最後の通常体
吹き出される毒々しい紫色の霧。その霧をモルガーナイクは大きく後方へ飛び下がって回避した。
そして、着地と同時に右手の方向に走り出す。鎧竜が吐き出した毒霧を迂回し、剣を構えて鎧竜へと肉薄する。
その剣の刀身には、真紅の炎が宿っている。〈火〉〈炎〉系統の攻撃補助魔法《炎刃》だ。
炎を宿した剣を手に、一気に間合いを詰めたモルガーナイク。その彼の眼前に鎧竜の脚が迫る。
強固な甲殻に包まれた鎧竜の巨躯。その体を支えるのは、無数の小さな脚たち。
鎧竜がいかに硬質な甲殻を有していようが、脚ともなればその強度は下がる。装甲の薄いその脚を狙い、脚の数を減らして魔獣の機動力を奪うこと。それがモルガーナイクの目的だった。
眼前に迫った鎧竜の脚。無数の脚が不気味に蠢く様は、ある種の嫌悪感を抱かせる。しかしモルガーナイクはその嫌悪感をぐっと飲み込み、手にした剣を横に一閃させる。
耳障りな斬撃音と共に、鎧竜の脚が数本宙に舞う。
さすがの鎧竜も、脚を失えば苦痛を感じるらしい。苦しげな咆哮を上げ、身悶えるようにその巨体を震わせる。
鎧竜の主な武器は、毒と牙。しかし何より、その巨体そのものが大質量の恐るべき武器だ。
自分のすぐ脇にいる小さな敵を圧し潰さんと、鎧竜がその巨体を大きく横に振る。
しかし、すでにモルガーナイクは危険域から離脱していた。鎧竜の巨体は確かに恐ろしい武器だが、その質量のためにどうしても動きは鈍い。
一撃加えてすぐに離脱。それは動きの遅い敵と戦う際の常套手段の一つだろう。その常套手段を、モルガーナイクもまた選んでいた。
魔獣から一定の距離を保ち、魔獣の動きを読んで急接近。そして剣を一閃させて脚を数本奪い、その後は素早く離脱する。
それを繰り返すことで、鎧竜の体の下に存在する無数の脚は、少しずつ少しずつその数を減らしていった。
「あらあら。アタシたちの手助け、本当に要らないみたいねぇ」
背後から聞こえてきた声にモルガーナイクが振り向けば、そこに仲間たちの姿があった。
「ジャドック、ミルイル。どうしてここに?」
「タツミちゃんの指示よン。モルガーナイク様を手伝ってこいって」
「援護なんて必要ないかも、とも言っていましたけど。あと、少しでも早く最後の通常体を倒して、全員で変異体に挑もう、と」
「そうか。ならば、遠慮なく手伝ってもらおう」
仲間たちの心強い支援を受けて、モルガーナイクは不敵に笑う。
「脚を狙え。奴の動きを止めるんだ。だが、決して無理はするな。一当てしたら成果に関わらず退避しろ」
改めて与えられたモルガーナイクの指示に、ジャドックとミルイルは真剣な表情で頷く。
「行くぞ!」
掛け声と共にモルガーナイクは駆け出す。そして、ジャドックとミルイルもそれに続く。
鎧竜に対して、モルガーナイクは右側に、ジャドックとミルイルは左側に。
二手に分かれた小さな敵を検分するかのように、魔獣の頭も左右に振られる。
真っ先に接敵したのは、最も足の速いミルイルだった。走る勢いをそのまま槍に乗せ、呼気と共に鎧竜の脚に向かって力一杯突き出す。
飛竜素材でできた槍の穂先が、深々と鎧竜の脚に沈み込む。ミルイルは全身の体重を乗せるようにして、槍を更に押し込んだ。
そして、ぐりっと捩じりを最後にくれた後、素早く槍を引き抜いて退避。そこへ、今度はジャドックが走り込む。
今、ジャドックの四本の腕が握っているのは、ぶっ刺し斧と二振りの小剣。この小剣は先程ミルイルから借り受けたもので、その刃は飛竜の素材が使われている。
「ほい…………さあっ!!」
腰の位置で構えていたぶっ刺し斧を、ジャドックは全身の筋肉と捻転の力を乗せて水平に振り抜く。
ぶっ刺し斧の切っ先が先程ミルイルが抉った傷跡を見事に捉え、そのまま傷口周辺の甲殻もろとも脚を砕いた。
