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暗躍する影

 毎日、毎日、薄暗い穴蔵の中で坑道を掘る。それが彼の唯一すべきことだった。

 労働奴隷としてこの鉱山に放り込まれて、もう何日が経っただろう。気温の変化に乏しい坑道の中にいると、今の季節さえ分からなくなってくる。

 薄汚れた身体からすえた臭いを放ちながら、彼は毎日ただただ坑道を掘り続ける。不味くて質素な食事だが、腹一杯食べさせてもらえるのが唯一の救いだろうか。

 坑道の一部にいくつも設けられた、小さな小部屋。一日の労働を終えた奴隷たちは、その小部屋に数人ごとに押し込められ、思い思いに身体を横たえて睡眠を取っていた。

 奴隷たちは皆、虚ろな目をしながら毎日淡々と坑道を掘り進める。そうするしか、彼らに生きる手段はないのだ。

 そんな奴隷たちの姿を見て、彼は何度ここから逃げ出そうと思ったことだろうか。だが、彼の両手両足には鉄製の枷が付けられている。坑道を掘るだけの余裕しかない鉄枷を付けた状態では、例え逃げ出してもすぐさま捕まるだけだろう。

 そして、捕まればどのような仕打ちを受けるか分かったものではない。逃げ出した奴隷の末路など、悲惨なものしかないのは明白だ。

 坑道のどこかで燃える獣脂の臭いと、奴隷たちから漂う体臭が満ちる小部屋の中、彼は眠ることもなく膝を抱えながら考える。それは彼がここに放り込まれてから、毎日考えていることだった。

 どうして、こんなことになってしまったのだろう。どうして、自分はここにいるのだろう。

 本来であれば、辺境の小さな村とはいえ、一つの村の頂点に座すことが約束されていたというのに。

 どこで、彼の人生は狂ってしまったのだろうか。

「…………あいつだ…………」

 人生の分岐点を考えていた彼の脳裏に、一人の人物が浮かび上がる。

 全身黒一色の地味な鎧を着た一人の男。あの男が彼の前に現れてから、彼の人生は狂ってしまった。

「……そうだ……全部……あいつのせいだ」

 あの男のせいで、手に入るはずだった女奴隷が手に入らなかった。あの男のせいで、貴族の後ろ盾を失ってしまった。あの男のせいで、将来の村長という地位を奪われた。

 全部、あの男のせいだ。

「……あいつさえ現れなければ……今頃はあの女を俺の奴隷にして……」

 手に入れ損ねた女を思い出しながら、彼は胸の内に暗い炎を燃え上がらせる。

「あいつさえ……現れなければ……」

 過ぎてしまった過去を顧みながら、彼は誰に聞かせるでもなく呟く。

「へえ、だったら今からでも消しちまえばいいんじゃね?」

 だから、その呟きに答えが帰ってきた時、彼は飛び上がらんばかりに驚いた。

「だ、誰だ……」

 彼の目の前にいたのは、奇妙な風体の人物だった。見たこともない奇妙な丈の短い灰色の外套を着込み、その外套に付いている頭を覆う布をすっぽりと被っている。そのため、その人物がどのような顔つきなのかは判断できない。

