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 閑話 トラウマ

 それは、とある日のことだった。

 自宅でカルセドニアと共にゆっくりと過ごしていた辰巳の元に、〔エルフの憩い亭〕の従業員が尋ねてきた。

 〔エルフの憩い亭〕を頻繁に訪れる辰巳たちとその従業員とは、当然ながら以前より顔見知りである。その従業員が言うには、女将であるエルが辰巳とカルセドニアを呼んでいるらしい。

「エルさんがわざわざ俺たちを呼んでいるって……」

「おそらく、何かしらの依頼があるのではないでしょうか?」

 従業員が去った後、出かける準備をしながら辰巳とカルセドニアは顔を見合わせて首を傾げる。

「鎧はどうします?」

「とりあえず、着ていく必要はないだろ? もしもエルさんの用事が本当に依頼だったとしても、一度家に戻ればいいし」

 辰巳たちの家から〔エルフの憩い亭〕までは結構距離があるが、辰巳にはあまり関係ない。《瞬間転移》を連続で用いれば、僅かな時間で家まで戻ることができる。

「まずは〔エルフの憩い亭〕へ行って、エルさんから話を聞こう」

「はい」

 出かける準備を終えた二人は、いつものように仲良く寄り添いながら、レバンティスの街の中を歩き出した。




 〔エルフの憩い亭〕に到着した二人は、そのままエル直々に奥の部屋へと誘われた。

 辰巳とカルセドニアが部屋に入ると、中には既にジャドックとミルイルの姿が。この顔ぶれを揃えたということは、どうやら本当に何か依頼があるのだろう。

「タツミさん、カルセさん、わざわざ来てもらってありがとうございます。ジャドックさんもミルイルさんも、時間を取ってもらって感謝します」

 一通り挨拶の口上を述べ終えたエルは、早速本題を切り出した。

「え? 竜種……?」

 エルが口にしたその言葉を、辰巳は思わずぽかんとした表情で聞いた。いや、辰巳だけではなく、ジャドックやミルイルもやはり辰巳と同じような状態である。

 やはり「竜種」という言葉には、それだけのインパクトがあるのだ。

 唯一、この場の誰よりも魔獣狩りとしての経験を持つカルセドニアだけが、いつもと変わらない。

「はい。私の知人が暮らしている村でのことなのですが、最近その村の近くで竜種をよく見かけるそうなんですよ」

「それでその竜種を狩って欲しい、ってことなのね?」

「ジャドックさんの言う通りです。最近のウチの店の常連の中で、竜種とやり合えそうなのは皆さんだけでして」

 もちろん、〔エルフの憩い亭〕に出入りする魔獣狩りの中には、竜種とも互角に戦える魔獣狩りは複数存在する。

 しかし運の悪いことに、そのような腕の立つ魔獣狩りたちは皆出払っていたのだ。

 間もなく、長く厳しい宵闇の節──冬──がやってくる。その前の獲物の多い時期に、できるだけ稼ぎたいと誰もが考えているのだろう。そのため、ここ最近は〔エルフの憩い亭〕も普段よりも閑散としていた。

「竜種と言っても、この前タツミさんたちが倒した鎧竜よりもずっと小型で、もっと弱い種類なんです」

「何て竜種なんですか?」

「どうも、その村の付近で見かけられるのは(ちょう)(りゅう)みたいですね」

「跳竜……? ってことはもしかして……」

「ええ、おそらくタツミさんが想像した通り……跳竜はバッタです」




 跳竜。それは後脚が発達し、全長の何倍もの距離を跳躍できる竜種である。

 反面、羽や翅の類はなく、空を飛ぶようなことはない。しかし、その驚異的な跳躍力は決して侮れない。

 飛竜のように巨大でもなく、鎧竜のように硬くもないが、跳竜は極めて機動性に優れる難敵である。一回の跳躍で十メートル以上を余裕で跳ぶ跳竜をまともに捉えることは極めて難しいだろう。

