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もう悩まない

 自宅の寝台の上。身体と身体を激しくぶつけあって、互いの愛情をたっぷりと確認した後。

 カルセドニアは愛する夫の胸に頭を乗せ、満ち足りた表情を浮かべていた。

 心地よい気だるさが全身を覆う中、カルセドニアの細くて白い指先が、無意識に辰巳の胸に刻まれた傷跡をゆっくりとなぞっていく。

 この傷跡は、辰巳がこっちの世界に来て間もない頃、〈魔〉に取り憑かれたモルガーナイクとの戦いの際の傷だ。

 一年以上が経ちかなり薄くはなったが、辰巳の胸からこの傷跡が完全に消えることはないだろう。

 目を閉じて幸せそうな顔をしながら、指だけが別の生き物のように辰巳の胸を這う。

「こら、チーコ。くすぐたいってば」

「えへへー」

 辰巳がわざと怒った表情を浮かべても、カルセドニアはそれを無視して指先を這わせ続ける。

「さっきはご主人様だって、私の身体のあちこちをいっぱい触ったじゃないですか。ですから……仕返しですっ」

 ごく少量に絞られた魔法の灯りの元、カルセドニアの指先が更に大胆に踊り始める。

 実はこの魔法の灯りは、カルセドニアではなく辰巳が灯したものだ。

 ジュゼッペの指導の結果、最近では辰巳もいくつかの簡単な詠唱魔法を使えるようになった。

 《点火》《水作成》《灯り》など日常生活に役立つ魔法ばかり、それも適正系統を持つ者どころかその他の魔法使いと比べても、辰巳の魔法は発動までの時間も消費する魔力も格段に劣っている。

