もう一人のタツミ
「オレの名前はタツミ……山形タツミだ」
突如現れた、辰巳によく似た容貌の人物。その人物は自分の名前を名乗りながら、無遠慮にジュゼッペの執務室を横断し、どかりと長椅子に腰を落とした。
そして横柄な態度で足を組むと、くいっと口角を吊り上げながら言葉を続ける。
「そして、チーコの……オカメインコだったチーコの本当の飼い主さ」
「チーコの……本当の元飼い主……?」
「そうさ、《天翔》サマ。チーコの本当の飼い主だったのはおまえじゃなく、このオレさ」
「そ、そんなはずはないっ!! 俺はこの手で雛だった頃からチーコを育てたんだっ!!」
突然現れたもう一人のタツミの言葉に、思わず辰巳は言い返す。
幼い頃に両親が買ってくれたオカメインコの雛。その雛に「チーコ」という名前を与え、毎日差し餌をしつつ愛情込めて育てた記憶が間違いなはずがない。
そしてその記憶と思い出こそが、彼とカルセドニアを繋ぐ全ての土台なのだから。
自分の根幹に関わる部分を否定されて激昂する辰巳を、もう一人のタツミは冷めた目でじっと見据える。
「ああ、おまえのその記憶も間違いじゃない。ただ、おまえが育てたチーコとそこにいる転生したチーコが同一存在じゃないってだけさ」
「……ど、同一……存在……?」
「おまえは『並行世界』って言葉を聞いたことはないか?」
長椅子に足を組んで座った姿勢のまま、タツミは辰巳に問いかけた。
「並行世界」という言葉自体は、もちろん辰巳にも聞き覚えはある。SFの小説やコミックなどで、昔から用いられる題材の一つであり、辰巳自身もかつてはそれらに目を通した経験がある。
そして、その言葉で目の前の自分そっくりな人物が、どのような存在なのかを悟る。
「お、おまえは……並行世界の……俺……?」
「そういうこった。こうしてオレたちの目の前には異世界があるんだぜ? なら、並行世界があっても不思議じゃあるまい?」
タツミは長椅子に座ったまま、どこか芝居がかった仕草で両腕を広げつつ周囲を見回した。
「異世界」と「並行世界」を同一視してもいいのか疑問に感じなくもないが、タツミの言いたいことは辰巳にも理解できる。
それに、並行世界に関しては以前にもちらりと考えたことがある。それは初めて〔エルフの憩い亭〕でエルと出会った時のことだ。
自分の日本に関する記憶と、彼女のそれとは時間的なずれも含めて若干の相違点があった。そのことをエルは「私のいた日本とタツミさんのいた日本は『よく似た別の世界の日本』って可能性もありますし」と指摘していた。
もしも、エルの言うように彼女と辰巳が暮らしていた日本が「よく似た別の日本」であれば、もう一人の自分が存在していても不思議ではない。
目の前の人物がどのような存在なのかを理解した辰巳は、再び唖然とした表情を浮かべて不敵に微笑むもう一人の自分を凝視する。
そんな辰巳に対し、タツミは相変わらず冷めた目を向けたまま言葉を続けた。
「理解してもらえたかな、《天翔》サマ? おまえがチーコの本当の飼い主じゃなかったってことが」
「むぅ……お主らの会話の内容は、いまひとつよく分からんのぉ」
呆然とした表情と冷めた表情で互いを見合う辰巳とタツミに、横合いからそう声をかけたのはもちろんジュゼッペだ。
「難しいことは理解できんが、要するにお主はもう一人の婿殿ということかの?」
「正確に言えば、同一存在ではあるが同一人物ってわけじゃないぜ? オレとこいつとでは、基本的には同じであるもののいろいろと違う点もあるしな。例えば……こいつとか?」
そう言いながら、タツミは中空へと手を伸ばす。途端、上にした掌に何かが凝り始めるのを辰巳の目には確かに映る。
やがてタツミの掌の上で、それははっきりとした姿を得る。それを見た辰巳は、驚愕に目を見開いた。
「……〈魔〉……?」
タツミの掌の上に現れたのは、リンゴほどの大きさの頭部とそれに不釣り合いな細くて小さな身体を持つ存在──つまり〈魔〉であった。
「そっちの爺さんやチーコには見えていないようだが、やっぱりおまえにはコレが見えるんだな」
掌の上に〈魔〉を出現させたまま、タツミはにやりと笑う。
「鎧竜やあのガルドーとかいう馬鹿に憑かせた〈魔〉……オレの〈使い魔〉越しに見ていて思ったんだよ。どうやら、おまえはコレが見えているようだとな」
