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あちらとこちら


 夜の十時をやや過ぎた頃。

 瀬戸市水無瀬町の交差点の隅に、一台の黒いヴェルファイアが停車した。

 ヴェルファイアのスライドドアを開けて、一人の少年が降りてくる。そして、運転席から降りた先程の少年よりやや年上の青年が、後部ハッチを上げて車の中から自転車を降ろした。

「自転車ごとわざわざ送ってもらって……ありがとうございました、萩野さん」

「いや、車なら日進からここまでそれ程大した距離でもないから、気にしなくていいよ。それから……康貴のこと、悪く思わないでくれよな、山形くん」

「はい……残念なのは確かですが……赤塚さんの言い分も理解できますし」

 数時間前にやり取りしたことを思い出し、辰巳は曖昧に笑う。

 エルの短剣は貸せないと言った康貴。彼がなぜ辰巳の願いをうけいれなかったかと言えば、実に単純な理由だった。

「君の話を聞く限り、この短剣の力はランダムの異世界転移だろう? それはあまりにも危険過ぎる。君が転移した先が全く新しい見ず知らずの世界であり、そして、この日本と同じように魔力のない世界であったら……君は一体どうするつもりだ?」

 この日本でもなければ、カルセドニアがいる異世界でもない全く別の異世界。当然ながら頼れる人もなく、また、周囲に魔力も満ちていない世界であった場合、辰巳が野垂れ死ぬ可能性は決して低くはないだろう。

「そんな危険なことを、君にさせるわけにはいかないよ。確かに僕と君は初対面だが、だからと言ってそんな危険な真似を黙って見ていることは僕にはできない。仮令(たとえ)、君にお節介だと思われてもね」

「私も同じ思いですよ、タツミさん」

 それまで辰巳と康貴のやり取りを黙って聞いていたエルが、この時初めて口を開いた。

「今の私は確かにタツミさんとは初対面で……もしかすると、タツミさんが知っている私はこの私ではないかもしれません。ですが、こうして言葉を直接交わした相手が、危険な真似をするのを見過ごすわけにはいきません」

 康貴もエルも、厳しい表情で辰巳を見ている。だが、彼らの厳しい視線の中に、辰巳を思いやるものが含まれていることは間違いなかった。




「まあ……何だ。エルちゃんの短剣のこと以外なら、できることがあれば何でも言ってくれ。俺だけじゃなく、あおいも康貴もエルちゃんも、君に力を貸してくれるさ」

「はい……今日は萩野さんたちに会えて良かったと思っています」

「おう、俺ももっと君と話がしてみたいな。何か困ったことがあれば、遠慮なく電話してくれ」

 爽やかな笑顔と共に右手の親指を立てて見せた後、隆はヴェルファイアを発進させる。

 カーブの向こうにテールランプが消え去るまで、辰巳はそれをじっと見守る。しばらく立ち尽くしていた辰巳だったが、とぼとぼと目の前のアパートへと足を向けた。

 階段を登って二階に上がり、そして部屋の鍵を開ける。部屋の中は相変わらず埃っぽく、このまま生活するのはさすがに厳しい。

「……こんな時間だけど、簡単に掃除でもするか。少しは気分転換になるだろうし……」

 夕食は赤塚家でご馳走になったので、後は風呂に入って寝るだけだ。その前に軽く掃除をするのもいいだろう。

 どうしても沈みがちになる気分を奮い起こし、まずは風呂の掃除をして湯を張りつつ、部屋の床も掃除する。さすがにこんな時間に掃除機を使うわけにもいかないので、フローリング用のワイパーをかけるだけに済ませ、押し入れから予備の布団を取り出す。

 以前に使っていたベッドは向こうの世界にあるので、普段は使っていなかった布団を床に敷く。

 とりあえず、これで一応の生活はできるだろう。いつになったら向こうに帰れるか分からない以上、しばらくはここで暮らすしかない。となれば、明日は生活に必要な物資を買いに行く必要もあるだろう。