 それでもほぼ間違いなく、彼は詠唱を成功させることができるようになった。

 今点灯している魔法の灯りも、その光量を意識して絞ったのではなく、全力で魔法を使っても部屋の中をうっすらと照らす程度の光量しかない。

 どうにも、辰巳は〈天〉以外の系統の魔法はとことん相性が悪いようだ。

 だが、「愛の肉体言語」を語り合うにはこれぐらいの光量の方が逆にいい。ぼんやりとした灯りは、相手の身体や表情を丁度いい具合に彩る。

 そのうっすらとした光の中、カルセドニアは両手を使って辰巳の身体をくすぐり始めた。

「や、やめろってチーコ。ほ、本当にくすぐったいんだから」

「ここかー? ここがいいのかー? ここがおまえの感じる所なんだなー?」

「な、なぜにスケベ親父みたいな口調にっ!?」

 ふざけた口調で辰巳をくすぐり続けるカルセドニア。一方の辰巳は、笑いながら身体を丸めて防御態勢に入る。

 もちろん、どちらも楽しそうだ。時にはこのように普段の立場を逆転させてみるのも、夫婦円満の秘訣の一つと言えるかもしれない。




 ひとしきりふざけあった後、カルセドニアは再び辰巳の胸に頭を乗せて、うっとりとした表情を浮かべていた。

「……すっかりご主人様も逞しくなりましたね」

「まあ……こっちに来てからみっちりと鍛えたからなぁ」

 神官戦士として。魔獣狩りとして。こちらの世界に来てから、辰巳は必死に己の身体を鍛えてきた。

 その結果、全身から無駄な脂肪はそぎ落とされ、代りに筋肉が発達した。手足も太くなったし、掌だって何度も繰り返し剣を握ってきたことで硬くなっている。

 すっかり戦士の身体となった今の辰巳は、元の世界ではアスリートや格闘家にも見劣りしないだろう。

 それでも全体的にマッシヴな印象にならないのは、彼の元々の身体が細かったからかもしれない。

 だが、まだまだ辰巳は発展途上である。今後も鍛え続けることで、より逞しく鋭く絞り込まれていくことになるに違いない。

 そんな辰巳の胸に頬ずりしながら、カルセドニアはうっとりとした表情を浮かべる。

 だが辰巳は薄明かりの中で、時折彼女の顔に不安が横切るのを見逃さなかった。

「やっぱり……気になるのか?」

「はい……」

 カルセドニアが感じる不安。それは数日前にエルに言われたことだった。

 もしかすると、辰巳とカルセドニアの間には、子供は望めないかもしれない。

 それを想像するだけで、カルセドニアの心はどうしても重くなってしまう。

 エルには心配することはないと言われたし、カルセドニア自身も辰巳との絆とサヴァイヴ神の加護を信じているが、それでもどうしても不安に感じてしまうのだ。

 今も不安に苛まれるカルセドニアの頭を、辰巳は優しい手付きでゆっくりと撫でる。

「心配することはないさ。子供なんて、できる時にはできるものなんだから。エルさんもそう言っていただろ?」

 実際に、結婚してからすぐ子供ができる夫婦もいれば、結婚後十年ぐらいしてようやく子供を授かる夫婦もいる。

 現代の日本でも、何度も不妊治療を繰り返しその結果ようやく妊娠できた夫婦だっていることを、辰巳はニュースなどで知っていた。

「でも……私ももう二十歳を過ぎましたから……そろそろ妊娠しないと心配で……」

「あー、そうか……その辺の感覚が俺とは違うんだな」

 辰巳はまだ十七歳だ。現代の日本で十七歳と言えば高校生。当然、子供を作るには早すぎる。

 だが、こちらの世界では二十歳を超えると「行き遅れ」と呼ばれるのだ。普通は十六、十七歳ぐらいに結婚し、二十歳前に初産を体験する。

 ラルゴフィーリ王国で結婚した女性に最も求められることは、身分を問わず子供を生むことである。

 しかし、中には結婚後何年も子供に恵まれないという夫婦も、やっぱり存在する。そのような場合、妻となった女性は相当肩身の狭い思いをするそうなのだ。

 それを考えれば、カルセドニアが焦りを覚えるのは仕方のないことかもしれない。

「チーコは覚えていないかもしれないけれど、俺がいた日本では三十歳を過ぎてから出産する人も珍しくないんだ。だから、まだまだチーコが焦る必要はないよ」

「さ、三十を過ぎてから子供を生む……? し、信じられません……」

 どうやら、こちらの世界で三十歳を過ぎてからの出産は、かなりの「高齢出産」に分類されるらしい。

「まあ、元はオカメインコだったもんな……知らなくて当然だよな……」

 目を見開いてびっくりしているカルセドニアを見て、辰巳は彼女の前世が人間ではないことを改めて実感した。

 それでも、辰巳は目を優しげに細めてそっとカルセドニアの頬に触れる。

 そのすべらかな感触を十分に堪能した後、辰巳は再びゆっくりと愛する妻の頭を撫でた。

「だから、焦る必要はないんだ。俺たちの間に、いつか絶対に子供はできる。俺はそう信じているよ」

 頭の上に感じられる夫の掌の暖かな感触。その暖かさが、心の中の不安を解かしていくようで。

 カルセドニアは目を閉じて、その心地良い暖かさに身を委ねる。

「はい……もうくよくよと悩みません! 見ていてください! いつか必ず、ご主人様の子供を生んでみせますから!」

 両の拳をぎゅっと握り締め、カルセドニアは意気込みを露にする。

「うん、その意気だ。それに……」

 辰巳の腕がそっと伸び、カルセドニアのすべすべしたお尻を遠慮なく撫で回す。

「間違いなく、チーコは安産型だな」

「ひょ、ひょえええええっ!! どこ触っているんですかぁぁぁっ!?」

 寝室の中に、可愛らしくて幸せそうな悲鳴が響き渡った。




 翌朝。

 準備を整えて、辰巳とカルセドニアは神殿へとでかける。

 太陽の節──夏の日差しに負けることなく、今日も二人はいつものように寄り添って歩く。

 二人が家を出た時間帯は、間もなく二の刻の鐘がなろうかという頃合い。つまり、日本で言えば午前八時頃といったところである。

 日の出と共に活動を開始するこの世界では、この時間帯ともなれば街の中はすっかり平常モードである。

 商店は声高に客を呼び込み、道ゆく人々はその声に引かれて店先を覘いていく。通りの真ん中をがらがらと音を立てて猪車が何台も通っていくし、街中を巡回している衛兵の姿も見受けられる。