 全長は二メートルから三メートル。体高は二メートル弱。その食性は肉食であり、村の付近に出没するとなると、いつ村の家畜が襲われるとも限らない。

 もちろん、跳竜にしてみれば人間も家畜も同じ「肉」であることに変わりはないだろう。




「……跳竜にはこれといった特殊能力はありません。確かにとてもすばしっこい相手ですが、鎧竜よりは弱い竜種と言えますね」

「そうか……カルセはこれまでに跳竜を狩ったことは?」

「モルガーと組んでいた時に、何回かありますよ」

 にっこりと微笑みながら、カルセドニアは辰巳の問いに答える。

 現在、辰巳はカルセドニアに手伝ってもらいながら、飛竜の鎧を着ているところだ。

 ジャドックやミルイルとも相談し、エルの依頼を受けることにした辰巳は、カルセドニアと共に自宅へと戻ってきていた。

 エルやジャドックらと相談した結果、すぐにでも出発した方がいいということになったのだ。

 まだ直接的な被害は出ていないものの、肉食の竜種が村落の付近に出没するとなると、少しでも早く対処した方がいいだろう。

「でも、どれだけ跳竜がすばしっこいと言っても、私の範囲型の攻撃魔法や旦那様の《瞬間転移》なら容易に捉えることができると思います」

「そうか……実際に戦ったことがあるカルセがそう言うなら、間違いないよな」

「あとは……《魚人化》を使えば、ミルイルさんでもおそらく跳竜の動きについていけるでしょうね。ジャドックさんだって、人間よりも感覚や反射に優れるシェイドですし」

 どうやら、辰巳たちならば跳竜を攻略することができそうだ。エルもそう判断したからこそ、辰巳たちにこの話を持ちかけたのだろう。

「跳竜が出没する村までは、パーロゥなら一日ちょっとですから……今から出発すれば明日の日没までには到着できます」

「よし、じゃあ急ごう。きっとジャドックたちも準備を終えているだろうしな」

 装備した鎧や剣を最後に確認して、辰巳はカルセドニアと共に家を出る。そして厩舎に向かい、ポルシェとフェラーリ、そしてパジェロと彼が牽く猪車を引っ張り出す。

「ポルシェ。今回も頼むぞ」

「フェラーリ。またがんばってね」

「もちろん、パジェロも期待しているからな」

 辰巳とカルセドニアは、パーロゥやオークたちの頭や首筋を撫でて元気づけてやる。

「よし……っと。あ、出かける前にジュゼッペさんに言っておいた方がいいよな?」

「そうですね。お祖父様には一言断っておきましょう」

「じゃあ、ちょっと行ってくる。カルセは先にエルさんの店に行っておいてくれ」

「分かりました……あ、お待ちください」

 辰巳の身体から黄金の魔力光が溢れ出すのが、カルセドニアにははっきりと見えた。ジュゼッペの所に行くため、辰巳は《瞬間転移》を使うつもりだったのだろう。

 だが、カルセドニアが引き止めたことで、彼の身体から黄金の光がふっと消え去る。

「忘れ物ですよ?」

 つつつっと辰巳に寄り添うと、カルセドニアは背伸びをして自らの顔を辰巳のそれへと近づけた。

 そして微かに触れる微妙な加減で、そっと辰巳の頬に自分の唇を触れさせる。

「はい、いってらっしゃいませ」

「あ、ああ……い、行ってくるよ」

 カルセドニアの奇襲を受けて、辰巳は顔を真っ赤にしたままその姿を消した。

 奇襲直後の辰巳の驚いた顔が愛しすぎて、カルセドニアはしばらくその場でにまにましていたが、すぐに我に返ると行動に移る。

「いつまでもこうしてはいられないわね。ご主人様よりも先に女将さんの店に行かないと」

 カルセドニアは猪車の御者台に腰を下ろすと、手綱を操ってパジェロをゆっくりと歩かせる。

 そして動き出した猪車の後を、ポルシェとフェラーリがちょこちょことついていく。

 猪車の後を二羽のパーロゥがついていく姿はどこか心暖まるものがあり、街の人々は彼らの姿を見てその頬を緩ませるのだった。




 道中での野営を経て、翌日に辰巳たちは目的の村に無事に到着した。

 その村でエルの知人に会い、詳しい話を聞き込む。

 どうやら跳竜は村の近くの森の中に潜んでいるらしい。木こりや猟師、そして森の中で木の実や茸を採集する村の女性たちが、何度も跳竜の姿を見かけているそうだ。

 そこで辰巳たちは早速森の中へと分け入り、跳竜の捜索を開始する。

 村人たちの目撃情報を頼りに森の中を進むこと数時間。それは、そこにいた。

 体色は白に近い薄い茶色。体の所々に濃い茶色の縞模様が入っている。全体に比べて、体自体はそれほど大きくはない。

 跳竜が大きく見えるのは、その細長い脚のせいだろう。跳竜のその小さめな体は、大きく弧を描く独特なフォルムをしている。

 そして、頭部から長く伸びた触角と尻から上向きに突き出した棘のような器官が特徴的だ。

「あれが跳竜ね……」

「どうやらそうらしいわねン」

 跳竜から少し離れた木々の陰に身を潜ませ、ジャドックとミルイルが跳竜の様子を観察する。

「跳竜は一体だけみたいだし……一気に倒してしまいましょうか」

 ジャドックとミルイルが頷き合う。と、彼らはここでふとあることに気づいた。

「タツミ?」

「タツミちゃん?」

