空中戦
レバンティスの街。言わずと知れたラルゴフィーリ王国の王都である。
その王都に聳え建つ、サヴァイヴ神殿──の遥か上空。そこで今まさに、激しい戦いが行われていることに気づいている住人はほとんどいなかった。
戦場が街の遥か上空であること。そして、その戦いが極めて高速で行われていることがその理由である。
観客のほとんどいない舞台の上で、二人の役者が激しくぶつかり合う。
時に息遣いを感じられるほどに近づき、時に声も届かぬほど離れて。
互いに身体から黄金の魔力の光を放ちながら、異世界からやってきた二人の〈天〉の魔法使いが、曇天を舞台に激しく火花を散らし合っていた。
ジュゼッペの執務室の窓から飛び出したタツミは、上昇を続けながら自分を追いかけてくる辰巳に向けて、左の掌を翳した。
「ほらよ! まずは挨拶代わりだ!」
タツミの掌に魔力が集まる。その魔力は赤黒い輝きを放ちながら、徐々に球体を形作っていく。
そして放たれる魔力の塊。タツミが放った赤黒い魔力弾は、真っ直ぐに後方の辰巳へと襲いかかる。
自分へと高速で迫る魔力弾に、辰巳の目が僅かに見開かれた。どうやらもう一人のタツミには、自分にはない魔法による遠隔攻撃があるようだ。
迫る赤黒い魔力弾──その色こそが〈冥〉の魔力光なのだろう──を、辰巳は刀身を黄金に輝かせた飛竜剣で斬り裂く。例え実体を持たない魔力の塊であっても、空間そのものを斬り裂く《裂空》に斬れないものはない。
「へえ、やるじゃん。でも、まだまだ終わりじゃないぜ?」
にやりと口元を吊り上げたタツミは、続けて魔力弾を放つ。二つ、三つ、四つと次々にタツミの掌から放たれる魔力弾は、それぞれ別の軌道を描きながら辰巳へと襲いかかる。
自分に降り注ぐ魔力弾の雨。その雨を辰巳は《瞬間転移》で一斉に回避、タツミの上空へと現れてその頭を押さえる。
そして、一気にタツミへと肉薄した辰巳は飛竜剣を一閃。だが、一文字に振られた飛竜剣は、いつの間にかタツミの右手に現れた直剣に受け止められてしまう。
「……剣……?」
それまで無手だったタツミが突然剣を手にしたことで、辰巳の中に僅かな動揺が走る。
おそらく、タツミは転移でどこからか剣を取り寄せたのだろう。触れたものしか転移できない辰巳とは違って、タツミの《瞬間転移》にはその制限がないようだ。
もちろん、全く制限なく何でも転移で取り寄せることができるわけではないだろう。だが、タツミの転移の能力がどこまで及んでいるのか、今の辰巳には判断できない。
先程の魔力弾といい今の転移といい、少なくとも「魔法使い」としての実力は、辰巳よりもタツミの方が優れていると見て間違いなさそうだ。
だが、辰巳が動揺したのはほんの僅か。飛竜剣を受け止められた瞬間、辰巳の身体は半ば無意識にタツミの腹部に蹴りを叩き込んでいた。
「うお……っ!?」
蹴りが直撃する瞬間、タツミが僅かに身体を後退させたため、辰巳の蹴りの威力は半減した。しかし、それでもノーダメージというわけではない。
タツミは苦しげな表情を浮かべ、蹴りの命中した腹部を押さえながらふらふらと後退していく。
そんなタツミを、辰巳は追撃する。もしかして自分を誘うための演技か? と警戒しつつも、タツミに近づいて再び剣を一閃させる。
その辰巳の追撃を、タツミは辛うじて剣で再び受ける。だが、その動きはどこかぎこちなく、辰巳はタツミの動きに違和感を覚えた。
「ちっ!!」
飛竜剣を受け止めたタツミは、舌打ちをすると転移を発動。そして、辰巳の剣の間合いから大きく離脱する。
しかし、それで辰巳の追撃が終わったわけではない。タツミに魔力弾による遠隔攻撃があるように、辰巳にも遠隔攻撃の手段はあるのだ。
辰巳の右手から、しゃらんという澄んだ音が雲に覆われた空に響く。
右手に装備した『アマリリス』から解き放たれた朱金の細鎖が、蛇のように空でのたうつ。そして、朱金の蛇の頭──鎖の先端の錘が虚空に潜り込むように姿を消した。
次の瞬間、朱金の鎖はタツミを横合いから急襲する。さながら蛇が顎を広げながら獲物を襲うようなこの奇襲を、タツミは再び《瞬間転移》で回避して辰巳から大きく距離を取った。
「……厄介だな、その鎖……」
タツミは赤く輝くその目を細めながら、辰巳の周囲を漂うように展開する『アマリリス』の鎖を注視した。
どんよりと曇った空を、カルセドニアとジュゼッペは無言で見上げていた。
《加速》や《瞬間転移》を用いて行われている辰巳とタツミの空中戦は、とてもではないが人の目で追いきれるものではない。
だが、曇天を背景に時折飛び散る火花や魔力光は確かに見える。そしてそれらの輝きが迸る度、カルセドニアは思わず目を閉じてしまう。
時折赤黒い魔力光や硬質な物同士がぶつかる火花も見えるものの、カルセドニアたちの目に映るのは黄金の魔力光が一番多い。
〈天〉の魔力光がよく見えるのは、辰巳とタツミが空を《飛翔》や《加速》、そして《瞬間転移》で駆け巡っているからだ。《飛翔》も《加速》も《瞬間転移》も〈天〉の魔法なので、自然と黄金の魔力光が最も目立つことになる。