「だけど……俺は必ず向こうに帰るんだ……」

 誰に聞かせるでもなく呟いた辰巳は、風呂に入ろうと思い浴室へと向かう。

 Tシャツを脱ぎ、ジーンズに手をかけた時、不意に玄関の呼び鈴が来客を告げた。

 こんな時間に一体誰が? 辰巳の頭に疑問符が浮かぶ。

 もしかして、大家さんだろうか。久しぶりに辰巳の姿を見かけて、何か話をしに来たのかもしれない。もしくは、こんな時間にごそごそしていたため、隣の住人が文句を言いに来たのだろうか。

 首を傾げつつ、Tシャツを着直した辰巳は玄関に向かい、覗き窓から外を窺う。

「…………え?」

 扉の向こうには、一人の人物が立っていた。しかも、それは辰巳もよく知る人物である。

──どうしてこの人がここにいるんだ?

 ここにいるとは思えない人物の来訪に驚きながらも、辰巳は慌てて鍵を開ける。そして玄関の扉を開くと、やはり目の前にその人物はいた。

「やあ、久しぶりだね、タツミくん。元気にしていたかい?」

 ぴしりとした黒いスリーピース姿で、場違いなまでににっこりと微笑むのは。

「てぃ、ティーナ…………さん?」

 そう。

 先代の〈天〉の魔法使いである、ティーナ・エイビィ・ザハウィー。もしくは《大魔道師》ティエート・ザムイその人であった。

「ど、どうしてティーナさんがここに……」

「まあ、その辺は後で説明するよ。だけど、その前に……」

 突然言葉を途切らせ、ティーナがその場に崩れ落ちる。

「す、少しだけ……休ませ……くれな……か……な……?」

 目の前で倒れたティーナに、慌てて辰巳は手を伸ばす。そして、倒れた彼女の身体を起こそうとして脇腹の辺りに触れた時、その手に生暖かくてぬるりとした感触が。

「え……?」

 びっくりして引っ込めた辰巳の手が赤く汚れているのが、廊下の少し薄暗い蛍光灯の下でも確かに見て取ることができた。




 夜の帳に覆われたレバンティスの街。

 酒場や娼舘など、ごく一部を除いて静まり返った王都の一角に存在するクリソプレーズ邸の一つの部屋で、この屋敷の主とその家族たち()()が集まっていた。

「どうやら、何事もなく一日乗り切ったようじゃな」

 現在、彼らは自らの懐に「猛毒」を忍ばせている状態である。いつその「猛毒」が溢れ出すのかと、相当の緊張を強いられているのだろう。

「ついさっきも、あいつがカルセと一緒に寝るの寝ないので騒いでいたようだったけどな」

「何? それでどうなった?」

 レイルークの呆れたような言葉に、タウロードは焦ったような表情を浮かべる。

「結局、カルセの友人たちに阻止されたようだぜ」

 どうやら(いも)(うと)に危険はなかったと、タウロードは安堵の息を吐く。

 そんな兄と弟の言葉を聞き、スレイトはそれまで閉じていた両目を開く。

「……どうにも、意外過ぎる。あいつの……もう一人のタツミのやり方……というか行動そのものが、俺にはどうにも納得できん」

「スレイトよ。お主もそう思うか?」

 父親の問いに、スレイトは重々しく頷く。

 軍竜の群れを丸ごと支配し、レバンティスの街を襲わせようとする一方で、ジュゼッペやカルセの友人たち──エルやミルイルたち──の言うことには、渋々ながらも従うのだ。スレイトにはその行動が、どうも一貫性がないように思えて仕方がない。

