して病気じゃありませんから、心配はいりません。今は優しく見守ってあげてください」
穏やかなエルの声。彼女はカルセドニアに近づくと、その手を取って彼女を立ち上がらせ、汚れた口元を布で綺麗に拭う。
病気ではないと言われ、思わずきょとんとした表情を浮かべるミルイルたち。しかし、そこでミルイルがカルセドニアの不調の原因に思い当たる。
「か、カルセ……も、もしかしてあなた……妊娠して……いるの……?」
ぽつりと零れ出た、ミルイルの呟き。その呟きを聞いた者たちは、最初こそ呆然としてカルセドニアを見つめていたが、すぐにその顔に笑みを浮かべる。
「ま……まあまあまあっ!! おめでとう、カルセちゃん! このことをタツミちゃんが聞けば、彼もきっと大喜びよ!」
「ああ、そうだろうな。きっとタツミも喜ぶだろう。おめでとう、カルセ」
ジャドックとモルガーナイクの祝福の言葉に、ようやく顔を上げたカルセドニアが弱弱しく微笑む。
ジャドックとミルイル、そしてモルガーナイクは、カルセドニアの懐妊をまるで我がことのように喜び合う。
だが、ただ一人だけ例外が存在した。
「に、妊娠……? チーコが……妊娠……だと……? あ、あの野郎……っ!! やっぱり、ぶっ殺しておくべきだった……っ!!」
先程とは別の意味で顔色を変え、樹美の全身から怒りの炎が吹き上がる。
「い、今からでも遅くはねえっ!! 直接あの野郎の所に乗り込んで、ぶっ殺してきてやるっ!!」
樹美は目を閉じると、日本に置いておいた《使い魔》へと意識の接続を試みる。だが、辰巳のアパートの傍に配置した《使い魔》へ、樹美の意識は繋がらない。
「ちっ、《使い魔》を宿らせた雀がカラスにでも襲われたのか……っ!?」
いくら〈魔〉を憑かせていたとはいえ、所詮はただの雀である。カラスなどの外敵に襲われる可能性はある。
この時点で、樹美の〈魔〉はまだ辰巳に支配権を奪われてはいない。だが、樹美からの魔力的な接続を阻止する結界の中に《使い魔》が閉じ込められていようとは、さすがに樹美の考えの及ぶ埒外であった。
そのため、樹美は《使い魔》の雀が外敵にでも襲われたのだろうと判断したのだ。
「あいつの現在を確かめる必要なんてねえか……直接乗り込んで……いや」
樹美は壮絶とも言える笑みを浮かべる。その笑みを見たジャドックやミルイル、そしてモルガーナイクにエル、カルセドニアは、その中に確かな狂気を感じ取った。
「それよりも、チーコを汚れたままにしておくわけにはいかねえよな……一刻も早く、あの野郎の名残を消し去らなくては……」
狂気を帯びた樹美の視線が、カルセドニアの下腹部へと注がれる。
「大丈夫だよ、チーコ。今すぐ、あいつの名残をオレが消し去ってやるから……チーコの腹の中から、あいつの残りカスをすぐに取り除いて、元通りの綺麗な身体にしてあげるから……」
狂気じみた笑みを浮かべ、樹美はカルセドニアへとゆっくりと近づく。
しかし、その歩みを阻む存在があった。
ぴくりと眉を動かす樹美の前に立ちはだかるのは、カルセドニアの友人たち。
「ここでカルセを守れないようじゃ、後で私たちがタツミに殺されかねないわね」
「まったくよン。ここはおネエさんが身体を張って、カルセちゃんを……いえ、カルセちゃんと二人の子供を守らないと、後でタツミちゃんに顔向けできないものね」
「かつて、タツミとカルセには大きな迷惑をかけたこの身だ。タツミが不在の今、カルセとその子供は何があっても絶対に守ってみせる」
「皆さん! タツミさんはもうすぐ帰ってきますから! それまでカルセさんとお腹の赤ちゃんを守り抜きますよ!」
各々得物を構え、魔法を放つ準備をするモルガーナイクたち。
そんな四人を前にして、樹美は不敵な笑みを浮かべるのだった。
「いいのか、おまえら。俺の邪魔をするってことは、どういうことか理解しているんだろうな?」
不敵な笑みを浮かべつつ、樹美はそう言ってカルセドニアを守るために立ちはだかる四人を順に眺める。
「今すぐ、ここから立ち去れ。そうしなければ、軍竜を再びこの街に呼び寄せるぜ?」
樹美のこの言葉に、モルガーナイクたちは僅かに怯みを見せる。だが、樹美の脅しを真っ向から否定する言葉が、新たにこの場に登場した人物の口からはっきりと告げられた。
「好きにするがいい。このレバンティスの街が、軍竜程度にいつまでも怯えたままでいると思うでないぞ」
「お、お爺様……」
ゆっくりと、だが、力強さを感じさせる足取りで近寄って来たのは、この家の当主であるジュゼッペ・クリソプレーズである。
いつものように煌びやかな法衣を纏い、しかしいつもとは違う鋭さを全身に宿して、ジュゼッペは孫娘を守るためにモルガーナイクたちと同じ場所に立つ。
「軍竜を迎え撃つ準備は既に整っておる。あまり……この街を舐めるでないぞ、若造!」
そう言いつつ、ジュゼッペは法衣をばさりと脱ぎ捨てる。
法衣の下に隠されていたのは、老いを感じさせない鍛え抜かれた身体。
その身体を守るのは、革製の胴鎧。両腕には金属製の武骨な手甲。同じく、脛から足のつま先にかけても、金属製の武具がしっかりと覆っている。
「若い頃は《鉄腕》と呼ばれた儂じゃ。老いたりとはいえ、孫娘を守るぐらいはできようて。それに、生まれてくるであろう赤子を守るはサヴァイヴ神の信徒の重大な役目。今のこの儂を単なる老いぼれと思うてくれるなよ?」
がしんと両の手甲を打ち合わせた《鉄腕》と呼ばれた人物は、その全身から刃物のような鋭い闘気を溢れさせるのだった。
今日と明日(22、23日)は所用で不在のため、感想の返信などは24日以降に行います。
ちなみに、本日(22日)の用件は家族旅行(笑)。




