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吉報


 ぎぃぃん、という耳障りな金属音が、鍛錬場に響き渡る。

 それは、剣と槍の穂先がぶつかり合ったために生じた音だ。

 剣を操っているのは辰巳。

 その身に纏うのは、神官戦士の「制服」とでも言うべき、サヴァイヴ神の聖印の刻まれた鎖帷子。

 振るうは訓練用に刃引きされた片手剣。そして、左手には木製の盾。

 そんな辰巳と対峙するのは、槍を構えたバースである。

 辰巳と同じ神官戦士の位を示す鎖帷子と、こちらは訓練用の槍を振るい、一気呵成に辰巳を攻め立てる。

 バースが繰り出す突きは、高速かつ体重が十分に乗った重いもの。

 その突きを連続で繰り出されては、とても剣だけでは捌ききれず、辰巳はバースの攻撃を盾の表面で受け流すように防御する。

 今、辰巳は一切の魔法を使用していない。

 これは訓練であり、実戦ではないからだ。

 もちろん、実戦を想定して魔法を織り交ぜて行う訓練もあるが、今の辰巳が魔法を使って全力で戦えば、おそらく誰が相手でも一瞬で終わってしまうだろう。

 遠距離から《瞬間転移》で相手の懐に飛び込み、一撃加えた後は再び《瞬間転移》で離脱する。

 もしくは、『アマリリス』を用いて「遠距離からの接近戦」という一種矛盾した戦法を用いれば、一方的に戦いの流れを支配することだって不可能ではない。

 『一撃必殺』『一撃離脱』。それが辰巳の本来の戦い方であるが、そればかりに頼るわけにはいかない。

 辰巳は魔祓い師や魔獣狩りであると同時に、神殿を守る神官戦士でもある。

 時には人間相手に武器を振るうことだって考えられるのだ。相手を殺さずに取り押さえる技術もまた、神官戦士には必要なものであった。

 となれば、魔法に頼らない素の戦闘力を向上させる必要がある。それに、全ての基礎となる戦闘技術の向上は、決して怠けていいものではない。

 そのため、辰巳はこうして魔法を使わない戦闘訓練にも積極的に参加しているのだ。




 辰巳と同時期に、神官戦士となったバース。

 これまでに何度も訓練で手合わせしてきた相手であり、ある意味で辰巳のライバル的な存在でもある。

 そのバースが、辰巳の視線の先でにやりと不敵な笑みを浮かべていた。

 神官戦士としての訓練を始めた時、バースは辰巳と同じで武器に触れたことさえなかった。

 そんなバースも、今では槍を扱わせればサヴァイヴ神殿でも一目置かれる存在となっている。

 もちろん、彼に槍を扱う適性があったのだろう。だが、適性だけでここまで上達するはずがない。

 辰巳がジュゼッペの元で魔法の修行を重ね、エルの店に出入りして魔獣狩りとしての経験を積み上げてきたように、バースもまたひたすらに槍を振り続けてきたのだろう。

 バースは魔法使いではない。その彼が強くなるためには、例え愚直と言われようとも、こつこつと修練し続けるしかなかったのだ。

 その成果がこうして今、花となり実となっている。

 自信に満ちた笑みを浮かべたまま、バースがすすっと数歩踏み込む。

 剣道で言うところのすり足のような足運び。音もなく自分の間合いに辰巳を捉えたバースは、高速の連続突きを辰巳に向けて繰り出した。

 空を切り裂く音と共に、槍の穂先が辰巳へと迫る。

 繰り出された穂先が、辰巳が構えた盾の表面をがつがつと削っていく。

 その勢いは、普通に構えた盾を貫きかねないほど。だから辰巳は巧みに盾を操り、盾の表面で槍の穂先を滑らせるようにその勢いを削ぐ。

 バースが繰り出した槍の穂先が辰巳の盾でいなされ、槍はするりと辰巳の身体の横を通過する。