 旅人や行商人、傭兵や魔獣狩りの姿が比較的少ないのは、この時間帯は彼らが街を出るには少し遅いからか。旅人や魔獣狩りたちが街を出るのは、大抵一の刻の鐘が鳴る時間帯──午前六時頃──なのだ。

 そんな街の中を、辰巳とカルセドニアは真っ直ぐにサヴァイヴ神殿を目指す。

 今日の二人の予定は、辰巳は午前中はジュゼッペとの座学、そして午後からは鍛錬場で神官戦士としての訓練がある。

 一方のカルセドニアは、午前中に信者の前での説法と施療部での仕事が入っているが、午後からの予定はない。

「今日、カルセは午後からどうするんだ?」

「そうですねぇ……家のお掃除をした後、ポルシェたちの厩舎も掃除して、ついでにポルシェやフェラーリ、パジェロの身体も洗ってあげようかしら?」

 パーロゥやオークの身体を洗うには、本来なら井戸から大量の水を汲む必要があるが、《水作成》の魔法で一度に大量の水を作り出せるカルセドニアならば、その手間を大きく削減することができる。

「暑い日が続くとポルシェたちも辛いだろうから、水浴びできると喜ぶんじゃないか?」

 パーロゥであるポルシェとフェラーリ、そしてオークであるパジェロ。今では彼らもすっかり辰巳やカルセドニアに懐き、辰巳とカルセドニアから見ても彼らは可愛い存在であった。

 元々鳥好きな辰巳は二羽のパーロゥは当然ながら、風貌の厳ついオークも懐いてくれるとやっぱり可愛く思える。

 柔らかな手触りのパーロゥの羽毛と、少しごわごわしたオークの毛並みは、それぞれに味わい深いものがあって、辰巳はどちらの感触も気に入っていた。

 しかし、パーロゥやオークばかりを可愛がってはいけない。あまりそちらばかりを可愛がると、とある女性がおもしろくなさそうにするからだ。

 先日も、辰巳が庭先でパーロゥたちの羽毛をブラシのような器具で手入れをしていたら、その女性がむすっとした表情で近づいてきて、ずいっと自分の愛用の櫛を差し出した。

 どうやら、「自分も構って欲しい」ということらしい。

 苦笑しながらも辰巳がその女性の白金色の髪──ひょこひょこと揺れる「アホ毛」が彼の心を和ませた──を梳いてやれば、その女性は気持ち良さそうに目を細めて、それまでのむすっとした表情が嘘のように穏やかになったものだ。

 その後もとりとめのない会話を楽しみながら、辰巳とカルセドニアはサヴァイヴ神殿を目指して歩いていく。

 その途中、辰巳とカルセドニアは、自分たちの進行方向に見知った顔があることに気づいた。

「あれ……ミルイルじゃないか?」

「本当ですね。でも……」

 カルセドニアが不思議そうに首を傾げる。

 なぜなら、ミルイルは一人ではなく、見知らぬ女性と一緒だったからだ。

 しかも、どういうわけかその見知らぬ女性はミルイルの手を取り、強引に引っ張っているようだった。

「何ごとだろう? 止めた方がいいのかな?」

「そうですね……声をかけた方が良さそうです」

 辰巳とカルセドニアは互いに顔を見合わせて頷くと、足早にミルイルの方へと向かって行った。


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