 それでも、それほど背丈は高くないのは分かる。おそらく目の前の人物の身長は、立ち上がった彼の肩ほどまでしかないだろう。

「オレが誰かなんて関係ないだろ? 要はその男の存在を消したいかどうかという、おまえの気持ちに偽りがないか、だ」

 一体どこからこの小部屋に入ったのだろう。この小部屋は鉱山の奥の入り組んだ場所にある。この鉱山の関係者でなければ、そう易々とは入り込めないなずなのに。

 そんなことを考えながら、彼は目の前で佇むその人物を見上げる。

 外套のポケットに両手を入れ、静かに佇むその人物。その風貌は見えないが、布の奥からじっと自分を見つめていることが彼にははっきりと分かった。

「もしも、その思いが本当なら……オレが力をくれてやるぜ?」

「……力……だと?」

「そう、力さ。おまえが消したいと思う男を本当に消す力……その男を殺せる力を……な?」

 そう言いながら、その人物は灰色の外套のポケットから右手を引き抜き、彼の前へと差し出した。

 彼はごくりと唾を飲み込みながら、目の前に突きつけられた手を見つめる。もしも目の前の人物の言うことが本当なら。あの憎い黒尽くめの男を殺す力が得られるのなら。

 例え相手が〈魔〉であろうとも、差し伸べられた手を取ることに彼は躊躇いはない。

「欲しい……あの黒尽くめを消す力が……あいつを殺す力が……俺は……欲しい……っ!!」

「いいだろう。力をやろう。その代わり、絶対にあいつを殺してくれよ?」

 目の前に差し伸べられた手を、彼はしっかりと握り締めた。

 この時、彼は気づいていなかった。

 その人物の掌の上に蟠る「ソレ」の存在を、彼は見ることができなかったのだ。

 彼が認識できたのは、頭覆いの奥できらりと輝く二つの赤い光だけだった




「ここが王都……」

 オークが牽く猪車の荷台の上から、その少女は周囲に立ち並ぶ建物を見つめた。

 赤い煉瓦のような石材を用いて、しっかりと組み上げられた家々。それは、その人物の故郷の村では見られないものだ。

 石畳で舗装された広い通りには、たくさんの人たちが行き交っており、時折猪車や馬車なども走っていく。

 通りの両側には、露天商たちが所狭しと店を開いており、通りすぎる人たちを呼び込む元気な声が少女の鼓膜を打つ。

「そうか、君はレバンティスは初めてだったね」

「はい……」

 少女の隣で猪車の手綱を操っている者が、微笑みながら視線を向けた。

「……ここに……この街に、姉さんたちがいるんだ……」

 視線をぐるりと巡らせ、少女は王都の景色をその瞳に焼き付ける。

「さて……私は父……じゃない、代官様を訪ねなければならない。その間、君はお姉さんの家に行くのだろう?」

「はい、そのつもりです」

「お姉さんの家の場所は分かっているのか?」

「以前、姉から大体の場所は聞きました。後は近くの人たちに聞いてみればすぐに分かるそうです」

「そうか。では、また後で会おう。私も君のお姉さんたちに、改めて挨拶しないといけないからね」

「あ……は、はい……そうですね……」

 手綱を握る人物──二十歳前後の男性──から言われて、頬を赤らめてぎくしゃくと視線を男性から逸らせた。

 そんな少女を、男性は暖かな微笑みで見つめている。

 やがて男性が猪車を停めると、少女がそこから飛び降りる。そして少女は御者台の男性にどこかぎこちなく手を振ると、王都の目抜き通りを横切る通路へと入っていく。

 通路に入って周囲をきょろきょろと見回した少女は、買い物の途中と覚しき中年の女性を見つけると、笑顔を浮かべてその女性に声をかけた。

「済みません。ちょっと道を尋ねたいのですが……この辺りにカルセドニア・ヤマガタの家があると聞いたのですが、ご存知ありませんか?」




 玄関の扉を誰かが叩いている。

「あら? 誰か来たのかしら?」

 今日は家に一人でいたカルセドニアは、予定のない来客に少しだけ首を傾げた。

 今頃、彼女の夫である辰巳は、神殿で勤めの真っ最中だろう。

 最近はジュゼッペの意向で、神官戦士だけではなく神官としての仕事も手がけるようになり、ジュセッペの仕事の手伝いなどもするようになったのだ。しかも、先日は信者の前で説法をする機会まであった。

 ちなみに、その説法には実に多くの信者たちが詰めかけた。やはり、王都を飛竜から救った《天翔》の名は伊達ではない。

 中には《天翔》から直に話が聞けるという理由で、サヴァイヴ神の信者ではない年若い傭兵や魔獣狩りたちまで押しかけていたほどだ。

 今頃ご主人様は何をしているのかしら? と、思考の大半を愛する夫に割きつつも、来客を出迎えるために玄関へと向かう。

 仮に、この来客が強盗などの類ならば、この家の守護者たるブラウニーが何らかの反応を見せるはずだ。そのブラウニーが何も行動しないのだから、害のない来客なのは間違いないだろう。