 当然、槍を繰り出したバースの体勢も一緒に泳ぐ。その隙を見逃さず、辰巳はバースへと大きく踏み込んだ。

 槍の最大の強みは、その長い柄にある。言うまでもなく、剣の間合いの外から槍は一方的に攻撃できる。

 しかし、一旦懐に飛び込んでしまえば、柄の長さが逆に仇となり、今度は剣が有利となる。

 体勢が崩れたバースの身体。その下に潜り込んだ形となった辰巳は、そこから伸び上がるようにして剣を薙ぐ。

 いや、薙ごうとした。

 右手の剣を振り上げようとした時、辰巳はバースの口元が釣り上がるのを目撃する。

 同時に、低い姿勢の辰巳の更に下。そこから何かが浮かび上がるように迫って来ていることにも気づく。

 それは、槍の石突きだった。

 バースは体勢を崩しながらも、手の中で槍を回転させ、石突きによる打撃に切り替えていたのだ。

 地面すれすれを通過しつつ、槍の石突きが辰巳へと襲いかかる。

 だが、辰巳は一瞬だけ驚いたものの、すぐにそれに対応する。今、バースが石突きを用いた下から掬い上げるような攻撃は、辰巳にすれば馴染みのあるものだったのだ。

 彼の妻、カルセドニアは杖術を使う。彼女が操る杖術には、今のバースと同じような軌道の攻撃がある。

 カルセドニアとの手合わせで何度も同じ攻撃を見てきた辰巳にとって、バースが選んだ手段は不運にも悪手と言えた。

 迫る石突きに対し、辰巳は盾で蓋をするように迎撃する。

 真上から押さえ込まれ、石突きは完全に止められた。その瞬間、バースの顔に驚愕が浮かぶ。

 彼としては、石突きを用いた奇襲が防御されるとは思っていなかったのだろう。確かに、相手が辰巳でなければ今の攻撃は通用したに違いない。

 そして、それは明確な隙であった。

 その隙を突き、今度こそ辰巳は剣を薙ぐ。

 訓練用に刃引きされた剣では、鎖帷子の上から斬りつけても肉体を斬り裂くには至らない。

 だが、その衝撃まで防ぐことは不可能。胸に大きな打撃を受けたバースの身体がぐらりと揺らいだ。

 更に追い打ちをかけんとする辰巳は、振り抜いた剣をくるりと返して二撃目を放とうとする。

 しかし。

「よし、そこまで!」

 二人の模擬戦を監督していたオージン戦士長の鋭い声が、鍛錬場に響き渡った。




 今日、カルセドニアは施療部に詰めていた。そして、彼女がサヴァイヴ神殿の施療部にいる時は、いつもより訪れる来訪者が多い。

 元より、「《聖女》が施療部に当番の日は訪れる来訪者が増える」と、サヴァイヴ神殿内ではよく言われていた。

 《聖女》として名高いカルセドニアが治療してくれるということで、彼女の信奉者たちが些細な怪我などでもサヴァイヴ神殿の施療部を訪れていたからだ。

 だが、カルセドニアが異国の青年と正式に婚約したという話が広まると、施療部を訪れる来訪者は一時的に減少した。

 そう。あくまでも「一時的」。

 カルセドニアが当番の日、施療部を訪れる来訪者の数はすぐに元通りになった。いや、以前以上に増加したとさえ言える。

 かつてのカルセドニアは、人付き合いがあまり得意ではなく、役目上微笑んでいることはあるものの、それほど感情が豊かだとは言えなかった。

 しかし、婚約以後はそれがいい方向に変化した。

 明るくなり、誰にでも屈託なく笑顔を見せるようになったカルセドニア。その理由は今更語るまでもないだろう。

 結果として、親しみやすくなった彼女の元に、前以上の来訪者が訪れる結果となったのだ。

 中には「前のどこか冷たい雰囲気のカルセドニア様の方がよかったな。更には、冷笑を浮かべたまま踏みつけてくれるともっとよかったのに……」という意見の者もいたが、それはあくまでも特殊な例。