更にジャドックは、二振りの小剣を目にも留まらぬ速度で縦横無尽に振るい、続けてもう一本別の脚を破壊する。
飛竜素材の鋭利さとジャドックの技量が合わされば、強度的に劣る脚部なら破壊することも可能のようだ。
そして魔獣の巨体を挟んだ反対側でも、モルガーナイクが炎を宿した剣を振るって鎧竜の脚を斬り飛ばす。
既に数十本の脚が切断され、もしくは叩き潰された。だが、まだまだ鎧竜は活発に動き回っている。
今も槍を構えて吶喊するミルイルに向けて、魔獣は毒霧を勢いよく吐き出した。
しかしミルイルはこれを予測していた。駆ける方向を突然変更し、吐き出された毒霧を回避する。そしてミルイルが鎧竜の注意を引きつけている隙に、モルガーナイクとジャドックが別々の方角から肉薄、更に魔獣の脚に攻撃を加える。
ジャドックがぶっ刺し斧を勢いよく振り下ろすと、脚を包む甲殻が弾け飛ぶ。同じ箇所に更に一撃加えようと、ジャドックがぶっ刺し斧を再び頭上に構えた時。
突然森の木々の間を一陣の風が吹き抜け、同時に彼の周囲が紫に染まる。
咄嗟に目を閉じ、振り上げていたぶっ刺し斧をも放り捨てながら、ジャドックは勘に従って地面に転がるように倒れ込む。
どうやら、先程ミルイルに向けて吐いた毒霧の一部が、偶然吹いた風に流されたようだ。
幸い、風に吹き流されたことで毒霧の密度が低くなり、また、より毒素の薄い地面へと逃げたことでジャドックは毒霧の影響をほとんど受けなかった。
「もう……っ!! イジワルな風ねっ!!」
素早く起き上がりながら、ジャドックは突然吹いた風に文句を付ける。
「大丈夫か、ジャドック?」
彼を心配して傍らに駆けつけたモルガーナイクが、鎧竜に目を向けたまま尋ねる。
「ええ、大丈夫よ、モルガーナイク様。でも、自然現象にまでイジワルされちゃうなんて……やっぱり、アタシってイイ女すぎるのかしら?」
「そんな軽口が叩けるようなら心配ないな」
魔獣に注意を向けたまま、モルガーナイクは微苦笑を浮かべる。
自分たちは今、自然の中にいるのだ。当然、予期しない自然現象が発生する可能性は考えて然るべきなのだ。
「済まん。風に注意することを忠告し忘れていた。俺の手落ちだ」
「あらン、別にモルガーナイク様が悪いってワケじゃないけど……だったらこの狩りが終わった後、お詫びに一杯奢ってもらおうかしら?」
「ああ、いいだろう。何杯でも奢ってやる。だが、全ては鎧竜を倒してからだ」
「モチロンよ」
ジャドックは放り捨てたぶっ刺し斧を拾い上げると、数回振り回して異常がないことを確かめる。
「さぁて、ただ酒にありつくため……もう一頑張りしましょうかね」
ジャドックはその顔に闘志に満ちた笑みを浮かべた。
鎧竜の脚は確かに無数にある。しかし、無限にあるわけではない。
三人の魔獣狩りによって少しずつ脚を奪われていく鎧竜。やがてその脚の大半を失った時、遂にその巨体を支えることができなくなり、横倒しに地面へと倒れ込んだ。
地響きを立てながら、鎧竜の巨体が大地に倒れる。巻き込まれた樹木がへし折れ、大地に降り積もった木の葉が宙に舞う。
当然ながら、モルガーナイクたちは素早く安全圏へと避難している。
横倒しになった鎧竜は体を起こそうと必死に身を捩るが、その体を支える脚がなくては再び地面に倒れ込むだけだ。
モルガーナイクはそんな魔獣の正面に陣取り、呪文の詠唱を開始する。
呪文の詠唱と共に、彼の周囲に鬼火が出現する。そして、その鬼火はその数をどんどんと増やしていき、やがて彼の周囲に無数の鬼火が漂い始める。
体を支えることができないものの、鎧竜が死んだわけではない。
無表情な複眼を正面にいる小さな敵に向けながら、魔獣は反撃を試みる。