掌の〈魔〉をまるでお手玉のように両手の間で放り投げながら、タツミはこれまで感じていた疑問に答えを見出していた。
鎧竜やガルドーの身体から離れた〈魔〉を、辰巳はどちらもあっさりと倒している。本来姿の見えない〈魔〉を正確に斬り裂いた辰巳を〈使い魔〉の視界を通して見ていたタツミは、彼が〈魔〉を認識できると予測していたのだ。
そして、今しがた召喚した〈魔〉を見て目を見開く辰巳に、タツミは自分の予測が正しかったことを確信する。
タツミが得心顔で頷く一方、辰巳は今日何度目になるかもしれない驚きを感じていた。
「そ、それじゃあ……おまえがガルドーや鎧竜を……」
戦いの終盤、突然現れた〈魔〉に憑かれた鎧竜。そして、〈魔〉に憑かれて多くの人間を殺害して逃亡したガルドー。タツミが《瞬間転移》を使った時から疑っていたことが、辰巳の目の前で真実となった。
「……おまえが糸を引いていたのか……?」
「そうとも。オレがいわゆる黒幕ってヤツだな」
悪びれる風もなく、それどころか得意げにさえするタツミ。
「言っただろ? オレとおまえは同一存在ではあるものの、同一人物ではないって。オレにはおまえと同じ〈天〉の魔力系統の他に、もう一つの系統がある。それが〈魔〉を召喚し、自在に操る系統……そうだな、〈天〉に対して〈冥〉とでも名付けようか」
タツミによって命名された魔法系統、〈冥〉。それはタツミの言うように〈魔〉を召喚し自在に操る魔法である。更には〈魔〉を他の生物に憑かせることで、その生物をある程度操ることも可能である。
「〈魔〉を操る系統……〈冥〉……?」
「そ、そのような魔力の系統があるなど……これまで聞いたこともないわい……」
「そ、そんな……ご主人様が……ほ、本当のご主人様じゃ……ない……?」
辰巳と同様に、ジュゼッペとカルセドニアもまた顔色が冴えない。ジュゼッペは〈魔〉を自在に操るという〈冥〉の魔力系統の存在に驚愕したためだが、カルセドニアにとっては、自分の根幹を揺るがすような大きな衝撃を受けていた。
辰巳が前世の自分の飼い主だったこと。それはカルセドニアがカルセドニアたる最も根幹な部分なのだ。その事実に揺らぎが生じ、カルセドニアは大いに驚愕し、戸惑い、混乱していたのだ。
そんな顔色の冴えないカルセドニアに、タツミは優しく微笑みかける。
「驚かせてごめんな、チーコ。これまで自分の飼い主だったと思っていた奴が、実は別人だったなんて驚くなという方が無理だよな? でも、安心してくれ。これからはオレが……本当の飼い主だったオレが、チーコの家族としてずっと一緒にいるからな」
タツミは長椅子から立ち上がると、「さあ、オレの胸に飛び込んでおいで」と言わんばかりに、カルセドニアに向けて両腕を広げてみせた。
しかし、カルセドニアがタツミの胸に飛び込むことはなかった。
相変わらず顔色は悪く、驚愕と戸惑いを感じているものの、言われたことをすんなりと信じるほどカルセドニアは暗愚ではない。
大きく息を吸い、そして吐き出す。なんとか強引に心を落ち着けたカルセドニアは、顔色は悪いもののきっとした視線をタツミへと向ける。
「あ、あなたが私のご主人様……かつての飼い主のはずがないわっ!! 誰が何と言おうとも、私のご主人様は……」
そう言いつつ、カルセドニアは辰巳の傍へと移動する。だが、タツミが《瞬間移動》で辰巳とカルセドニアの間に割り込む。
「いいや、オレこそがチーコの本当のご主人様さ」
「違うっ!! 私の……私のご主人様は……」
カルセドニアの真紅の瞳が辰巳へと向けられる。辰巳の黒い双眸もまた、カルセドニアへと向けられていた。
視線の橋を支える愛情という名前の土台は、まだ確かに二人の間に存在している。
その事実が、タツミの心をささくれ立たせていく。
「ち……、やっぱりおまえが邪魔なんだな」
タツミは苛立たしく辰巳を見る。そして、その視線をジュゼッペへと移動させた。
「おい、爺さん。さっきのオレの言葉……覚えているか?」
「お主の言葉のぉ……もしかして、『できることなら他にもある』という奴か?」
ジュゼッペのその応えに、タツミは満足そうににやりと笑う。
「もう爺さんも気づいているだろ? 今、この街の周囲を包囲している軍竜……ありゃ、オレが支配している」