 サヴァイヴ神殿にとっても、施療部を訪れる者が落とすお布施──という名前の治療費──は、決して馬鹿にはできない。

 そのため、カルセドニアが施療部に詰める機会は、どうしても増える傾向になる。

 そして今日、施療部のカルセドニアの元に、ある人物が訪れた。

 それはカルセドニアもよく知っている人物であり、その人物が施療部に現れたことに彼女は軽い驚きを覚えながらも笑顔で対応する。

「こんにちは、ナナゥさん。今日はどうされました?」

 今、カルセドニアの前に現れた人物。それはバースの妻であり、辰巳やカルセドニアとも知己であるゴブリンのナナゥだった。

「え、えっと……そ、その……カルセドニア様にちょっとご相談したいことが……」

 褐色の頬をはっきりと赤らめ、言い辛そうにちらちらと自分を見てくるナナゥの様子に、カルセドニアは微笑ましく思えてその笑みを更に深くする。

「ええ、いいですよ。私でよければ、何でも相談してください」

 憧れの《聖女》にそう言われて、ナナゥは目に見えて安堵したようだ。

「じ、実はですね……」

 小さな声でぼそぼそと相談事を呟くナナゥ。そして、その話を聞くカルセドニアの表情が、徐々に真剣なものへと変化していった。




「痛ってぇ……」

 打撲したと覚しき胸を押さえながら、バースはとぼとぼと神殿の廊下を歩いていた。

 その隣には、バースに打撲を与えた張本人である辰巳の姿もある。

「済まん。ちょっと力が入りすぎた」

「あー、気にすんなよ。これも鍛錬だから仕方ねえさ。俺も以前の鍛錬中に、おまえに強めの一撃を入れたこともあるしな」

「そうだったな」

 魔法を使わない場合、辰巳とバースの武術の腕前はほぼ拮抗している。今回は辰巳の方に軍配が上がったが、時には辰巳も手酷い怪我をすることもあるのだ。

「ま、施療部へ行って、治癒魔法をかけてもらえばすぐに治るさ」

「そういや、今日はカルセも施療部にいるんだっけ」

「あー、あの人、おまえが鍛錬の日は常に施療部にいないか?」

「い、いや、別に……そ、そうと限ったわけじゃないけど……」

 横を歩く辰巳を肘でうりうりと(つつ)きながら、バースはにまにまとした笑みを浮かべる。

「いやー、相変わらず愛されてんねー。羨ましいねー」

「お、おまえだって可愛い奥さんがいるだろ!」

「おう! 少なくとも俺にとっては、カルセドニア様よりナナゥの方が女として上だね!」

 拳を力強く握り締め、きっぱりと愛妻宣言するバースを、辰巳は微笑ましく思うやら呆れるやら。

 端から見れば、愛妻家という点においては辰巳もバースとそれほど変わらないのだが、自分のことは自分で判り辛いのは人間の性なのかもしれない。

 そして二人が施療部へと辿り着き、多くの人々が訪れているその中を覗き込めば、施療部の一角でなにやら真剣に話し合うそれぞれの妻たちの姿があった。

「あれ? ナナゥが来ているぞ」

「本当だ。何か怪我でもしたのかな?」

 辰巳とバースは、互いに顔を見合わせて首を傾げる。

 真剣な顔つきで話し込んでいるカルセドニアとナナゥ。その様子に、夫たちは妻たちへ声をかけることを躊躇ってしまう。

「……な、何か声をかけづらい雰囲気だな……」

「う、うん……も、もしかしてナナゥさん、何かの病気……とか?」

 ちらりと隣のバースの様子を窺いながら、辰巳はおそるおそる口にする。

「いや、それはないだろ。普段から元気そのものだし、そもそもゴブリンは大地の加護を受ける亜人だから、ほとんど病気にならないしな」

 大地の加護と病気にどのような因果関係があるのか。辰巳にはよく分からないことだが、この世界ではそのように信じられているのだろう。

 腕を組み、首を傾げながら考え込んでいた辰巳。その彼と、ふと顔を上げたカルセドニアの視線がぶつかり合った。

 途端、それまで真剣だったカルセドニアの顔が、一気にぱっと輝く。

「旦那様! それにバースさんも!」

「え? え? バースくんっ!? ど、どうしてバースくんがここに……っ!?」

 満面の笑顔で、カルセドニアは辰巳に向かってぶんぶんと手を振る。振りまくる。

 当然、カルセドニアのすぐ傍にいたナナゥも、びっくりした顔で辰巳たちを振り返り、すぐにおろおろと慌て始めた。

 その他の施療部に居合わせた者たちも、一斉に辰巳たちへと視線を向ける。

 最初こそカルセドニアの勢いに驚いてざわついていた者たちも、その相手が「《聖女》の夫」であることが分かると、「ああ、いつものことか」とばかりにたちまち落ち着きを見せる。

 どうやら辰巳とカルセドニアは、周囲にはすっかり「二人でひとつ」とか「いつも一緒」という印象で受け入れられているようだ。

 辰巳がその事実に素直に喜んでいいのか悩んでいる間に、カルセドニアはナナゥの手を引いて辰巳とバースがいるところへとやってきた。

「旦那様、バースさん。どうされました?」

「あ、ああ、バースが鍛錬中に怪我をしてね」

「今日は俺が負けたが、次は俺が勝たせてもらうぜ?」

「そうはいくか。また返り討ちにしてやるさ」

 軽口を叩き合う辰巳とバースを見て、カルセドニアは「またですか」とでも言いたげにちょっぴり不機嫌な顔をする。

 彼女としては、やはり夫である辰巳が怪我をすることは、いろいろと複雑なのだろう。

 神官戦士である以上、鍛錬中や任務中に怪我をすることは避けられない。しかし、妻としては当然夫に怪我をしてほしくない。

 そんな相反する思いが、カルセドニアの胸中にはあるのだった。

「と、ところで……何かあったのか? 随分と真剣な話をしていたようだけど……」

 カルセドニアとナナゥの顔を交互に見比べながら、辰巳は先程からの疑問を正直に尋ねてみた。

「ええ、それが……ですね?」

 カルセドニアは、隣のナナゥの肩を優しく抱き寄せ、そしてバースの前に立たせるとナナゥに「さあ」と何やら促した。

「あ、あのね、バースくん………」

「おう、どうした、ナナゥ。おまえに限って病気じゃないよな?」

「う、うん……確かに病気じゃないけど……」

 頬を赤らめ、上目使いでもじもじとしながら。

 ナナゥは小さな声で、ようやく告げた。衝撃的なその一言を。


「その……ね? で、できちゃったかも……赤ちゃん」


 祝! 10,000,000 PV 到達!

 本当にありがとうございます。これからも引き続きがんばります。

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