遥か上空で黄金の魔力光が輝く度に、カルセドニアの心を大きな不安が支配する。
ジュゼッペの執務室の窓から辰巳たちが戦っている空は遠すぎて、どちらが優勢なのかまるで分からない。しかも、辰巳もタツミも同じ魔力光を放っているので、見える魔力光がどちらのものかも判断がつかない。
先程迸った黄金の輝きが原因で、辰巳が大怪我を負ったかもしれない。それとも、今まさに致命傷を受けようとしているのかもしれない。
そんな嫌な考えばかりが、どうしても彼女の心を支配する。
これまで辰巳が戦場に立つ時、カルセドニアは常にその傍で彼と一緒に戦場にいた。そして、すぐ近くから愛する夫が戦う姿を見守り、一緒に戦ってきたのだ。
だが、今日だけはこうして遠く離れた場所から見つめることしかできない。辰巳の窮地に手を差し伸べることもできない。
その事実が、カルセドニアの心にどうしようもない不安を生み出してしまう。
今もまた、上空で炸裂した黄金の輝きを見て、カルセドニアは思わず肩を竦ませる。
そんなカルセドニアの肩に、大きくて温かい掌がぽんと置かれた。
「……お祖父様……」
「お主の不安な気持ちも分かるが、今はあやつを……お主の夫を信じてやれ」
「で、ですが……っ!!」
カルセドニアだって辰巳のことは信じている。例えもう一人のタツミが何を言おうが、かつての自分を育ててくれたのは辰巳だと信じている。そして、この世界で再会し、そして今日まで一緒に肩を寄せ合って暮らしてきた辰巳を心から愛しく思っている。
実際、これまでに飛竜や鎧竜といった強敵を倒してきた辰巳の実力は、もはや疑う余地はない。
神官戦士、魔祓い師、魔獣狩り、そして〈天〉の魔法使い。それらいくつもの側面を合わせた時の辰巳の実力は、既にラルゴフィーリ王国の中でも十分に上位に数えられるだろう。
特に〈天〉の魔法使いとしての辰巳は、《瞬間転移》や《裂空》など彼にしかない強力な手札を駆使して、強大な敵を倒してきたのだ。
だが、今回ばかりは状況が違う。なんせ相手にも辰巳と同じ手札があるのだから。
つまり、これまでは辰巳だけが持っていた強力な優位性が、今回ばかりはないのだ。その事実が、カルセドニアの心に大きな影を落としていた。
不安に表情を曇らせる孫娘を見て、ジュゼッペの心にも暗いものが宿る。
彼とても辰巳のことは信じている。だがカルセドニアと同じく、今回ばかりはいつもと同じではないことも理解している。
そして、今のジュゼッペが考えているのは最悪の場合のこと。つまり、辰巳がもう一人のタツミに負けた時のことだ。
辰巳の勝利を確信できない以上、最悪の場合に備えるのは当然のこと。
仮に辰巳が負けたとして、もう一人のタツミの言葉通りにカルセドニアを差し出すわけにはいかない。かといって、レバンティスの街に大きな被害を出すわけにもいかない。
最悪の場合、最も必要なもの何なのか。そして、それを為すための手段は。
曇天を背景に何度も交差する魔力光を見つめながら、ジュゼッペは必死にその頭脳を回転させた。
間違いない。
大きく距離を取ったもう一人の自分を見つめながら、辰巳は確信した。
もう一人の自分──タツミは、確かに「魔法使い」としては自分よりも格段に優れている。だが、「戦士」としては自分の方が技量は上のようだ。
もう一人のタツミもそれなりに剣も扱えるようだが、その技量は決して高くはない。こちらの世界に召喚されてから今日まで、神官戦士として、そして魔獣狩りとして鍛錬を続けてきた辰巳ほどの技量は持っていない。
となれば、接近戦を主体に戦術を組み立てるべきだろうが、相手も辰巳と同じ《瞬間転移》の使い手だ。例え剣の間合いに捉えたとしても、転移で容易に逃げられてしまうだろう。
相手を逃がすことなく剣の間合いに捉え続ければ、おのずと勝利は見えてくる。
それからもう一つ。こちらは確信にまでは至っていないが、辰巳にとっては勝利を呼び込む大きな要素となりそうなことにも気づいていた。
それは、タツミは外素使いではないらしいこと。
確かにタツミは辰巳よりも優れた魔法使いである。しかし、その身体を覆う魔力光が、徐々に弱まっているように辰巳には感じられるのだ。
もしもタツミが辰巳と同じ外素使いであれば、魔力光が弱まるようなことはないだろう。だが僅かとはいえ魔力光が弱まっている事実は、タツミが外素使いではないとしか考えられない。
もしかすると、辰巳にそう勘違いさせるための誤誘導なのかもしれないが、もしもタツミが事実外素使いでないならば、それは辰巳にとって勝機へと繋がる大きな道標となるだろう。
同一存在ではあるが、同一人物ではない。先程のタツミの言葉を、辰巳は改めて思い出す。
辰巳とタツミは、何もかもが同一ではないのだ。そしてその差こそが、勝利を分ける大きな要因になるのは間違いない。
ちらちらと見え隠れする勝利へと至る道を見極めながら、辰巳は勝利を確実に呼び込むための戦術を必死に考えていた。