 ブラウニーの判断を信用して、カルセドニアは躊躇いなく扉を開ける。そして、その向こうに立っていた人物を見て、その真紅の双眸を大きく見開いた。

「え? え? り、リィナ……?」

「えへへ、来ちゃった。久しぶり、姉さん」

 そう言って微笑みながら手を振っていたのは、カルセドニアの妹のリリナリアに間違いなかった。




 神殿での務めを終えた辰巳は、自宅へと帰ってきた。

 今日も一日忙しかった。神官戦士とのしての鍛錬と、ジュゼッペによる各種の講義。そしてまだ僅かとはいえ、慣れないジュゼッペの手伝いもこなして、若い辰巳もかなり疲労していた。

「ただいまー」

 どこか気の抜けた声で帰宅を告げれば、家の奥からぱたぱたと足音が聞こえてきた。

「お帰りなさい」

 と元気な声で迎えられ、疲れた辰巳の心と身体に僅かに力が戻る。それでも、疲れきった辰巳は注意力が散漫になっていた。

 そのため、近づいてきたその人物を、特に深く考えずに「いつものように」抱き締めてしまう。

「きゃ……」

「……あれ?」

 耳元で聞こえる小さな悲鳴と、抱き締めた両腕に感じる違和感が、疲れた辰巳の心を覚醒させる。

「……何かいろいろと……小さい……?」

 そう、小さかった。辰巳が抱き締めている人物は、いつも抱き締めている人物と比べるといろいろと小さかったのだ。

 具体的には身長とか、身体の細さとか、胸の局地的戦闘力とかが。

 不思議に思って抱き締めた身体を解放し、辰巳は腕の中の人物をじっくりと見つめる。

「……あれ?」

 彼の腕の中にいたのは、いつも抱き締めている彼の妻ではなく、その妻の妹にあたる人物で。

「……カルセがリィナになった……?」

 腕の中で真っ赤になって自分を見上げている人物を見て、辰巳はぽつりと呟いた。




「ごめんっ!! ほんっとうにごめんっ!!」

 自分が抱き締めたのが妻ではなく、その妹だと気づいた辰巳は謝った。そりゃあもう、思いっ切り。

 居間のテーブルに手をつき、何度も何度も頭を下げる()()に、逆にリリナリアの方が困惑してしまう。

「い、いえ、気にしないでください、義兄さん」

 顔の前で両手をぱたぱたと振る(いも)(うと)を見て、辰巳は安堵の息を吐きながら頬を緩ませる。

「ありがとうな、リィナ」

「いえ、私はいいんですけど……」

 リリナリアがちらりと視線を横に移す。釣られて辰巳もそちらを向けば、そこにはぷくっと頬を膨らませるカルセドニアの姿が。

「…………旦那様に抱き締められるのは私だけの特権なのに……」

「……義兄さんに怒るんじゃなくて、私に嫉妬するんだ……」

「そこはカルセだからなぁ。そういうことだと飲み込んでもらうしか」

 今回の件で誰に一番非があるかと言えば、、間違いなくカルセドニアとリリナリアを間違えた辰巳だろう。それでもそんな辰巳に怒るのではなく、自分と間違えて抱き締められたリリナリアに嫉妬するあたりが、カルセドニアのカルセドニアたる所以だ。

「本当、姉さんと義兄さんは羨ましいぐらい仲がいいですね」

「まあね。なんせ俺たちは、ご近所では『仲良し夫婦』で有名なんだぜ」

「はいはい、ご馳走様です」

 実はご近所どころか王都中で有名なのだが、あえてそのことは口にしない辰巳である。

 血の繋がりはないとはいえ、兄と妹の他愛ないやり取り。辰巳とリリナリアは一瞬だけ互いに見つめ合い、そして大きな声で笑い合った。

「うぅ……ご主人様とリィナが仲良しすぎるぅ……」

 一方、そんな兄と妹を姉は悔しそうに見つめていたとか。


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