「正直言って、俺はあいつがもっと横柄で乱暴な奴だと思っていたんだが……」

「実はな、儂もそれを考えておったところじゃよ」

「なあ、親父にスレイト兄貴。それってどういうことなんだ?」

 腕を組んで考え込む父親と次兄を見て、レイルークは首を傾げる。

「儂にも分からん……じゃが、もしかすると……」

 腕を組んで考え込んでいたジュゼッペが、ぽつりと呟く。

「……もしかすると、あやつの心はどこか壊れておるのやもしれぬの」




「例の『タツミ』が気になるのも分かりますが、それよりも他にも気にかけるべきことがあるでしょう?」

 部屋の中に響いたのは、ジュゼッペでもなければ三兄弟でもない、五人目の人物の声。

 それはジュゼッペの隣に腰を降ろした、落ち着いた印象の老婦人。その老婦人は困ったような表情を浮かべつつ、その頬に手を当ててゆるゆると頭を振っている。

「マリナシルカよ。それはどういう意味じゃな?」

 ジュゼッペは隣にいる老婦人──妻であるマリナシルカ・クレソプレーズに問いかける。

「まったく、これだから男連中は……いいですか、あなた。それに愚息たち。あなたたちは全然気づいていなかったようだけど、今日の夕食の時のカルセ、少しおかしかったでしょう?」

 妻であり母親でもあるマリナシリカの言葉に、ジュゼッペを始めとした男連中は互いに顔を見合わせる。

 そんな男連中を見て、マリナシリカはやれやれとばかりに再び首を振った。

「今日の夕食の時、カルセは肉料理を好んで食べていたわ。でもあの子、肉料理はあまり好きじゃなかったはずよ」

 ジュゼッペとその家族たち、そして客人であるエルやモルガーナイク、そしてもう一人のタツミを加えた、本日の夕食。その席でのカルセの様子を思い出しながら、レイルークが口を開く。

「あー、お袋。確かにカルセは肉よりも野菜や果物の方が好物だったけど、それってタツミの……俺たちの(おと)(うと)の影響なんじゃないか?」

「そうだな。今のタツミの年頃と言えば、一番肉を食いたい年頃だ。カルセのことだから、タツミの好みの料理を多く作るだろう。となると、一緒のものを食べている内に、カルセの好みも変わったのではないか?」

 二十歳前の男性ともなれば、本当によく肉を食う。もちろん人によって好みはあるだろうが、辰巳もまた肉料理を好んでいた。妻であるカルセドニアが夫である辰巳の嗜好に合わせて、肉料理を作る機会も多かっただろう。

 そうしている内に、カルセドニアの嗜好が変化したとしても、それほど不思議なことではあるまい。

 だが、マリナシルカの考えはそうではなかったようだ。

「確かにレイルークやタウロードの言うことも分かります。ですが、私はそうは思っていませんよ」

「では、お主はどう思っておると言うんじゃ?」

「それはもちろん────」

 にっこりと笑いながら続けられたマリナシルカの言葉に、ジュゼッペと三人の息子たちは大きく目を見開くのだった。




 お茶を淹れるといってマリナシリカが場を外した後、レイルークがふと思いついたように口を開いた。

「なあ、親父。あいつがこの家にいる間に、何とか寝首を掻けないか? 騎士であるタウロード兄貴はあまりいい気はしないだろうが、俺は可能であれば仕掛ける価値はあると思うけど?」

 今回の騒動の元凶である「もう一人のタツミ」は、現在同じ屋根の下で暮らしているのだ。寝込みを襲う隙はあるだろうとレイルークは考えていた。

 だが、彼の言葉にジュゼッペは首を横に振る。

「止めておいた方が得策じゃろうな。あいつのことじゃ、間違いなく常に〈魔〉を周囲に待機させておるじゃろう。もしかすると、この部屋の中にも〈魔〉は潜んでおるやもしれん」

 タツミは〈魔〉を操る魔法使い──〈冥〉の魔法使いである。タツミにとっては敵地にも等しいこの屋敷の中で、何の対策も立てずにただ寝ているとは思えない。

 まず間違いなく、〈使い魔〉を見張りにしているだろう。

「今はあやつを下手に刺激しない方がいいじゃろう。その間に……こちらはこちらで準備を進める。お主たちには、カルセの警護をしつつ動いてもらうぞ」

「了解した。ところで親父。親父はさっきのお袋の話、どう思う?」

「さてのぉ。正直、儂はそういうことにはとんと疎いからの。ここはひとつ、専門家に話を通して任せてみるとするわい。カルセの方には儂から話しておこうかの」

 そう告げたジュゼッペは、嬉しそうに目を細めつつ白くて長いその髭を何度も扱いた。



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