「やはり、あの軍竜たちもお主の仕業か……」
軍竜たちが街に攻撃を仕掛けないのは、攻撃するなという指示を受けているから。それがタツミの言いたいことであり、真実でもあった。
「オレの条件を飲んでもらえるなら、すぐにでも軍竜は撤退させるが……どうする?」
「条件次第じゃなぁ」
白くて長い髭を扱きながら、ジュゼッペはとぼけたように言う。実際、タツミの条件が何なのか、ジュゼッペにはある程度予測がついている。だが、その条件を一方的に飲むことはできない。
サヴァイヴ神の最高司祭として。そして、カルセドニアの養父としても。
「ふん、この爺さん、かなりの狸だなぁ。とっくにオレの条件など気づいているだろうに……ま、いいか。どうせオレの条件を飲まないわけにはいかないだろうし?」
タツミは呆れたように肩を竦めると、真剣な表情になって改めてジュゼッペと対峙する。
「オレの条件は二つ。もう一人のオレ……《天翔》をこの国から追放すること。そして……」
言葉を一旦途切らせたタツミは、再びカルセドニアへと目を向ける。彼女を見るタツミの視線には、カルセドニアに対する大きな愛しみがある。
「……オレとチーコがかつてのように一緒に……家族として暮らすこと。それがオレの条件だ」
「ふざけるなっ!! そんな条件が飲めるかっ!!」
タツミの出した条件に激昂したのは、もちろん辰巳である。
ジュゼッペは黙したまま、じっとタツミを見つめている。
公人として──サヴァイヴ教団の最高司祭としては、タツミの出した条件は破格にいい条件と言えるだろう。
カルセドニアをタツミに差し出すことで、レバンティスの街の住民の安全が得られるのであれば、それは決して悪い条件ではない。
カルセドニア一人とレバンティスに暮らす全ての住民の命。どちらを重視すべきかは言うまでもない。
だが、それはあくまでも公人として判断するならば、だ。
私人として──カルセドニアの養父としては、到底飲めない条件である。幸せに暮らしている辰巳とカルセドニアを引き裂くことなど、ジュゼッペにできるはずがない。
公人と私人。その間でジュゼッペは思い悩んでいた。
そんな養父の悩みは、カルセドニアにも伝わっている。そして、最終的にジュゼッペがどちらの立場を優先するのかも、カルセドニアには悲しいほどに理解できる。理解できてしまう。
だから今、彼女はその場に倒れ込みそうになるぐらい不安な気持ちを押し込め、必死に立ち続ける。
そして、悲痛な思いのカルセドニアを支えるような声が、ジュゼッペの執務室の中に響き渡る。
「そうはさせない! カルセは……チーコは俺の妻だ! おまえが軍竜を支配しているというのなら、おまえを倒せば軍竜はその支配から解放されるわけだろうっ!!」
「その通りさ。俺が死ねば、軍竜は俺の支配下から解放され、おそらくは巣に戻るだろうな」
例え〈魔〉が憑いていようとも、野生の魔獣の本能には勝てない。軍竜にとって最も重要なのは、スズメバチと同様に巣である。そのため、軍竜が巣から長時間離れることはあり得ないのだ。
「ならば……俺がおまえを倒す……っ!!」
「《天翔》サマにオレを倒せるってか? おもしろいじゃねえか!」
辰巳は腰から飛竜剣を抜き放ち、タツミは身体を半身にして身構える。
「《天翔》サマもこんな狭っくるしい所でやり合うのは嫌だろ? だったらオレたちに相応しい場所でやり合わないか?」
タツミは不敵な笑みを浮かべて、窓の外を指差す。そこに広がるのは、どんよりとした雲に覆われた灰色の空。
「青空じゃないのはちょっと気に入らないが、空ほどオレとおまえに相応しい舞台はあるまいよ。そこでおまえに引導を渡してやろう」
ふわり、とタツミの身体が宙に浮く。そして、そのまま滑るように窓から外へと飛び出していく。
その後を追い、辰巳もまた灰色の空へと舞い上がる。
「……ご主人様……」
二人が飛び出した窓に駆け寄り、そこから空を見上げるカルセドニア。空では既に二人が刃を交えており、時折灰色の空に火花を散らせていた。
「サヴァイヴ神よ……私のご主人様にご加護を……」
空を見上げながら両手を組み合わせたカルセドニアには、自身が信仰する神に夫の無事を祈ることしかできなかった。