今の鎧竜に残された反撃の手段は、毒霧を吐きかけることのみ。魔獣はその口を敵に向け、毒霧を吐き出そうと大きく口を開く。
だが、それこそがモルガーナイクの狙っていた瞬間だった。
移動できなくなった鎧竜は、必ず毒霧を吐くだろう。それが魔獣に残された最後の抵抗手段なのだから。
そしてそれを誘うため、モルガーナイクは倒れた魔獣の正面に立ったのだ。
魔獣が口を開き、毒霧を吐き出す直前。モルガーナイクの周囲に浮かんでいた無数の鬼火が、一斉に鎧竜へと殺到した。
いや、鬼火が殺到したのは、大きく開かれた魔獣の口だ。そこから、鬼火たちは吸い込まれるように魔獣の体内へと侵入していく。
〈火〉系統の最も初歩的な攻撃魔法、《火弾》。標的に着弾すると小規模な爆発を起こす、単体攻撃用の魔法である。
だが熟練者が扱えば、初歩的な魔法といえどもその破壊力は恐るべきものとなる。
《火弾》は爆発の範囲が狭いために範囲攻撃こそできない。しかし、その点を数で補えばどうなるか。
「点」が集まれば「面」になるように、《火弾》の数を増やすことで擬似的な範囲攻撃が可能となる。
鎧竜の口内という限定された空間で、小さな爆発が連鎖的に発生する。さすがの鎧竜といえども、口の中までは装甲に守られていない。その口の中で連続して爆発が起こり、炎の嵐が口内で暴れ回る。
口内を破壊しつくした爆炎は、頭部全体にまで及ぶ。その巨体に比して小さな鎧竜の頭部は、内側からの爆発に耐えきることができず、遂に爆散して周囲に体液と肉片の雨を振らせるに至った。
「……上手くいったようだな」
ほぅと安堵の息を吐きながら、モルガーナイクは動きを止めた鎧竜を見る。
脚こそいまだにぴくぴくと痙攣しているが、その命が尽きたのは明らかだ。
「鎧竜の頭を吹き飛ばすなんて、さすがはモルガーナイク様ねぇ」
「俺なりの方法でタツミの真似をしてみただけさ」
先程、辰巳が《魔力撃》で鎧竜の頭部を吹き飛ばすのを見ていたモルガーナイク。
彼は彼なりの手段で、それを再現しようと考えた。
辰巳のように魔力を敵の体内に流し込んで爆発させることは、モルガーナイクにはできない。
ならば、別の方法でそれを再現すればいい。そして考え出したのが、鎧竜の口から体内に《火弾》を送り込むというものだったのだ。
とはいえ、内部から破壊するだけの《火弾》を揃えるために普段以上に詠唱が長くなるため、動きの素早い相手にはこの手段は通用しないだろう。
今回、ただでさえ動きの鈍い鎧竜が相手であり、更には脚を殺して完全に移動を封じたからこそ使えた手段と言える。
「さて、これで通常体は全て片づいた。残るは……」
三人の視線が、少し離れた所で暴れ回っている巨大な魔獣へと向けられる。
その魔獣の周囲に時折稲妻が迸り、朱金の輝きが奔るのはカルセドニアと辰巳の攻撃だろう。
どうやら、二人はまだ健在のようだ。
しかし、その攻撃はかなり散発的である。まるで、巨大な鎧竜を倒すつもりはないと思えるほどに。
「タツミちゃんとカルセちゃん、アタシたちが合流するまでデカブツの注意を引き続けるつもりみたいね」
「ああ。おそらく、俺たちが合流するのを待たざるを得ないことがあったのだろう」
変異体には、通常体にはない特殊な能力がある場合が多い。先程もミルイルから、あの巨大な変異体が身体を丸めて自ら転がる、という通常体にはない能力を聞かされたばかりだ。
「急いで二人と合流しましょう!」
ミルイルの言葉に、モルガーナイクとジャドックが頷く。
三人とも戦意は十分。体力面においてもまだまだ余裕がある。
更に武器や防具に異状がないことを手早く確かめ、三人は揃って駆け出した。
自分たちが合流するのを待っている仲間の元へと。
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