 そう。このような場面ではいつも積極的に意見を述べる辰巳が、今日に限って静かなのだ。

 不思議に思ったジャドックとミルイルが辰巳へと振り向けば、彼は真っ青な顔でじっと跳竜を見つめていた。

「あ……あ…………か、か……まど……ま……」

「旦那様?」

 カルセドニアも辰巳の様子がおかしいことに気づいて、心配そうに彼の顔を覗き込む。

 その時だった。突然、辰巳が叫び声を上げたのは。

「うわあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああぁぁぁぁっ」

 それは叫び声ではなく、もはや悲鳴だった。悲鳴を上げた辰巳は、そのまま全力で跳竜とは反対の方向へ走り出す。

 いや、「走り出す」というよりも「逃げ出す」と表現した方が正解だろう。

「え、えっと……」

 ジャドックもミルイルも、そしてカルセドニアも。あまりにも想定外のことに、逃げ出した辰巳の背中を呆然としたまま見つめることしかできない。

 当然、辰巳の悲鳴に驚いた跳竜は、ぴょーんと跳んで森の奥に逃げてしまった。

「た、タツミちゃん……どうしちゃったの?」

「わ、私にも何が何だか……」

「そ、それより逃げた跳竜、どうする……?」

 その場に残された三人にできたのは、互いの顔を見つめ合うぐらいだけだった。




「エルさんっ!! あれはバッタなんかじゃないですっ!! あれは……跳竜は……バッタじゃなくてカマドウマじゃないですかっ!!」

「え? だって地球のカマドウマはバッタ目カマドウマ科ですから……バッタの仲間ですよ?」

「違いますっ!! 絶対に違いますっ!! カマドウマがバッタの仲間だなんて、俺は絶対に認めないっ!!」

 〔エルフの憩い亭〕に戻った辰巳は、物凄い剣幕でエルにくってかかった。

 そんな辰巳の背後では、カルセドニアたち三人が明らかに疲れた表情を浮かべている。

「お、俺……俺……昆虫はムカデでもゲジでも平気だけど……あ、あれだけは駄目なんだ……」

 その正体は、巨大なカマドウマであった跳竜。そして、辰巳はカマドウマが大の苦手なのだ。

 そうなった原因。それはまだ辰巳が小学生の低学年の頃、夏休みの夜に近所の林にクワガタを取りに行った時のこと。

 夏休み中は父親と一緒に、懐中電灯を片手に樹液が出る木を見て回るのが当時の辰巳の日課であった。

 その日もいつもと同じように、辰巳は父親と一緒にクワガタが集まっていそうな木を巡る。既に数匹のコクワガタを捕まえており、辰巳は上機嫌だった。

 そしていつも最後に立ち寄る樹液の出る木で、辰巳はその光景を目にしたのだ。

 言うなればそれは、「木に生えたイソギンチャク」。

 樹液の出るポイント周辺から空中に伸びる無数の「ヒゲ」のようなもの。それは丁度、海の中で揺れるイソギンチャクのように、ゆらゆらと不気味に揺れていた。

 毎日のように訪れている場所である。当然ながら、昨日の夜までそんな「ヒゲ」は存在しなかった。

──あれは一体何だろう?

 そう思った幼い辰巳は、無警戒に木に近づき、とうとうその恐るべき光景を目撃する。目撃してしまう。

 それは、樹液の滲み出すポイントに群がる数匹のカマドウマだった。

 樹液の滲み出す場所に顔を突っ込み、我先に樹液を啜るカマドウマたち。

 群がる仲間を押しのけながら、夢中になって樹液を啜る。時には、樹液に集まる小さな虫をもその顎で噛み砕いて食べている。カマドウマは雑食の昆虫なのだ。

 そんなカマドウマたちの細長い脚や触角が、ゆらゆらと揺れて木から生えたイソギンチャクのように見えたのだ。

 その正体に気づいた時、辰巳はあまりの気持ち悪さに思わず悲鳴を上げて逃げ出した。もちろん、一緒にいた父親も。

 その日からだ。辰巳がカマドウマが苦手になったのは。

 幼い頃は、あのおぞましい光景を何度も夢に見た。夢を見る度にそのおぞましさは割り増しされて、幼い辰巳の心に大きな傷を刻み込んでいく。

 その傷は決して拭い去られることはなく、辰巳にとって重大なトラウマとなるに至った。

 そんな辰巳が、巨大なカマドウマである跳竜に挑めるわけがない。

 ちなみに、逃げ出した跳竜はジャドックたち三人が必死になって探し出し、苦労した末にどうにか倒すことに成功していた。

「とにかくっ!! 俺は金輪際、カマドウマには……跳竜には関わりませんっ!! いいですねっ!?」

 拳をカウンターにだんと激しく打ち付けながら、エルに向かってそう断言した辰巳。しかし、彼はカウンターに振り下ろした拳を慌てて口元へと運ぶ。どうやら、カマドウマの姿を思い出して吐き気を催したらしい。

「……カマドウマって、そんなに気持ち悪いかな? 私なんかは結構可愛いと思うんですけど……」

 青い顔で口元を押さえ、心配そうなカルセドニアに背中をさすられている辰巳の姿を見て、エルはぽつりと呟いた。



 辰巳が幼い頃に見た光景は、自分が実際に見た光景であります。

 あれは……本当に気持ち悪かった……。


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